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  資本の世界性について 20170912 

  ■目 次
 第1章 資本主義の発展   -『空想より科学へ』
 第2章 資本のあけぼの   -『資本論』第1巻第24章
 第3章 商人資本に関する歴史的考察 『資本論』第3巻第20章
 第4章 貨幣の資本への転化    -『資本論』第1巻第4章
 第5章 資本制生産における価値法則 -



 
第1章 資本主義の発展  エンゲルス『空想より科学へ』

1)
 商品生産が拡大するにつれて、とくに資本主義的生産方法が登場してからは、これまでねむっていた商品生産の法則は公然といよいよ力強く活動するようになった。旧来の紐帯はゆるめられ、旧来の封鎖の枠は破壊され、生産者はますます独立のバラバラの商品生産者となった。社会的生産の無政府性はいよいよ明白となり、その激しさはますます加わった。しかるに、この社会的生産の無政府性を激化させるために、資本主義的生産方法が使った主な手段は、無政府性とは正反対のものだった、すなわち、あらゆる個々の生産場内での生産の社会的組織の高度化であった。これがために、旧来の平和な安全状態は終わりを告げた。ある工業部門にこのような高度の組織が導入されると、その部門では古い経営方法はそれと共存することはできなかった。

 また、それが手工業に侵入すると、それは古い手工業を亡ぼした。労働の場は戦場と化した。かの大陸発見とそれにつづいた植民は、商品の販路を何倍か拡張し、それらはまた、手工業のマニュファクチャへの転化を促進した。地方的生産者同志の闘争が勃発しただけではない、地方的闘争はさらに国民的闘争に発展し、17世紀及び18世紀の商業戦争となった。最後に、大工業と世界市場の成立は、この闘争を世界的にすると同時にこれを前代未聞のはげしいものとした。個々の資本家のあいだでも、全産業と全国家のあいだでも自然的もしくは人為的生産条件のよしあしが、死活を決定する。敗者は容赦なく一掃される。これはまさしくダーウィンの固体の生存競争だ、それが一層の狂暴さをもって、自然から社会へと移されたのである。動物の自然の立場が人類発展の頂点と見られる。かくして、社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、今や、個々の
工場における生産の組織と全社会における生産の無政府性との対立となった。

2) 社会的生産における無政府性という推進力、これがすべての産業資本家に、大工業において機械をどこまでも改良することを命じ、その必要に応じて各産業資本家は彼の機械をますます改良する。そうしなければ彼らは没落するしかないからである。それだから、機械の改良とは、とりもなおさず人間労働の過剰化である。
このように、機械の採用とその増加が、少数の機械労働者そのもの駆逐をいみする、そして結局において、資本の平均的な雇用需要を超過する多数の待命賃金労働者を作り出す。

3) 要するに、近代的機械の改良能力は極端までに増加しているが、社会における生産の無政府性に媒介されて、この能力は個々の産業資本家にとって、自分の機械をたえず改良し、その生産力をたえずたかめねばならぬという強制命令とかわった。そして、生産の領域を拡張できるというだけの可能性でも、彼にとっては、ただちにそういう強制命令に変わった。大工業の異常な膨張力、これにくらべればガスの膨張力などはまことに児戯に等しいほどに大きい膨張力は、われわれの眼前に、いかなる障碍もものともしない質的および量的膨張欲として現われている。その障碍をなすものといえば、消費であり、販路、すなわち大工業の生産物の市場である。しかも、その市場の膨張力は、さしあたり右とは全く別個の、広さにおいても強さにおいても、右の力に比してはるかに弱い法則によって支配される。市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。衝突は不可避となる。しかも、資本主義的生産方法そのものを破壊しない限りにおいては、ほかに解決はありえないから、この衝突は周期的になる。資本主義的生産は新たな「悪循環」を作り出す・・・

 われわれは結論として、われわれの述べてきた歴史的発展の跡を簡単に概括しよう。

1. 中世社会
 小規模な個人的生産。生産手段は個人的使用に適した者であり、したがって原始的で、ぶさいくで、ちっぽけで、その力は恐ろしく貧弱である。生産は、生産者自身のため、または封建的領主のため、直接消費を目的とした生産。この消費以上に生産の剰余ができた場合にかぎって、この剰余は販売に提供され、交換される。したがって商品生産がようやく発生したばかりである。けれども、社会的生産における無政府状態が萌芽の形ですでにこの内に含まれている。

2. 資本主義的革命
 まず単純協業とマニュファクチャーによる工業の変革。従来分散していた生産手段の大工業への集中、これにより、個々人の生産手段が社会的生産手段に転化される―しかし、この転化は大体において交換の形態に影響しない。旧来の取得形態はそのままである。資本家が出現する、彼は生産手段の所有者としての資格において生産物を取得しそれを商品に転化する。生産は社会的行為となったが、交換は取得とともに依然として個人的行為であり、個々人の行為である、社会的生産物が個々の資本家によって取得される。
この根本矛盾から、今日の社会がその中で動いており大工業が明るみにさらけだすところの一切の矛盾が発生する。

 
A、生産手段からの生産者の分離。労働者に対する終身賃金労働者の宣告。
   ・・・
プロレタロアートとブルジョアジーとの対立。

 
B、商品生産を支配する法則がだんだん優勢となり、しだいにその効力を増大する。無制限の競争戦。個々の工場内の社会的組織と生産全体における社会的無政府状態との矛盾。

 
C、一方では機械の改良、これは競争を通して個々の工場主すべてに対する強制命令となり、また同時に不断に増大する労働者の解雇、すなわち産業予備軍を意味する。―他方では、生産の無制限の拡張、これも、各工場主に対してなされる競争の強制法則である。―この両方面がら生産力の発展は前代未聞の域に達する。供給は需要を超える、生産過剰、市場の氾濫、10年ごとの恐慌、悪循環。すなわち、一方におけて生産手段と生産物の過剰―他方において仕事がなく生活資料のない労働者の過剰。そして生産の槓杆と社会的福祉の槓杆は共存することができない、なぜか、生産の資本主義的形態は、生産力と生産物とはあらかじめ資本に転化することなくして活動し、または流通することを禁ずるからである、ところが、まさしく生産物と生産力の過剰でそれをさまたげるからである。この矛盾が拡大したとき不合理なことがおこる、生産方法が交換形態に対し反逆するのである。これによりブルジョアジーもこれ以上彼ら自身の社会的生産力を指導する能力がないことを認めさせられるのである。

 
D、資本家自身も余儀なく、生産力の社会的性格を部分的に承認する。
生産及び交通の大機関は、最初は株式会社によって、次はトラストによって、それから国家によって取得される。ブルジョアジーは無用の階級たることがおのずからあきらかになる。彼らの一切の社会的機能は今や月給取によって行なわれる。


3. プロレタリアート革命。矛盾の解決、
 すなわち、プロレタリアートは公共的権力を掌握し、この権力によってブルジョアジーの手からはなれ落ちつつある社会的生産手段を公共所有物に転化する。この行動によって、プロレタリアートは、これまで生産手段がもっていた資本という性質から生産手段を解放し、生産手段の社会的性質に自己を貫徹すべき完全な自由を与える。かくして今やあらかじめ立てた計画に従った社会的生産が可能となる。生産の発展は、種々の社会階級がこれ以上存続することを時代錯誤にする。社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人公となり、自分自身の主人公となる。―要するに自由となる。
 この解放事業をなしとげること、これが近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件とその性質そのものとを探求し、以ってこれを遂行する使命をもつ今日の被抑圧階級に、彼ら自身の行動の条件および性質を意識させること、これがプロレタリアア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である。

    
●ドイツ語第1版への序文

 読者は、このようなスケッチにすぎない社会主義発達史のなかに、カントやラプラスの宇宙発生論や、近代自然科学やダーウィンや、ドイツの古典哲学からヘーゲルまでもが顔を出しているのに、さぞ驚くだろう。だが、科学的社会主義は、断じて、本質的にドイツの産物なのだ、その古典哲学が、意識的な弁証法の伝統を生き生きと保持していた国でなくては、すなわち、ドイツでなくては、成立することはできなかったのだ。唯物史観と、それをプロレタリアートとブルジョアとの近代の階級闘争へ具体的に適用することは、弁証法がなくてはできない。
ドイツのブルジョア階級の学校の先生たちは、彼らの偉大なドイツ哲学者と彼らがわれわれに残した弁証法の記憶を、無味乾燥な折衷主義の泥沼に溺れさしていることを考えあわすなら、われわれが、現実における弁証法の証人として近代の自然科学を引き合いに出すことは、いよいよもって必要であるまいか ― われわれドイツの社会主義者は、ただにサン・シモン、フーリエ及びオーウェンを祖とするのみではなく、カント、フィヒテ及びヘーゲルの流れをくんでいることを、われわれの誇りとするものである。



  第2章 資本のあけぼの
   
『資本論』第1巻 第7編 第24章 いわゆる本源的蓄積 抄録


1) 貨幣と商品が、最初から資本でないことは、生産手段と生活手段が、初めからそうでないのと同じである。これらのものは、資本への転化を必要とする。しかし、この転化そのものは、一定の諸事情のもとでのみ行なわれうるものであって、それらの事情は、要するに次ぎのことに帰着する。すなわち、一方には、その有する価値額を、他人の労働力の購入によって増殖することを必要とする貨幣、生産手段、生活手段の所有者、他方には、自分の労働力の販売者であり、したがって、労働の販売者である自由な労働者であるという二つの非常に異なった種類の商品所有者が、相対して接触せねばならない、という事情がこれである。自由な労働者というのは、奴隷、農奴等のように、彼ら自身が直接に生産手段の一部であるのでもなく、自営農民等におけるように、生産手段が彼らに属するものでもないという、二重の意味においてであって、彼らは、むしろ生産手段から自由であり、離れ、解かれているのである。この商品市場の両極分化とともに、資本主義的生産の基礎条件は、与えられている。資本関係は、労働者と労働の実現諸条件の所有との分離を前提する。資本主義的生産のじょとたび自己の足をもって立つようになると、それはかの分離を維持するのみではなく、たえず増大する規模で、それを再生産する。したがって、資本関係を創り出す過程は、労働者を労働諸条件の所有から、分離する過程、すなわち、一方では、社会の生活手段と生産手段を資本に、他方では、直接生産者を賃金労働者に転化する過程、以外のものではありえない。したがって、いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならない。それが「本源的」として現われるのは、資本と資本に対応する生産様式との前史をなすものだからである。

2) 賃金労働者とともに、資本家を産み出す発展の出発点は、労働者の隷属だった。この進展は、この隷属の形態転換に、封建的搾取の資本主義的搾取への転化に、あった。この転化の行程を理解するためには、それほど遠く遡る必要はない。資本主義的生産の最初の萌芽は、すでに14世紀および15世紀に、地中海沿岸の2、3の都市で、散在的に見られるとはいえ、資本主義的生産が始まるのは、ようやく16世紀からである。この時代が出現するところでは、農奴制の廃止は、すでに実現され、中世の頂点である独立都市の存立も、久しくその実を失っているのである。

3) 本源的蓄積の歴史で歴史的に画期的なものは、形成されつつある資本家階級に槓杆として役立つ変革すべてがそれであるが、なかにも、人間の大群が、突如暴力的にその生計手段から引き離されて、無保護のプロレタリアとして労働市場に投げ出される瞬間は、ことにそうである。農業生産者からの、農民からの土地収奪は、全過程の基礎をなす。この収奪の歴史は、国によって異なる色彩をとり、順序を異にし、歴史的時代を異にして、異なる諸段階を通過する。それが典型的な形態をとるのは、イギリスのみであり、われわれがイギリスを例にとるものそのためである。

4) 産業資本家の生成は、借地農業者のそれのように、漸次的に進行したのではなかった。多くの貧弱などツンフト親方と、さらに多くの独立小手工業者が、あるいは賃金労働者さえも、小資本家となり、そして賃金労働搾取の漸次的拡大と、それに対応する蓄積とによって、資本家らしい資本家となったことは疑いない。中世都市の幼年期には、逃亡した農奴中の誰が主人となり、誰が下僕となるかは、大体において、彼らの逃亡の時日の早いか遅いかによって決定されたが、資本主義的生産の幼年期にも、しばしば事態は同様だった。しかし、この方法のかたつむりのような歩みは、15世紀末の諸大発見によって創り出された、新たな世界市場の商業的要求に、応ずるものでは決してなかった。

5) 新たなマニュファクチャー工場手工業が輸出海港に、あるいは旧来の都市とそのツンフト制度の統制の外にある、田舎の諸地点に起こされた。かくして、イギリスでは、これらの新たな工業培養場にたいする、諸特権都市の激しい闘争を生じたのである。

6) アメリカにおける金銀産地の発見、原住民の、掃滅、奴隷化、鉱山内への埋没、東インドの征服と掠奪との開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらのものによって、資本主義的生産時代の曙光が現われる。これらの牧歌的過程は、本源的蓄積の主要要素である。地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の商業戦がこれに続く。それはスペインからニューデルランドが離脱することによって開始され、イギリスの反ジャコバン戦争において巨大な規模をとり、シナにたいする阿片戦争等においてなお続行される。

7) いまや本源的蓄積の種々の契機は、多かれ少なかれ時間的順序をもって、ことにスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスのあいだに、分配される。イギリスでは、それらが17世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度および保護貿易制度において、体系的に総括される。これらの方法は、一部はもっとも狂暴な強力に基づいて行なわれる。たとえば、植民制度の如きはそれである。しかし、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を、温室的に促進して過渡期間を短縮するためには、いずれの方法も、社会の集中され組織された強力である国家権力を利用する。強力は、新しい社会をはらむ、すべての古い社会の助産婦である。それ自体が一つの経済的な力なのである。

8) 周知のように、イギリス東インド会社は、東インドにおける政治的支配権のほかに、茶貿易ならびにシナ貿易一般と、ヨーロッパとのあいだの貨物輸送の排他的独占権を、与えられていた。しかし、インドの沿岸航海および島嶼間航海と、インド内地の商業とは、会社の高級職員の独占となった。塩、阿片、キンマその他の商品の独占は、富の無尽蔵の鉱山だった。
 土着民の取扱いは、西インドのように輸出貿易のみに予定された栽培植民地において、また、メキシコや東インドのように涼奪殺戮に委されている富裕で人口稠密な国において、当然もっとも狂暴を極めた。とはいえ、本来の植民地においても、本源的蓄積のキリスト教的性格は、否定されなかった。かの謹厳な新教の先達、ニュー・イングランドの清教徒は、1703年には、彼らの州議会の決議によって、インディアンの頭蓋皮一枚および捕虜一人につき、40ポンドの賞金を懸け、1720年には、頭蓋皮一枚に100ポンドの賞金。

9) 植民制度は、商業と航海を温室的に育成した。「独占会社」は、資本蓄積の強力な槓杆だった。成長するマニュファクチャー・工場手工業に、植民地は販売市場を保証し、市場独占によって強められた蓄積を保証した。ヨーロッパの外で、直接に掠奪、奴隷化、強盗殺人によって分捕られた財宝は、母国に流れ帰って、そこで資本に転化された。植民制度を充分に展開した最初の国オランダは、1648年には、すでにその商業勢力の頂点に達していた。それは「東インド貿易および、ヨーロッパの南西部と北東部とのあいだの交易を、ほとんど独占的にもっていた。その漁業、海運、工場手工業は、他のいずれの国のそれをも凌駕していた。この共和国の資本は、おそらく残余のヨーロッパ全体のそれよりも大きかった」。ギューリヒは、オランダの民衆が、1648年には、すでに残余のヨーロッパ全体の民数よりも、いっそう甚だしい過度労働と貧窮と苛酷な抑圧との下にあったことを、付言するのを忘れている。

10) 今日では、産業覇権は商業覇権を伴う。これに反し、本来の工場手工業時代にあっては、産業上の優勢を与えるものは、商業覇権である。それゆえにこそ、当時植民制度の演じた役割の優位がある。

11) 公信用制度、すなわち国債制度の起源を、われわれはジェノヴァとヴェネツィアでは、すでに中世に見出すのであるが、それは工場手工業時代に、全ヨーロッパも普及した。植民制度は、その海上貿易とその商業戦をもって、国債制度の温室として役立った。かくてそれはまずオランダで確立された。国債、すなわち国家―専制国であれ、立憲国であれ、共和国であれ―の売却は、資本主義時代に、その極印を捺す。いわゆる国民的富のうちで、現実に近代諸国民の総有に入る唯一の部分は―彼らの国債である。したがって、一国民は債務を負えば負うほど、富裕になるという近代的教説は、全く当然のものである。公信用は資本の信条となる。そして国債制度の発生とともに、赦されることのない聖霊にたいする罪にかわって、国債にたいるす不信が現われる。

12) マニュファクチャー・工場手工業時代における資本主義的生産の発展につれて、ヨーロッパの世論は、羞恥心や良心の最後の残片をも失ってしまった。諸国民は、資本蓄積の手段のであるあらゆる非行を、厚顔に自慢した。たとえば、正直者A・アンダースンの素朴な商業年代記を読まれよ。そこでは、イギリスが、従来アフリカとイギリス領西インドとのあいだでのみ営んでいた黒人貿易を、今後はアフリカとスペイン領アメリカとのあいだでも営みうるという特権を、ユトレヒトの講和で〔1713年〕アシェント協約によりスペイン人からもぎ取ったことは、イギリス国策の勝利であるとして吹聴される。イギリスは、1743年まで、年々8400人の黒人をスペイン領アメリカに供給する権利を得た。これは同時に、イギリスの密貿易を公認のものに見せかける仮面を与えた。リヴァプールは、奴隷貿易の基礎の上に大きく成長した。奴隷貿易は、本源的蓄積のリヴァプール的方法である。そして今日に至るまで、リヴァプールの「声望」が、「商業的企業精神を情熱にまで高め、りっぱな海員を育て、莫大な貨幣をもたらす」―奴隷貿易のピンダロスにあることは変わらなかった。リヴァプールが奴隷貿易に使用した船は、1730年には15隻、1751年には53隻、1760年には74隻、1770年には96隻、1792年には132隻だった。
(第7編第24章いわゆる本源的蓄積)



   
第3章 商人資本にかんする歴史的考察

1) 資本主義社会の前段階においては、商業が産業を支配する。近代社会においてはその逆である。もちろん、商業は、相互のあいだに商業が営まれる諸共同体の上に、多かれ少なかれ反作用するであろう。商業は、享楽と生活維持を、生産物の直接使用よりもより多くその諸関係を分解する。商業は貨幣流通を増加させる。それはもはや、単に生産の余剰をとらえるのみではなく、次第に生産そのものを蚕食して、すべての生産部門を自己に依存させる。といっても、この分解作用は、生産する共同体の性質の如何に懸かるところが大きい。
 
2) 商業と商業資本の発展は、到るところで、交換価値に向けられた生産を発展させ、その範囲を拡大し、それを多様化し、そして世界化し、貨幣を世界貨幣に発展させる。
 それゆえ、到るところで商業は、種々に異なるその形態の如何を問わず、主として使用価値に向けられている既存の生産組織の上に、多かれ少なかれ分解的に作用する。しかし、どの程度まで、それが古い生産様式の分解をひき起こすかは、まず第一に、その生産様式の堅固さと内部構成との如何にかかる。そして、この分解過程が、どこに帰着するか、すなわち、いかなる新たな生産様式が、古いそれにかかわって現われるかは、商業にではなく、古い生産過程そのものの性格にかかる。古代世界においては、商業の作用と商人資本の発展とは、奴隷経済に結果する。

3) 都市産業が、そのものとして農村産業から分離されるに至れば、その生産物は、初めから商品であり、したがってその販売には、商業の媒介を必要とすることは、事の性質上当然のことである。商業が都市の発展に依存し、また他面では、この発展が商業によって規制されていることは、そのかぎりでは自明である。とはいえ、産業の発展がとこまで商業と手を携えて進むかは、ここでは全く別の事情に懸かっている。

4) 16世紀および17世紀においては、地理上の諸発見に伴って商業において起こり、商人資本の発展を急速に進めた諸大革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行の促進で、一つの主要契機をなしているということには、疑問の余地はない―そしてまさにこの事実が、全く誤った諸見解を生み出した。世界市場の突然の拡大、流通する商品の幾層倍化、アジアの生産物とアメリカの財宝とを、我がものにしようとするヨーロッパ諸国民の競争、植民制度、これらのものは、生産の封建的諸制限の粉砕に本質的に寄与した。しかし、近代的生産様式は、その第一期である工場手工業時代においては、そのための諸条件が、すでに中世の内部で産み出されていたところにおいてのみ発展した。たとえば、オランダとポルトガルとを比較せよ。そして16世紀および一部はなお17世紀においても、商業の突然の拡張と新たな世界市場の創出とが、古い生産様式の没落と、資本主義的生産様式の興隆とに一つの優勢な影響を及ぼしたとすれば、このことは、逆に、すでにひとたび作り出された資本主義的生産様式の基礎の上で行なわれたのである。世界市場は、それ自体、この生産様式の基礎を形成する。他面、この生産様式に内在する、たえずより大規模に生産することの必然性は、世界市場の不断の拡張に駆り立て、したがってここでは、商業が産業をではなく、産業がたえず商業を革命する。今では商業覇権も、大工業の諸条件の大なり小なりの優勢に結びつけられている。たとえばイギリスとオランダとを比較せよ。支配的商業国民としてのオランダの没落の歴史は、産業資本への商業資本の従属の歴史である。


5) かくして、三様の移行が行なわれる。第一には、商人が直接に産業資本家になる。商業の土台の上に起こされた諸産業のばあいがそれで、ことに、商人によって原料や労働者とともに、外国から輸入される奢侈品工業、たとえば、15世紀にイタリアでコンスタンティノープルから輸入されたそれのようなばあいである。第二には、商人が小親方を自分の仲買人とするか、あるいはまた直接に自己生産者から買う。商人は生産者を、名目上は独立のままにしておき、その生産様式を変化させずにおく。第三には、産業家が商人となって、直接に大規模に商業のために生産する。

6) そして、個々の商人や特定の顧客のために生産することをやめて、織布業者は、いまや商業世界のために生産する。生産者がそれ自身商人である。商業資本はもはや流通過程だけを行なう。元来、商業は、同職組合的および農村家内工業と封建的農業とを、資本主義的経営に転化させるための前提であった。商業は生産物を商品に発展させる。それは一部には、生産物のために市場を作り出すからであり、また一部には、新たな商品等価をもたらし、また生産に新たな原料と補助材料を供給し、したがってまた、初めから商業を土台にして起こされる諸生産部門、すなわち、市場および世界市場のための生産に基づくともに、世界市場から生ずる諸生産条件に基づいて起こされる、諸生産部門を開くからである。工場手工業がある程度まで強固になれば、そして大工業がそうなればなおさら、それはまたそれで市場を作り出し、その商品によって市場を征服する。いまや商業は、市場の不断の拡張を生活条件とする産業生産の召使となる。たえず拡大される大量生産は、既存市場に氾濫を起こし、したがってたえずこの市場の拡大を、その制限の突破を、はかりつつある。この大量生産を制限するものは、商業ではなく(商業が現存需要のみを表現するかぎりでは)、機能しつつある資本の大いさと、労働の生産力の発展とである。産業資本家は、たえず世界市場を前にして、彼自身の費用価格を、単に自国の市場価格とのみではなく、全世界の市場価格と比較しており、またたえず比較せねばならない。この比較は、以前の時代には、ほとんどもっぱら商人のことに属し、かくして商業資本のために産業資本にたいする支配を保証する。
 (『資本論』第3巻第20章 商人資本にかんする歴史的考察)

 
  
4章 貨幣の資本への転化

1) 商品流通は資本の出発点である。商品生産と、発達した商品流通である商業は、資本の成立する歴史的前提をなしている。世界商業と世界市場は、16世紀において、資本の近代的生活史を開始する。

2) 商品流通の素材的内容、すなわち各使用価値の交換は、これを見ないことにして、この過程がつくり出す経済的な諸形態のみを考察するならば、われわれはその最後の生産物として貨幣を見出す。商品流通のこの最後の生産物は、資本の最初の現象形態である。
(『資本論』第1巻第4章貨幣の資本への転化)


 
 世界貨幣

1) 貨幣は、国内流通部面から外に出るとともに、その国で生長していた価格の尺度標準、鋳貨、補助貨および価値標章の地方的形態を再び脱すてる。そして貴金属の本来の地金形態にかえる。世界商業においては、商品はその価値を、世界的に展開しなければならぬ。したがって、それらの商品の独立した価値態容は、商品にここで世界貨幣として、また相対する。世界貨幣ではじめて、貨幣は、充分な範囲で商品として機能する。そしてこの商品の自然形態が、同時に人間労働一般の直接に社会的な実現形態である。その存在様式は、その概念に相当したものとなる。

2) 国内の流通部面においては、価値尺度となり、したがって貨幣としてもちいられうるのは、ある一つの商品だけである。世界市場においては、二重の価値尺度、金と銀とが支配的である。

3) 世界貨幣は、一般的な支払手段として、一般的な購買手段および絶対的な社会的な富一般(普遍的な富)の体化物として機能する。国際貸借の決済のために、支払手段としての機能がおもなものである。だから、重商主義の標語―貿易差額! それまでの各国民間の物質代謝の均衡が、突如撹乱されるごとに、国際的購買手段としては、金と銀とが主として用いられる。最後に富の絶対的な社会的な体化物として用いられる。



 
5章 資本制生産における価値法則について

 資本主義的生産様式の矛盾は、まさに、資本がそのもとで運動しており、そしてただそのもとでのみ運動しうる特殊な諸生産条件と、たえず衝突する生産諸力の絶対的発展への、資本主義的生産様式の傾向にこそ、存するのである。

*注:カッコ〔〕は、抄録編者の追加

  
 1. 利潤率の低下
 
1) 商品の価値は、その商品に入る総労働時間によって、過去の労働時間も生きたそれも一括して総労働時間にとって、規定されている。労働の生産性の増大は、まさに、生きた労働の占める部分が減らされて、過去の労働の占める部分が増やされ、そしてそれは、商品に含まれる労働の総量が、減少するように行なわれるということに、すなわち、過去の労働が増加する以上に生きた労働が減少するということに、存する。一商品の価値に体化されている過去の労働―不変資本部分―は、一部は固定資本の摩損部分から、一部は全体として商品の中に入った流動不変資本―原料と補助材料―から成っている。原料と補助材料からくる価値部分は、労働の生産性[の増大]とともに、減少せざるをえない。
 なぜならば、この生産性は、これらの素材にかんしては、まさに、それらの価値が低下したことにおいて示されるのだからである。これに反して、不変資本の固定部分に一大増加が生じて、それとともに、摩損によって商品の上に移されるその価値部分もまた著しく増大するということは、まさに、労働の生産力の増大の特徴をなすものである。ところで、新たな一生産方法が生産性の現実の増大として認められるためには、それによって固定資本の摩損分として個々の商品の上に移される追加価値部分が、生きた労働の減少によって節約される減少価値部分よりも小さくなければならない。一言で言えば、それによって商品の価値が減少させられねばない。

2) 新たな一生産様式が、いかにより以上に生産的であり、またはいかにより剰余価値率を高めようとも、それが利潤率を低下させるならば、いかなる資本家も自発的にはこれを用いない。しかし、すべてかような新しい生産様式は、商品を低廉にする。したがって、資本家は当初は商品をその生産価格以上に、おそらくその価値以上に、売る。彼は、その商品の生産費と、他のより高い生産費で生産された商品の市場価格とのあいだに生ずる差額を取込む。彼がこれをなしうるのは、この商品の生産に社会的に必要な労働時間の平均が、新たな生産様式をもってするばあいに必要な労働時間よりも大きいからである。彼の生産手段は、社会的生産手段の平均よりもまさっている。しかし、競争はそれを一般化して、一般的法則に従わせる。そこで利潤率の低下が現われる。―おそらくまずこの生産部面で、そしてその後ただちに他の諸生産部面と均等化される。―したがって、この低下は資本家の意志からは全く独立してものである。
(『資本論』第3編第15章第4節 補 論)


  
2. 人口の過剰における資本の過剰

1) 資本主義的生産様式の制限は次ぎの諸点に現われる。

(1) 労働の生産力の発展は、それが一定の点に達したとき、それ自身の発展にたいしてもっとも敵対的に対立し、したがってたえず恐慌によって克服されねばならない一法則を、利潤率の低下において産み出すということ。

(2) 不払労働の取得と、対象化された労働一般にたいするこの不払労働の比率とが、または、資本主義的に表現すれば、利潤と、充用資本にたいするこの利潤の比率とが、すなわち、利潤率の一定の高さが、生産の拡張または制限を決定するのであって、社会的欲望にたいする、社会的に発達した人間の欲望にたいする、生産の比率がこれを決定するのではないということ。それゆえ、資本主義的生産様式にとっては、他の前提のもとでは、逆に遥かに不充分なものとして現われるような生産の拡張度において、早くも制限が生ずる。
 この生産様式は、欲望の充足が休止を命ずる点においてではなく、利潤の生産と実現とがこれを命ずる点において、休止される。

 
2) 利潤率が低下すれば一方では、個々の資本家が改良された方法等によって彼の個々の商品の個別的価値を、その社会的平均価値以下に押し下げ、かくして、与えられた市場価格のもとで、一つの特別利潤を得ようとするため、資本の緊張が生ずる。他方では一般的平均から独立し、これを超過する何らかの特別利潤を確保するため、新たな生産方法、新たな投資、新たな冒険における熱狂的な試みによって、思惑が現われ、思惑の一般的助長が現われる。

3) 利潤率、すなわち比率的な資本増殖は、すべての新しい、独立して群をなす資本の嫩枝にとって、何よりも需要である。そして、資本形成がもっぱら、利潤量によって利潤率を償いうる僅かばかりの既成大資本の手に落ちるに至れば、一般に生産の活気は消え失せるであろう。生産はまどろむであろう。利潤率は、資本主義的生産における推進力である。そして、利潤を伴って生産されうるもののみが生産され、また、利潤を伴って生産されうるかぎりにおいれのみ生産が行なわれる。それゆえに、利潤率の低下についてのイギリスの経済学者たちの心配を見よ。その単なる可能性ですら、リカードを不安にするということは、資本主義的生産の諸条件にたいする、彼の深い理解を示すものにほかならない。
 リカードが非難される点、彼が、「人間」を顧慮することなく、資本主義的生産の考察に際して、ただ生産諸力の発展のみを―それが人間と資本価値とのいかなる犠牲をもって購われるかを問わず―眼中に置くということ、まさにこれが、彼における重点なのである。社会的労働の生産諸力の発展は、資本の歴史的任務であり、歴史的権利である。まさにそれによって、資本は、無意識に、一つのより高度な生産形態の物質的諸条件を作り出すのである。リカードを不安にするものは、資本主義的生産の刺激であり、蓄積の条件でもある利潤率が、生産の発展自体によって脅かされる、ということである。そして、ここでは量的関係がすべてである。実際には何かより深いものが根底にあるのであるが、彼はこれをただなんとなく感じていたにすぎない。ここでは、資本主義的生産は、絶対的な生産様式ではなく、物質的生産諸条件の一定の局限された発展期に対応する歴史的な一生産様式であるという、その限界、その相対性が、純粋に経済的な仕方で、すなわちブルジョア的立場から、資本主義的理解力の限界内で,資本主義的生産そのものの立場から、示されているのである。


  
3. 資本の制限
 
 
資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終点として、動機および目的として、現われるということである。生産が資本のための生産にすぎないということ、そして、それとは反対に生産手段が、生産者の社会のための絶えず拡大される生活過程形成の単なる手段であるのではない、ということである、したがって、生産者大衆の収奪と窮乏化とに基づく資本価値の維持と増殖とが、ただその内部でのみ運動しうる諸制限、この諸制限は、資本が自己の目的のために充用せざるをえない,そして生産の無制限な増加を、自己目的としての生産を、労働の社会的生産諸力の無条件的発展を、目指す諸生産方法と、絶えず矛盾することになる。手段―社会的生産諸力の無条件的発展―が、既存資本の価値増殖という制限された目的と、たえず衝突することになる。それゆえ、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、これに対応する世界市場を作りだすための、一つの歴史的手段であるとすれば、それは同時に、かようなその歴史的任務と、これに対応する社会的生産諸関係とのあいだの、不断の矛盾なのである。

  第2節 生産拡張と価値増殖との衝突


  
4. 利子付資本の形態における資本関係の外在化


1) 
利子付資本において、資本関係は、そのもっとも外的なもっとも物神的な形態に達する
 われわれはここでは、G―G´を、より多くの貨幣を産む貨幣を、自己を増殖する価値を。両極を媒介する過程なしに、もつのである。商人資本、G-W-G´においては、少なくとも資本主義的運動の一般的形態は存在している。もっとも、この形態がただ流通部面内にのみ止まり、したがって、利潤は単なる譲渡利潤として現われるのである。しかし、それにしても利潤は、一つの社会的関係の生産物として表示されており、単なる物の生産物としては表示されていない。商人資本の形態は、いまだなお、一つの過程を、反対の両段階の統一を、商品の買いと売りという二つの反対の行程に分かれる運動を、表示している。G―G´、すなわち利子付資本の形態においては、このことは消し去られている。たとえば、1000ポンドが資本家によって貸出され、利子率は5%であるとすれば、1年間の資本としての1000ポンドの価値、すなわちC+Cz´(Cは資本、z´は利子率、すなわちここでは5%=5/100=1/20)は、1000+1000×1/20=1050ポンドである。

 資本としての1000ポンドの価値は、1050ポンドである。すなわち、資本は単純な大いさではない。それは、大いさの関係であり、元本として、自己増殖する価値としての自己自身にたいする与えられた価値として、剰余価値を生産した元本としての、関係である。そして、すでに見たように、自己資本をもって機能すると借入資本を持って機能するとを問わず、すべての能動的資本家にとって、資本は、かかるものとして、この直接に自己増殖する価値として、表示されるのである。

2) 
利子付資本においては、この自動的な物神、自己自身を増殖する価値、貨幣を産む貨幣が純粋に作り上げられている。
 そして、それはこの形態にあっては、もはやその発生のいかなる痕跡をも留めてはいない。社会的関係が、一物の、貨幣の、自己自身にたいする関係として、完成されている。資本への貨幣の現実の転化にかわって、ここではただこの転化の無内容な形態のみが、示される。労働力のばあいと同じく、ここでは貨幣の使用価値は、価値を、それ自体に含まれている価値よりも大きい価値を、作り出すという使用価値となる。

 貨幣は、そのものとしてすでに潜勢的に自己増殖的価値であり、そして、かかる価値として貸付けられる。それはこの独特な商品のための販売の形式である。価値を作り出し利子を産むことが、貨幣の属性となることは、あたかも、梨果を結ぶことが梨樹の属性であるようなものである。そして、かかる利子を産むものとして、貨幣の貸し手はその貨幣を売る。それだけでは足りない。現実に機能する資本も、すでに見たように、機能資本としてではなく、資本それ自体として、貨幣資本として、利子を産む、というように自己自身を表示するのである。

3)  こういうこともまた歪曲される。利子は利潤の一部であるにすぎないのに、すなわち、機能資本家が労働者から搾り出す剰余価値の一部であるにすぎないのに、いまや逆に利子が、資本の本来の果実として、本源的なものとして、現われ、そして利潤は、いまや企業者利得の形態に転化されて、再生産過程でつけ加わる単なる添加物や付加物として現われる。
 ここにおいて、資本の物神態容と、資本物神の観念とは、完成される。G―G´において、われわれは、資本の無内容的形態を、生産諸関係の最高度の錯倒と物化とを、すなわち、利子を産む態容を、資本が資本自身の再生産過程に前提されている単純な態容を、もつ。それは、貨幣が、あるいは商品が、再生産から独立に、それ自身の価値を増殖する能力―光かがやく形態における資本神秘化である。

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