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文献資料

 野田又男 『世界論』 解説 デカルト自然学の体系


  「デカルトの生涯と思想」 より 中央公論社 1967年発行


 
野田又男 「デカルト・発見の方法」  



  デカルト自然学の体系

 『世界論』という包括的な論文が、1633年夏にはできあがったのである。その間の彼の仕事の進みをたどることはやめて、『方法序説』に従い、かつ現在の断片を顧みながら、その内容項目をとりあげてみよう。 

 プラトン主義者にふさわしく「光」の中に世界全体の姿を浮きたたせようという考えがあった。恒星と太陽とは光を発するがゆえに、天空は光を透すがゆえに、遊星(したがって地球)は光を反射するがゆえに、また人間は光によってすべてを見るものであるがゆえに、『世界論』の中で問題とせられる、といっている。
 こういう考えをいわば全体の枠としながら、デカルトは延長物(物体)と運動という単純な、幾何学者も前提している原理のみによって、世界過程を説明しようとする。―まず、世界は三次元の延長体であって、しかも延長があるかぎり、そこには物質があるとする。物質の存在しない真空(「空虚」)というものは考えられない。この点でデカルトは原子論者に反対する。原子論者は「原子」と「空虚」とを原理としてたてるが、デカルトにとっては「空虚」の存在は無の存在と同じく、自己矛盾的な考えなのである。次いで、このような充実した延長に、延長の諸部分相互の場所の移動としての「運動」を、第二の原理として加える。延長と運動というこの二つのものが、客観的世界の構成原理である。

 さて、延長体も運動も神の存在にあずかるゆえに(神によって存在せしめられるゆえに)、みずからの状態を同一に保つという性質をもっている。丸いものは、他から作用を受けないかぎり丸さをどこまでも保存するし、動いているものは、他から作用を受けないかぎり静止することはない。その際、運動の速さのみならず、その方向もまた保存される(いわゆる「慣性法則」)。さらに、世界内での運動の量は一定であって、一物体が他物体に衝突する場合には、一方が失う運動は他方が得ており、全体の運動の量は不変なのである(いわゆる「運動量恒存の法則」すなわち「衝突の法則」)。―デカルトは、このようにして力学の法則を(なお不十分なしかたにおいてであるが)たて、それらを世界の基本法則とする。

 さて、以上のような延長体の存在と運動の存在、ならびにそれらの保存を規定する基本法則を前提して、デカルトは一種の宇宙発生論を考え、現在の宇宙の状態を導きだそうとする。(旧約創世紀において、宇宙がはじめからいまの姿で創造されたといわれていることと独立に、一つの新たな説話の形で宇宙発生論を述べようとするのである。)すなわち、神がどこかに物質(延長)をつくり、それにさまざまなしかたで運動を与えたとすると、空虚がないのであるから、ある物体が動くにはそれに場所を与えるために他の物体が動いて他の場所を占めねばならず、以下同様にして進めば、最後には、はじめの物体のあけた場所を占める物体に達するはずであり、神の与える運動はそれぞれ一つの円環運動になる。つまり多くの渦巻運動が原初に生ずることになる。そして、このことによって延長体は多くの微粒子に分割され、その最も細かい粒子は集まって発光体をつくり(光は微粒子の激動の伝播である)、中ぐらいの粒子は透明体をつくり、最も粗い粒子は不透明体をつくる。これらが、それぞれ大まかな意味で火と風と土とにあたり、恒星や太陽、天空、遊星とその衛星や彗星をつくるのである。各天体をそれぞれ一つの渦巻(渦動)の中心と認めるこの考えは、デカルトの渦動論として有名になる。
 デカルトはさらに同様なくふうによって、地球の構造、潮の満干やいろいろな気象現象を説明し、地上のさまざまな合成物、鉱物や植物をとりあげたといっている。
・・・以下、省略・・・