第1部 「心の進化と脳科学」から社会性問題を考えると・・・
哲学担当の近藤:
こんにちは、近藤と申します。
早いもので、資本論ワールドもまる1年がたちました。新しい年を迎え新たなスタート台に立って、大変感慨深いものがあります。 新年早々、事務局の皆さんとこの1年間の反省会を開催しました。意見交換の中から、新年の構想を企画しました。本日、議論の第一は、「商品の物神性」の中間的締めくくりの方法論です。
―2章、3章へと進んでゆくにつれて「貨幣の物神性、資本の物神性」が後に続いてきます―
第二に、『資本論』の歴史認識として、「社会関係」や「社会性」の理解の仕方です。
とくに、第1章から第2章の大きなテーマとして、マルクスの弁証法的方法である「論理的に、歴史的に」について、 「商品の物神性」が現象する諸関係では、つぎのように述べています。
「私的労働は、事実上、交換のために労働生産物が、そしてこれを通じて生産者たちが置かれる諸関係によって、はじめて社会的総労働の構成分子たることを実証する。したがって、生産者たちにとっては、彼らの私的労働の社会的連結は、あるがままのものとして現われる。すなわち、彼らの労働自身における人々の直接に社会的な諸関係としてではなく、むしろ人々の物的な諸関係として(als sachliche Verhältnisse der Personen)として、また物〔Sache:事物的存在〕の社会的な諸関係gesellschaftliche Verhältnisse der Sachenとして現われるのである。」
私たちは、「商品の物神性」の理解の仕方の背景にある、「歴史的・論理的存在様式」について掘り下げ、「物〔Sache:事物的存在〕の社会的な諸関係が現われる」前提条件には次のような事情を考慮しましょう、という提案が、本日の要点の第一です。
すなわち、マルクスは「前提条件」を次のように解説しています。
「生産物交換者がまず初めに実際上関心をよせるものは、自分の生産物にたいしてどれだけ他人の生産物を得るか、したがって、生産物はいかなる割合で交換されるかという問題である。このような割合は、ある程度習慣的な固定性をもつまでに成熟すると同時に、労働生産物の性質から生ずるように見える」
-いかなる割合で生産物は交換されるのか―この前提条件が、成立するための内容を短くまとめてみると、
① 生産物交換者同士の社会が形成されていること。
② この社会では、生産物交換が反復継続的に行われていること。
以上の2点が成立している社会―商品生産社会を構成する基本要件―が成立していなければなりません。
このような特殊歴史的社会の認識のうえにたって、「商品の物神性」の解明が行なわれているのです。
具体的に『資本論』では、次のように説明されています。
第3節価値形態の発展(B総体的または拡大せる価値形態)
(亜麻布)価値は、②の生産物交換が反復継続的に行われることによって、
「一商品、例えば、亜麻布は、いまでは商品世界の無数の他の成素に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物〔Gallert
ガラート〕として現われる。」
「いまや亜麻布は、その価値形態によって、もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、商品世界と社会関係に立っているのである。それは、商品としてこの世界の市民〔Bürger dieser Welt〕なのである。」
また、第4節商品の物神的性格(*注32)では、 商品生産社会の歴史的特徴に関して、①生産物交換者同士の社会が形成され、労働生産物の価値関係が成立します。
「労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式のもっとも抽象的な、だがまたもっとも一般的な形態であって、この生産様式は、これによって〔論理的に〕社会的生産の特別なる種として特徴づけられ、したがって同時に歴史的に特徴づけられているのである。」
上記の前提条件を踏まえながら、「商品の物神性」の内容 【(1)から(5)】 が語られてゆきます。
(1) 「商品形態とそれが表われる労働諸生産物の価値関係とは、・・・人間にたいして物の関係の幻影的形態をとるのは、人間自身の特定の社会関係であるにすぎない。したがって、類似性を見出すためには、われわれは宗教的世界の夢幻境にのがれなければならない。ここでは人間の頭脳の諸生産物が、それ自身の生命を与えられて、相互の間でまた人間との間で相関係する独立の姿に見えるのである。私は、これを物神礼拝と名づける。」
(2) 「それは、労働生産物が商品として生産されるようになるとただちに、労働生産物に付着するものであって、したがって、商品生産から分離しえないものである。商品世界のこの物神的性格は、先に述べた分析〔第3節価値形態の等価形態〕がすでに示したように、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる。」
(3) 「価値のひたいの上には、それが何であるかといことは書かれていない。価値は、むしろあらゆる労働生産物を、社会的の象形文字に転化するのである。後になって、人間は、彼ら自身の社会的生産物の秘密を探るために、この象形文字を解こうと試みる。なぜかというに、使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物であるからである。」
(4) 「労働生産物が価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという、後の科学的発見は人類の発展史上に時期を画するものである。しかし、決して労働の社会的性格の対象的外観を追い払うものではない。」
(5) 「この特別なる生産形態、すなわち、商品生産にたいしてのみ行われているもの、すなわち、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格が、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとるということは、かの発見以前においても以後においても、商品生産の諸関係の中に囚われているものにとっては、あたかも空気をその成素に科学的に分解するということが、物理学的物体形態としての空気形態を存続せしめるのを妨げぬのと同じように、終局的なものに見えるのである。」
以上の説明に現われる「社会的」を短く要約すると、
(1) 労働諸生産物の価値関係とは、人間自身の特定の社会関係である。
(2) 商品世界のこの物神的性格は、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる。
(3) 価値は、あらゆる労働生産物を社会的の象形文字に転化する。
(3) 使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物である。
(4) 労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという労働の社会的性格の対象的外観
(5) 商品生産の、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格は、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとる。
このように要約されます。
商品を生産する労働の「社会関係」あるいは「社会的性格」
すなわち、「商品の物神性」を厳密に、明白に規定するためには、「社会関係」または「社会的性格」の概念を規定する作業と同時並行して行うべき事柄であることを示しています。
したがって、商品を生産する労働の「社会関係」あるいは「社会的性格」について詳しくみると、上記の「商品の物神性」の内容(1)から(5)について、「価値」概念にあたる文脈と「労働」の社会的規定にあたる文脈の 二つに区分してされていることが分かります。これを個別詳細に検討してみましょう。
A 「価値」概念について
(1) 労働諸生産物の価値関係とは、人間自身の特定の社会関係である。
(3) 価値は、あらゆる労働生産物を社会的の象形文字に転化する。
(3) 使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物である。
(4) 労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという労働の〔価値規定が形成される〕 社会的性格の対象的外観 〔が成立する。〕
このようにして、「価値」概念の内容は、「労働の社会関係」を示す、「一定のあり方」を表現していることが明白となります。そして、次に「労働」の社会的規定では、
B 「労働」の社会的・対象的表現形式
(2) 商品世界のこの物神的性格〔価値関係に見られる等価形態〕は、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる。
(4) 労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという労働の〔価値規定が形成される〕 社会的性格の対象的外観 〔が成立する。〕
(5) 商品生産の、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格は、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとる。
したがって、B「労働」の表現形式は、「労働」側から見た場合の、労働生産物の「価値」規定であることが理解できます。そして、A「価値」概念の記述内容は、「価値」の側から見た「労働の社会関係」を規定しています。
すなわち、問題は次のように整理できます。
商品生産を巡る「社会関係」として
<1>労働生産物は価値関係(商品世界で形成される価値の社会関係)を形成する
<2>「価値」概念は、人間労働の等一性の物的形態を形成し、交換価値として現象する
こうして、私たちは、私的労働の「社会関係<1>」と「社会的性質<2>」について言葉の意味内容を厳密に「価値概念」として検討する段階に達することが可能となりました。
150年前、マルクスの時代にあっては、「商品の物神的性格」として宗教的世界の「物神性」が語られてきました。
「ここでは人間の脳髄の諸生産物が、それ自身の生命を与えられて、相互の間で相関係する独立の姿に見えるのである。商品世界においても、商品の手の生産物がそのとおりに見えるのである。私は、これを物神礼拝〔Fetischismus:フェティシズム、物神崇拝〕と名づける。」
さらに、この「物神性」の「社会関係」は、
(一) 「彼ら〔生産物交換者〕自身の社会的運動は彼らにとっては、物の運動の形態をとり、交換者はこの運動を規制するのではなくして、その運動に規制される。相互に独立して営まれるが、社会的分業の自然発生的構成分子として、あらゆる面において相互に依存している私的労働が、継続的にその社会的に一定の割合をなしている量に整約されるのは、私的労働の生産物の偶然的で、つねに動揺せる交換諸関係において、その生産に社会的に必要なる労働時間が、規制的な自然法則として強力的に貫かれること、あたかも家が人の頭上に崩れかかるばあいにおける重力の法則のようなものであるからであるが、このことを、経験そのものの中から科学的洞察が成長してきて看破するに至るには、その前に完全に発達した商品生産が必要とされるのである。」
(二) 「労働時間によって価値の大いさが規定されるということは、したがって、相対的商品価値の現象的運動のもとにかくされた秘密〔商品の物神的性格とその秘密〕である。その発見は、労働生産物の価値の大いさが、単なる偶然的な規定であるという外観をのぞくが、しかし、少しもその事物的な形態・形式をなくするものではない。」
*すなわち、商品形式ということは、商品の価格変動として現われるという「表示形式」はなくならないこと。
(三) 「労働生産物に商品の刻印を捺し、したがって、商品流通の前提となっている形態が、すでに社会生活の自然形態の固定性をもつようになってはじめて、人間は、彼らがむしろ不変であると考えている、このような諸形態の歴史的性質についてでなく、それらの形態の内包しているものについて、考察をめぐらすようになる。
このようにして、価値の大いさの規定に導いたのは、商品が共同してなす貨幣表現にほかならなかったのである。
ところが、私的労働の社会的性格を、したがって私的労働者の社会的諸関係を明白にするかわりに、実際上蔽いかぶせてしまうのも、まさに商品世界のこの完成した形態―貨幣形態―である。」
したがって、「商品の物神性」は、次のように集約的に整理することになります。
① 労働生産物は価値関係を形成する
② 「価値」は、人間労働の等一性の物的形態を形成し、交換価値として現象する
③ 交換価値は、社会的分業の自然発生的構成分子として、社会的必要労働時間の規制的な自然法則として働く
④ 交換価値として現象する「価値」は、価値形態の完成である貨幣形態となる。
⑤ 私的労働生産物は、貨幣表現(価格表示)による交換価値が表示され、商品が担っている
物〔Sache:事物的存在、すなわち社会的存在としての事物〕としての価値表示機能が完成される。
⑥ これら一連の過程(①~⑤)を通じて、私的生産者(個別生産者)の社会的諸関係は、物(労働生産物)と 貨幣(価格表示される通貨)の間の「経済関係の商品世界」として構築される(現象する)ことになる。
以上で、「商品の物神的性格とその秘密」の説明を終了します。
つぎに、「心の進化と脳科学」の観点から、私的労働と商品生産に伴う「社会関係」を考察しましょう。
・・・・・・
本日のもう一つの中心テーマは、「心の進化と脳科学」です。
『資本論』の特有な世界である、「商品の物神性」を脳科学の「社会性」の観点から検討してみよう、という趣旨です。
「社会」という言葉は、日常的に使用されていますが、その意味内容は非常に広範囲にわたっています。万人に通じる言語でありながら、いざ内容を説明するとなると、非常に苦労したり、なんとなく互いの理解が違ったりしています。
昔は学校教育で「社会科」がありましたが、昨今ではその姿をみることはありません。本来身近なはずの「社会」が書物や文献資料の中でしかお会いできない状況です。社会の成立と言葉の成り立ちなど社会概念が形成されたそもそもの源流から始めないと、お互いのコミュニケーションが難しくなる現代的な問題群があります。 ― 実は、この難しさの最大の理由は、歴史上はじめて社会構成体から解放された私たち・「自由な」労働者集団が成立したことによります。「自由な」労働者集団は、ホモ・サピエンスの進化史上(人類史上)はじめての歴史的な存在集団です。私たちの社会が「労働者集団から構成されている」という、自己認識が成立する基盤そのものの理解が難しいのです
現代の都会生活で暮らしを生計している人々は、基本的に居住地の地域社会での就業から分離した営みの中で生活しています。人類社会が成立した旧石器時代以来の生業に基づく「社会関係」のあり方と全く違った社会関係の中で、(従来の人間関係が形成されてきた生存形式のままで、)新しい地域社会で暮らしています。
都会生活者の集団が形成している「社会関係」は、人類史上特異な「社会構造」をもった関係が形成されていますので、日常的に語られている「社会についての常識や知識」は、実際には都会生活者の生活実感とズレが生じています。
私たちの生活感覚から、かけ離れたものとして「社会関係」が存在し、別のモノとして成立しているのです。すなわち「社会」が、日常生活からかけ離れた“別世界”のように意識され、認識されているのです。今日の議論の課題は、私たちの実感からかけ離れている「社会関係」について、お互いにどのように理解されているのか・・・、皆さんと一緒に探求すべきテーマとして考えてゆきましょう、という問題提議です。
そのための「社会関係」を素材として、最近の「脳科学」を報告いたします。
私たちの記憶や認識、理解の仕方に関する「心と脳」の研究は、目覚ましいものがあります。今世紀に入って特徴的なことは、脳科学が目指している対象分野の拡がりがあります。伝統的自然科学であった生物学や心理学はもとより化学、数学、言語学、哲学さらに情報科学の世界に広がっています。まさに自然科学から人文・社会科学を含めた総合科学が形成され、発展しています。
この多様に広がる領域にあって、重要な事は、重なり合い共通する分野での「用語」や「言葉」の確定作業の問題です。従来の専門用語の継承・発展はもとより、進化してゆく研究成果が取り込まれた、新しい概念が構築されています。この影響は、専門分野の領域にとどまらず、私たちの日常生活や社会全般に幅広くゆきわたっています。理由は、極めてシンプルで簡単です。私たちの思考と言語を左右する「心と脳」を科学する分野であり、日々の暮らしと科学が緊密に結びついた世界に私たちが置かれているということです。
すでに深刻な問題も発生しています。あらたに発見された、例えば遺伝子治療や遺伝子組み換えなど、私たち人類の将来に大きな影響を及ぼしてきます。期待される難病への解決と同時に未知の領域として将来への不安と向き合う時代となりました。脳科学でいえば、DNAと記憶細胞の脳への移植手術や人口知能の脳への注入が原理的に可能です。アルツハイマー病の治療に見られるように、医療技術の進歩によって一定の刺激要因を系統的に「脳と心」へ植え込んでゆく技術もすでに実験段階から応用段階へと進んでいます。近い将来、人工知能の人間への適用が始まるかもしれません。
日常的に使われる共通言語と「脳科学」が構築する科学技術の融合を避けて通ることが出来ないようです。こうした問題意識を持ちながら、「社会性」をキーワードとした「心と脳科学」の世界を概観してゆきましょう。
議事進行役の小川:
長時間の報告、ありがとうございました。本題に入る前に、休憩を取りたいと思います。
その間に、付属資料を配布いたしますので時間のある方はどうぞご覧ください。
付属資料Ⅰ: テキスト『心を生んだ脳の38億年』 抄録
付属資料Ⅱ: <コラム.4>「ヒトの進化と言語獲得の背景」 長谷川眞理子著 抄録・要約