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 文献資料



  野田又男著 「発見の方法」

 野田又男 「論理学と数学  

 野田又男(1910-2004)著作集 Ⅰ デカルト研究
  白水社 1981年発行

村田全 「代数学と方程式」 
野田又男
『世界論』 解説
  
デカルト「
方程式論」     


 
 デカルト・『方法序説』を中心に 

  
11 発見の方法  (p.290)



1. ・・・デカルトが、方法のモデルを、当時の論理学よりは数学のほうに求めた理由はわかるのであります。
それでは数学のどこに目をつけたらよいか。ユークリッド幾何学は定義と公理とから出発して諸定理を「証明」するが、今求めるのはこの演繹的「証明」の方法ではない。これはすでに与えられた命題を理由づけることであるが、求めるのは未知の命題を発見する方法形式なのであります。デカルトが着目するのは、作図題の解を発見するときの手続き、すなわち幾何学で「解析」と呼ばれる手続きであります。それは「証明」とは逆のやり方であって、図形がすでに与えられたと仮定して、それの条件にさかのぼって行き、すでに知られた条件に達する(すでに知られている作図法に達する)ことである。デカルトが「幾何学者の解析」とか「古代人の解析」とかいうのはそれであります。彼は、古代の幾何学者が新たな真理を発見するときはいつもこの解析の手続きを用いていながら、その真理を他人に示すときには意地わるく隠しておいた、ともいっている。



2. さて幾何学者が図形に対して用いた「解析」の手続きを、数に応用したものが「代数」であるとデカルトは認めます。われわれも中学校で学んだように、算術から代数に入ると、応用問題が与えられたとき「方程式を立ててそれを解いて答を見出す」という手続きが用いられる。これは、求める未知量をχと置いて既知量と同じ扱いをして、問題に示された条件のすべてを表現する式すなわち方程式をつくるというやり方である。それは、幾何学の作図題の場合に、求める図形がすでに画きえたと仮定するというやり方と同じやり方なのであります。

3. ところでさらにこの解析の手続きを自然研究にあてて考えると、それは、われわれの感覚に与えられる事実を、未知の条件と既知の条件との複合体すなわち「問題」と見なして、それを分析してゆくことによって未知を既知に化することにほかならないわけである。ただこのときは、事実を諸条件の複合体と見なすときに、方程式をたてるという数学的操作とともに、それに先立って「観察」とか「実験」とかいわれる物理的操作が必要であり、この二種の操作は実は次元のちがったものであります。
デカルトものちにそのことを顧慮して、『方法序説』の終わりのほう(「第6部」)では、一つの事実について数学的に考えられる仮説が幾通りもあり、それらのいずれが真であるかは実験によらねばきまらないと認めている。けれども彼の考え方は、全体として、自然学を幾何学と一つのものに見ようとする考え方であって、方法的形式としては「実験」も「分析」に帰する、とするのであります。(「解析」という語はわが国で数学者がanalyseに当てて使う訳語ですが、論理学や自然学では同じ語を「分析」と訳していて、「分析」という訳語のほうが一般的な意味に通用しています。)



4. さてこのように一般的に見てくると、デカルトの目ざした「発見の方法」とは「分析の方法」であるということに尽きるわけであります。けれども、「分析」はもちろん「綜合」(「複合」)の手続きを無用にしているわけではない。幾何学の作図題の場合でも「解析」によって作図法を見出したのち、やはり「証明」「(すなわち「綜合」)を加えることが大抵の場合必要なのであり、自然研究においても複合的事実を分析して原理に至ったのちに再び綜合的に事実に戻る手続きが要求されます。デカルトの方法は「分析の方法」と呼ばれても、「綜合」を廃するのではありません。ただ彼がそれまでの数学や自然学において閑却されていると認めて特に強調したのが「分析」の手続きであって、そういう顕著な特徴に着目して、彼の方法は「分析の方法」と呼ばれるのであります。それで『方法序説』の中でデカルトが自分の見出した方法の規則を列挙したとき、それは、「分析」の規則とともに「綜合」の規則をも含んでいるのであります。



5. すなわち彼は四つの規則を挙げ、その第二、第三をそれぞれ分析と総合との手続きの規定にあてている。そしてそれらに先立つ第一の規則として、原理が明晰判明でなくてはならぬ、という「明証の規則」をのべ、最後に第四の規則として「枚挙の規則」をつける。「枚挙」というのは、問題について吟味すべきいろいろな事情をもれなくとりあげたかどうかを調べることであって、またユークリッド幾何学の作図題の解法に戻って考えると、「吟味」といわれたものに相当します。四つの規則は次のようなものであります。
第一、「私が明証的に真であると認めた上でなくてはいかなるものをも真として受けいれないこと、いいかえれば注意ぶかく速断と偏見とを避けること」。
第二、「私が吟味する問題のおのおのを、できる限り多くの、しかもその問題を最もよく解くために必要なだけの数の、小部分に分かつこと」。
第三、「私の思想を順序に従って導くこと。最も単純で最も認識しやすいものからはじめて、少しずつ、いわば階段をふんで、最も複雑なものの認識にまでのぼってゆくこと」。
第四、何ものをも見おとすことがなかったと確信しうるほどに、完全な枚挙と、全体にわたる見直しとを、あらゆる問題におこなうこと」。



6. 『方法序説』を読んで第2部のこの四つの規則までくると人々は軽い失望を覚えるかもしれません。四つの規則の趣旨は、明瞭な事柄だけを真と認める心組みで、与えられたものを正しく分析し、総合し、見落とした点がないかを見直す、ということであって、しごくあたりまえのことをいっているにすぎない、と思われる。けれども改めていうまでもなく、方法や規則は実際にどう使うかという点が大切であって、デカルトがそれを使って何をしたかが問題である。そしてそれを彼はすぐにつづけて書いているが、そこにはわれわれを再び考えこませるような事実が記されているのであります。
すなわち彼はこういる規則を心にもってまず当時の数学の問題を解き、のちの歴史家の言葉でいえば「数学の大革新」をやったことをのべている。三つのことがのべられている。第一、数学というものは一般に諸量の比例関係をあつかうもので、比例関係がいろいろ違った対象に見出されても数学は一つである。特に数学自身の諸部門はそういう考えで統一できる。デカルトは他のところでそういう計量的関係一般の学問を「普遍数学」と名づけている。第二、この比例関係を、一つ一つはっきり「想像」の対象として思い浮かべるためには、それを「線」によって表現するがよい。しかし第三に、多くの比例関係を一まとめにして考え、したがって「記憶」にとどめるためには、ある種の「記号」(代数記号)を用いるがより。そのためにデカルトは当時の代数の混乱した記号法を簡単に明確にするための工夫をした、――という。この第二第三の点が、解析幾何学の創始を示すのであって、曲線と代数式との対応がかくてつけられたわけであり、第一にいわれた「普遍数学」とは、解析幾何学にはじまってのちに微積分の算法にまですすむ「解析学」の全体を予示しているのであります。


・・・以上、「発見の方法」終わり・・・