ホーム |
★2016年 2月創刊
ヘーゲル 有機的な自然学
『エンチユクロペディ』 第2篇 自然哲学
第3部 有機的な自然学
337節
物体の実在的な統合が無限な過程として成り立つ場合には、個体性は、
自分を特殊性すなわち有限性へと自分を規定しはする。同時にまたこの有限性を否定して自分自身の
うちに帰り、過程の終わりで自分をふたたび始めの状態へと復活させる。したがって、このような統合は
、自然が示す最初の観念性への高揚である。しかしこの統合はすでに、満たされた統合であり、本質的に
、自分自身へと関係する否定的な統一として、自己としての主体的な統合である。したがって理念は、す
でに現存へと到達している。まず差し当っては直接的な現存に到達している。すなわち、生命に到達して
いる。
A 生命は、形態すなわち生命の普遍的な形姿としては、地質学的な有機体である。
B 生命は、特殊な形式的な主体性としては、植物的な有機体である。
C 生命は、個別的な具体的な主体性としては、動物的な有機体である。
動物的な有機体がはじめて、形態化の区別の中で展開される。これらの区別されたものは、
本質的にただその有機体の肢体としてだけ現存する。またこのことによって有機体は、
主体として存在する。生命力は、自然の生命力としては、不特定の多数の生きたものへ分裂している。
これらの生きたものは、それ自身の側で主体的な有機体である。これら生きたものが一つの生命、
一つの有機的な生命体系であるのは、ただ理念のうちでのみである。
A 地質的な自然
338 最初の有機体は、それが差し当って、直接的な有機体、すなわち、自体的に存在する有機体として
規 定されている以上は、生c命あるものとして現存するのではない。生命は、主体であり過程であるから、
本質上、自己を自己自身と媒介する活動なのである。主体的な生命から見れば、特殊化の最初の契機は、
自己を自己自身の前提とすることであり、こうした自己自身への直接性という様態を与え、この様態のな かで、
自己にとっての条件たるものを、外面的な存在として自己に対抗させることである。・・・
これが 、個体的な物体の普遍的な体系としての地球という物体である。
B 植物的な自然
343節
有機体をして個別的なものたらしめる主体性は、客観的な有機体へと、すなわち、形態へと発展する。
形態とは、相互に区別されている部分へ分節する肉体である。植物において は、すなわち、
ようやく直接的な主体性であるにすぎない生命力においては、客観的な有機体とその主体 性とは、
まだ直接的に同一であって、そのため、植物的な主体が行なう分肢の形成と自己保存は、自己の
外へ出ることによって様々な個体へ分裂することであり、これらの個体を総合する単一な個体は、
これら の個体にたいしてはむしろ、分肢の主体的な統一としての基礎にすぎない。・・・・
345節
しかし植物は、有機的なものである以上はやはり、抽象的な形成物(細胞、繊維等々)と具体的な
形 成物とに分かれ、これらは互いに区別されるのであるが、しかしこれらの根源的な同質性は、依然として
そのままである。植物はまだ個体性から主体性へと解放せられていないために、その形態はやはり、
幾何 学的な形式と結晶的な規則性とに近い段階にとどまっており、その過程の所産となると、これは、
化学的 な所産にいっそう近づいている。
ゲーテの説く植物のメタモルフォーゼ変態は、植物の本性に関する理性的な思想の端緒をなすものであ った。
346節
生命力である過程は、単一な過程でありながら、同時に、3種の過程へ分離する。
(a)形成〔形態化〕過程、すなわち、植物が自己自身へ関係する内面的な過程は、植物的なものはその
本性が単純であるために、それ自身ただちに、外部へ関係することと外化とである。この過程は、一方では、
実体的な過程、すなわち、直接的な転化であって、この転化は、まず、補給された栄養を、植物という種類に
特有の本性に転化することであり、つぎに、内部で同化された液(乳液)を様々な形成物へ転化 することである。
C 動物的な有機体
350節
有機的な個体性は、主体性として現存する。ただしそれは、形態の固有の外面性が分肢へと
観念化せられ、有機体が、外へ向かうその過程において、自己的な統一を自己のうちに獲得するかぎりにおいて
で ある。これが、動物の本性であって、動物の本性は、直接的な個別性の現実性と外面性のなかにありなが ら、
同時にこれに対抗して、個別性の自己が自己のうちへ反照したもの、すなわち、自己のうちに存在する
主体的な普遍性なのである。
352節
動物的な有機体は、いける普遍性であるから、概念である。概念は、推論として、概念の三つの規定を
経過するのであるが、これらの推論は、いずれもそれ自体、実体的な統一性を持った同一の統体性であり、
同時にまた、形式規定のうえから見れば、他の推論への移行である。したがって、
現存するものとしての統体性は、この過程の成果として生ずるのであって、生命あるものは、このように自己を
再生産するものとしてのみ、存在し、自己を保持するのであって、存在するものとしてではない。
生命あるものは、自己を自己が現在あるところのものたらしめることによってのみ、存在するものである。
有機体を考察する場合は、
(a) 個体的な理念として、すなわち、その過程において自己自身との関わり、自己自身の内部におい
て自己を自己と連結する個体的な理念として― これが形態である ― つぎに
(b) 己の他者と、すなわち、己れの非有機的な自然と、関わり、この自然を観念的に自己自身のうち
へ措定する理念として ― これが同化である。― 考察しなければならない。
(c) 有機体はまた、理念、ただしそれ自身生ける個体である他者と関わり、したがって、他者におい
て自己自身と関わる理念、である。― これが類の過程である。
a 形 態 : Die Gestalt
353節
形態 Gestalt とは、単に自己自身にのみ関係する総体としての動物的な主体である。
このような主体は、概念とその発展した、したがって、いまやその主体のなかに現存している規定とを、
主体そのものに即してあらわしている。
356節
形態は、生命あるものとしては、本質的に過程であるが、ただしそれは、かかるものとしては、
抽象的な過程、すなわち、自己自身の内部における形成〔形態化〕過程であって、
有機体は、この過程のなかで、己れ自身の分肢を非有機的な自然、すなわち、手段と化し、自分自身を
糧とすることによって、自己を、すなわち、分節するこの統体性そのものを生み出すのである。
お問い合わせは、『資本論』ワールド編集委員会 メール宛て