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 <コラム26> 機械論自然学の西洋史


    
~ カーニィ 『科学革命の時代』 から「デカルト革命」序論 ~


ド・ブロスとフェティシズム 2019.07


 
 
 第1部 カーニィ 『科学革命の時代』

  Ⅲ. デカルトと機械論の展開 -(「デカルト革命」序論)


 アシモス科学史「生物学の誕生と化学

1. 17世紀の機械論者全体の中で、ルネ・デカルト(1596-1650)は、もっとも影響力のあった人物であった。その理由は簡単で、彼が自叙伝形式で書いた『方法叙説』にある。それは明確に論証されるべき命題を扱った短い論文であった。この『叙説』は、文学的な優美さ、人間的関心、哲学的明晰さを、プラトンの『対話』以後ヨーロッパでは見られなかった形式にまとめあげたものであった。
 そして、通俗的な影響の面でも、ガリレオの『星界の報告』を除けば、これに匹敵するものはなかった。デカルトは新しく出現した階層、哲学に関心を持つ紳士や医師、法律家たちに訴えた。これらの階層は、この世紀の間に聖職者にとってかわってその地位を高めた。彼の仲間の機械論者、メルセンヌは、依然として中世からの聖職の伝統に属していた。デカルトはそれと対照的に、18世紀の「哲学者」を待ち望んでいた。


2.
 それかかわらず、デカルトは、メルセンヌと多くの共通点を持っていた。彼の『方法叙説』は、後に彼が書いたものと同様に、哲学的な目的と同時に宗教的な目的も持っていた。デカルトは、懐疑論の父であったかもしれない。しかし、彼自身の子供のゆくすえを認識している賢い父である。デカルトが目的としたことは、懐疑論を論破することであった。彼の哲学原理の四つの要点は、スコラ哲学よりもしっかりした構造をつくりあげるための基盤を明確にしようと意図したものであった。彼の有名なことば「 cogito ergo sum 」(「我思う、ゆえに我有り」)は宗教的な格言であった。思考は精神に固有な活動であった。それは機械論的宇宙における精神的活動であり、それゆえに、精神の存在を認めない懐疑論者たちに対する解答であった。実際、デカルトを、すべての知識の綜合をはかり、キリスト教に改革をもたらして、すべてを新たに学ぶように指導した第二のアクイナス〔Thomas Aquinas トマス・アクィナス (1225-1274)〕とよんでも、デカルトの不当評価にならないであろう。

3. デカルトは、彼の神の概念において、愛や善よりもむしろ力や真実を強調した。彼は、神をアルキメデス的な立場から、『哲学原理』の以下の一節が述べているように、巧みな技術者に近い存在とみなした。

 
同一の職人が、二つの時計を作って時刻を同じように正しく示し、外観も同じであるが、歯車の材料だけ違うようにできるように、事物の最高の創造者である神は、意のままになる無限の多様な手段を持っていることは疑いえない。神は、それらのどの手段によっても、人間精神にその手段を気づかれることなく、この世界のすべての事物を、われわれの知っているようなものにすることが可能であろう。


4.
 技術者としての神の概念はまた、デカルトが神の創造した事物を述べる際に使った、機械論的類推の中に含まれている。「機械の法則は……自然の法則と同じである」と彼は言っている。そして彼は、神の存在を論証するのに、機械工との類推を使用している。

 
このことと、機械について考える人間の場合とは同じである。どちらを作りだす場合も、非常な巧妙さが示される。どちらの場合も、どのようにして彼がこの考えに至ったかを尋ぬることができる。たとえば、彼が、どこかで誰か他人の組み立てたそのような機械を見たことがあったかどうか、あるいは、機械学を正しく学んでいたかどうか、あるいは、似たような機械をどこかで見ていなくても、それを自分自身で作りだす能力を生まれつき持っていたのかどうか、という問いができる。それというのも、ただ客観的に、あるいは絵に画いたように、この考えの中に含まれるあらゆる「精巧さ」は、少なくとも最初の主要な原因のなかに存在していなければならないからである。



5. 哲学の歴史において、デカルトは最初の近代的で批判的な思想家としての位置を占めている。科学の歴史においては、彼の重要性は、アリストテレス的原理と、ほとんどすべての点で衝突した科学的体系を、初めてつくりあげた人物であったという事実にある。デカルトは、月から上の世界の法則が、月下の世界の法則と異なるというアリストテレスの基本的仮説を認めなかった。彼の見解では、星や惑星、地球は全く同じ材料から作られていた(「宇宙全体に存在しているのは一つの全く同じ物質である」)。

6. 彼は、自然運動はある目的に向かって起こり、したがって目的論的(目的因)であるというアリストテレスの原理を認めなかった。デカルトにとっては、運動は絶対的な「上方」と「下方」をもった宇宙の内部での場所から場所への移動ではなかった。すなわち、それは単に、「物質のかたまりが、それにふれている物体の近傍から、他の物体の近傍へ移動したこと」であった。これは、アリストテレスが「自然的」運動と「不自然的」運動の区別の根拠としたものを切りすてた。デカルトは、惑星の運動を物質の楕円状の渦巻き運動によって説明し、アリストテレス派の仮説であった惑星物質の円運動と第五元素(天にのみ存在する元素)の性質という第一原理を攻撃した。四元素についてのアリストテレス派の理論のかわりに、デカルトは粒子の理論をあてた。彼は、この基本にそって、粒子を機械論風にあつかって化学変化を説明した。これは、アリストテレス派が強調した質料と物質の形相の不滅を認めなかったことを示している。デカルトの宇宙の主な特徴の一つは、運動にあった。デカルトはこれを、神の作用によってのみ説明できるものであったけれども、公理的なものとみなした。・・・・・


7.
 デカルトの探求法がもっていた弱点は、その世紀のうちに明らかになってきた。彼の演繹論的論証の体系は、すべてのスコラ哲学者と同様に、実験による攻撃にさらされることになった。動物は機械であるという彼の教義は認められるには至らなかった。なかでも、最も重大なものは、彼が天才的な数学者であったのに、彼の惑星運動の理論が数学的証明のできないものであったという点であった。演繹的論証と、機械論的仮説の結びつきは、以下の『哲学原理』からの引用に見られるであろう。ここで、デカルトは、経験的に観察されるものではないけれど、粒子の存在を主張している。

 
私が、あたかもそれらを見たかのように、物体を形成する知覚されない粒子に、定まった形、大きさ、運動をあてはめると、それらが知覚されないことは認めるにしても、それらは何に似ているのか、どうして私が知っているのか、と尋ねる人がいるかもしれない。私の答はこうである。私は精神が、その生まれつきの本性によって、知ることのできる最も単純で最もありふれた原理に基づいて、単に微小のためだけにより知覚されない物体の間に存在する大きさ、形、位置の主な相異の可能性と、それらのさまざまな相互作用により生ずる知覚できる効果について一般に考えた。知覚できる物体の間の似たような効果を観察したとき、私は、それらは知覚されない物体の類似した相互作用から生じていると仮定した。これが、それを説明する唯一の可能な方法であるように思われたときは、なおさらであった。
 そして、
機械について考えることは、私にとって非常に役立った。機械と自然の物体の間にみてとれる唯一の相異は、機械の働きは(その製造が人間によってなされるから)感覚によって容易に知られる程度の大きな装置によって、ほとんどがなされているということである。それに対して、自然の過程は、ほとんどいつも、それらがまったくわれわれの感覚にかからないほど小さな部分に依存している。しかし、機械学は、自然科学の一部あるいは源であり、自然科学にも属さないような概念は使わない。これこれの歯車で組みたてられた時計が、時を告げるのは、まったく「自然」であるのと同様に、これこれの種から育った木が、ある果実をつくるのは自然なことである。そこで、全く同様に、機械を扱ったことのある人間には、機械が何のためにあるのかが理解できるし、その機械の一部を見ることができるならば、見えない部品の製造方法についても容易に推測することができる。同じように私は、知覚できる効果と、知覚できる物体の部分からはじめて、知覚できない原因とそれらの背後に横たわる粒子の存在について調べることを試みた
 ・・・中略・・・


8.
 したがって、デカルトの宇宙は、その絶対的な要素にまで還元された一つの機械であった。デカルトは、ガリレオが斜面をころがり落ちる球でやったに等しいことを、宇宙的な尺度の上で抽象的に行なった。ガリレオにとって、球と斜面は現実には当てはまらないものであった。というのも、ガリレオが考えていたのはそれらを超えた数学的な宇宙であったからである。同じことがデカルトについても言えるかもしれない。デカルトの宇宙は、機械論の基本的原理によって組織づけられた数学的なものであった。その宇宙の中の見かけの質的な差異は、運動の差異に帰せられた。・・・・
  ・・・以下省略・・・


   
 Ⅰ. 西洋の3つ科学的伝統
          ー 有機体的、魔術的、機械論的 伝統
   
 Ⅱ. 科学の言語-アリストテレス学