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  『資本論』
商品価値の比例論 抄 録   更新:2020.12.08


『大論理学』 -第3章量的比例Das quantitative Verhaltnis
表現方式 Ausdrucksweise と 数式の仕方(方式)
      
方程式の分析を通じて価値を導き出す


  『資本論』 第1篇 商品と貨幣 第1章 商 品


  
第1節商品の2要素 使用価値と価値 (価値実体、価値の大いさ)

 1.(5) 
量的比例と比率(比)
 
 「交換価値は、まず第一に量的な関係 〔das quantitative
Verhältnis量的比例〕 として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される比率 〔die Proportion:〕 として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる。したがって、交換価値は、何か偶然的なるもの、純粋に相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)というようなものは、一つの背理 contradictio in adjecto : 形容矛盾)のように思われる。われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう。(注1)」
 
 注1: 内在的な、固有の交換価値が
“背理”でないことが、(注2)で論証されています。 なお、「contradictio in adjecto 」の翻訳として、向坂訳は「背理」、他の訳者は「形容矛盾」としています。この検討はこちらを参照してください。 2020.12.08更新 )


 2.(6) 
等しい大いさ量的・比例関係に置かれる方程式で表示される

 「一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合〔verschiedensten
Proportionen:さまざまな比率〕で交換される。このようにして、小麦は、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。(注2)」
  
  注2: 「小麦の交換価値とx量靴墨、同じくy量絹、z量金等々とは、相互に等しい大いさの交換価値-商品に内在的な、固有の交換価値」が論証されています。 )

 「
したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値 〔交換価値〕 は、一つの同一物 ein Gleiches を言い表している注3。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の表現方式、すなわち、その「現象形態」でありうるにすぎない。」

  (注3: ①質的に異なる諸商品が「相互に等しい大いさ」となり、「相互に置き換えられる」ことによって、比例的・量的実在となります。 ②「したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値 〔交換価値〕 は、一つの同一物 ein Gleiches を言い表している。」 ③「一つの同一物ein Gleiches 」=「内在物」の共通関係が形成され、 ④ 表現方式 Ausdrucksweise」=(数)式として表せる仕方(方式)となり、 ⑤「 現象形態 "Erscheinungsform" 現象の形式 (形式化) 」として表わしています(注4)。
  
このような手続きを経て、商品の交換関係は、方程式 Gleichungに表わす」ことができます。 なお、④「表現方式 Ausdrucksweise」=(数)式として表せる仕方(方式)についての検討はこちらを参照してください)

 注4
 「現象の形式(形式化)については、形式活動」-ヘーゲル『小論理学』 B 現象 §131, a 実体性の相関 §150-151を参照 )


 3.(7) 
方程式 Gleichung の初出:例えば 1クォーター小麦 = a ツェントネル鉄

 「さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、この関係はつねに一つの
方程式 Gleichungに表わすことができる。そこでは与えられた小麦量Quantum〔定量〕は、なんらかの量Quantumの鉄に等置 〔同一視〕 される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。この方程式は何を物語るか?二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。 したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値である限り、こうして、この第三のものに整約 〔還元〕 しうるのでなければならない。」



 4.(8) 
整約 : Reduktion : 約分, 換算 -還元
 一つの簡単な幾何学上の例がこのことを明らかにする。一切の直線形の面積を決定し、それを比較するためには、人はこれらを三角形に解いていく。三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1―に
整約 〔 reduzieren (化学)還元する,(数学) 約分・簡約する-量的表示形式として約分・還元〕 される。これと同様に、商品の交換価値も、共通なあるものに整約還元されなければならない。それによって、含まれるこの共通なあるものの大小〔量的大いさ〕が示される。

 5.(9) 
共通なもの = 同一性、区別、差別は ヘーゲル論理学の「第2部本質論(小論理学115節~119節)」

 この
共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性であることはできない。商品の形体的属性は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、したがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において、商品の交換価値をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象 〔度外視すること〕 である。
この交換価値の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の割合gehöriger Proportionにありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。あるいはかの老バーボンが言っているように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違〔Unterscheidbarkeit:区別〕または差別〔Verschiedenheit:差別〕がない。」(注8:バーボンの注)

   *
編集委員会の注: ヘーゲル論理学の用語による、規定。『小論理学』 A現存在の根拠としての本質a純粋な反省規定イ同一性Indentität §115-§119。 また、上記3(7)、4(8)の「整約する:reduzieren」ことは、「同一性に集約する」ことを規定しているー(ヘーゲル論理学)と理解される。 「諸使用価値は、適当の割合のとき」=「ちょうど同じだけのもの」=「同一性Indentiät」→「相違・区別、差別」を内在的要因としています。




 6.(10) 
交換価値をに集約

 使用価値としては、商品は、なによりもまずことなれる質Qualitätのものである。
交換価値としては、商品はただ 量Quantitätをことにするだけのものであって、したがって、一原子の使用価値をも含んでいない。

 7.(14) 
労働の量Quantitätの定量Quantumが、尺度となる
 このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働が対象化されているから、または物質化されているである。そこで、財貨の価値の大いさはどうして測定されるのか? その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量das Quantumによってである。
労働の量自身Die Quantität der Arbeit selbstは、その継続時間によって測られる。そして労働時間には、また時、日等のような一定の時間部分としてその尺度標準がある。


 8.(16) 
一般的労働時間の成立 ( 『経済学批判』 を参照 )

 そんなわけで、ある使用価値の
価値の大いさを規定するのは、ひとえに、社会的に必要な労働の定量 das Quantum gesellschaftlich notwendiger Arbeit、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならないのである。個々の商品は、このばあい要するに、その種の平均見本にされてしまう。同一の大いさの労働量 gleich große Arbeitsquantaを含む商品、または同一労働時間に製作されうる商品は、したがって、同一の価値の大いさをもっている。ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値にたいするは、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間にたいする比に等しい。 「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」(注11『経済学批判』)

 9.(17) 
価値の大いさの比例と反比例

 ・・・・一般的にいえば、労働の生産力が大であるほど、一定品目の製造に要する労働時間は小さく、それだけその品目に結晶している労働量小さく、それだけその価値も小さい。逆に、労働の生産力が小さければ、それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。したがって、
ある商品の価値の大いさは、その中に実現されている労働の量に正比例し、その生産力に逆比例して変化する。



 
 第2節 商品に表わされた労働の二重性

 10.(2)、11(9.10) 
価値として上衣と亜麻布とは、同一実体、同一性質の労働の客観的表現

 10.(2) 二つの商品、例えば一着の上着と10エレの亜麻布とをとろう。前者は後者の2倍の価値をもっており、したがって、10エレの亜麻布がWとすれば、一着の上着は2Wであるとしよう。
 11.(9.10) われわれは、使用対象という限度内で商品を論じたのであるが、これからは商品価値に移ろう。 
われわれの想定によれば、上衣は亜麻布の2倍の価値をもっている。・・・したがって、われわれは、もし1着の上衣の価値が10エレの亜麻布の価値の2倍の大いさであるとすれば、20エレの亜麻布は1着の上衣と同一の価値の大いさをもっているということを思い起こすのである。価値として、上衣と亜麻布とは同一実体のものであり、同一性質の労働の客観的表現である

 12.(14) 
商品はある割合で、つねに同一の大いさの価値

 したがって、使用価値にかんしては、商品に含まれている労働がただ質的にのみ取り上げられているとすれば、
価値の大いさについては、労働はすでに労働であること以外になんら質をもたない人間労働に整約されたのち、ただ量的にのみ取り上げられているのである。前者では、労働は、如何になされるかということ、何を作るかということが問題であるが、後者では、労働のどれだけということ、すなわち、その時間継続ということが問題なのである。ある商品の価値の大いさは、ただそれに含まれている労働の定量をのみ表わしているのであるから、商品はある割合をもってすれば、つねに同一の大いさの価値でなければならぬ。



 13.(16) 
生産力の変化と価値の大いさ

 ・・・・有用労働は、その生産力の増大あるいは低下と正比例して、より豊富な生産物源泉ともなれば、より貧弱なそれともなる。これに反して、生産力の変化は、価値に表わされている労働それ自身には、少しも触れるものではない。・・・したがって、同一の労働は、同一の期間に、生産力がどう変化しようと、つねに同一大いさの価値を生む。しかしながら、生産力は同一期間に、ちがった量の使用価値をもたらす。生産力が増大すればより多く、それが低下すればより少ない。労働の生産度を増大させ、したがって、これによってもたらされり使用価値の量を増加させる同じ生産力の変化は、このようにして、もしこの変化がその生産に必要な労働時間の総計を短縮するならば、この増大した総量の価値の大いさを減少させる。同じようにして、逆のばあいは逆となる。



第3節 A 単純な、個別的なまたは偶然的な価値形態
 2 相対的な価値形態a相対的価値形態の内実


 1.(2) 
亜麻布=上衣は、方程式の基礎
 亜麻布20エレ=上衣1着または=20着または=x着となるかどうかは、すなわち、一定量の亜麻布が多くの上衣に値するか、少ない上衣に値するかどうかということ、いずれにしても、このようないろいろの割合にあるということは、つねに、亜麻布と上衣とが価値の大いさとしては、同一単位の表現であり、同一性質の物であるということを含んでいる。亜麻布=上衣ということは、方程式Gleichung の基礎である。


  2 相対的な価値形態b相対的価値形態の量的規定性
 2.(13) 
価値実体がかくされている

 「亜麻布20エレ=上衣1着 または亜麻布20エレは上衣1着に値する」という方程式は、1着の上衣の中にまさに20エレの亜麻布の中におけると同じだけの量の価値実体 Wertsubstanz がかくされているということ、両商品量は、したがって、同じだけの労働が加えられている、または同一大いさの労働時間がかけられているということを前提とする。



  
第4節 商品の物神的性格とその秘密

  3.(9) 
生産物はいかなる割合で交換されるかという問題 : 事物的な形態 sachliche Form

 
生産物交換者がまず初めに実際上関心をよせるものは、自分の生産物にたいしてどれだけ他人の生産物を得るか、したがって、生産物はいかなる割合で交換されるかという問題である。このような割合は、ある程度習慣的な固定性をもつまでに成熟すると同時に、労働生産物の性質から生ずるように見える。したがって、例えば1トンの鉄と2オンスの金とは、1ポンドの金と1ポンドの鉄が、その物理的化学的属性を異にするにかかわらず同じ重さであるように、同じ価値であることになる。事実、労働生産物の価値性格は、価値の大いさとしてのその働きによってはじめて固定する。
     〔「固定する」 規則 : ヘーゲル論理学・制度的に比例関係が成立すること〕
この価値の大いさは、つねに交換者の意志、予見、行為から独立して変化する。彼ら自身の社会的運動は、彼らにとっては、物の運動の形態をとり、交換者はこの運動を規制するのではなくして、その運動に規制される。相互に独立して営まれるが、社会的分業の自然発生的構成分子として、あらゆる面において相互に依存している私的労働が、継続的にその社会的に一定の割合をなしている量に整約されるのは、私的労働の生産物の偶然的で、つねに動揺せる交換諸関係において、その生産に社会的に必要なる労働時間が、規制的な自然法則として強力的に貫かれること、あたかも家が人の頭上に崩れかかるばあいにおける重力の法則のようなものであるからであるが、このことを、経験そのものの中から科学的洞察が成長してきて看破するに至るには、その前に完全に発達した商品生産が必要とされるのである。労働時間によって価値の大いさが規定されるということは、したがって、相対的商品価値の現象的運動のもとにかくされた
秘密である。その発見は、労働生産物の価値の大いさが、単なる偶然的な規定であるという外観をのぞくが、しかし、少しもその事物的な形態(sachliche Form)をなくするものではない。

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