資本論と物質代謝

                          

 
>>自然と労働の物質代謝19世紀生命過程の解明クリック


<コラム20> 社会的分業と物質代謝 2018.05.09


 

    『資本論』 の 物質代謝

   
       ~自然と社会の物質循環~


  資本論ワールド編集部 はじめに

 
1.  最初商品はわれわれにとって両面性のものとして、すなわち、使用価値または交換価値として現われた。後には、労働も、価値に表現されるかぎり、もはや使用価値の生産者としての労働に与えられると同一の徴表をもたないということが示された。商品に含まれている労働の二面的な性質は、私がはじめて批判的に証明したのである
(注1)。この点が跳躍点であって、これをめぐって経済学の理解があるのであるから、この点はここでもっと詳細に吟味しなければならない

  (注1) 『経済学批判』 新潮社版、P64-65 (本文参照)

1.  「各種の使用価値または商品体の総体の中に、同じく属・種・科・亜種・変種等々というように、種々様々のちがった有用労働の総体が現われている。― 社会的分業である。この分業は商品生産の存立条件である。・・・お互いに商品として相対するのは、独立的でお互いに分かれている私的労働の生産物だけである。
 したがって、こういうことが明らかとなる。すなわち、すべての商品の使用価値の中には、一定の目的にそった生産的な活動または有用労働が含まれている。もし使用価値の中に、質的にちがった有用労働が含まれていないとすれば、使用価値は商品として相対することはできない。その生産物が一般に商品の形態をとる社会においては、すなわち、商品生産者の社会においては、独立生産者の私業として相互に独立して営まれる有用労働のこのような質的な相違は、多岐に分かれた労働の体制に、すなわち社会的分業に発展する。」 (『資本論』第1章第2節商品に表わされた労働の二重性)

2. 「だが、上衣にとっては、それを裁縫職人が着るか、その顧客が着るかは、どうでもいいことなのである。そのいずれのばあいでも、上衣は使用価値として作用している。同じように、上衣とこれを生産する労働との関係は、それ自身としては、裁縫が特別の職業となること、社会的分業の独立の分肢となることによって、変化することはない。

『資本論』第1章から第3章において、
  
社会的分業、物質代謝と物質循環そして社会有機体の概念装置と理論は、
  『資本論』の価値法則や価値理論を根底において支えています。

 


 ★ 目 次

   第1章 物質循環と物質代謝

1. 物質循環と物質代謝
2. 生命科学への道のり
3. 物質循環への道のり
4. 窒素循環への道のり


  
第2章 生物学説への道のり 
5. 細胞学説への道のり

  第3章 『資本論』の物質代謝
6. 
『資本論』の物質代謝
7.
 商品の変態
8. 
第3節 貨幣
9.
第5章 労働過


 第1章 物質循環と物質代謝
 
 『資本論』の特徴的な方法のひとつに、「歴史的・論理的」な弁証法があると言われてきました。
この「歴史的・論理的」の骨格には、2000年有余に及ぶ西洋思想が含まれているとも言われてきました。これら西洋思想の伝統的概念と論理構成の「革新」をもって、『資本論』の論理構造が形成されているようです


 
さて、これら西洋思想と論理形態は、日本文化とは当然大きくかけ離れていますので、日本語に翻訳された場合、特有の困難が生じることは、容易に理解されます。もともと日本文化に存在していない科学や哲学関連の事象を日本語に解釈し、翻訳作業を幕末・明治以来、200年にわたって私たちの先輩が血のにじむ努力を重ねてきた苦労は、想像を絶するものがあると推測できます

 
『資本論』特有の難しさ(読みづらさ)と判読不明箇所の多い書物もめずらしいですが、それでもなぜか、外国経済文献の古典のベストテンには入ると言われています。(ちなみに岩波書店の『資本論』文庫第(1)は、1969年1月から2015年4月までで第60刷となっています。)「難しいから、読んでやろう」という殊勝の方もきっといることでしょう

 
特に『資本論』当時の科学技術の知識が要求される場合、現代とは違った思考が要求されます。西洋科学史のガイドブックが要望されるわけです。「そんな困難を一歩ずつ読み解きながら、辿っていこう」というのが、この脚本の物語りです。海外旅行につきものの、しっかりとしたガイドブックが必要ですイギリスの首都ロンドンやベルリン、パリなど有名な都市は知っていても、いざ現地の観光にはやはり交通機関の案内役としてガイドブックはどうしても必要で、手もとから離すことができません

 そこで、「『資本論』ワールド」では、西洋事情に詳しい名ガイドを案内役として、お手伝いをしていただきます。また、翻訳された日本語ガイドも欠かせませんので、著名な日本人の方々にもガイド役を担っていただきます。西洋思想の根幹として初めに「歴史的・論理的」な科学分野では著名な科学史家であるシンガーさんに先導役をお願いしています

 この西洋科学史をたどってゆきますと、マルクスが『資本論』の中で何を考え、どうして「難しい・読みづらい」表現をしているか、その手がかりが発見できます。一度自分自身で、この手ごたえを実感すれば、もうしめたものです。優れた科学書というものは、論理的にも、構成的にも「再現性(情報として他者と共有できる属性)」を備えています。西洋思想の伝統的枠組みの仕組みの理解から始めてゆきましょう

シンガー・『科学思想のあゆみ』、『生物学の歴史』は、使い勝手よいガイドです。また副ガイドには、ダンネマン大自然科学史を参照してゆきます。また、エンゲルスの『自然の弁証法』も登場します。では、さっそくシンガーさんやダンネマンさんにガイドをお願いしながら、科学史を探索してゆきましょう。・・・以下は、特段断わりがない場合は、シンガーとダンネンマンの要約・抄録です。・・・



  第1節 生命科学への道のり

  哲学でも科学でも、その歴史全体を通じて、生命の本質の解釈を機械論によっておこなう場合と、
その他のある実体によっておこなう場合(生気論・目的論)の間には、伝統的に対立が存在してきた。18世紀には、
この闘争がきわめて明瞭のかたちをとるようになった。そして、・19世紀初期の生物学を展望した場合の一つの特色は、
緩慢ながら顕微鏡による研究が、重要な地位を占めてきたことである

 ・
19世紀の40年代までは、記載と分類が動物学と植物学の主要な課題であった。その後この部門は
化学的・物理学的な研究が発達したおかげで、その性格を根本的に変えるにいたった。
 それは、博物館の収集活動ではなく、精密研究のあらゆる手段をそなえた実験室における研究に、
そのもっとも重要な成果を負っている帰納的科学となった


    社会的分業、物質代謝と物質循環そして社会有機体の概念装置と理論は、
  『資本論』の価値法則や価値理論を根底において支えています。



  第2節 物質循環への道のり


オランダ人技師のヤン・インヘンホウスは、動物の生活と植物の生活の間の均衡という非常に重要な概念を
導入しつつあった。1779年に『日なたでは一般空気を浄化し、日かげや夜間では汚染する偉大な力を発見する
植物実験』を出版した。そこには、植物の緑の部分は光にあたると大気中の遊離している二酸化炭素を固定することが
証明されている。そしてかれは、植物は暗闇のなかではそのような能力をもたず、逆に少量の二酸化炭素を
放出することを示した。この最も意義深い発見は、生物の世界の経済についてのわれわれの包括的な概念の基礎に
なっている。動物の生活は、終局的には植物の生活に依存している。植物は、死んだ動植物の分解の産物とともに
大気中の二酸化炭素から自己の実質をつくりあげる。こうして、動物界と植物界には均衡がたもたれる

 
〔その後、生命過程の化学変化についての研究が進展してゆく。〕
 ・
植物は、その組成である炭素と窒素を大気中の二酸化炭素とアンモニアからひき出し、それらは、腐敗の過程で
ふたたび植物によって大気中に返されるというリービヒ(ハデルベルク大学、ギーセン大学の化学教授)によって
主張された学説は、非常に重要であった。 自然界の一種の「物質循環」について、哲学的概念を成り立たせ得た。
壊されたものが絶えず組み立てられ、また後になると壊される。そのようにして生命の輪は回り、その動力は外から
もたらされた
ネルギー、けっきょくは太陽の熱に由来するのである




   第3節 窒素循環への道のり


 リービッヒはすべての生命力が化学的、物理的諸因子の結果として説明できると確信していた。
彼が創建した大学研究室のドアの上に「神は分銅と物差しにより、御身のあらゆる創造物を秩序づけた」という格言を
かかげた。かれの偉大な業績は、生物が展開する諸現象に化学的知識を適用したことであった。彼は実習の導入や、
現在では常時使われている装置の導入で大きな貢献をした

 
リービヒは有機化学分析法を改良したが、なかでも溶液中の尿素量の定量法を導入した。この物質は哺乳動物の
血液や尿中に見出され、長い間、「合成される」、つまり元素からつくられる最初の有機化合物であると考えられていた。
それは動物のからだの中で「蛋白質タンパク」として知られる特有な窒素化合物の分解過程で普通につくられるもので
あるため、生理学上非常に重要である

 ・
リービヒは、窒素はアンモニア化合物が硝酸塩の形で根から取り込まれると科学者たちに説いていた。
かれは、腐植土を吸収するという昔からの考えを退け、「二酸化炭素、アンモニアおよび水は、それらのうちに生きている
動物と植物の成分に必要なすべての要素を含んでいる。二酸化炭素、アンモニアおよび水はまた、それらの腐敗や
分解過程の最終産物でもある」と述べて、生理学の全般にわたる基盤を確固たるものとした。

 フランスの化学者にして鉱山技師、ブサンゴーは長年研鑽を積んで、とうとう窒素の問題について成果を収めた。
1850年代には、植物が窒素を吸収するのは大気からでなく、土壌の硝酸塩からであると証明した。
さらに硝酸塩さえあれば、植物の生長には土壌中の有機物もしくは炭素化合物は不必要であることも示した。
それゆえ、植物中の炭素はすべて大気の二酸化炭素に由来するに相違ない
彼は、これらの実験に定量的方法を用い、彼が扱った植物に関するかぎり得た結果は正しかった。・・

 
今では明らかだが、窒素同定は経済的に非常に重要である。引き続いて多くの学者がその問題を取り上げ、
彼らの発見は生態学上きわめて重要で「窒素循環」に関する私たち見方を改めたの




  第 2 章  細胞学説への道のり 


1. ・物質代謝と細胞組織の根本的に新しい考え方で、近代的な位置づけを得る段取りをつけたのは、フランスの医師で実験植物学者だったアンリ・デュトロシュだった。第一に、ネムリグサ(オジギソウ)の運動の研究を通して、従来通説となっていた植物と動物の運動には根本的な相違があるという誤った考えを一掃した。
 第二に、解剖学的な研究と生理学的な実験を繰り返すなかで、顕微鏡を化学の補助手段とした。植物組織の構造と動物の多くの器官の構造のあいだには、大きな類似があることを指摘し、動物体と植物体の顕微鏡的構造が非常に似ていることを証明したシュヴァンの先駆者となった。
 第三に、細胞をはっきりと
要素生体Elementarorganismusブリュッケ『要素生体』(とみなしていた。「観察の教えるところによると、各細胞は固有な膜をそなえた一つの特別な器官であって、種々の細胞はたがいにくっついているにすぎないと仮定できるほどに明瞭に、それを周囲の諸器官からとりだすことができる。

この説は動物の構造に関する私の観察によって支持される。というのは、これらの観察から、組織もまた莫大な数の細胞小胞の集まりと、考えることができるからである。」(デュトロシェ生理学諸研究1824年)
 これらの科学者たちの研究の蓄積のうえに、「細胞学説」が形成されました。生命現象の物質的基礎として原形質の概念が構築され、シュライデン、シュヴァンそしてフィルヒョウへとつづくことになります

2. マルクスは、『資本論』の序文と第1章第1節で、自らの生物学的方法について説明を始めています。
 
  序文:「経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である」
 
 
  
第2版後書:「要するに、経済生活は、われわれにとって、生物学の他の諸領域における発展史に似た現象を示す」。第1章第1節:「資本主義的生産様式の支配的な社会の富は、「巨大な商品集積」として現われ、個々の商品は、この富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。」
 
 
このように、マルクスは近代生命科学史の伝統を受け継いでいきます



   ( 『資本論』と
ブリュッケ『要素生体Elementarorganismus』の対比参照
  (Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "
ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware. :
 資本制生産様式の支配的な社会の富は、「
奇怪奇妙な、恐ろしい商品の集まり(集合)」として現われ、個々の商品は、この富の成素形態Elementarform ― 19世紀に科学史上著名な生理学者ブリュッケによる細胞・「要素生体」(Elementarorganismus)の概念に連なる ―として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。


3. ブリュッケ 『要素生体Elementarorganismus』 について
     ダンネンマン 『大自然科学史』第10巻 Ⅺ.生物研究における近代の進歩 より

  原形質の体制

 ブリュッケ(1819-1892年)および彼と一脈相通じる学者たちの研究によって、紺胞の原形質の内容のなかに、いっさいの動植物生活の基礎があることが、ますます明らかに示された。この重要な成果はブリュッケの『要素生体』についての有名な論文のなかに、うまく言いあらわされている。この要素生体(Elementarorganlsmus)という言葉を、ブリュッケは一個の生物の生命単位として、特徴づけるためにつくったのである。
 シュヴァンは、細胞のもっとも本質的な要素は、膜、原形質、核、核小体(仁)であると主張した。しかし、人びとがこの図式をあらゆる細胞にあてはめようとしたとき、いろいろの困難がもちあがってきた。たとえば、膜は細胞の不可欠な要素でないことがわかった。
 ブリュッケはこう言っている。「発生段階のはじめには、膜は細胞にはおそらくあらわれなかったのだろう。膜が見いだされるばあいには、それは徐々の濃縮過程、または硬化過程によって、ずっとのちにはじめて発生したのである。人びとは、核もまたその図式の本質的な要素と仮定することはゆるされない。これに反して、細胞内容、すなわち、原形質こそ、生命現象が演じられる細胞の真の肉体である。」原形質にはじめて注意が向けられたときに、人びとはそれを外観から、無構造の、タンパク性の塊とみなした。しかし、原形質で演じられる生命現象の研究から、こういう考え方はゆるされないことが認められた。
 原形質が示すようなもろもろの現象は、タンパク質そのものではどうしても認められなかったので、人びとは生きている細胞にたいして、細胞を構成している有機化合物の分子構造以外に、なおべつの構造、すなわち、ブリュッケが「原形質の体制」(die Organisation des Protoplasmas )とよんだものを、与えなければならなかった。
 ブリュッケによると、それだけでも非常に複雑な有機化合物の分子は、生きている細胞のなかでは、一定の配列なしにあるのではなく、細胞体の生きている構造に巧衣に連結された、工芸品のような姿を呈している。したがって、たとえ顕微鏡によって直接推定することはまだできないにしても、植物の細胞は、細胞から組み立てられた植物全体に劣らず、巧みに組み立てられている。ブリュッケはこう言っている。「私たちはいちばん小さい動物を研究するときだけでなく、動物や植物の細胞を研究するときにも、この意識をもたねばならない。私たちは細胞のなかに小さい生命をつねに見なければならないし、また細胞と動物のいちばん小さい形態のあいだにある類似を、けっして見のがしてはならない。」プリュッケのこの論文は、細胞の本性についての近代的な研究に、目標と方向を与えたものであった。そのため要素生体についての彼の論文が、「近代の細胞研究のプログラム」とよばれたものまた当然であった。
 ・・・・以下、省略・・・



 第3章 『資本論』の物質代謝 Stoffwechsel  素材変換・物質交替



   第1章 商品 第2節 商品に表された労働の二重性


7.
 上衣にとっては、それを裁縫職人が着るか、その顧客が着るかは、どうでもいいことなのである。
そのいずれのばあいでも、上衣は使用価値として作用している。同じように、上衣とこれを生産する労働との関係は、それ自身としては、裁縫が特別の職業となること、社会的分業の独立の分肢となることによって、変化することはない。着物を着るという欲望が人間に強要するかぎり、人間は、ある男が裁縫職人となる以前に、幾千年の永きにわたって裁縫した。しかしながら、上衣、亜麻布等、自然に存在しない素材的富のあらゆる要素が現存するようになったことは、特別な人間的要求に特別な自然素材を同化させる特殊な目的にそった生産活動によって、つねに媒介されなければならなかった。したがって、使用価値の形成者として、すなわ有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であって
人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性である



   第2章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段

    ・a 商品の変態
2.

 
交換過程は、諸商品を、それが非使用価値である持ち手から、使用価値となる持ち手に移すかぎり、社会的な物質代謝である。ある有用な労働様式の生産物が、他のそれとかわる。商品はひとたび使用価値として用いられる個所に達すると、商品交換の部面から消費の部面にはいる。ここでわれわれの関心事となるのは、前の方の部面のみである。したがって、われわれは全過程を、その形式的側面から、したがって商品の形態変化〔Formwechsel〕または社会的物質代謝〔 Stoffwechsel〕を媒介するそ変態〔Metamorphose〕をのみ、考察しなければならぬ


6.
 
そこで亜麻布織職にとって大事なことは、その取引の最終結果であるが、彼は亜麻布のかわりに聖書を、すなわち彼の最初の商品のかわりに、同一価値の、しかし有用性をことにする他の商品をもっている。同様にして、彼は、その他の生活手段と生産手段とを獲得する。彼の立場からすれば、この全過程は、ただ彼の労働生産物を他の人の労働生産物と交換すること、すなわち生産物交換を媒介するだけである。 
商品の交換過程は、こうしてつぎのような形態変化〔Formwechsel〕をなして遂行される
    商品―貨幣-商品
     W - G - W

 
W-Wなる運動、商品の商品にたいする交換は、その素材的内容〔stofflichen Inhalt〕からいえば、社会的労働の物質代謝〔Stoffwechsel〕あって、その結果としてこの過程自身が消滅する
 
W-Gすなわち、商品の第一の変態〔Metamorphose〕または売り。商品価値の商品
〔Warenleib〕から金体〔Goldleib〕への飛躍は、私が他のところで名づけたように、商品のsalto mortale(生命がけの飛躍)である
 <
注100:他の箇所の商品ではWarenkörper

20.
 ・・・
ここに示されているのは、商品交換が、直接的な生産物交換のもつ個人的地方的の限界をどうして突き破り

人間労働の物質代謝
を発展させるかということである。他方において、行動する各個人の手ではどうにもしがたい
社会的な自然関連の大きな範囲が、発展してくる。織職が亜麻布を売りうるのは、ひとえに農民が小麦を売ったからであり、
短慮者が聖書を売りうるのは、ひとえに織職が亜麻布をい売ったからであり、火酒製造者が熱い水を売りうるのは、
ひとえに他の者が永遠の生命の水を、すでに売ったからである、等々



  ・b 貨幣の流通ウムラウフ Der Umlauf des Geldes
1.
 
労働生産物の物質代謝が行われる形態変化W-G-Wは、同一価値が商品として過程の出発点をなし、
同一点に商品として帰ってくるということを、かならず含んでいる。したがって、商品のこの運動は循環である。
他方において、この同じ形態は貨幣の循環を排除する。その結果は貨幣がその出発点から絶えず離れていって、
その出発点に帰らないということである

<注101:商品の循環が物質代謝=物質循環を示す場合がある>

10.
 
貨幣流通ということは、一般に商品の流通過程、すなわちその循環が、相対立した変態を通じて行われるだけのことで
あるように、貨幣流通の速度ということは、商品の形態変化の速度、すなわち、形態序列の継続的なかみあい、
はや
物質代謝商品の流通部面からの急速な消失と、新たな商品によるその同じく急速な代置が、行なわれること
なのである。したがって、貨幣流通のこの速度ということには、相対立した、そしてお互いに補足する局面、すなわち、
使用態容〔Gebrauchsgestalt〕の価値態容への転化〔Verwandlung:変化、変貌、動物学での変態〕および
価値態容〔Wertgestalt〕の使用態容への最転化、いいかえれば、売りおよび買いの両過程、これらの流動的な統一が、
示されているのである



  第3節  貨 幣 a 貨幣退蔵
2.
 
商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の生産物、すなわち、商品の転化された態容、または
その金蛹〔Goldpuppe〕を、確保するという必然と熱情とが、発展してくる。商品を買うためでなく、商品形態を
貨幣形態で置き換えるために、商品は売られる
この形態変化Formwechselが、物質代謝Stoffwechselの単なる媒介から自己目的となる
商品の脱皮した態容Gestaltは、その絶対的に譲渡しうる態容、または瞬過的に過ぎない貨幣形態として機能することを
妨げられる。これをもって、貨幣は退蔵貨幣に固定化する。そして商品の売り手は貨幣退蔵者となる

b 支払手段 
6.
 支払手段としての貨幣の機能は、媒介なき矛盾を含んでいる。支払いが相殺されるかぎり、貨幣はただ観念的に
計算貨幣、または価値の尺度として機能するだけである。現実の支払を行うかぎり、貨幣は流通手段として、すなわち、
ただ
物質代謝の消滅する、そして媒介的な形態として現われるのではなく、社会的労働の個性的な化身〔Inkarnation:受肉〕
として、交換価値の独立の存在〔Dasein:定有〕、すなわち、絶対的な商品として現われるのである。



c 世界貨幣
2.
 
世界貨幣は、一般的な支払手段として、一般的な購買手段および絶対的な社会的な富一般(普遍的な富)の
体化物〔Materiatur:〕として機能する。国際貸借の決済のために、支払手段としての機能がおもなものである。だから、
重商主義の標語は―貿易差額! それまで
各国民間の物質代謝の均衡が、突如攪乱されるごとに、
国際的購買手段としては、金と銀とが主として用いられる。最後に富の絶対的な社会的な体化物として用いられる。この
ばあいには、問題は、買いにも支払にもかんするところのないものであって、富の一国から他国への移動にある。

  第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程
2.
 
労働はまず第一に、人間と自然とのあいだの一過程である。すなわち人間がその自然との物質代謝を、
彼自身の行為によって媒介し、規制し、調整する過程である。人間は、自然素材そのものにたいして、一つの自然力として
相対する。彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用しうる形態において獲得するために、彼の身体のもっている)
自然力、すなわち腕や脚、頭や手を動かす。この運動により、彼の外にある自然に働きかけ、これを変化させるとともに、
同時に彼は彼自身の自然を変化させる。彼は、彼自身の自然のうちに眠っている潜在能力を発現させ、
その諸力の活動を、彼自身の統御に服させる。


17.
 
労働過程において用いられない機械は無用である。そのうえに、それは自然的物質代謝の破壊力に侵される。
鉄は錆び、木は朽ちる。織られもせず編まれもしない糸は、駄目になった綿花である。生きた労働は、これらの物を捕え、
蘇えらせ、単に可能的であったにすぎない使用価値から、現実的にして効果的な使用価値に、転化せねばならない。
これらの物は、労働の火に舐められ、労働の肉体として取込まれ、労働過程におけるそれらの概念および職分に
ふさわしい機能を吹きこまれて、消耗されるのではあるが、しかし充分な目的をもって消耗されるのであり、生活手段として
個人的消費に入りうるか、または生産手段として新たな労働過程に入りうる新たな使用価値の、新たな生産物の
形成要素として消耗されるのである。
 かくして、現在ある生産物が、労働過程の結果であるだけでなく、その存立条件でもあるとすれば、他面では、
労働過程への生産物の投入が、したがって、
生きた労働とのその接触が、
これらの過去の労働の生産物を使用価値として維持し、また実現するための唯一の手段なのである。


 
・・・・以下、省略・・・