資本論入門9月号 重商主義から資本主義へ
ホーム 資本論入門9月号 重商主義から資本主義へ ペティからアダム・スミスの時代背景 「歴史的に、論理的に」ー「 商品と価値」の発展過程の研究 目 次 第1部 重商主義段階を「歴史的に」探索 ― いわゆる本源的蓄積について ― 重商主義の時代―ペティ(1623-1678年)と ジェームズ・スチュアート(1712-1780年) 1. アメリカ大陸の発見から 2. スペインからイギリスへ 3. 重商主義段階のもう一つの素顔 4. オランダの植民制度 5. 商業覇権と産業覇権 6. 国債制度 7. 黒人奴隷貿易 第2部 商人資本を「論理的に」探究 商業資本にかんする歴史的考察(『資本論』第3巻第20章) 1. 重商主義・商人資本の特徴 2. 変革期の重商主義 3. 封建制から商人資本の成長 4. 商人資本の発展 5. 商業資本の役割 6. 商業資本のまとめ 7. 「商人資本」から産業資本へ 第3部 重商主義から資本主義へ「歴史的に、論理的に」 探究 「商品と価値」の発展と進化過程の調査・研究・・・ 第3章 貨幣または商品流通 (第2節流通手段) 1. 商品の形態変化ー商品の変態 2. 交換過程―商品の二重化 3. 商品の形態変化 W-G-W 第4章 貨幣の資本への転化 (第1節 資本の一般定式) 4. 商品流通と資本 5. 貨幣の資本への転化 6. 使用価値の解消としての貨幣存在 7. 価値増殖と使用価値の抽象化 8. 過程の主体として自己増殖 G-W-G′ ヘーゲル「小論理学」 主体と実体 9. 自動的な実体 10. 自己過程的な価値と貨幣 |
資本論ワールド はじめに 1. 資本主義と労働者のルーツを探究することが、資本論入門9月号の課題です。 歴史の初めから、資本主義であったわけでもなく、-網野史学によると、中世日本に資本主義が誕生したというがー 縄文時代に労働者が出現したわけでもない。では、私たち労働者の祖先は 「いつごろ、どこから、どうして」 この地球上に出現したのだろうか? ホモサピエンスをめぐるこの謎解きが、もう一つの『資本論』の課題であり、将来の人類史のゆくえを探る研究でもありました。 ヨーロッパの資本主義誕生の秘密を探ることは、出生にいたる長い中世の道のり―『資本論』の言葉でいえば、ー もし貨幣が、オジエが言うように、“ 頬 (ほほ) に自然の血痕をつけてこの世に生まれる” ものならば、資本は頭から爪先まで、毛穴という毛穴から、血と脂 (あぶら) とを滴らしつつ生まれてくるのである―をたどることになります。 ペティやジェームズ・スチュアートたちが語る「重商主義の時代」のもう一つの素顔を鏡に映し出しながら、資本主義と労働者のルーツをたどってゆきましょう。 2. 『資本論』で語られる商品生産の歴史過程について 第1部では、重商主義段階を「歴史的に」検証し、『資本論』第1巻24章いわゆる本源的蓄積第 6節 産業資本家の 生成―[以下(1-24-6)と省略し、他の章も同様]―において、探索してゆきます。 第2部は、重点を「論理的に」絞り、第3巻20章商人資本にかんする歴史的考察を取り上げ、「商人資本の発展を急速に進めた諸大革命」を分析します。 そして第3部で、重商主義から資本主義へ「歴史的に、論理的に」、「商品と価値」を基軸とした発展と進化過程をたどってゆきます。 3. 第1部: マルクスは、重商主義の世界史的経過を アメリカにおける金銀産地の発見から次のように述べています。 「 いまや本源的蓄積の種々の契機は、多かれ少なかれ時間的順序をもって、ことにスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスのあいだに、分配される。イギリスでは、それらが17世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度および保護貿易制度において、体系的に総括される。これらの方法は、一部はもっとも狂暴な強力に基づいて行なわれる。たとえば、植民制度の如きはそれである。しかし、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を、温室的に促進して過渡期間を短縮するためには、いずれの方法も、社会の集中され組織された強力である国家権力を利用する。強力は、新しい社会をはらむ、すべての古い社会の助産婦である。それ自体が一つの経済的な力なのである。」(1-24-6) 4. 第2部: また、「論理的に」考察を進展させてゆきます 「 商業と商業資本の発展は、到るところで、交換価値に向けられた生産を発展させ、その範囲を拡大し、それを多様化し、そして世界化し、貨幣を世界貨幣に発展させる。それゆえ、到るところで商業は、種々に異なるその形態の如何を問わず、主として使用価値に向けられている既存の生産組織の上に、多かれ少なかれ分解的に作用する。」(3-20) そして、重商主義段階における商人資本から商業資本の運動をつぎのように総括してゆきます。 「 近代的生産様式の最初の理論的取扱い―重商主義―は、必然的に、商業資本の運動に独立化されている流通過程の表面的諸現象から出発し、したがってただ外観だけをつかみ上げた。それは、一部は、商業資本が、資本一般の最初の自由な存在様式だからである。一部は、封建的生産の最初の変革期において、近代的生産の成立期において、商業資本の及ぼす優勢な影響のゆえである。近代的経済の現実的科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に移るところで初めて始まる。」 (3-20) 5. 第3部:貨幣の資本への転化ーマルクスはつぎのように自問自答しています 「 資本に転化すべき貨幣の価値変化は、この貨幣自身について起こりうるものではない。なぜかというに、購買手段として、また支払手段としては、貨幣は、ただ買ったり支払ったりする商品の価格を実現するにすぎない。他方において貨幣は、それ自身の形態を固執しながら、同一なる価値量の化石に凝結する。 第二の流通行為から、すなわち商品の再販売〔*G-W-G〕から、この変化が発生しうるということもありえない。なぜかというに、この行為は、商品をたんに自然形態から貨幣形態に転化させるだけであるからである。かくして変化は、第一の行為のG―Wにおいて買われる商品について起こらなければならないのであって、その価値についてではない。なぜかというに、交換されるのは等価であって、商品はその価値どおりに支払われるからである。したがって、変化は、もっぱら商品の使用価値そのものから、すなわち、この商品を消費することから発生しうるのみである。ある商品の消費から価値を引出すためには、わが貨幣所有者はきわめて幸運でなければならないのであって、流通部面の内部、市場で、一つの商品を発見しなければならぬ。 その商品の使用価値自身が、価値の源泉であるという独特の属性をもっており、したがって、その実際の消費が、それ自身労働の対象化であって、かくて、価値創造であるというのでなければならぬ。そして貨幣所有者は、市場でこのような特殊な商品を発見する―労働能力または労働力がこれである。」 (1-4-3) 6. 第3部: 貨幣の資本への転化「歴史的に、論理的に」、 「 商品の交換過程は、こうしてつぎのような形態変化をなして遂行される。 商品-貨幣-商品 W-G-W 商品流通は資本の出発点である。 この形態とともに、われわれには、第二の特殊なちがった形態がある。すなわちG-W―Gのという形態であり、貨幣の商品への転化および商品の貨幣への再転化であって、売るために買うことである。この後の方の流通を描いて運動する貨幣は、資本に転化され、資本となる。そしてすでにその性質からいえば、資本である。 100ポンドで買われた綿花は、たとえば再び100ポンドプラス10ポンド、すなわち110ポンドで売られる。この過程の完全なる形態は、したがって、G-W―G′ であって、このばあいG′=C+ΔG′すなわち、最初に前貸しされた貨幣額プラス増加分である。価値増殖をなすのである。そしてこの運動が、この価値を資本に転化する。 商品の価値は、単純なる流通において、その使用価値にたいしては、せいぜい貨幣という独立的形態を得るのであるが、ここでは突如として自己過程的な、自動的な実体として表される。価値は自己過程的の価値となり、自己過程的の貨幣となる。そしてこのようなものとして、資本となる。そして同一の循環を、つねにまた始める。G-G′ 貨幣をはらむ貨幣―お金を生むお金―として、資本は、その最初の翻訳者である重商主義者の口を通じて、描かれている。」 (1-4-1) 「 資本は、生産手段および生活手段の所有者が、自由なる労働者を、彼の労働力の売り手として市場に見出すところにおいてのみ成立する。そして、この一つの歴史的条件は、世界史を包括する。したがって、資本は、初めから、社会的生産過程のある時代を告知するのである。 」 では、商品と労働者のルーツを探索しつつ、本論に入りましょう。 |
第1部 重商主義段階を「歴史的に」 探索します ― いわゆる本源的蓄積について ― ★ 重商主義の時代 ―ペティ(1623-1678年)~ジェームズ・スチュアート(1712-1780年) 1) アメリカ大陸の発見から アメリカにおける金銀産地の発見、原住民の、掃滅、奴隷化、鉱山内への埋没、東インドの征服と掠奪との開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化、これらのものによって、資本主義的生産時代の曙光が現われる。これらの牧歌的過程は、本源的蓄積の主要要素である。地球を舞台とするヨーロッパ諸国民の商業戦がこれに続く。それはスペインからニューデルランドが離脱することによって開始され、イギリスの反ジャコバン戦争において巨大な規模をとり、シナにたいする阿片戦争等においてなお続行される。 2) スペインからイギリスへ いまや本源的蓄積の種々の契機は、多かれ少なかれ時間的順序をもって、ことにスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスのあいだに、分配される。イギリスでは、それらが17世紀末には植民制度、国債制度、近代的租税制度および保護貿易制度において、体系的に総括される。これらの方法は、一部はもっとも狂暴な強力に基づいて行なわれる。たとえば、植民制度の如きはそれである。しかし、封建的生産様式の資本主義的生産様式への転化過程を、温室的に促進して過渡期間を短縮するためには、いずれの方法も、社会の集中され組織された強力である国家権力を利用する。強力は、新しい社会をはらむ、すべての古い社会の助産婦である。それ自体が一つの経済的な力なのである。 3) 重商主義段階のもう一つの素顔 周知のように、イギリス東インド会社は、東インドにおける政治的支配権のほかに、茶貿易ならびにシナ貿易一般と、ヨーロッパとのあいだの貨物輸送の排他的独占権を、与えられていた。しかし、インドの沿岸航海および島嶼間航海と、インド内地の商業とは、会社の高級職員の独占となった。塩、阿片、キンマその他の商品の独占は、富の無尽蔵の鉱山だった。 土着民の取扱いは、西インドのように輸出貿易のみに予定された栽培植民地において、また、メキシコや東インドのように涼奪殺戮(りゃくだつ さつりく)に委されている富裕で人口稠密な国において、当然もっとも狂暴を極めた。とはいえ、本来の植民地においても、本源的蓄積のキリスト教的性格は、否定されなかった。かの謹厳な新教の先達、ニュー・イングランドの清教徒は、1703年には、彼らの州議会の決議によって、インディアンの頭蓋皮1枚および捕虜1人につき、40ポンドの賞金をかけ、1720年には、頭蓋皮1枚に100ポンドの賞金をかけた。 4) オランダの植民制度 植民制度は、商業と航海を温室的に育成した。「独占会社」は、資本蓄積の強力な槓杆だった。 成長するマニュファクチャー・工場手工業に、植民地は販売市場を保証し、市場独占によって強められた蓄積を保証した。ヨーロッパの外で、直接に掠奪、奴隷化、強盗殺人によって分捕られた財宝は、母国に流れ帰って、そこで資本に転化された。植民制度を充分に展開した最初の国オランダは、1648年には、すでにその商業勢力の頂点に達していた。それは「東インド貿易および、ヨーロッパの南西部と北東部とのあいだの交易を、ほとんど独占的にもっていた。その漁業、海運、工場手工業は、他のいずれの国のそれをも凌駕していた。この共和国の資本は、おそらく残余のヨーロッパ全体のそれよりも大きかった」。ギューリヒは、オランダの民衆が、1648年には、すでに残余のヨーロッパ全体の民数よりも、いっそう甚だしい過度労働と貧窮と苛酷な抑圧との下にあったことを、付言するのを忘れている。 5) 商業覇権と産業覇権 今日では、産業覇権は商業覇権を伴う。これに反し、本来の工場手工業時代にあっては、産業上の優勢を与えるものは、商業覇権である。それゆえにこそ、当時植民制度の演じた役割の優位がある。 6) 国債制度 公信用制度、すなわち国債制度の起源を、われわれはジェノヴァとヴェネツィアでは、すでに中世に見出すのであるが、それは工場手工業時代に、全ヨーロッパも普及した。植民制度は、その海上貿易とその商業戦をもって、国債制度の温室として役立った。かくてそれはまずオランダで確立された。国債、すなわち国家―専制国であれ、立憲国であれ、共和国であれ―の売却は、資本主義時代に、その極印を捺す。いわゆる国民的富のうちで、現実に近代諸国民の総有に入る唯一の部分は―彼らの国債である。したがって、一国民は債務を負えば負うほど、富裕になるという近代的教説は、全く当然のものである。公信用は資本の信条となる。そして国債制度の発生とともに、赦されることのない聖霊にたいする罪にかわって、国債にたいする不信が現われる。 7) 黒人奴隷貿易 マニュファクチャー・工場手工業時代における資本主義的生産の発展につれて、ヨーロッパの世論は、羞恥心や良心の最後の残片をも失ってしまった。諸国民は、資本蓄積の手段のであるあらゆる非行を、厚顔に自慢した。たとえば、正直者A・アンダースンの素朴な商業年代記を読まれよ。そこでは、イギリスが、従来アフリカとイギリス領西インドとのあいだでのみ営んでいた黒人貿易を、今後はアフリカとスペイン領アメリカとのあいだでも営みうるという特権を、ユトレヒトの講和で〔1713年〕アシェント協約によりスペイン人からもぎ取ったことは、イギリス国策の勝利であるとして吹聴される。 イギリスは、1743年まで、年々8400人の黒人をスペイン領アメリカに供給する権利を得た。これは同時に、イギリスの密貿易を公認のものに見せかける仮面を与えた。リヴァプールは、奴隷貿易の基礎の上に大きく成長した。奴隷貿易は、本源的蓄積のリヴァプール的方法である。そして今日に至るまで、リヴァプールの「声望」が、「商業的企業精神を情熱にまで高め、りっぱな海員を育て、莫大な貨幣をもたらす」―奴隷貿易のピンダロスにあることは変わらなかった。リヴァプールが奴隷貿易に使用した船は、1730年には15隻、1751年には53隻、1760年には74隻、1770年には96隻、1792年には132隻だった。 (第1巻第24章いわゆる本源的蓄積) |
第2部 商人資本を 「論理的に」 探究 商業資本にかんする歴史的考察 (『資本論』第3巻第20章) 1) 重商主義―商人資本の特徴 16世紀および17世紀においては、地理上の諸発見に伴って商業において起こり、商人資本の発展を急速に進めた諸大革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行の促進で、一つの主要契機をなしているということには、疑問の余地はない― 世界市場の突然の拡大、流通する商品の幾層倍加、アジアの生産物とアメリカの財宝とを、我がものにしようとするヨーロッパ諸国民間の競争、植民制度、これらのものは、生産の封建的諸制限の粉砕に本質的に寄与した。 しかし、近代的生産様式は、その第一期である工業手工業時代においては、そのための諸条件が、すでに中世の内部で産み出されていたところにおいてのみ発展した。たとえば、オランダとポルトガルとを比較せよ。そして16世紀および一部はなお17世紀においても、商業の突然の拡張と新たな世界市場の創出とが、古い生産様式の没落と、資本主義的生産様式の興隆とに一つの優勢な影響を及ぼしたとすれば、このことは、逆に、すでにひとたび作り出された資本主義的生産様式の基礎の上で行なわれたのである。世界市場は、それ自体、この生産様式の基礎を形成する。他面、この生産様式に内在する、たえずより大規模に生産することの必然性は、世界市場の不断の拡張に駆り立て、したがってここでは、商業が産業をではなく、産業がたえず商業を革命する。 今では商業覇権も、大工業の諸条件の大なり小なりの優勢に結びつけられている。たとえばイギリスとオランダとを比較せよ。支配的商業国民としてのオランダの没落の歴史は、産業資本への商業資本の従属の歴史である。 2)変革期の重商主義 近代的生産様式の最初の理論的取扱い―重商主義―は、必然的に、商業資本の運動に独立化されている流通過程の表面的諸現象から出発し、したがってただ外観だけをつかみ上げた。それは、一部は、商業資本が、資本一般の最初の自由な存在様式だからである。一部は、封建的生産の最初の変革期において、近代的生産の成立期において、商業資本の及ぼす優勢な影響のゆえである。 近代的経済の現実的科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に移るところで初めて始まる。 3) 封建制から商人資本の成長 封建的生産様式からの移行は、二重に行なわれる。 生産者は、農業的自然経済と、中世都市工業の同職組合的に拘束された手工業と対立して、商人および資本家となる。これが現実に革命的な道である。あるいはまた、商人が直接に生産を支配する。後の方の道は、いかに歴史的には移行として作用するにしても―たとえば17世紀のイギリスの織物商人のように、彼は独立してままの織物業者を自己の統制化に置き、彼らのその羊毛を売って彼らの織物を買い取る―、それ自体としては、古い生産様式を変革するに至りえず、むしろこれを保存して、自己の前提として維持する。たとえば、フランスの絹工業、イギリスのメリヤスおよびレース工業における製造業者は、今世紀の中頃に到るまでなお大部分は単に名目上の製造業者だったにすぎず、現実には、織物業者には、その旧来の分散的な仕方で作業を続けさせ、自分は、織物業者が事実上彼のために労働する、商人としての支配だけを行なうという、単なる商人であった。 4) 商人資本の発展 かくして、三様の移行が行なわれる。第一には、商人が直接に産業資本家になる。商業の土台の上に起こされた諸産業のばあいがそれで、ことに、商人によって原料や労働者とともに、外国から輸入される奢侈品工業、たとえば、15世紀にイタリアでコンスタンティノープルから輸入されたそれのようなばあいである。 第二には、商人が小親方を自分の仲買人(middlemen)とするか、あるいはまた直接に自己生産者から買う。商人は生産者を、名目上は独立のままにしておき、その生産様式を変化させずにおく。 第三には、産業家が商人となって、直接に大規模に商業のために生産する。 5) 商業資本の役割 商業資本はもはや流通過程だけを行なう。元来、商業は、同職組合的および農村家内工業と封建的農業とを、資本主義的経営に転化させるための前提であった。商業は生産物を商品に発展させる。それは一部には、生産物のために市場を作り出すからであり、また一部には、新たな商品等価をもたらし、また生産に新たな原料と補助材料を供給し、したがってまた、初めから商業を土台にして起こされる諸生産部門、すなわち、市場および世界市場のための生産に基づくとともに、世界市場から生ずる諸生産条件に基づいて起こされる、諸生産部門を開くからである。 6) 商業資本のまとめ 商業と商業資本の発展は、到るところで、交換価値に向けられた生産を発展させ、その範囲を拡大し、それを多様化し、そして世界化し、貨幣を世界貨幣に発展させる。それゆえ、到るところで商業は、種々に異なるその形態の如何を問わず、主として使用価値に向けられている既存の生産組織の上に、多かれ少なかれ分解的に作用する。しかし、どの程度まで、それが古い生産様式の分解をひき起こすかは、まず第一に、その生産様式の堅固さと内部構成との如何にかかる。そして、この分解過程が、どこに帰着するか、すなわち、いかなる新たな生産様式が、古いそれにかわって現われるかは、商業にではなく、古い生産様式そのものの性格にかかる。古代世界においては、商業の作用と商人資本の発展とは、つねに奴隷経済に結果する。 7) 商業資本から産業資本へ 工場手工業マニファクチャがある程度まで強固になれば、そして大工業がそうなればなおさら、それはまたそれで市場を作り出し、その商品によって市場を征服する。いまや商業は、市場の不断の拡張を生活条件とする産業生産の召使となる。たえず拡大される大量生産は、既存市場に氾濫を起こし、したがってたえずこの市場の拡大を、その制限の突破を、はかりつつある。この大量生産を制限するものは、商業ではなく(商業が現存需要のみを表現するかぎりでは)、機能しつつある資本の大いさと、労働の生産力の発展とである。産業資本家は、たえず世界市場を前にして、彼自身の費用価格を、単に自国の市場価格とのみではなく、全世界の市場価格と比較しており、またたえず比較せねばならない。この比較は、以前の時代には、ほとんどもっぱら商人のことに属し、かくして商業資本のために産業資本にたいする支配を保証する。 (3-20) 第3部 重商主義から資本主義へ 「歴史的に、論理的に」 探究 ・・・「商品と価値」の発展と進化過程の研究・・・ 第3章 貨幣または商品流通 (第1巻第3章第2節流通手段 a 商品の変態) 1) 商品の形態変化 交換過程は、諸商品を、それが非使用価値である持ち手から、使用価値となる持ち手に移すかぎり、社会的な物質代謝である。ある有用な労働様式の生産物が、他のそれと代わる。商品はひとたび使用価値として用いられる個所に達すると、商品交換の部面から消費の部面にはいる。ここでわれわれの関心事となるのは、前の方の部面のみである。したがって、われわれは全過程を、その形式的側面から、したがって、ただ商品の形態変化または社会的物質代謝を媒介する、その変態をのみ、考察しなければならぬ。 2) 交換過程―商品の二重化 商品は、まず最初は金メッキもされないで、砂糖もふりかけられないで、あるがままの姿で交換過程にはいる。交換過程は、商品の商品と貨幣とへの二重化を生ぜしめる、すなわち、一つの外的な対立を生ぜしめる。この対立の中に、商品は、使用価値と価値の内在的対立を示しているのである。この対立において、諸商品は使用価値として、交換価値としての貨幣に相対する。他方において、対立の両側は商品である。したがって、使用価値と価値の統一である。しかしながら、この差別の統一は、両極のおのおのにおいて逆に表示されている。 そしてこのことによって、同時に、両極の相互関係が示されているのである。商品は現実に使用価値である。その価値たることは、ただ観念的に価格に現われる。価格は、商品を、その実在的な価値態容として対立する金に、関係せしめる。逆に、金材料は価値体化物として、貨幣としてのみ働いている。したがって、貨幣は現実に交換価値である。その使用価値は、ただ観念的に相対的な価値表現の序列の中に現われるにすぎない。この表現において貨幣は、相対する諸商品に、これをその現実的な使用態容の全範囲として関係する。商品のこれらの対立的な形態は、その交換過程の現実的な運動形態である。 3) 商品の形態変化W-G-W この全過程は、ただ彼の労働生産物を他の人の労働生産物と交換すること、すなわち生産物交換を媒介するだけである。 商品の交換過程は、こうしてつぎのような形態変化をなして遂行される。 商品-貨幣-商品 W - G - W W-Wなる運動、商品の商品にたいする交換は、その素材的内容からいえば、社会的労働の物質代謝であって、その結果としてこの過程自身が消滅する。 W-Wすなわち、商品の第一の変態または売り。商品価値の商品体から金体への飛躍は、私が他のところで名づけたように〔岩波文庫版『経済学批判』110ページ〕、商品のSalto mortale〔生命がけの飛躍〕である。この飛躍が失敗すれば、商品は別に困ることもないが、商品所有者は恐らく苦しむ。社会的分業は、彼の労働を一方的に偏せしめると同時に、彼の欲望を多力面にする。まさにこのゆえに、彼の生産物が彼にとって用をなすのは、交換価値としてだけであることになる。しかしその生産物が一般的な社会的に通用する等価形態を得るのは、貨幣としてだけである。 |
第4章 貨幣の資本への転化 (第2篇第4章第1節 資本の一般定式) 4) 商品流通と資本 商品流通は資本の出発点である。商品生産と、発達した商品流通である商業は、資本の成立する歴史的前提をなしている。世界商業と世界市場は、16世紀において、資本の近代的生活史を開始する。 商品流通の素材的内容、すなわち各種使用価値の交換は、これを見ないことにして、この過程が作り出す経済的な諸形態のみを考察するならば、われわれはその最後の生産物として貨幣を見出す。商品流通のこの最後の生産物は、資本の最初の現象形態である。 歴史的には資本は、土地所有に、いたるところでまず第一に貨幣の形態で相対する。貨幣財産、商人資本および高利貸資本として。だが、貨幣を資本の最初の現象形態として認識するためには、資本の成立史を顧みる必要はない。同じ歴史が、毎日われわれの眼の前で行なわれている。すべての新資本が、最初に舞台を、すなわち、市揚を、商品市場、労働市場または貨幣市場を、踏むのは、なおいつでも貨幣としてである。この貨幣が、一定の過程をつうじて資本に転化されることになるのである。 5) 貨幣の資本への転化 貨幣としての貨幣と資本としての貨幣は、まず第一には、ただそのちがった流通形態によって区別されるだけである。商品流通の直接の形態はW-G-Wである、すなわち、商品の貨幣への転化および貨幣の商品への再転化であり、買うために売ることである。しかしながら、この形態とともに、われわれには、第二の特殊なちがった形態がある。すなわちG-W―Gのという形態であり、貨幣の商品への転化および商品の貨幣への再転化であって、売るために買うことである。この後の方の流通を描いて運動する貨幣は、資本に転化され、資本となる。そしてすでにその性質からいえば、資本である。 6) 使用価値の解消としての貨幣存在 W-G-Wなる循環は、一つの商品の極から発出して、他の商品の極をもってとじられる。この商品は、流通から出て消費に帰着する。したがって、消費、すなわち欲望の充足、一言でいえば、使用価値が、その最終目的である。これに反して、G-W-Gなる循環は、貨幣の極から発出して、結局同じ極に帰着する。したがって、その推進的動機と規定的の目的は、交換価値そのものである。 単純なる商品流通においては、両極は同一の経済形態をもっている。それらはともに商品である。それらは、また同一価値量の商品でもある。しかし、それらは、質的にちがった使用価値であって、たとえば穀物と衣服である。生産物交換、すなわち社会的労働の表わされているちがった素材の交替が、ここでは運動の内容をなしている。 G-W-Gなる流通においては、それとちがっている。この流通は、一見しては無内容に見えるというのは、同じものの繰返しであるからである。両極は同一経済形態をもっている。それは双方ともに貨幣である。したがって、何ら質的にちがった使用価値ではない。なぜかというに、貨幣はまさに商品の転化した態容であって、この中では、商品の特別なる使用価値は解消している。 〔*編集部注:G-W-Gは、等価ではあるが、使用価値は捨象され、抽象化されていることを意味する〕 7) 価値増殖と使用価値の抽象化 はじめ100ポンドが綿花と交換され、ついで再び同一綿花が、100ポンドと交換される、したがって、まわり路をして貨幣が貨幣と、同一物が同一物と交換されるというのであって、これは無意味でもあり、また無目的の操作でもあるように見える。一方の貨幣額と他方の貨幣額とが区別されうるのは、一般にただその量によってのみである。したがって、G-W-Gなる過程は、その内容を、両極の質的な相違から受取るのでなく 〔*編集部注:使用価値が抽象化されていること〕、ただその量的な相違から受取るのである。なぜかというに、その両極はともに貨幣であるからである。結局流通からは、はじめ投入されたより多くの貨幣が取去られる。100ポンドで買われた綿花は、たとえば再び100ポンドプラス10ポンド、すなわち110ポンドで売られる。この過程の完全なる形態は、したがって、G-W―G′であって、このばあいG′=C+ΔG′すなわち、最初に前貸しされた貨幣額プラス増加分である。この増加分、すなわち、最初の価値をこえる剰余〔*増加、超過のこと〕を、私は―剰余価値(surplus value :*増加、超過価値。要注意、剰余は余りのことー昔からの翻訳用語)と名づける。 したがって、最初に前貸しされた価値は、流通において自己保存をするだけでなく、ここでその価値の大いさを変化させ、剰余価値(Mehrwert (surplus value):*超過価値)を付加する。すなわち、価値増殖をなすのである。そしてこの運動が、この価値を資本に転化する。 8) 過程の主体として自己増殖 G-W-G′ → ヘーゲル「小論理学」 実体、主体、150節~153節参照 流通G-W-Gにおいては、両者、すなわち、商品と貨幣とは、ただ価値そのもののちがった存在様式としてのみ機能し、貨幣はその一般的の存在様式として、商品はその特別の、いわばただ仮装した存在様式としてのみ機能する。価値は、たえず一つの形態から他の形態に移行して。この運動の中に失われることがなく、かくて自動的な主体に転化される。増殖する価値が、その生涯の循環において、かわるがわるとる特別の現象諸形態を固定すれば、人は、資本は商品であり、資本は商品である、という声明を受け取ることになる。しかし、実際においては、価値はここでは一つの過程の主体となる。この過程で価値は、貨幣と商品という形態の不断の交代の下にあって、その量自身を変化させ、剰余価値として、原初の価値としての自分自身から、突き離し、自己増殖をとげる。 9) 自動的な実体 商品の価値は、単純なる流通において、その使用価値にたいしては、せいぜい貨幣という独立的形態を得るのであるが、ここでは突如として自己過程的な、自動的な実体として表される。この実体にとっては、商品と貨幣とは、ともに単なる形態である。しかしながら、さらに加わる。商品関係を表示するかわりに、価値は、いまや、いわば自分自身にたいする一つの私的関係にはいる。 価値は、原初の価値としては、剰余価値として、自分自身から区別される。父なる神が、子なる神として自分自身から区別されるように。そいて両者はおないどしである。そして事実上一身をなしている外にない。何故かというに、10ポンドという剰余価値によってのみ、前貸しされた100ポンドは資本となるからである。それが資本となるや否や、すなわち、子が産まれ、そしてこの子によって父が生まれるや否や、その区別は再び消え、両者はともに一つとなる。110ポンドとなる。 10) 自己過程的な価値と貨幣 こうして、価値は自己過程的の価値となり、自己過程的の貨幣となる。そしてこのようなものとして、資本となる。価値は流通から出てくる。再びそこにはいる。その中に自己を保持し、殖える。ここから増大して帰ってくる。そして同一の循環を、つねにまた始める。G-G′貨幣をはらむ貨幣―お金を生むお金―として、資本は、その最初の翻訳者である重商主義者の口を通じて、描かれている。 ・・・以上・・・ |