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 文献資料

  アダム・スミスの分業論と貨幣論

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アダム・スミスの社会的分業

 
 『諸国民の富の性質と諸原因に関する一研究』

  序論と本書の構想

 「あらゆる国民の年々の労働は、その国民が年々に消費するいっさいの生活必需品や便益品を本源的に供給する元本ファンドであって、これらの必需品や便益品は、つねにこの労働の直接の生産物か、またはこの生産部で他の諸国民から購買されるものかのいずれかである。・・・労働の生産諸力におけるこの改善の諸原因と、またその生産物が社会のさまざまの階級や境遇の人々のあいだに自然に分配される秩序とは、本研究の第1編の主題である。」



第1編 労働の生産諸力における改善の諸原因について、また、その生産物が人民のさまざまの階級のあいだに自然に分配される秩序について

 
第1章 分業について

 「労働の生産諸力における最大の改善と、またそれをあらゆる方面にふりむけたり、充用したりするばあいの熟練、技巧および判断の大部分とは、分業.の結果であったように思われる。 社会全般の仕事におよぼす分業の効果は、いくつかの特定の製造業でそれがどのようにおこなわれているかを考察すれば、よりたやすく理解されるであろう。・・・
それゆえ、一例として、ピン製造業者の職業をとってみるばあい、一職人は、最大限に精だしても、おそらく1日に1本のピンをつくることさえまずできないであろうし、20本をつくることなどはもちろんできないであろう。

 ところが、この仕事が現在営まれている方法によると、全作業が一つの独自の職業であるばかりではなく、 それはいくつもの部門に分割されており、しかもその諸部門の大部分もまた同じように独自の職業なのである 。一人の男は針金をひき伸ばし、もう一人はこれをまっすぐにし、第三の者はこれを切り、第四のものはこれをとがらせ、第五は頭部をつけるためにその先端をとぎみがく・・・約18の別個の作業に分割されているのであって、・・・それゆえ、これらの10人は、みなで一日に4万8千本以上のピンを製造できたわけである。

 分業は、それが導入されうるかぎり、あらゆる技術における、労働の生産諸力を比例的に増進させる。さまざまの職業や仕事がたがいに分化するのもこの利益の結果として生じたもののように思われる。そのうえこの分化は、一般に最高度の産業と文明とを享受している国でもっともすすんでいるのであって、社会の未開状態での一人の作業は、文明社会では一般に数人の作業からなるからである。・・・」

 「とはいえ、機械類についての改善の全部が、機械の使用を必要とした人々の発明だったわけではない。多くの改善は、機械の製作が一つの独自の職業の仕事になったときに、機械製作者たちの創意によってなされたものであり、またいくつかの改善は、なにごともせずに、あらゆる事物を観察することを職業とし、したがってまた、もっとも遠距離にある異質の諸対象の力をしばしば結合しうる哲学者または思索家とよばれる人々によってなされたものなのである。
 社会の進歩につれて、哲学や思索は、あらゆる他の仕事と同じように、市民の特定階級の主要または唯一の生業となり、また職業ともなる。」

 
第2章 分業をひきおこす原理について

 「これほど多くの利益がひきだされるこの分業というものは、本来、それがひきおこす一般的富裕を予見したり、意図したりする人間の英知の所産ではない。それは、このように広範な効用にまったく無頓着な、人間の本性のなかにある一定の性向、つまりあるものを他のものと取引し、交易し、交換するという性向の、ひじょうに緩慢で漸進的ではあるが必然的な帰結なのである。・・・
 かれのそのときどきの欲望の大部分は、他の人々のばあいと同じように、つまり話しあいにより、交易により、また購買によって充足される。すなわち、かれはある人がくれた貨幣で食物を買う。また、かれは別の人がめぐんでくれた古着をもっとよく体にあう他の古着と交換したりあるいは宿所または食料、もしくは貨幣と交換し、そしてこの貨幣で、必要に応じて食料、衣服または宿所のいずれかを買うことができるのである。」



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第3章 貨幣の起源について

 「いったん分業が徹底して確立されると、ある一人の人間が自分自身の労働生産物によって充足しうるところは、そのもろもろの欲望のなかのごく小さな部分にすぎない。彼は、自分自身の労働生産物の余剰部分のなかで、自分自身の消費をこえてあまりあるものを、他の人々の労働生産物のなかで、自分が必要とする部分と交換することにより、そのもろもろの欲望の圧倒的大部分を充足する。こうして、あらゆる人は交換によって生活し、つまりある程度商人になり、また社会そのものも、適切にいえば一つの商業社会に成長するのである。

 けれども、分業が最初に発生しはじめたときには、この交換力はしばしばその活動をはなはだしく妨害されたり、ゆきづまされたりしたにちがいない。ある人はある一定の商品を自分自身が必要とする以上に所有しているのに、別の人はそれ以下しか所有していない、と仮定しよう。その結果、前者はこの余剰物の一部分をよろこんで処分するであろうし、後者もそれを購買するであろう。けれども、もしこの後者がたまたま前者の必要とするものを一物も所有していないなら、かれらのあいだにはどのような交換もおこなえぬであろう。・・・

 このような事態の不便を避けるために、分業が最初に確立されてから、社会のあらゆる時代のあらゆる慎慮の人は、自分自身の勤労に特有な生産物のほかに、なにかある商品の一定量、すなわち、たいていの人はそれとかれらの勤労の生産物とを交換するのを拒まないとかれが考えるような、なにかある商品の一定量を、いつでも 自分の手もとにもっているというしかたで、自分が当面する問題を処理しようと当然努力してにちがいない。
 おそらく数多くのさまざまの商品がこの目的のためにつぎつぎと思いつかれ、また使用されもしたことであろう。社会の未開時代には、家畜が商業の共通の用具だったといわれているが、たとえそれがもっとも不便なものだったにちがいないにしても、なおわれわれは、昔の時代には諸物がそれらと交換される家畜頭数によって価値づけられていた、ということを承知している。・・・

 それにもかかわらず、すべての国で、人々は不可抗的な理由から、ついにこの目的のためにあらゆる他の商品に優先して金属類を選ぶことにきめたように思われる。金属類は、他のどの商品とも同じように、わずかな損失で保存できるし、これほど腐敗しにくいものはまずないばかりではなく、全然損失をともなわずに任意の個数の部分に分割することもできれば、熔解によってそれらの部分をたやすく再結合することもできるのであって、こういう性質こそ、同等に耐久的な他のどのような商品にもないものであり、たまこういう性質こそ、他のどのような性質にもまさって、金属類を商業や流通の用具に適したものにするのである。・・

 さまざまの金属がさまざまの国民によってこの目的のために使用されてきた。鉄は古代スパルタ人のあいだでの商業の共通の用具だったし、銅は古代ローマ人のあいだで、また金銀はすべての富んだ商業国民のあいだでそうであった。・・・財貨を購買するのにふつう使用されていたような特定の金属類の一定重量に、公的な刻印を押すことが必要だ、ということがわかってきた。これが鋳貨の起源であり、また造幣局とよばれている官署の起源であって、これらの制度は、毛織物や亜麻布についての毛織物検査官や亜麻布検査官の制度とまさしく同性質のものである。すべてこういう制度は、さまざまの商品が市場にもたらされるばあい、公的な検印によって、その分量と一様な品質とを確認することを期しているのである。」

・・・以上、終わり・・・