■西洋哲学史の Element の伝統
*ks01 Elementarform 要素(元素)形式 -(成素形態-構成要素
)
1-1 資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である 社会の富は、「
巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり・集合 〕(原注1)」として現われ、個々のeinzelne
商品はこの富の 成素形態 〔 Elementarform:元素形式〕 として 現われる erscheint。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。
・カントの現象 Erscheinung-erscheinen
・ヘーゲルの現象 Erscheinung-erscheinen
■数学的表現形式
*ks02 方程式の形式表示
1-6 一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金 〔 x Stiefelwichse oder mit y Seide oder mit z Gold usw.-「量」の単位表示がない-〕 等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換 価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一
物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき 内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方、数式の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔
"Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。
1-7 さらにわれわれは二つの商品、 例えば小麦と鉄をとろう*。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの
方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。 例えば、1クォーター小麦 = a ツェントネル鉄というふうに。
こ の方程式は何を物語るか?
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身 としては、前の二つのもののいずれでもない。 両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうる 〔小麦や鉄の使用価値とは別に還元される〕 のでなければならない。
1-8 〔 幾何学の量の表示 カント-ヘーゲル-マルクスへ 〕
一つの簡単な幾何学上の例がこのことを明らかにする。一切の直線形の面積を決定し、それを比較するためには、人はこれらを三角形に解いていく 。三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1―
に整約される 〔reduzieren : 還元・換算される〕。これと同様に、商品の交換価値も、共通なあるものに整約され 〔reduzieren 還元・換算される〕 なければなら ない。それによって、含まれるこの共通なあるものの大小が示される。
・ カント『純粋理性批判』
・ ヘーゲル『大論理学』 算術-関係づけの仕方 Beziehungsweisen
1-9 この共通なもの Gemeinsam は、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性である ことはできない。商品の形体的属性 körperlichen Eigenschaften
は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、し たがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において 、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象 〔 die Abstraktion von ihren Gebrauchswerten (*注)〕で ある。この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の 割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。あるいはかの
老バーボンが言って いるように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同 じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違
または差別がない(原注8)。」
(*注) 「商品の使用価値からの抽象 〔 die Abstraktion von ihren Gebrauchswerten (*注)〕」
向坂訳では、Abstraktion を抽象と翻訳しています。この「抽象」は、ヘーゲル『小論理学』§115を参照してください。ヘーゲル論理学では厳密・詳細に「抽象」定義を行っています。