エンゲルス 『経済学批判』について


             科学はどのように取り扱われるべきか?


 ■ヘーゲルからマルクスへ


 「マルクスは、ヘーゲルの論理学の皮をむいて、この領域におけるヘーゲルの真の諸発見を包有している核をとりだし、
かつ弁証法的方法からその観念論的外被をはぎとって、
それを思想の展開の唯一のただしい形態となる簡明は姿につくりあげる、
という仕事をひきうけえた唯一の人であったし、また唯一の人である。
マルクスの経済学批判の基礎によこたわる方法の完成を、
われわれはその意義においてほとんど唯物論的根本見解におとらない成果であると考える。・・・

 この方法ではわれわれは、歴史的に、事実上われわれのまえにある最初の、そしてもっとも単純な関係から、
したがっていまのばあいには、われわれのみいだす最初の経済的関係から出発する。
この関係をわれわれは分析する。それが一つの関係であるということのうちに、
すでに、それが相互に関係しあう二つの側面をもつということが含まれている。これらの側面のそれぞれは、それ自体として考察される。
そこから、それらがたがいに関係しあう仕方、それらの交互作用があらわれる。解決を要求する諸矛盾が生じるであろう。

だがわれわれがここで考察するのは、われわれの頭のなかだけで生じる抽象的な思考過程ではなくて、
いつのときにか実際に生じた、あるいはいまなお生じつつある現実の事象であるから、
これらの矛盾もまた実際に発展して、おそらくその解決を見出しているであろう。われわれはこの解決のしかたを追求しよう。
そうすれば、それが一つのあたらしい関係の相対立する二つの側面を、
いまやわれわれが説明しなければならないことなどが、わかるであろう。



 ■人と人との関係が物と物の関係として現われる

 経済学は商品をもって、すなわち、諸生産物―それが個々人のものであれ、
原生的共同体のものであれ―が相互に交換されるのを契機としてはじまる。交換にはいりこむ生産物は商品である。
だが生産物が商品であるのは、ただ、生産物という物に、二人の人間または二つの共同体のあいだの関係が、
このばあいはもはや同一個人のなかに結合されていない生産物と消費者のあいだの関係が、結びつくからである。・・・

 経済学は物をとりあつかうのではなく、人と人との関係を、究極においては階級と階級とのあいだの関係をとりあつかうのである。
だがこれらの関係は、つねに物にむすびつけられ、物としてあらわれる。

 さてわれわれが、商品を、しかも二つの原始的共同体間の原生的な物々交換においてかろうじて発展したばかりの商品ではなく、
完全に発展しつくした商品を、そのことなる側面について考察するならば、
それはわれわれに、使用価値と交換価値という二つの観点のもとにあらわれる。
そしてここでわれわれは、ただちに経済学上の論争の領域にはいりこむのである。」


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