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 文献資料 価値形態とヘーゲル


  単純な価値形態の総体-ヘーゲル論理学の「形式化」 




   ヘーゲル小論理学第3節 価値形態 A. B. C. D. の発展

単純な価値形態の総体・簡潔に「歴史的に、論理的に」
  
 ヘーゲル論理学の形式活動と形態化のために
Die Wertform oder der Tauschwert_
4.Das Ganze der einfache Wertform



 『資本論』 第1篇 商品と貨幣 第1章 商品 目次へ 

  第1節 商品の2要素 使用価値と価値
  第2節 商品に表わされた労働の二重性
  第3節 価値形態または交換価値
 A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
  1 価値表現の両極、すなわち相対的価値形態と等価形態 
  2 相対的価値形態
    a 相対的価値形態の内実
    b 相対的価値形態の量的規定性
  3 等価形態
  
4 単純な価値形態の総体


  
単純な価値形態の総体 〔全体〕 
  Das Ganze der
einfache Wertform 

1. ある商品の単純な価値形態 einfache Wertform は、その商品の他の異種商品にたいする価値関係 Wertverhältnis に、またはこの商品との交換関係に含まれている。商品Aの価値は、質的に qualitativ は商品Bの商品Aとの直接的な交換可能性によって表現されている。この価値は量的に quantitativ は、商品Bの一定量が商品Aの一定量と交換されうるということによって、表現されている。他の言葉でいえば、ある商品の価値は、「交換価値"Tauschwert"」として現示されることによって、独立的に表現されている。この章のはじめに、普通に行なわれているように、商品は使用価値であり、また交換価値であるといったのであるが、このことは、正確にいえば誤りであった。商品は使用価値または使用対象であり、また「価値 "Wert"」である。商品は、その価値が、その自然形態 Naturalform とちがった独自の現象形態 Naturalform、すなわち交換価値という現象形態をとるとともに、ただちに本来の性質であるこのような二重性として示される。そして商品は、この形態を、決して孤立して考察するばあいにもっているのでなく、つねに第二の異種の商品にたいする価値関係、または交換関係においてのみ、もっているのである。だが、このことを知ってさえいれば、先の言い方は無害であって、簡略にするに役立つのである。

2. われわれの分析の証明するところによれば、商品の価値形態、またはその価値表現は、商品価値の本性 Natur から出てくるもので、逆に価値や価値の大いさが、交換価値としてのその表現様式から出てくるものではない。だが、このことは、重商学派とフェリエやガニール(22)等のような、その近代の蒸し返し屋たちの妄想であるとともに、またその対立者であるバスティアとその一派のような、近代自由貿易の外交員たちのそれでもある。重商学派は重点を、価値表現の質的側面に、したがって、貨幣として完成された姿になる商品の等価形態に置いている。―これに反して、近代自由貿易外交員たちは、その商品を、どんなにしても売り払わなければならないので、重点を相対的価値形態の量的側面においている。したがって、彼らにとっては商品の価値も価値の大いさも、交換関係を通した表現以外には存しないし、したがってただその日その日の時価表の中だけに存するのである。スコットランド人のマクラウドは、ロンバート・ストリートのもうろうたる観念を、できるだけ博学にめかし立てることを仕事にしているが、迷信的な重商学派と啓蒙された自由貿易外交員との間をうまくまとめている。
 (22) 第2版への注。F・L・A・フェリエ(副関税検察官)、『商業にたいする関係で見た政府の考察』パリ、1805年、およびシャルル・ガニール『経済学体系』第2版、パリ、1821年。

3. 商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を、くわしく考察すると、その内部において、商品Aの自然形態は、ただ使用価値の姿としてのみ、商品Bの自然形態は、ただ価値形態または価値の姿としてのみはたらいていることが明らかになった。それゆえに、商品の中に包みこまれている使眉価値と価値の内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち、二つの商品の関係によって示されている。この関係において、価値が表現されるべき一方の商品は、直接にただ使用価値としてのみ、これにたいして身をもって価値を表現する他方の商品は、直接にただ交換価値としてのみ、働いている。それゆえに、ある商品の単純な価値形態は、この商品に含まれている使用価値と価値との対立の単純な現象形態である。

4.  労働生産物は、どんな社会状態においても使用対象である。しかし、ただある歴史的に規定された発展段階のみが、一つの使用物の生産に支出された労働を、そのものの「対象的」属性として、すなわち、その価値として表わすのであって、この発展段階が、労働生産物を商品に転化するのである。したがって、このことから、商品の単純なる価値形態は、同時に労働生産物の単純なる商品形態であり、したがってまた、商品形態の発展も価値形態の発展と一致するという結果になる。

5. 一見すれば、すぐ単純な価値形態の不充分さがわかる。この形態は、一連の変態をへて、やっと価格形態に成熟してくる萌芽形態なのである。

6. なんらかの一商品Bにおける表現は、商品Aの価値を、ただそれ自身の使用価値から区別するのみであって、したがって、この商品を、ただそれ自身とちがった個々の商品種の何かにたいする交換関係に置くのみであって、他の一切の商品との質的等一性と量的比率とを示すものではないのである。ある商品の単純なる相対的価値形態には、他の一商品の個々の等価形態 〔Äquivalentform 当量形式。: Cf. chemisches Äquivalent 化学当量。〕が対応している。だから、上衣は亜麻布の相対的価値表現においては、この個々の商品種たる亜麻布と関連して、等価形態、または直接的交換可能性の形態を有するのみである*。
 
   〔*編集部注:「元素と周期律・表」を参照〕

7. だが、個々の価値形態はおのずから、より完全な形態に移行する。この単純な形態によっては、一商品Aの価値は、ただ一つの他の種の商品に表現されるのではあるが、この第二の商品が、どんな種類のものか、上衣か、鉄か、小麦その他の何か、というようなことは、全くどうでもよいのである。したがって、この商品がある商品種と価値関係にはいるか、それとも他の商品種と価値関係にはいるかによって、それぞれ同一商品のちがった単純な価値表現が成立する(22a)。それらの可能な価値表現の数は、ただそれぞれちがった商品種の数によって制限されるのみである。したがって、その商品の個別的な価値表現は、そのそれぞれちがった単純な価値表現の、いくらでも延長されうる列に転化されるのである*。

 〔*編集部注:したがって、価値表現の形式である x量商品A=y量商品B は、「価値等式」が誤りで、「価値方程式」と理解しなければならない。
→「価値方程式の源流」参照〕

  (22a) 第2版への注。例えば、ホメロスにあっては、一物の価値は、それぞれちがった物の列として表現されている。