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  ジェームズ・スチュアート 『経済学原理』  1767年


  
第26章 現代国家の臣民間の富のバランスの振動について

 〔*目次〕
1. 富のバランスー等価物の流通
2. 内在価値 intrinsic worth と 有用価値 usefull value
3. 富のバランスの振動
4. 信用または象徴的貨幣の効果
5. 富のバランスの振動ー租税の効果


 
第26章 現代国家の臣民間の富のバランスの振動について 

 〔 
1. 富のバランスー等価物の流通 〕

 このバランスについては、奢侈国民の首班にたつ為政者にとって大きな重要性をもつ問題としてしばしば言及してきたところである。奢侈国民というのは、外国貿易を失い、広汎な国内商業をそれに置きかえた国民である。国内商業は外国貿易と同様に、勤勉にやろうとするすべての者に仕事を、またしたがって生活資料をあたえるかぎり、外国貿易の喪失を埋めあわせるであろう。もっともそれは既得の国民的富の増加にはまったく有効でないことを示しているにちがいないのだが。
 まず社会の成員のあいだで
振動する富のバランスとはなにを意味するかを明らかにし、またその点からなぜ私がこれを現代国家の政治経済的バランスのなかに位置づけるかを見よう。
 第19章の初めで、われわれが自由とよんでいるものの大きな特徴は、あらゆるサーヴィスにたいする適当な
等価物(equivalent)の流通だとのべておいた。


 
富とは、この流通する適当な等価物(equivalent)だと私は解する。
 富者の欲求や、それを満足する手段は、富者に貧者のサーヴィスを呼びもとめさせる。貧者の必要物や、富裕になろうとする欲求は、貧者によろこんでその招きに応じようとさせる。彼らは
貨幣のかたちの等価物のためなら、どんなに困難な労働にも服し、また富裕者のいろいろな意向にも応じるのである。
 この
二つの階級のあいだの交換が、われわれのいう流通である。そして流通が、まさにこの時点における当事者双方の政治経済的状態にもたらす効果と、その効果が存分に発揮されたあとの諸結果が、富のバランスとよばれるものを説明するのである。
 われわれの観念をいっそう的確なものにするために、われわれは一方における貨幣と、他方における
ローマ法学者のいう給付(prestations)すなわちあらゆる種類の仕事の遂行とを、双方の
相互的な等価物として、考察しよう。それからこの等価物を流通に投ずるようにさせるそれらの給付の性質を検討しよう。すなわち、貨幣が購買しうるものは何かということである。
 それらは、法律家のいう、有形なものと無形なものとに区分できよう。有形なものはさらに、消耗するもの(consumable)と消耗しないもの(inconsumable)とに区別できよう。また消耗しないものは個人的サーヴィスと、法律家が法とよぶ、なんであるかを問わずすべてのものにおける、またはこれにたいする、権利である。この区分の助けなしには私は自説を十分に説明できない。

 つぎに貨幣の流通の効果を考察することにするが、それは以下にのべるそれぞれ異なった4種類のものの取得を目的とするものである。

  1.  消耗しないもの。 2. 消耗するもの。 3. 個人的サーヴィス。
  
4. なんであるかを問わずすぺてのものにおける、またはこれにたいする、権利、がこれである。

1. 消耗しない唯一のものは地表である。これは物理的な意味に、まして化学的な意味にとられてはならない。われわれの研究に関するかぎり、物は無用になる瞬間に、またはそれが遺失されるときでさえ、消耗することになる。
 それゆえ、地表は消耗しない唯一のものである。なぜなら一般的にいって、それはけっして有用であることを止めえないし、またけっして遺失されえないからである。それは変化するかもしれないが、地球はつねに表面をもつにちがいない。地表について言われることは、たとえば鉱山の生産物のように、人間がそこから有用とみとめる物を取りだすために接近しうる、地表の小さな部分についても、同様に理解してよい。
 大地自身に次ぐものでは、大地の金属ほど消耗性の少ないものはないのであり、したがって鋳貨はきわめて適切に消耗しないものの項目中に分類できよう。それは遺失されるかもしれず、また流通中に摩滅しさえもするのだが。


 つぎに
土地を購入する流通の効果を考察しよう。(A)は一筆の土地をもち、(B)は1000封度の重さの金鋳貨をもっていて、この金鋳貨は社会の法律により販売可能なすべての物にたいする適当な流通等価物と定められているとしよう。彼らは一つの交換をおこなうことに合意する。交換以前には彼らの富のバランスは均等である。その鋳貨はその土地に値し、またその土地はその鋳貨に値する。その交換はすこしも変更を生じさせないし、その後の変更をうむ効果もなんらもっていない。この新しい地主は、土壌の改良に身をいれ、これにたいし貨幣を手にいれた者は、彼の1000封度の金鋳貨をもっとも有利に利用することにこれつとめる。したがってこの取引によっては、バランスの振動は生じてこないように見える。
 もし鋳貨自身が販売の対象だとしても、結果はまったく同一である。(A)は1ギニ金貨をもち、(B)は21シリングをもつが、彼らのおこなう交換は彼らの状況になんの変更もくわえない。他の種類の流通についても同じことが言える、たとえば相続による貨幣の移転である。(A)が死亡して、彼の貨幣を(B)に遺す。ここでは単に貨幣の所有者の名前と、おそらく性向が変るにすぎないのであり、それでおしまいである。同様にある人が自分の負債を払い、彼の証書、またはその他の保証を引きあげる。この流通によってはバランスに影響は生じないのであり、当事者双方のあいだで事態はまさしく元のままである。

 したがって消耗しないある商品が他の〔消耗しない〕ものにたいして与えられるとき、流通の性質は、当事者双方の富のバランスになんの振動も生じさせないということである。なぜなら、これを生じさせるためには、一方が以前よりも富み、他方がこれに応じて以前よりも貧乏になっていなければならないからである。


  
〔 2. 内在価値intrinsic worth と 有用価値 usefull value 〕

2.
 譲渡の第二の項目、すなわち消耗する商品には、貨幣と土地を除いて、貨幣で買えるすべての有形物が包含される。これらのものにおいては、二つのことが注意に値する。第一は、単純な実質(サブスタンス)、もしくは自然物産であり、他は、加工、もしくは人間の仕事である。私は第一のものを内在値(intrinsic worth〔内在価値〕)、他を有用価値(usefull value)とよぶことにする。

 第一のものの
価値value:ヴァリュー)は、それの受けた加工[の効果:訳者]がすっかり消費されたあとのそれの有用性によって、つねに評価されなければならないのであり、物の性質上両者がいっしょに消費されるばあいには、全体の価値は両者の合計である。第二のものの価値は、それの生産に要費(コスト)した労働によって評価されなければならない。一例をあげればこの点が明らかになろう。

 絹、毛、または亜麻の製造品の内在値〔内在価値〕は、使用された元の価値(プリミティヴ・ヴァリュー)よりも小さい。なぜならそれは、その製造品の向けられた用途以外のどの用途にもほとんど役だたなくされているからである〔編集部:有効需要が限定されているから〕。しかしパン塊の内在的実質(イントリンシック・サブスタンス)は加工によってなにものも失っていない。なぜなら後者〔加工効果〕は前者〔内在的実質〕をはなれては消費されえないからである。精巧に仕上げられた1枚の銀製食器においては、その内在値 intrinsic worthは、食器の有用価値とは独立にそっくり存続している。なぜならそれは加工によってなにものも失っていないからである。それゆえその内在的価値(イントリンシック・ヴァリュー:intrinsic value)は、つねにそれ自身において真実なあるものである。

その加工に用いられた労働は人間の時間の一部分を代表するのであり、それは有用に使用されて、ある実質(サブスタンス)に形態をあたえ、これがそれを有用な、装飾的な、または要するに、直接間接に人間の用途に適したものにするのである。


 つぎにこれらの特徴付けを、消費にともなう種々な状況に適用し、それらの効果を見ることにしよう。
ある商品の
内在的価値(intrinsic value)の消費は、使用された素材(マター)が減りはじめるときに生じ、それがすっかり消費されるやいなや完了する。有用価値(usefull value)の消費も同じように進行し、適用される使用に応じてそれの価値が減り、やがてまったく消失するにいたるのである。


  〔 
3. 富のバランスの振動 

 つぎに一例をあげて、消耗物が購買されるさいの流通の効果を、
富のバランスの振動に関連して、考察しよう。
(A)は一片の鋳貨をもち、(B)は彼の労働によって生産したある物をもっている。彼らは交換をおこなう。(A)はそこまでのところでは損も得もしない。(B)も同様である。
しかし
(A)が自分の鋳貨で購買したものを利用しはじめ、それを使用するとその一部が消えさる。その時からバランスは彼にとって不利に転じはじめる。他方(B)は、彼の一片の鋳貨を(C)とよばれる他の者にあたえこれと交換に一本の材木を手にいれる。(B)がもしこの材木を火中に投ずれば、材木が燃えつきるのに比例して、バランスは(A)と(B)とのあいだではある水準に帰し、(C)に有利に変化している。
 もし(B)が材木を燃やすかわりに彼の家を支える梁を造るとすれば、バランスはもっとゆっくり変化するだろう。なぜならそのさい材木は長くかかって消費されるからである。しかしもし彼が有用な一個の家具を造るとすれば、材木の残りの部分で暖をとり、彼の製品でえた鋳貨でもって家の梁と食べ物さえも買うかもしれない。もし(B)がこの時期で立ち止まり、それ以上働かないとすれば、彼の火が燃えつくし、梁が朽ち、食物が尽きるとすぐに、彼は(A)とちょうど同じ水準にある自分に気づくだろうし、全体のバランスは(C)にとって有利なことが分かるだろう、もっともこれは〔(C)〕が自分の勤労で必需品の全部を手にいれることができ、さきの鋳貨片をぞっくり保存できるとしてのはなしになるが。するとここには勤労への拍車が存在することになる。すなわち、このバランスの獲得は、最下層の階級の人々のあいだでさえ、相対的な優越をあたえるのであり、第21章でのべた原理にしたがって、彼らの身分とともに彼らの政治的必要物を決定するのである。


 この富のバランスがもつ本質的な特徴は、個人間の富の相対的な比率の変化ということである。
 しかし留意すべき点は、この第二の種類において考察される比率の変化は、すこしも減少しないで他の人手へ移転できるような性質の、自由で適当な等価物の流通によって生みだされるものにかぎられるということである。
したがって、バランスを転じさせる唯一のものは、消費だということになる。消費される商品が購買者の手中に存在するあいだは、彼はなおそれの価値の所有者としてとどまることになり、操作を逆転させることによって、以前彼がもっていた富と同種のものを所有する状態にもどることになるかもしれない。
  ここで、消費によってこのバランスの振動を生みだすためには貨幣が絶対に必要か、と問われるかもしれない。貨幣の存在を想定しなくても、われわれは容易に国家の成員のあいだに成りたつ最大の不平等を考えることができよう。土地財産が不平等に配分されていて、一人の個人の手中に、彼が勤労の生産物〔製品〕と交換してえた生活資料の大きな剰余が見いだされる、と考えてもよい。するとこういう状況のもとでは、もし貨幣がなげれば、富のバランスの振動というようなものは存在しえないのか、と問われるかもしれない。このばあい富という用語は、一般的に、人が遂行したり生産したりできるものを何でも購入する手段を意味するものと想定するのである。


 私の答は、バランスはもちろん小さな振動を受げいれる余地がある、なぜなら消耗する商品が交換されるばあいでさえ、消費は一方のがわでは他方のがわよりも急速に進みうるからだ、というものである。しかし、消耗しない富の基金(これは優越性をあたえるもので、さきにのべた例で、われわれが鋳貨と想定したもの)が、おこなわれる消費の大きさに適当に比例して人手を転々してゆくようにされないかぎり、顕著な程度の振動が起こるとはほんとうは言えないと私は考えるのである。
                  
 
(A)が一つの土地片の所有者で、(B)が勤勉な工人だと想定しよう。
(B)が(A)の土地を購入できるようになるためには、(A)が非常な浪費家で、彼の土地の全剰余生産物に相当するものよりもはるかに大きな比率の製品を消費する気になると想定しなければならない。さて(A)にその土地自体の価値にあたるものを供給するためには、(B)は自分の製品を多くの異なった人々に領け(わけ)、その交換に、自分には用がなく、(A)にとって有用だと分かるようなものを手にいれなければならない。しかし(A)が(B)に彼の土地の全剰余を払ったのち、彼はそれ以上の供給を(B)に保証するためどんな信用の資源(ファンド)を見いだすであろうか? 
彼は土地をもっては(B)に支払うことができない。なぜならこの資源は流通可能ではないからである。そして彼らのあいだの勘定の記帳を明確にするために見いだしうる便法はいずれも、貨幣の導入に帰着せざるをえないのであり、この貨幣は真実のものか象徴的なものかいずれかである。これらの用語は説明を要する。
 
真実の貨幣(real money)とは、われわれが鋳貨とよぶもの、すなわち加工された貴金属を意昧し、人々の一般的な合意により、また国家の権威のもとに、それ自身の内在的価値をともなってゆくものである。
 
象徴的貨幣(symbolical money)とは、普通に信用とよばれるもの、すなわち当事者双方のあいだで借方と貸方の勘定を記帳するための一つの方便であり、鋳貨に体現されている貨幣の名目によって表現されるもの、と私は解する。銀行券、銀行における預金、手形、証書、および商人の帳簿(そのなかで信用が授受されるもめ)は、象徴的貨幣の用語にふくまれる多種の信用のうちのいくつかである。


  〔 4. 信用または象徴的貨幣の効果 〕

  さきの例にもどると、(A)は(B)の製品にたいしてあたえるべき
流通等価物をそれ以上に持つていないけれど、彼の土地の価値に相当するだけそれを消費したいと思い、手形(ノーツ・オブ・ハンズ)を発行することに合意するが、その手形は1枚ごとに、土地1エーカー、果樹1本、河の流れ10ヤード分、等々にたいする権利をともなっていて、そういう資産のすべての部分が、製品にたいし一定の比率で評価されるものとしよう。この協定ができて、彼は消費を続け、受けとるものの価値を、規則的にまた適当に、支払ってゆく。そして(A)のがわで消費がすすむのに比例して、富のバランスは(B)に有利に転じなければならない。しかし(A)が彼の土地片を保有し、(B)の能力が土地の剰余にたいする等価物を造りだしていたあいだは、そのバランスは水平をたもっていた。なぜかといえば、一方では土地が、他方では勤労が、たがいに適当な等価物を生産していたからである。双方の生産物は消耗するもので、消費されると想定されていた。この作用が終っても、土地と勤労とは以前のままで、生産を続行する構えである。 
 するとここに
信用または象徴的貨幣の効果がある。ここで私は問う。(A)が(B)にあたえた手形は、あたかも彼が金か銀かをあたえたと同様な、真実の価値をふくんでいるかどうか? さらに、彼らが生活している国はこの発明によってすこしでも富裕になることが明らかかどうか? この手形はそれにふくまれる価値の所有者がだれであるかを宣言する以上のことをするのか?
 
貨幣を発明して、家屋も土地も、またその他、人手を転々しているあいだに同一の価値を保持する性質をもつものすべてを、流通するようにさせることほど容易なものはない。価値をもつものはなんでも、等価物とひきかえに人手を転々することができようし、またこの価値が決定されて変化しえないときにはいつも、流通するようにされるだろう。それは一斑麟の金や銀が鋳貨に造られ〔て流通させられ〕るのと同様で、その流通において富のバランスの振動を生むようにされるであろう。
 それゆえ、彼らの金属だけを流通させている国民は、金属の量に比例して勤労を制限するのである。彼らの土地や、家屋や、製造品や、それどころでなく個人的サーヴィスや、彼らの時間さえも流通させようとする国民は、金属だけでは遥かにおよびもつかない、勤労への刺激を生みだすことができよう。そしてこれは、勤労の進歩がそれ〔金属〕の能力をこえた流通を要求するとき、実現されるであろう。・・・・



  〔 5. 富のバランスの振動ー租税の効果 〕


 さて私は問うことにしよう、個人間の
富のバランスの振動におよぼす租税の効果はなにか?
 私の答は、租税を払うものはだれでも、個人的サーヴィスにたいして払うように思われる、というものである。彼は同一の価値と交換に自分が譲渡できる有形の等価物はなにも受けとっていない。また国家によって雇用され、租税の調達額で支払われる者は、納税者にたいして有利なバランスを獲得する。もし税金が外国のサーヴィスと交換に国外へ出るなら、さきにも言ったように、国内のバランスにはなんの変更もありえない。それが国内に留まるときにもまた変更はなにも生じない。人民と公債権者とは以前と同様に富んでいる。公債と租税が国民的富のバランスにあたえる効果については、いまのところこれで十分だとしよう。

 
勤労は富を流通させて、当事者のあいだの富のバランスを変化させるようにする唯一の方法である。そういう変化を生まない種類の流通はすべて当面の目的とは関係がない。
 ある人が死亡して彼の富を他の人に遺すとき、亡くなった人は別として、だれもこれによって失う者はいない。第二の人が自分の負債を払うとき、債務者も債権者も、この操作によって状況が変わるとは言えない。ある商人がある量の商品を現金で買うとき、彼はそれによって自分の富のバランスをなにも失わない。彼が消耗する財物にたいして貨幣を払ったことは事実である。しかしその消費がおこなわれるまでは富のバランスは変化しないし、また彼は消費するために買うとは想定されえないから、私はこの流通の部門をバランスに影響をおよぼざない部類に位置づげるのである。


 こうしてわれわれは
国家のなかに二つの異なった種類の流通が存在するのを見る。一つはバランスを転じさせるものであり、他は転じさせないものである。これらの対象はすくなくない重要性をもち、適当な場所で詳論することになるが、租税の正しい賦課にあたって留意されなければならない点てある。目下のところは、租税を課す適切な時機は流通時である、とのべるだけで十分である。なぜならそのとき賦課は、流通額に、したがって異なる利害をもつ人々の能力に、つねに正確に比例するようにされるからである。
 すべての物品税、すなわち消費に課される租税にあっては、支払の瞬間に課税されるのは消費者の貨幣である。したがってバランスが不利に転ずる消費者が、追加的負担を払うことになる。この種の租税は、流通時に課されて、国家に巨額をもたらすものである。私はバランスが有利に転ずる人に課税する適切な手段については聞いたことがない。もっともあとでのべる原理から、われわれはおそらくその一つを発見することになろうが。

・・・・・・以下省略・・

    『経済学原理』 第2篇 商業と工業について 第1,3,4 章 

   
 『経済学原理』 第2篇 第19章 初期商業、外国貿易、国内商業と、
                          それらに影響するいくつかの原理との関連について