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  資本論-実体と形式



2016年
 

『資本論』入門5月号 第1部 第1節の要約とヘーゲル論理学

                  <価値形成 実体 と 形態・形式


  早いもので、4ヶ月が経過しました。
 資本論ワールド編集委員会では、お寄せいただいた数々のご意見を踏まえて、
 
ヘーゲル論理学と『資本論』との関連性について、第1節の中間総括を行ないました。

 
5月号の第1部は、編集委員会の総力をあげて取り組み、
 
「価値の実体と形態・形式」に焦点を当て、解説しました。
 
じっくり、資本論ワールドの醍醐味をお楽しみください。


★目次
1. 資本論第1章 第1節の要約
2. 
第2章 第1節の論点について
3. ロック-バーボン論争における価値の「大いさ」と「量」について
4. 第2節 ヘーゲル論理学の「量、定量、大いさ
5. 第3章 価値を交換価値にする形態
6. Formは、ヘーゲル論理学のキーワード
7. 第4章 実体Substanz と形式Rorm について
8. 価値形成実体と形式



第1章 資本論第1章 第1節の要約


① 社会の富は「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの
富の成素形態として現われる。
  われわれの研究は商品の分析をもって、始まる。

② 鉄・紙等々の有用な物は、
Qualität と量 Quantität の二重の観点から考察される。
 多様な使用方法や有用なる物の量をはかる社会的尺度の発見は、歴史的行動である。
 商品尺度の相違は、その対象の性質の相違や伝習から生じる。

③ 一つの物の有用性は、この物を使用価値にする。使用価値は、富の社会的形態にかかわらず、
 富の素材的内容をなす。われわれの社会形態では、
使用価値は同時に交換価値の素材的担い手をなしている。

④ 交換価値は、第一に
量的な関係quantitativ Verhältnis 〕として、ある使用価値が他の使用価値と交換される比率として、
 「
時とところにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる。
 交換価値は、偶然的なるもの、純粋に相対的なるもの、商品に内在的な、固有の交換価値は、
 
一つの背理に思われる。これを詳細に考察する。

⑤ 一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、
 雑多な割合で交換されるので、
小麦は唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもつ
 x量靴墨、y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるから、
 
相互に置き換えられる交換価値、あるいは相互に等しい大きさの交換価値である。

⑥ したがって、同一商品〔例えば小麦〕の妥当なる諸交換価値〔x量靴墨、y量絹、z量金等々〕は、
 一つの同一物を表わしている。だが、交換価値はそれと区別さるべき内在物の表現方式、
 すなわち、その「
現象形態」である。

⑦ われわれは二つの商品、
例えば小麦と鉄をとろう。この交換関係は、一つの方程式に表わせる。
 例えば、1クォーター小麦=a ツェントネル。この方程式は何を物語るか?
 1クォーター小麦にも、aツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なもの、第三のものがあるということである。
  両者は、交換価値であるかぎり、この第三のものに整約される。

⑧ 商品の交換関係を特徴づけるのは、商品の使用価値からの抽象である。
 この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と適当な割合であれば、
 ちょうど同じものだけとなる。かの
老バーボンが言っているように、

 「
一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同じだけのものである。
 このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違または差別がない。


 
(注8)ニコラス・バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することに関する論策ロック氏の「考察」に答えて』

⑨ いまもし商品体の使用価値を無視するならば、商品体に残る
属性 Eigenschaftは、労働生産物という属性である。
  〔
この属性概念が第2節、第3節で発展してゆきます
 労働生産物の有用なる性質と労働の有用なる性質は消失する。
 この労働生産物は、ことごとく同じ人間労働、抽象的に人間的な労働に整約される。

⑩ この労働生産物の残りのものは、
妖怪のような同一の対象性、
 無差別な人間労働力支出の単なる
膠状物Gallertである。これらの物は、おたがいに共通な、
 この社会的実体〔人間労働力支出〕の結晶として、価値-商品価値である。

⑪ 商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものは、かくて、その価値である。・・・
 財貨〔や商品〕の価値の
大いさdie Größe seines Wertsは、その中に含まれている
 「
価値形成実体wertbildenden Substanz」である労働の定量Quantumによってである。
 労働の
量Quantität自身は、時・日等の一定時間部分としてその尺度標準がある。

価値の実体Substazをなす労働は、等一の人間労働で、同一人間労働力の支出である。
 商品世界の価値に表わされている社会の全労働力は、同一の人間労働力とみなされる。
 無数の個人的労働力のおのおのは、社会的平均労働力として作用し、
 社会的に正常なる生産諸条件と労働の熟練と強度の社会的平均度をもって、
 使用価値を造り出すために必要とされる労働時間である。

⑬ このようにして、個々の商品は、その
種の平均見本にされてしまう。ある商品の価値の、
 他の商品のそれぞれの価値にたいする比は、ちょうどその商品の生産に必要な
 労働時間にたいする
比に等しいverhält
 「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間
festgeronnener Arbeitszeit.の
 一定量bestimmte Maßeであるにすぎない。」 
 〔凝結せる
festgeronnener→gerinnenゲル化する・膠状化する・Gallertの関連語〕
 (注11:カール・マルクス『経済学批判』)

⑭ しかしながらこの
労働時間は、労働の生産力における一切の変化とともに変化する
 労働の生産力は、種々の事情によって規定される。・・・一般的にいえば、労働の生産力が大であるほど、
 一定品目の製造に要する労働時間は小さく、それだけその品目に結晶している
 労働量kristallisierte Arbeitsmasseは小さく、それだけその価値も小さい。逆に、労働の生産力が小さければ、
 それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。
 したがって、ある商品の価値の大いさWertgrößeは、その中に実現されている労働の
量Quantumに正比例し、
 
その生産力に逆比例して変化する。  *→第2節労働の二重性へ、転回してゆく。
 *第1版には、次の一文がつづく。

⑮ 「われわれは、いまや
価値の実体Substanzを知った。それは、労働Arbeitである。
 われわれは
価値の大いさの尺度Größenmaßを知った。それは労働時間Arbeitszeitである。
 価値Wertをまさに交換-価値Tausch-Wertにしてしまう
その形態Formは、これから分析する。
       
*この分析は、第3節価値形態で行なわれる。
⑯ だがその前に、すでにここで見出された規定をいま少し述べていかなければならぬ。」
       
*次の第2節労働の二重性で、述べられてゆく。
 
以上で、第1節「商品の2要素」の要約を終了するのですが、論点として以下2つの点を検討して、
 第2部(第2節「商品に表わされた労働の二重性」)に引き継いでゆきます


第2章 第1節の論点について
 
第1節 ロック-バーボン論争における価値の「大いさ」と「量」について

① 第1節の要約④において、「商品に内在的な、固有の交換価値は、一つの背理に思われる。
  これを詳細に考察する」ことから、商品価値の分析が対話形式で展開されてゆきます。

② ロック-ラウンズ論争に介入して、バーボンが論戦に加わります。ロックに対するバーボンの反論は、
  
背理-自己矛盾に陥っていることを示しています。ロックに対するバーボンの反論「商品の価値は、
  その有用性から生ずる」「どんな物でも内在的価値というようなものをもつことはできない」(注7)と言いつつ、
  他方で、「一つの商品種は、同一の大いさの交換価値を有する他の物との間には、少しの相違または
  差別がない」と主張しています。

  〔バーボン原本の7ページから8ページに、「等しい価値 equal valueの物には、相違や差別はない、
  それは、一商品は同じ価値
the same Value の他の物とは、同じ as good as である。
  100ポンドの価値 worth のある鉛または鉄は、100ポンドの価値ある銀または金と同じ大いさの
  価値Valueである・・・特別企画 「ロック-バーボン論争と価値Value」 参照〕

③ しかし、マルクスは、さらに問題を掘り下げ、
バーボンが背理に陥る原因を分析してゆきます。

  
A 「商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である」。
  
B 「この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の割合に
  ありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる」。

  この
AとBの文脈(文中での語の意味の続き具合)は、「バーボンが背理に陥る論拠」を提示しています。
  すなわち
Aは、「商品の交換関係(交易)の内部では、
  バーボンの「有用性」(バーボンでは、商品の価値はその有用性から生ずる)が抽象され、
  ある共通なもの・第三のものに整約されてしまうこと」になり、その結果として、
   B「交換関係の内部では、適当な割合にありさえすれば同じだけのものとなる」のです。
  こうして、バーボンは、
老バーボンの自己矛盾した言説を唱えることになってしまうのです。


第2節 『資本論』第1節で援用されたヘーゲル論理学の「量、定量、大いさ」
*「量、定量、大いさ」の解説は、
4月新着情報「『資本論』のヘーゲル論理学入門2参照
 
ここでは、
ヘーゲルの論理学「有論」の「量Quantität」が果たしている役割・機能について説明します。

① バーボンが自己矛盾・背理に陥る原因である
「価値量」の大いさGrößで表示される尺度規定の問題です。
 (かの老バーボンが言っているように「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさGrößであるならば、
 他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさGrößの交換価値を有する物の間には、
 少しの相違または差別がない。」)

ヘーゲルは、「 大いさGröß 」について次のような説明をしています。

 「大いさ・大きさ Größ という言葉は、主として一定の量をさすから、
量 Quantitätをあらわすには不適当である。
 大いさ・大きさ Größ は、定量 Quantum を意味するのである。それ故に、この
量 Quantitätという名称は、
 どうしても
外国語を借用するほかないのである。」(『大論理学』第2篇大きさ・量)

②  一定の量を指し示す場合には、大いさGröß や定量
Quantumの用語を使用しますが、それ以外の量を
 表示する場合にQuantitätを使用するのだ、とヘーゲルは言います。その具体例として、提示されている
 ケースが、上記「1.第1節の要約⑭なのです。「したがって、ある商品の価値の大いさGrößは、
 その中に実現されている労働の定量
Quantumに正比例し、その生産力に逆比例して変化する。」

 「商品価値の
ある一定の大いさGröß」を表示するはずでしたが、生産力の変動によって、
 その「価値の大いさGröß」は比例関係としての尺度機能を果たすことができません。
 そこで、つぎのような疑問が生じてきます。
「一商品の価値自体の大いさGrößは、どのようにして測ることができるのか?」
この疑問に対応する概念が、Größではなく、量Quantitätに該当する、とヘーゲルは言うのです。

③ ヘーゲル論理理学「有論」を継承したマルクスが、この疑問に対してどのような議論を
 展開しているのでしょうか。もう一度、上記の要約⑪を見てみましょう。
  
今度は、『資本論』第1節、第14段落全文を一行ずつ解剖してゆきます。
1 このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に
  抽象的に人間的な労働が対象化されている〔具現する〕から、または物質化されているからである。
2 そこで、財貨の価値の大いさはどうして測定されるか?
3 その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量によってである。
4 労働の量Quantität自身は、その継続時間によって測られる。
5 そして労働時間には、また時・日等のような一定の時間部分としてその尺度標準がある。

ここで、注目すべきは、2と3では一定の大いさを示すGrößとQuantumに対して
4労働の量Quantität自身は」の場合には、「Quantität」が使われていることです。
生産力が同じ場合に、労働が物質化した「定量Quantum」を測定する尺度単位と、
個々の商品に対象化された労働時間の「定量Quantum」の尺度単位は、比例関係を形成する。
しかし、生産力が変動した場合、商品価値の大いさは、比例関係と逆比例関係の両方が成立してしまう。
 *したがって、「労働
時間の概念に変革が生じてきます。」
このように生産力の変動に応じて個々の商品に現われ変動する価値の-反対方向に増減する場合のある-
量的規定性・量的概念を確定する必要が生じてきます。

このようにして商品の価値量変動に対応する概念が
「Quantität量」となるのです。
しかし、この量は、どのような仕組みで、その働きが機能するのでしょうか?
こうして、新たな解かれるべき課題が発生しています。
この課題に対して、「
第1版では次の一文がつづいている」のです。

第3章 第1版⑮の
「価値をまさに交換価値にしてしまうその形態は、これから分析する」


第1節 「第1版挿入文⑮」は、価値形態論の導入部である

第1版⑮「われわれは、いまや価値の実体Substanzを知った。それは、労働である。われわれは
 価値の大いさGrößを知った。それは労働時間である。価値をまさに交換価値にしてしまうその形態Formは、
 これから分析する。だがその前に、すでにここで見出された規定をいま少し述べていかなければならぬ。」

② ここの翻訳「価値をまさに交換価値にしてしまうその形態は、これから分析する。」は、誤解されやすい。
 この翻訳理解では、「
その形態を分析する」との解釈も可能となってしまうからである。
 文法的(主語 S+動詞 V+
目的語 O )に目的語として「その形態」が受けとめられて、
 誤解されてしまうのです。

③ そうではなく、「その形態Form」は、文法的に主語として厳密に翻訳される必要があります。
 「
“その形態Form”は、価値をまさに交換価値にしてしまう。
 そして、このようなその形態Formをこれから分析する
」と理解されなければならない。

その理由は、まさにヘーゲル論理学をマルクスが継承しているからである。
ここは、第3節価値形態または交換価値の導入部の役割を果たしているだけに、
正確に誤解の余地がないように理解されなければならない。

第2節 Formは、ヘーゲル論理学のキーワード

「その形態Formは」と翻訳されたドイツ語Formは、ヘーゲル論理学では、特別な位置を占めています。
『小論理学』から用語法を探ってみよう。ただし、ヘーゲル哲学では、Formは、形式と訳されている。

1. 第1部有論 B現象 「本質は現象しなければならない。」(p.55)
2. b 内容と形式(Inhalt und Form)の関係(p.60)
 <133> 「現象の世界を作っている個々別々の現象は、全体として一つの統体をなしていて、
 現象の世界の自己関係のうちに全く包含されている。かくして現象の自己関係は完全に規定されており、
 それは
自分自身のうちに形式を持っている
 〔商品世界の労働実体Substanzは、価値として交換価値の形式を持つ〕
 しかも、それは
自己関係という同一性(*注)のうちにあるのであるから、
 それは形式を本質的な存立性としてもっている。かくして形式は内容である。」(p.60)

  
(*注)「自己関係という同一性」の理解は、大変重要ですので、
      「
『資本論』の弁証法2」をクリックして確認しておいてください。

さて、『資本論』と対比してみることにしましよう。
 
「内容」:「われわれは、いまや価値の実体を知った。それは、労働である。
      われわれは価値の大いさを知った。それは労働時間である。」
 
「形式」:「その形態(形式)Formは、価値をまさに交換価値にしてしまう」

 商品世界のなかで、労働実体が価値実体として現象するために、価値形式(Wertform:価値形態)は、
本質的な存立性をもっている。すなわち、
価値は形式活動によって、交換価値として現象するのである。
そして、本質である労働実体を現象させる機能が、形式活動・働きFormtätigkeitである。
 (『小論理学』a実体性の相関Substantialitäts-Verhältnis p.103)

第4章 実体Substanzと形式Formについて
ヘーゲル論理学(『小論理学』)から、実体と形式の関係について調査・探究します。

第2部本質論、C現実性、a 実体性の相関 
<150> 必然的なものは自己のうちで全体的な
相関Verhältnisである。
 すなわち、相関が同時に自己を揚棄して絶対的な同一となる過程である。
 その直接的な形式において、実体性と偶有性との相関である。この相関の絶対的自己同一は
実体Substanzそのものである。実体は必然性であるから、こうした内面性の形式の否定であり、
したがって自己を現実性として定立する。しかしそれは同時にまたこうした外面性の否定であって、
この面からすれば、直接的なものとしての現実は偶有的なもの〔実体が偶然的な姿で現象するもの〕にすぎない。
そして偶有的なものは、こうした単なる可能性であるために、他の現実へ移っていく。
この推移が形式活動としての実体的同一性である

最後に、『資本論』第1節の要約に出現する実体Substanzと形式Formの関係について、探究しよう。
第1節 実 体
1.「財貨〔や商品〕の価値の大いさ die Größe seines Werts は、その中に含まれている
 「価値形成実体 wertbildenden Substanz」である労働の定量 Quantum によってである。」
 「労働の量 Quantität 自身は、時・日等の一定時間部分としてその尺度標準がある。」

2.「価値の実体Substazをなす労働は、等一の人間労働で、同一人間労働力の支出である。
 商品世界の価値に表わされている社会の全労働力は、同一の人間労働力とみなされる。」

 
*一般的に誤解されている命題:「価値の実体は抽象的人間労働である」がある。
  この「抽象的・・・」という意味不明な用語法をヘーゲルが強く批判している。


3.「われわれは、いまや価値の実体Substanzを知った。それは、労働である。
 われわれは価値の大いさGrößeを知った。それは労働時間である。」

 *この「労働時間」は、生産力の変動によって変動し、価値量は多様化する。

第2節 形 式 〔ヘーゲル論理学に準じて形態を形式という〕
1. 「資本制生産様式の支配的である社会の富は、“巨大なる商品集積”として現われ、」
 「個々の商品はこの富の成素形態・
形式Elementarformとして現われる。」

2. 「同一商品〔例えば小麦〕の妥当なる諸交換価値〔靴墨、絹、金等々〕は、一つの同一物を表わしている。
 だが、交換価値はそれと区別さるべき内在物の表現方式、すなわち、
 その「現象形態・形式Erscheinungsform」である。」
 
 *「交換価値は、同一物である内在物(価値)の表現である“現象形式”」

3. 「その
形式Formは、価値〔実体〕をまさに交換価値〔相関関係Verhältnis〕にしてしまう。」
 (「価値をまさに交換価値にしてしまうその形態・
形式Formは、これから分析する。」
   これから → 第3節 価値形態または交換価値 )


 
( 第3節 価値形成実体 wertbildenden Substanz と形式(形態) Form )
 
 『資本論』の叙述進行が、ヘーゲル論理学と密接不可分の関係にあることに
 ご理解いただけたでしょうか? ここを乗り越えれば、後がずっと楽になります。
 私たち編集委員会が、ずっとこだわり続けてきた理由も この5月号の第1部でした。
 
なぜ、マルクスは、バーボンの注を3回も連続したのでしょうか?
 
なぜ、「労働生産物の残り、妖怪のような同一の対象性、すなわち人間労働力支出の、
     単なる膠状物以外に残っていない。」 この「妖怪のような」とは?

 私たちは、これらの「なぜ」への謎解き舞台にやっと立つことができました。
 「こだわりサークル」の皆さん、そして5月号までお付き合いいただきました
 資本論ワールド探検隊の一員である皆さん、
ありがとう!!

 「学問にはたんたんたる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路を
  よじ登るのに疲労こんぱいをいとわない者だけが、
  輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。」 
カール・マルクス