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 商品分析の歴史 3

 資本論入門10月号 古典派経済学の「労働価値説」と「価値形態」

  
小林昇、フランクリン、そしてスミスとリカード  

   
物質的象徴と価値概念成立史
使用価値の抽象化について
 

 はじめに
 マルクスの「労働価値論=労働の価値論」が難しく感じられるのは、労働の二重性の、「人間労働、または抽象的に人間的な属性において、労働は商品価値を形成する-「社会的総労働」という概念が“感性的”に把握しづらいことに原因があります。
 その背景には、「実体の関係性」というヘーゲル哲学の伝統的用語法を採用したマルクス弁証法の方法論にも責任の一端があります。使用価値形成労働と交換価値形成労働の「区別と同一性」に(
編集部注:「ヘーゲル論理学選集」参照) よる「価値形態論」が構築されて、ー すなわち、従来の「価値形態論」が第4節で完結している、と理解され誤解を招いている ー 初めて「価値存在の発展史― 商品・貨幣・資本」の探究の道が切り開けるのではないでしょうか。
 標題に掲げた「
物質的象徴と価値概念成立史 」への探索と重なりあうことになります。


 目次
 第1章 小林昇 『ペティ以後における論点の展開』 ・・・
商業社会の成立・・・
 第2章 フランクリンの「
労働価値説 ・・・使用価値からの抽象・・・
 第3章 アダム・スミスとリカードの「
労働価値説 
    3-1. 
古典派経済学価値形態(価値の形式)の欠如
    3-2. アダム・スミスの「労働価値説」の限界
    3-3 リカードの「価値の大いさ」の分析.



  小林昇著『経済学の形成時代』 付論 「ペティからスミスまで―商品把握の形成」 1961年発行

 
第1章 小林昇著  ベティ以後における論点の展開

1. ペティの四つの論点から~
 われわれは前節で、封建制から資本主義への移行がどのようなかたちで商品と商品生産との把握を可能にしたか、しかしなおそこに根づよく残存した、封建制のものである「土地」=富の観念が、これと並存しつつ絶対王制下にとくに広く展開した「財宝」= 富の観念とともに、右の「商品」に対する把握の純化をいかに妨げたかを、「経済学の創始者」ウィリアム・ペティに即して検討した。つぎには、ペティにおいてとりあげた四つの論点の一つ一つにふくまれる矛盾と混乱とが、アダム・スミスにいたるまでにそれぞれどのように純化されてゆき、相依って古典経済学の理論的基礎を形成するようになったかを、簡単に跡づけることとする。

2. 第一、「源泉」論
 第一。「源泉」論の展開について。きわめて大づかみにいえば、富の源泉についての「土地」と「労働」との
二元論〔*編集部注1〕は、「ラティマーからステュアートまでのイギリスの諸文献を一貫している」といえるであろう。しかもそれは、二つの源泉のうち労働を能動的要因として捉える点においてもほぼ一貫していた。
しかしこのことは、彼らが ― のちのD・レイモンドの表現によれば ― 使用価値(物材)としての「富の源を土地に、原因を労働に」求めていたというだけのことである。ここで大切なことは、この「源泉」論のなかで、しだいに、労働の占める積極的意義だけではなくその量的比重が ― もとより測定の意図そのものは誤りであるが ― 重視され、この点に「土地」=富の観念の後退が示されていることである。

   〔
*編集部注1:二元論の一つである「労働」は、使用価値形成労働と交換価値形成労働が未分化であることに注意を要します。〕


3. ジョン・ロック ― 使用価値の源としての「価値を形成する労働」
 ペティの直後に名誉革命のイデオローグとして現われたジョン・ロックは、
彼のいう価値すなわち使用価値の源について、周知のようなつぎの言葉を述べている。「あらゆる物に価値の差等を与えるものは労働……にほかならない。誰でもよい、タバコや砂糖を植えつけ、小麦や大麦を蒔きつけた土地1エーカーと、おなじ土地でも、なんの耕作もおこなわれず共有のまま放置されている土地1エーカーとの差を、考えてみるがよい。
そうすれば人は、労働による〔*訳者の注:土地の〕改良が価値の大半をつくりだすことが分るであろう。人間の生活にとって有用な大地の生産物のうち、10分の9は労働の効果であるといえば、それはきわめて控えめな算定にすぎないと思われる。いな、もしわれわれの用いるものを正しく評価し、これらについての種々な費用を純粋に自然に負うものと労働に負うものとに分けて計上するならば、それらの大部分が100分の99までまったく労働の効果に帰せられるべきであることが知られるであろう。」
 またロックに直続して名誉革命の直後に「勤勉は豊富をもたらす」という標語のもとに旺盛な著作活動を展開したジョン・ベラーズは、その第4の著作で右のロックの見解を簡約し、「土地は富の基礎であり労働はその最大の生産者である」と述べたのであった。

 ペティの直後における「源泉」論のこのような特質は、そのごのイギリスの重商主義期にあっても、フランスでのカンティロンやケネーに見られる後退にもかかわらず、一貫して維持されたのであり、複雑な立場を示すハリスを経て、「最後の重商主義者」とされるジエイムズ・ステュアートにいたった。
 ステュアートの体系にあっても、人口論という視角からではあるが、吝嗇な自然と多産な農業労働という認識が、いちおうはっきりと前提されているのである。


4. 商業社会・・・商品=富の把握・・・
 そうして、「源泉」論におけるこのような純化は、人も知る、『国富論』の冒頭のつぎの言葉によって完成された。
「あらゆる国民の年々の労働は、年々消費する生活の必要品と便益品とのすべてをその国民に本原的に供給するファンドであって、この必要品と便益品とは、右の労働の直接の生産物であるか、あるいはその生産物で他の国民から買入れたものである。」
ここでの「必要品と便益品」、すなわちスミスが分析の対象にしようとする諸国民の「富」とは、明らかに商品生産の発達した社会―彼みずからのいう―「商業社会」(commercial society)―における富、すなわち「商品」にほかならず、このことは『国富論』全編の示すところである。そうして、右の「商品」=富の把握に封建制のものであった「土地」= 富の観念がもはや影を残していないことは、つぎの論点に即していっそう明らかとなるように、「商品」の交換価値の把握にあたってスミスに、「土地」と「労働」との両者をその形成要因とする通念に引き戻されてこれら相互のあいだの還元をこころみた、ペティの混乱の局面からの脱却を遂げさせ、これら労働価値論が、曲りなりにも経済学体系の基礎におかれることとなるのである。

5. 第二、価値論の展開 ・フランクリン
 第二。価値論の展開について。「ペティ以後に価値の本質を洞見した最初の経済学者の一人」(マルクス)であるベンジャミン・フランクリンは、1720年代の後半に執筆したパンフレットのなかで、「自然価格」についてのペティの説明方法を継承しつつ、一定の期間内に生産された穀物の全量と銀の全量とは「それぞれ相互のものの自然価格」であるとしているが、すすんで、「総じて交易とは労働と労働との交換にはかならないから、すべての物の価値は……労働によってもっとも正しく測られる」という端的な表明をおこなっている。すなわち、
それぞれ質的にことなる労働の生産物である諸商品は、その価値の面では、質的な相違をもたぬ抽象的労働によって規定されるという把握が、ペティよりも鮮明に示されるようになったのである。そうして、フランクリンにあっては右の立言が、ペティのばあいのような、価値の形成における土地と労働との二元論と並存しているのでないこと、したがってそれによって曇らされているのでないことは、われわれの観点からはとくに留意すべきことである。


6. 匿名書 ー 『一般金利、とくに公債等における金利にかんする2,3の考察』
―さらに、18世紀のほぼ中葉に刊行された「注目すべき匿名の一著書」(マルクス〔*編集部注:『資本論』注9、注16〕)Some Thoughts on the Interest of Money in general, and particularly in the Public Funds ・・・〔『一般金利、とくに公債等における金利にかんする2,3の考察』1739または1740年刊行〕には、商品の交換価値は「それらの生産のためにどうしても必要とされまたふつうに充用される労働の量によって」、すなわち社会的に必要な労働の量によって、規定されるという認識が示されており、フランクリンの到達点をさらに一歩進めている。なおこの著者は、さらに、商品の交換とは「一人の人が一定の時間内にある物に費やした労働と他の人が同一の時間内に他の物に費やした労働との、交換にほかならない」と述べ、従来の把握をいっそう確実にしている。(ただしこれらの引用の中間には、商品の価格は「すくなくとも土地が自然的にまた自生的に生んだものを越える部分については、その生産に充用された労働によって支配される」とあって、なおわずかに「土地」=富観の残彩を示している。)

7. スミスの先駆者 ― ジョウゼフ・ハリス
 なお、労働価値論の右のような展開と並行しつつおこなわれていた、交換価値論の別の局面での展開もまた、「源泉」論における「土地」と「労働」との二元論が、
ペティの交換価値論に与えていた制約の面からの、理論の解放のプロセスの一面として、関心をひくところであり、われわれはそれを、スミスの直接の先駆者の一人であるジョウゼフ・ハリスの所説に即して見ることができる。ハリスはまず、「源泉」諭としては、ありきたりの二元論を表明している。すなわち、「土地と労働とは相ともに、あらゆる富の源泉である。土地の能力がなければ食料はありえないだろうし、労働がなければきわめて乏しくてふつごうな食料しかないであろう。」そうして、さきのロックのばあいとことなり、ここから交換価値論が展開される。「一般の物は、人間の必要品の供給におけるその真の有用性(real uses)に従って評価されずに、むしろ、それらを生産するに要する土地、労働、および熟練に比例して評価される。
 諸物あるいは諸商品が相互に交換されるのはほぼこの比例に従ってであり、たいていの物の内在価値(intrinsic value)が主として評価されるのはこの尺度をもってである。」 しかし、右における「内在価値」―ハリスによればそれは「原費」ともいいかえられる―を成立させるもののうちでは、「労働」の占める部分が最大である。「土地および労働の価値は、いわばそれらみずから、相互に決定しあい調整しあうものであって、すべての物あるいは商品はこれら両者の生産物なのであるから、商品の種々の価値はおのずからこれら両者によって調整される。しかしたいていの生産物にあっては労働が最大の部分を占めるのであるから、労働の価値はすべての商品の価値を規制するおもな標準と認められるべきである。しかも、土地の価値はいわばすでに労働の価値のなかに考慮されているのだから、とくにいっそうそうなのである。」
  ・・・以下、略・・・



8. 
スミス 『国富論』
 このようにして、スミスの『国富論』では、そのまったく純化された「商品」=富の把握に照応して、ペティ以来の労働価値論は、スミスなりに自覚された体系的位置のなかでつぎのように表明される。「すべての物の実質価格(real price)、すべての物がそれを得ようと望む人に実際に支払わせるものは、それを得るための労苦である。……貨幣または商品で買われるものは労働で買われるのであって、それはわれわれが自分のからだの苦労によって物を得るのとおなじである。この貨幣やこれらの商品はたしかにわれわれにこの苦労を省いてくれる。それらは一定の量の労働を価値としてふくんでいて、われわれはそのときに同量の価値をふくむと考えられるものとこれらとを交換するのである。労働は最初の価格であったし、あらゆる物に対して支払われる本原的な購買貨幣であった。」
 またスミスは、「ふつうには2日分または2時間分の労働の生産物がふつうには1日分または1時間分の労働の生産物の2倍に値いするということは自然である」といい、さらに、異質の労働や習得の時間に差をもつ労働のあいだの比率はおのずから「市場のかけひき」のうちに決定されると述べている。

 しかし人も知るように、『国富論』はこのような労働価値論では一貫しなかった。第一に、スミスは、彼のいう「商品の交換価値の真の尺度」としての労働の量を、右のように投下労働量であるというと同時に、一方では商品がその所有者に購買させる労働の量、すなわち
支配労働量〔*注:支配労働説〕であると述べ、そのかぎり価値の因ってきたるところの説明を放棄し、労働価値論を放棄した。

 〔
*編集部注:岩波現代経済学事典「支配労働説」:財が購入、ないし支配する労働量(支配労働量)を 尺度として用いる説。たとえば、1万円の財があり、労働の時給が2000円ならば、この財の支配労働量は 5時間である。アダム・スミス、マルサス、ケインズらは、この支配労働量を、実質経済量を測る尺度とした。〕


9. スミスからリカードへ
 第二に、これと関連して、スミスは、投下労働による交換価値の決定は「資本の蓄積と土地の私有とに先だつ初期未開の社会状態」(実は単純な商品経済)においてのみ妥当するものであるとし、資本主義経済の分析にあたっては価値論を離れて価格論に移行し、現実の市場価格の中心としての「自然価格」―これはそれぞれの自然率における賃銀・利潤・地代の合計から成り、したがってペティの用語とは内容をことにする―を論ずるにいたった。こうして、労働価値論がほぼ十分な意味で古典経済学の理論的基底となるためには、リカードウをまたなくてはならなかったのである。だが、ここで肝要なのは、スミスの労働価値論がもったこのような混乱と不徹底とは、もはやペティのばあいのような、「土地」=富観の投影によるものではなかったということである。いな、むしろ逆に、スミスにおいてその労働価値論の貫徹をさえぎっている「自然価格」論は、ペティ以後の剰余価値論の展開のうえに重大な積極的役割を担うものであり、この面での「土地」=富観の制縛を解放するものであって、この意味から、労働価値論のリカードウにおける体系化のために、必要な経過点とさえなっているのである。


    ・・・以上で、「ベティ以後における論点の展開」終わり・・・



   
第2章 フランクリンの労働価値論
    ・・・使用価値からの抽象・・・

  
 はじめに
  私たちは、第1節小林昇の精密な解説によって、「労働価値論」の端緒・発展の見通しを得ることができました。これまで紹介してきました小林昇の3回にわたる「労働価値論」の「端緒と発展」の展開は、ペティからリカードまでの「価値論」であることに注意が必要です。
  これから登場する「フランクリンの労働価値論」についても、―『経済学批判』と『資本論』の2ヵ所で 取り上げられていますが、― ペティ~ジェームズ・スチュアート~フランクリン~アダム・スミスなど、一連の労働価値説の系譜なかで読みとる事で、フランクリンの、その立ち位置が一層際立ってきます。

  すなわち、マルクスが『経済学批判』A商品分析の歴史で述べているように
  「 現実の有用労働と交換価値を生む労働との対立は、第18世紀の間、いかなる種類の現実の労働がブルジョア的富の源泉であるか、という問題の形で、ヨーロッパを動揺させた。だから、この場合使用価値に実現される、いいかえれば生産物をつくり出す労働はすべて、ただこの理由だけで直接に富を創造するものではないということが、前提されていた。 」

 さて、
資本論入門10月号において、私たちの課題と最大の関心事は、マルクスによる古典派経済学の「労働価値説」の継承(と断絶)であり、価値の現象形態として「貨幣形成にいたる価値形態論(第4節価値形態または交換価値)」と「商品の物神性」を解明することにあります。
 マルクスの「労働価値論=労働の価値論」が難しく感じられるのは、労働の二重性の、「人間労働、または抽象的に人間的な属性において、労働は商品価値を形成する-「社会的総労働」という概念が“感性的”に把握しづらいことに原因があります。
 その背景には、「実体の関係性」というヘーゲル哲学の伝統的用語法を採用したマルクス弁証法の方法論にも責任の一端があります。使用価値形成労働と交換価値形成労働の「区別と同一性」(*編集部注:「ヘーゲル論理学選集」参照)による「価値形態論」が構築されて、ー すなわち、従来の「価値形態論」が第4節で完結して理解され、誤解を招いているー 初めて「価値存在の発展史―商品・貨幣・資本」の探究の道が切り開けるのではないでしょうか。
 標題に掲げた「
物質的象徴と価値概念成立史 」への探索と重なりあうことになります。
 このような展望を持ちながら、フランクリンの「労働価値論」に入りましょう。


   
第1節 フランクリン ― 「価値と労働」の同等性


1.
  ベンジャミン・フランクリン ( Benjamin Franklin, 1706年- 1790年)
          『経済学批判』A商品分析の歴史
 
 交換価値を最初に意識的に、ほとんど陳腐なまでに明せきに労働時間に分析する仕事が新世界の一人物によってなされている。ここでは、ブルジョア的生産関係が、その担い手と一緒に輸入され、ありあまる沃土で歴史的伝統の不足を補った土壌の中に、急速にのびて行った。この人物とは、ベソジャミン・フランクリンのことである。彼は、1719年に書いて1721年に印刷されるようになった若き日の労作で、近代経済学の基本法則を系統だててのべた。彼は、価値の尺度を貴金属以外に求めることが必要であると説いた。これが労働だというのである。「銀の価値も、他のすべての物と同じように、労働によって測ることができる。

 例えば、一人の人がトウモロコシを生産するために使用されるのに、他の一人は銀を掘り、精練するとしよう。一年の終りには、または他の一定の期間の後には、トウモロコシの全生産高と銀の全生産高はおたがいの自然価格となる。そしてもし一方が20ブシェルで他が20オンスであるとすれば、1オンスの銀は、1ブシェルのトウモロコシの生産に費された労働に値する。しかし、もしもっと近くもっと容易に行けるような、もっと豊かな鉱山が発見されて、一人の人がいまでは以前の20オンスと同じ容易さで40オンスの銀を生産しうるとすれば、そして20ブシェルのトウモロコシの生産には、以前に要したと同じ労働が必要であるとすれば、2オンスの銀は、1ブシェルのトウモロコシの生産に費された同じ労働以上に値するということは
あるまい。そして以前に1オンスに値した1ブシェルは、他の事情が同一であるならば、いまでは2オンスに当るだろう。このようにして、一国の富は、その住民が買うことのできる労働量によって評価することができる。」 フランクリンは、労働時間を直に価値の尺度として経済学者流に一面的に表わす。現実の生産物が交換価値に転化するということは、当然のことと考えられ、したがって問題は、その価値の大いさに対する尺度の発見にかかるのである。
 彼はこうのべている、
 「商業はほんらい労働に対する労働の交換に外ならないのであるから、すべの物の価値は、労働によって秤量されるのが最も正しい。」
 この場合
現実の労働を労働という言葉の代りにおいてみると、ある形態の労働が他の形態の労働とそのまま混同されていることが発見される。例えば製労働、鉱山労働、紡績労働、画工労働等々の交換のために商業が行われるのであるから、深靴の価値は画工労働で秤量されたのが最も正しいといえるだろうか?
 フランクリンは逆に考えて、深靴、鉱石、糸、画等々は、何等特別の質をもたず、したがって、単なる量で測られうる抽象的労働によって定められるとしている。

 しかし彼は、
交換価値に含まれている労働を、抽象的で一般的な、個人的労働の全面的な譲り渡しから生れる社会的な労働として展開させることをしない 編集部注2〕 のだから、必然的に貨幣を、この譲り渡された労働の直接の存在形態と誤認する。 したがって、貨幣と交換価値を生む労働は、彼には少しも内的関連にあるものではなく、貨幣は、むしろ技術的な便宜のために交換に外部からもちこまれた道具である。フランクリンの交換価値の分析は、われわれの学問の一般的進展に直接の影響をもたないままに終った。というのは、彼は経済学の個々の問題を、実際上のいろいろの機会に取扱ったにすぎないからである。

2. 〔*編集部注2〕
  次のフランクリン関連の文脈:「ただおのおのちがった商品の等価表現のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労働〔
使用価値形成労働〕を、実際にそれらに共通するものに、すなわち、人間労働一般 (注17a)に整約して、価値形成労働の特殊性格を現出させる」に連携してゆきます。



   第2節 『資本論』 フランクリンの(注17a) 
     ・・・
使用価値からの抽象・・・


  『資本論』第1章 第3節 価値形態または交換価値 A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
      (2) 相対的価値形態 a 相対的価値形態の内実 第4,5段落)p.66

1. つぎに、『資本論』の本文を読んでみます。

   「価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物であると、われわれがいうとすれば、われわれの分析は、これらの商品を価値抽象に整約するのではあるが、これらの商品に、その自然形態〔
*感性的なこと〕とちがった価値形態を与えるものではない。一商品の他のそれにたいする価値関係においては、ことはちがってくる。その価値性格は、この場合には、それ自身の他の商品にたいする関係によって現われてくる
 例えば、上衣が価値物として亜麻布に等しいとされることによって、上衣にひそんでいる労働は、亜麻布にひそんでいる労働に等しいとされる。さて上衣を縫う裁縫は、亜麻布を織る機織とは種類のちがった具体的な労働であるが、しかしながら、機織に等しいと置かれるということは、裁縫を、実際に両労働にあって現実に同一なるものに、すなわち、両労働に共通な人間労働という性格に、整約するのである。
 
この迂路を通って初めてこういわれるのである
 機織も、価値を織りこむかぎり、裁縫にたいしてなんらの識別徴表をもっていない、すなわち、抽象的に人間的な労働であるというのである。ただ
おのおのちがった商品の等価表現のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労働〔*編集部注:使用価値形成労働〕を、実際にそれらに共通するものに、すなわち、人間労働一般 (注17a)に整約して、価値形成労働の特殊性格を現出させる

2. ・・・使用価値からの抽象・・・(注17a) 第二版への注・・・・・・

 ウィリアム・ペティの後に、価値の性質を見破った最初の経済学者の一人である有名なフランクリンはこう述べている。
 「商業はそうじてある労働の他の労働にたいする交換にほかならないのであるから、すべての物の価値は、労働で評価されるのが、もっとも正しい」
  (『B・フランクリン著作集』スパークス版、ボストン、1836年、第2巻、267ページ)。

 フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価して、
交換された労働の異種性 〔相異なる使用価値形成労働〕 から抽象している〔すなわち、使用価値からの抽象〕ということを、 ―そしてこのようにして、これを同一人間労働に整約しているのだということを、意識していない。
 それでも、自分で知らないことを、彼は言っているのである。彼は、はじめ[ある労働]について、次いで「他の労働について」、最後に、すべての物の価値の実体であるほかなんらの名をもっていない「
労働」〔*抽象的人間労働〕について語っている。」


3. フランクリンの注・・・自分の知らないことを語っている・・・
 私たちは、この3か月間『資本論』“蒸留法”について、膨大な資料に基づき様々な角度から検討を重ねてきました。長い旅路を経て、やっと、フランクリンの「労働価値論」―『経済学批判』と『資本論』-に到達して、いよいよマルクスが意図していた文脈、
「もし使用価値を度外視し、・・・使用価値を抽象化するとすれば・・・(『資本論』第1章第1節)」の鉱脈にたどりついたことになります。

 「
フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価して、交換された労働の異種性から抽象しているということを、―そしてこのようにして、これを同一人間労働に整約しているのだということを、意識していない。それでも、自分で知らないことを、彼は言っているのである。

 さて、最後に古典派経済学の最高峰であるアダム・スミスとリカード経済学を探究しましょう。


   第3章 アダム・スミスとリカードによる 「労働価値説」

 
 
はじめに
 この章では、「労働一般」を通じて、使用価値から交換価値へと抽象化されてゆく論理展開に注目してゆきます。ヘーゲルを継承しているマルクスの特徴が「商品分析の歴史過程」として活かされています。ヘーゲル論理学のうち、価値の「区別と同等性(115-120節)」、「実体性の相関(150-154節)」そして「判断(166-180節)」などが応用されていますので、併せて参照して下さい。


1.  アダム・スミスの「労働価値説」  ・・・ 『経済学批判』A商品分析の歴史 
 農業、製造工業、海運業、商業等々のような現実の労働の特別の形態が、順次に富の真実の源泉であるという主張がなされた後に、アダム・スミスは、
労働一般を、しかもその社会的総体において、つまり分業としてとらえ、素材的富または使用価値の唯一の源泉であると宣言した。彼はこの場合自然要素を全然無視しているのであるが、このことは、彼をもっぱら社会的である富の、すなわち交換価値の領域に追いこむことになるのである。

2. スミス(1723-1790年)の労働価値説の限界点

 たしかにアダムは、商品の価値がその中に含まれている労働時間によって定まるとするのであるが、しかし、すぐその後でこの価値規定の現実性を再び先アダム時代にもっていってしまう。他の言葉でいえば、単純なる商品の立場で彼に真であると思われたものが、その代りに、資本、賃金労働、地代等々のより高いより複雑な形態が表われるや否や、彼には不明確なものになる。
 このことを、彼は次のように表現している。商品の価値が、その中に含まれている労働時間によって測られたのは、ブルジョア階級の失われた楽園においてであって、ここでは人間はまだ資本家や賃金労働者や土地所有者や農業資本家や高利貸等々としてでなく、ただ単純なる商品生産者や商品交換者として相対している、という風にである。彼は、つねに商品に含まれている労働時間によるその価値の規定を、
労働の価値〔*編集部注:支配労働説〕による諸商品の価値の規定と混同しており、細密にこの規定を展開しようとする場合には、いたるところで、動揺している。そして社会過程が強制的に不等な労働の間に遂行して行く客観的等置を個人的労働の主観的同権と間違えている。

 現実の労働から交換価値を生む労働に移行することを、つまり、ブルジョア的労働の根本形態を、彼は分業によってなしとげられたものと考えている。私的交換が分業を前提してということは、もちろん正しいが、分業が私的交換を前提しているというのは誤りである。例えば、ペルー人の間で、私的交換、すなわち商品としての生産物の交換は、行われていなかったが、分業は極めてよく行われていた。

3. デイビット・リカード (1772-1823年)

 アダム・スミスと反対に、デヴィッド・リカードは、商品の価値が労働時間によって規定されるということを純粋に取り出して、この法則が、一見彼に最も矛盾するように思われるブルジョア的生産諸関係をも支配していることを示している。リカードの研究はもっぱら価値の大いさに限られている。そしてこれと関連して、彼は、この法則の実現が一定の歴史的前提に依存していることを、少くとも感じてはいる。というのは、価値の大いさが労働時間で規定されるということは、「勤労によって随意に増加されえて、その生産が無制限の競争によって支配されている」ような商品に対してだけ当てはまるのである、と彼はのべているのである。このことは、実際にはただ次のようなことを言っていることになる。価値法則が完全に展開される
ということは、大工業的生産と自由競争の社会、すなわち、近代資本家社会を前提しているということである。もっともリカードは、労働の資本家社会的な形態を、社会的労働の永久の自然形態とみなしている。
 彼は、原始漁夫と原始狩人をそのまま商品所有者とし、魚と野獣とを、これらの交換価値に対象化されている労働時間に比例して交換させる。この場合、彼は、原始漁夫と原始狩人とが、彼等の労働要具を勘定するのに、1817年ロンドン取引所で用いられている年利表の助けをかりるという時代錯誤におちいっている。
 ・・・以下、省略・・・




  
4. アダム・スミスとリカードの注31、注32
         
    ・『資本論』第1章 第4節 商品の物神的性格とその秘密

  4-1. 価値の「形態」分析の秘密 ー第4節.18段落

 さて経済学は不完全ではあるが
(注31)価値と価値の大いさを分析したし、またこれらの形態にかくされている内容を発見したのではあるが、それはまだ一度も、なぜにこの内容が、かの形態をとり、したがって、なぜに労働が価値において、また労働の継続時間による労働の秤量が、労働生産物の価値の大いさの中に、示されるのか?(注32)という疑問をすら提起しなかった。

 生産過程が人々を支配し、人間はまだ生産過程を支配していない社会形成体に属するということが、その
額に書き記されている編集部注1〕諸法式は、人間のブルジョア的意識にとっては、生産的労働そのものと同じように、自明の自然必然性と考えられている。したがって、社会的生産有機体編集部注2:「有機体」参照〕 の先ブルジョア的形態は、あたかも先キリスト教的宗教が、教父たちによってなされたと同じ取扱いを、経済学によって受けている。(注33)
  
  〔
編集部注1キリスト教のひたい「ヨハネの黙示録」
           ペティのひたい『租税貢納論』
  
編集部注2:「有機体」参照〕



    4-2.  リカードの「価値の大いさ」の分析 ー『資本論』の注31

  その生産物の使用価値に示されている同じ労働から、区別することをしていない
     古典派経済学は、もちろん
事実上区別はしている
  


(注31)
 リカードの価値の大いさの分析―そしてこれは最良のものである―に不充分なところがあることについては、本書の第3および第4巻で述べる。しかしながら、価値そのものについていえば、古典派経済学はいずこにおいても、明白にそして明瞭な意識をもって、価値に示されている労働を、その生産物の使用価値に示されている同じ労働から、区別することをしていない。古典派経済学は、もちろん事実上区別はしている。というのは、それは労働を一方では量的に、他方では質的に考察しているからである。しかしながら、古典派経済学には労働の単に量的な相違が、その質的な同一性qualitative Einheit :統一、82節または等一性Gleichheit相等性、118節〕 を前提しており、したがって、その抽象的に人間的な労働への整約を前提とするということは、思いもよらぬのである

 リカードは、例えば、デステュット・ド・トラシがこう述べるとき、これと同見解であると宣言している、すなわち「われわれの肉体的および精神的の能力のみが、われわれの本源的な富であることは確かであるから、これら能力の使用、すなわち一定種の労働は、われわれの本源的な財宝である。われわれが富と名づけるかの一切の物を作るのが、つねにこの使用なのである。……その上に、労働が作り出したかの一切の物は、労働を表わしているにすぎないことも確かである。そしてもしこれらの物が、一つの価値をもち、あるいは二つの相ことなる価値をすらもっているとすれば、これらの物は、これをただ自分がつくられてくる労働のそれ(価値)から得るほかにありえない」(リカード『経済学および課税の原理』第3版、1821年、岩波文庫版、鳥羽、吉澤訳、下巻102ページ〕。

 われわれはリカードが、デステュットにたいして、彼自身のより深い意味を押しつけていることだけを示唆しておく。デステュットは、事実、一方では富をなす一切の物が「これを作り出した労働を代表する」と言っているが、他方では、それらの物が、その「二つのちがった価値」(使用価値と交換価値)を「労働の価値」から得ると言っている。彼は、これをもって、俗流経済学の浅薄さに堕ちている。俗流経済学は、一商品(この場合労働)の価値を前提して、これによって後で他の商品の価値を規定しようとするのである。リカードは彼をこう読んでいる、すなわち、使用価値においても交換価値においても、労働(労働の価値ではない)が示されていると。しかし彼自身は、同じく二重に表示される労働の二重性を区別していない。したがって、彼は、「価値と富、その属性の相違」という章全体にわたって、苦心してJ・B・セイ程度の男の通俗性と闘わなければならない。したがって、最後にまた彼は、デステュットが、彼自身と価値源泉としての労働について一致するが、また他方で価値概念についてセイと調和することを、大変に驚いている。



 4-3 価値形態(価値の形式)の欠如 
              ー『資本論』の 注32

 ・商品形態の、さらに発展して、貨幣形態、資本形態等の特殊性をも看過する


(注32)
 古典派経済学に、商品の、とくに商品価値の分析から、まさに価値を交換価値たらしめる形態〔die Form des Werts:価値の形式〕を見つけ出すことが達成されなかったということは、この学派の根本欠陥の一つである。
 A・スミスやリカードのような、この学派の最良の代表者においてさえ、価値形態は、何か全くどうでもいいものとして、あるいは商品自身の性質に縁遠いものとして取り扱われている。
 その理由は、価値の大いさの分析が、その注意を吸いつくしているということにだけあるのではない。それはもっと深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式のもっとも抽象的な、だがまたもっとも一般的な形態〔
allgemeine Form:普遍的な形式、ヘーゲル小論理学163節参照〕であって、この生産様式は、これによって社会的生産の特別なる〔besondere Art〕として特徴づけられ、したがって同時に歴史的に特徴づけられているのである。
 したがって、もし人あって、これを社会的生産の永久的な自然形態と見誤るならば、必然的に価値形態の、したがってまた商品形態の、さらに発展して、貨幣形態、資本形態等の特殊性をも看過することになる。それゆえに、労働時間による価値の大いさの秤定について全く一致する経済学者に、貨幣、すなわち一般的等価の完成体についての、もっとも混乱した、そしてもっとも矛盾した観念を見ることになるのである。
このことは、はっきりと、例えば銀行制度の取扱いにあらわれる。ここでは、貨幣の陳腐な定義だけでは、もはや間に合わなくなる。反対に、価値を社会的形態とだけ考え、あるいはむしろその実体のない幻影としか見ないような新装の重商主義(ガニール等々)が、ここに発生した。―これを最後にしておくが、私が古典派経済学と考えるものは、W・ペティ以来の一切の経済学であって、それは俗流経済学と反対に、ブルジョア的生産諸関係の内的関連を探究するものである。俗流経済学は、ただ外見的な関連のなかをうろつき廻るだけで、いわばもっとも粗けずりの現象を、尤もらしくわかったような気がするように、またブルジョアの自家用に、科学的な経済学によってとっくに与えられている材料を、絶えず繰り加えして反芻し、しかもその上に、ブルジョア的な生産代理者が、彼ら自身の最良の世界についてもっている平凡でうぬぼれた観念を、体系化し、小理窟づけ、しかもこれを永遠の真理として宣言する、ということに限られているのである。
  (注33)・・・省略・・・



    4-4. 価値形態は社会の経済構造を示す・・・

 
『資本論』 第4節 商品の物神性 
 一部の経済学者が、どんなに商品世界に付着している物神礼拝、または社会的な労働規定の対象的外観によって、謬(あやま)らされたかということを証明するものは、ことに、交換価値の形成における自然の役割についてなされた、退屈で愚劣な争論である。交換価値は、ある物の上に投ぜられた労働を表現する一定の社会的な仕方であるのだから、それはちょうど為替相場と同じように、少しの自然素材も含みえない。
 商品形態は、ブルジョア的生産のもっとも一般的〔
普遍的〕でもっとも未発達の形態であり、そのために商品形態は今日と同じように支配的で、したがって特徴的な仕方ではないが、すでに早く出現しているのであるから、その物神的性格は、比較的にはもっと容易に見破られていいように思われる。より具体的な形態を見ると、この単純さの外観すら消える。
 重金主義の幻想はどこから来たか? 重金主義は、金と銀とにたいして、それらのものが貨幣として一つの社会的生産関係を表わしているが、特別の社会的属性をもった自然物の形態で、これをなしているということを見なかった。そして上品に重金主義を見下している近代経済学も、資本を取扱うようになると、物神礼拝につかれていることが明白にならないか?地代が土地から生じて、社会から生ずるものでないという重金主義的な幻想は、消滅して以来どれだけの歳月を経たか?

 ・・・以下省略・・・


 *「労働価値説」の端緒・発展と
使用価値からの抽象については、以下を参照して下さい。
  
新着情報 2017.10月 分業とマニュファクチャ
     資本論入門10月号
 
  第5節 機械装置と大工業
    ―(『資本論』第13章機械装置と大工業第1節機械装置の発達)