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文献資料 : ラヴォアジェ その1

 資本論ワールド編集部
 

 
化学方程式とラヴォワジェの化学革命 その1


 
Ⅱ. 化学革命 W.H.ブロック 著 『化学の歴史』Ⅰ 朝倉書店 2003年発行
  3. 化学原論 3.3 化学革命



  
 化学方程式とラヴォワジェの化学革命 その2
科学言語と命名法・化学方程式



 A:  
ラヴォワジェの化学革命

  
1.  『化学命名法』 (1787年)

  18世紀末以前に書かれた錬金術文献や化学文献は、共通の化学用語がないため非常に読みにくい。ギ  リシヤ語、ヘブライ語、アラビア語、ラテン語が入り混じり、物質や化学操作を呼ぶのに比喩が多様され、加えて、一つの物質が製法の違いによって違う名前で呼ばれることもあった。…
また、匂い、味、硬さ、結晶の形、色、性質、用途などによっても命名された。このような名前のいくつかは、慣用名として残っている (有機化学では、体系的命名法による名前が発音するには長すぎるので、これらの慣用名が20世紀になって再び使われるようになった)。1787年にラヴォアジエたちは、物質の組成だけに基づいた体系的命名法をつくろうと決めた。組成に関する理論として酸素の体系が採用されたので、ラヴォアジエの提案は当初フロギストン主義者の抵抗にあった。新命名法を採用することは新化学に組することだったからである。



  リッネ命名法からの示唆によって、1782年ギトンは、化学の用語は次の3原則に基づくべきであることを  提唱した。①一つの物質の名前は一つに固定する。 ②名前は、組成が明らかな場合はそれを反映していなければならない(組成が不明の場合は命名しない)。 ③一般に、ギリシヤ・ラテン語の語根から選ぶが、フランス語としても違和感がないようにしなければならない。
1787年にギトンは、ラヴォアジエ、ベルトレ、フルクロアとともに300ページの『化学命名法』を刊行した。この英訳と独訳は1年後に出ている。この本の3分の1は辞書で、古い名前から新しい名前を引けるようになっている。たとえば、「礬油(ばんゆ)」は「硫酸」、その塩である「礬」は「硫酸塩」となる。また、「亜鉛華」は「酸化亜鉛」である。

 この命名法におけるもっとも重要な仮定は、分解できない物質を単体(つまり元素)とし、それらの名前を命名法全体の基礎に据えたということだろう。たとえば、元素である酸素と硫黄が結合すれば、結合した酸素の量に応じて亜硫酸、または硫酸になる。・‥
 18世紀を通じて何人かの化学者は、化学の定量化と数学化に力を注いだ。しかし、ほとんどの化学者は、化学は数学的に扱えるほど進歩していないというマケールの見解に同意していた。マケールは、物体の重量が化学的性質や反応に関係すること(後に正しいことが明らかになる)を確信していたにもかかわらず、親和力を重視していたため、この見通しに希望がないと考えるようになった。そのような状況にもかかわらず、哲学者コンディヤックの著作から刺激を受けたラヴォアジエは代数学こそが科学的表現のめざすべき言語であると熱烈に信じていた。



 “われわれは言葉という媒体を通してのみ思考することができる。言語は、真の分析的方法を体現したものである。あらゆる種類の表現においてこの目的に利用される代数学は、最も簡潔にして、最も正確な最良の方法であり、一つの言語であると同時に分析的方法を表したものでもある。合理的な推論の方法とは、適切に配列された言語に他ならない。”

 “金属の溶解の際に生じた結果が一目でわかるようにと、代数方程式に相当する式を初めて使った。しかし、この式が表す対象も、この式を導く原理も数学とは異なっている。化学は、数学的厳密さを達成するには程遠い状況にある。それゆえ、この式は、思考を容易にするために用いた簡明な表記方法にすぎないことをご了解願いたい。”


 重要なことは、ラヴォアジエの使った記号が組成と量を表していることである。等号こそ使われていないものの、ラヴォアジエは事実上、化学方程式の考えに思いいたったのである。後でみるように、ベルセーリウスの記号が1830年代に普及すると、化学者たちはすぐさま化学反応を表すのに方程式を使いはじめた。・‥中略…

 
2.  ラヴォアジエの「化学革命」と 『化学原論』

  〔ラヴォアジェ著『化学のはじめ』(古典化学シリーズ4. 田中豊助、原田紀子共訳 内田老鶴圃新社)のフランス語は「 TRAITE 
ÉLÉMENTAIRE DE CHIMIE, : 化学の“基礎原理を扱う”概論」となっています。『化学原論』〕

 ラヴォアジエは『化学原論』の冒頭部分で、化学それ自体の革新を迫る化学用語の革新が自分の意図であったかのように述べているが、実際には、化学の革新をなしたがために組成に関する新しい用語が必要になったことは明らかである。歴史家が強調するように、この新命名法はラヴォアジエの理論体系そのものなのである。ラヴォアジエは、新命名法の採用をコンディヤックの経験哲学の言葉を借りて正当化した。 正確な観察に基づき、既知のものと未知のものとを等式でつなぐという代数学的方法によって合理的に構成された用語は、分析・総合の手段として使えるというのである。…
 ダーウィンの『種の起原』と同様に、ラヴォアジエの『イヒ学原論』も大急ぎで書きあげられた要約、あるいは序論である。…しかし、これは化学革命の終着点ではなかった。その完了には、ラヴォアジエの元素がボイル、ニュートン以来の粒子論の伝統と結びつけられる必要があった。これに貢献した人物こそ、ジョン・ドルトンである。



 
3.  「化学革命」の本質的な特徴

 「化学革命」の本質的な特徴と考えられてきたことを合理的に再構成してみると、必要かつ十分条件として以下の6点が注目される。第一に、空気という元素が化学反応に関与していることが認識される必要があった。これを初めて明確にしたのは、1727年のヘイルズであり、フランスではルエルとヴネルがこれを受け入れた。ヘイルズは、固体によって空気が固定される現象をニュートン主義的粒子論の引力・斥力で説明しようとしたが、状態変化については十分説明できなかった。第二に、空気は元素であるという信念が捨てられねばならなかった。この点では、イギリスの気体化学者が重要な貢献を行った。マグネシア・アルバから遊離した「固定空気」が通常の空気とは異なった性質をもつことは、1754年にブラックが証明した。それ以来、ラザフォード、キャヴェンディシュ、プリーストリらの研究を通じて、通常の空気とは性質も密度も異なる20種以上もの「人工空気」がつくりだされ、研究されるようになった。このような研究が可能になったのは、ヘイルズが気体洗浄器、つまり気体桶を考案したからである。この装置は、伝統的な「錬金術師の」炉と蒸留器頭部を改良したもので、これ以降の化学研究できわめて役に立った。人工空気は、含まれているフロギストンの量に応じて変化した空気にすぎないのか、それとも、気体状態にある別々の化学種なのか、あるいは、固体・液体物質の粒子が膨張したものなのか、この問題は、ラヴォアジェが気体状態に関するモデルを発展させることによって解決された。

 この気体概念が、化学を再構築するための三番目の必要条件である。気体状態とは、熱ないしはカロリックによって固体や気体が膨張した状態であるとラヴォアジェが考えたことによって、化学は物理学にいっそう近き、その結果、熱の運動論が採用されたり、化学熱力学の発展が可能になったのである。天秤皿は試金家や薬剤師にとってはいつも基本的な道具だった。一方、錬金術的な変成に反対し、化学とは分析と合成の技術であるとする立場をとっていた化学者たちは、質量・物質の保存を暗黙のうちに認めていた。ところが、気体状態の化学というまったく新しい領域が加わったために、化学分析の結果をバランスシートに記載する際には気体状態も考慮しなければならなくなった。これが四番目の必要条件である。このような状況において、空気中でカ焼された金属の質量が増加することを1771年にギトンが決定的に証明したとき、フロギストン主義者たちは難題を突きつけられることになった。ヘンリ・ゲラックなどの多くの歴史家は、これこそが化学革命遂行にとって「決定的な条件」であり、これがラヴォアジエを栄光へ導いたとみなした。

 主として教育上の理由から、幾世代にもわたる歴史家・化学教師・科学哲学者たちは、化学革命を燃焼理論の対立、つまりフロギストン説対酸素説という枠で解釈してきた。ラヴォアジエ化学を文字どおり反フロギストン化学とみなしてきた歴史家たちも、最近では、燃焼以外の現象にもいっそう広範な関心を払うようになった。特に今日明確になっていることは、酸性の理解がラヴォアジエおよびフロギストン主義者にとって主要な問題だったことである。気体の概念を受け入れた後、ラヴォアジエが酸素に導かれたのは、燃焼ではなく酸性の問題によってだったといえる。これは酸素という名前からして明らかである。この酸性観念の変容が新化学誕生の五番目の要素である。
 最後ではあるが重要性についてはいささかも劣らない六番目の必要条件は、化学物質の組成・分類に関する新埋論である。まず、元素がそれ以上単純な物質に分解されない物質として操作的に定義され、これらの元素と酸素から酸と塩基が組み立てられる。次いで、酸素が接着剤ないしは結び紐の役割を果たすことによって酸と塩基が二元論的に結合し、塩が生じる。この塩が集まり、まだ解明されていない方法で鉱物をつくるという説である。このことをいっそう明確にし、フロギストン主義の思考法との混同を避けるために新しい用語が必要とされた。つまり、物質の組成を反映し、その物質が何からできているかを直截に表現している名前である。

 ラヴォアジエは『イヒ学原論』の冒頭部分で、化学それ自体の革新を迫る化学用語の革新が自分の意図であったかのように述べているが、実際には、化学の革新をなしたがために組成に関する新しい用語が必要になったことは明らかである。歴史家が強調するように、この新命名法はラヴォアジエの理論体系そのものなのである。ラヴォアジエは、新命名法の採用をコンディヤックの経験哲学の言葉を借りて正当化した。正確な観察に基づき、既知のものと未知のものとを等式でつなぐという代数学的方法によって合理的に構成された用語は、分析・総合の手段として使えるというのである。
  ・・・以上で、3.3 化学革命、終わり・・・
  化学方程式とラヴォワジェの化学革命 その2