2018年 新着情報
『資本論』生誕150周年 アダム・スミスからマルクスへ


  ◆ 1月号
<コラム15>  『国富論』における市民社会の概念と分析視角・・・内田義彦『経済学の誕生』


 
新年おめでとうございます。


 資本論ワールドは、3回目のお正月を迎えました。これもひとえに探検隊の皆さんの冒険心とお力添えの賜物と感謝申し上げます。
 昨年末に、大内兵衛解題による「アダム・スミスからマルクスへ」お歳暮をお届けしましたが、ご賞味はいかがでしたでしょうか?
つづく<コラム15>は、暦も改まりまして内田義彦さん(1913年- 1989年)に新年のご挨拶をいただきます。内田さんは、1953年(40歳)に『経済学の誕生』、61年に『経済学史講義』を公刊しました。ちょうど、小林昇さんと同時代に活躍された経済学者でした。
 内田さんは、アダム・スミス経済学を端的に指摘しています。
 「アダム・スミスの『国富論』は、いわゆる市民社会が、どういう機構をもち、どういう法則あるいは力学にしたがって動いているかを、その基礎たる物質的生活の生産=再生産の根本にさかのぼって、はじめて科学的に、しかも、その総体において分析することを企図したものといわれている。」
 「・・・労働する人たち、・・・かれらは、その共同社会のなかの他のすべての人々がぜいたくをするための原料を提供して、いわば人間社会の全組織をその双肩にになっているにもかかわらず、その重荷によってどん底におしひしがれて、建物の一番下積に忘れさられているのである。これほど抑圧的な不平等のただなかで、文明社会の最下層の、もっともさげすまれている人たちでさえ、もっとも尊敬されもっとも活動的な野蛮人が到達しうるよりも、すぐれた豊富さと潤沢さとを、ふつうに享受している事実を、どう説明したらよいであろうか。」
 「こう自問して直ちにスミスは、分業による生産力の増大をもってこれにこたえ、例の有名なピン・マニュファクチュアの例をもちだし、それは『国富論』の叙述に発展してゆくのであるが、以上に引用した興味ふかい叙述のなかに、ぼくは、スミスの市民社会観と、分業論を枢軸とする『国富論』体系の分析視角が、あざやかに浮かびでているのをみるのである。」(『経済学の誕生』)

 アダム・スミスと向き合うマルクスは、古典派経済学の岩盤をどう乗り越えてゆくのでしょうか?
『資本論』生誕150周年を記念して、大内兵衛さんともども「アダム・スミスからカール・マルクスへ」、内田さんにご教示を願いながら“新年の幕開け”です。
編集部一同より、今年もご指導・ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。
2018年1月14日

<コラム14・15>マルクスによる「スミス批判」について以下のように焦点をしぼってゆきます。
  (1) スミス「労働価値説」に対して、マルクスが行っている「価値概念」の変革
  (2) 『資本論』第1章は、スミス経済学からマルクス経済学への継承・移行文脈であること
  (3) 第1章第1節「使用価値の抽象・・・」は、アダム・スミスからの継承・移行文脈の結束点
 こうした観点を念頭におきながら、1月新着情報と併せて企画しました。


  
内田義彦著 『経済学の誕生


          未来社 1953年発行


   後編 『国富論』 体系分析


 
『国富論』における市民社会の概念と分析視角


        
<1>
1.
 アダム・スミスの『国富論』は、いわゆる市民社会が、どういう機構をもち、どういう法則あるいは力学にしたがって動いているかを、その基礎たる物質的生活の生産=再生産の根本にさかのぼって、はじめて科学的に、しかも、その総体において分析することを企図したものといわれている。その意味において、マルクスの『資本論』と、はるかに呼応するところの巨大な体系であるといいえよう。もっとも、おなじく市民社会の分析といっても、スミスのそれは、封建制度の“から”のなかで生育してきた市民社会が、旧社会の母胎から自らを解き放とうとした段階において、あらたに生まれでる社会のあらたなる支配者たり、また、そういうものとしてこの歴史的変革過程の指導をおこなってきたところのブルジョアジーのために、科学的処方籤を提供することを当面の目的として書かれたものであり、その意味において、資本主義社会そのものの発展が、その中にあたらしい、より高度な社会形態を生みいだす与件をつくりだしつつある段階において、資本主義社会そのものの「墓掘人」のために書かれたマルクスのそれとは、その性格において根本的なちがいを有することは、常識的にも明かであろう。
ではそのちがいは、科学的にみてどこにあろうか。

2. 前編において、ぼくは、スミスの『国富論』が直接にはどういう問題を解決しようとして書かれたものであるか、そして、それはまた当面、ブルジョアジーのための歴史的処方僕としてはどの程度に有効であり、的を得ていたかについて、かなりくわしく検討してきたつもりである。以下、ぼくの仕事は、このような関連のもとに生まれた『国富論』での市民社会分析が、市民社会の科学的分析の武器としては、どういう性格をもち、どの程度に有効であったかについて、検討の歩をすすめることにしたい。


3.
 ところで、ここでまえにのべたことをいま一度想起しておいて戴かねばならぬ。それは、当面の歴史的処方僕としての有効性ということは、資本主義社会の科学的分析の武器としての有効性ということとは、一応別のことだということである。この点は、(これもすでに述べたことだが)次のことを考えれば、はっきりする。たとえば、原蓄国家のとった各種の原始的蓄積のための槓杆(こうかん:梃子)たる諸政策は、資本主義社会の生誕にとって一つの歴史的必然性をもっており、その限り、それらの政策を理論的に基礎づけたところの重商主義的経済理論は、当時の資本主義にとって、りっぱに実践的意義をになっていた。その意味においては、原蓄段階での重商主義理論は、原蓄揚棄の段階に古典学派がもっていたと全く同じ実践的有効性をもっていたといえるであろう。だが、このことから、この二つの、すなわち、重商主義の理論と古典派の理論が、資本主義なる社会体制=歴史認識の科学としての有効さにおいて、まったく同じものをもっていたということは決してできない。封建的諸機構をうちやぶり市民社会をつくりあげるについてのブルジョアジーにとっての当面の有効性ということと、社会体制=歴史認識の科学としての有効性ということとは、しばしば、おなじく理論の実践性あるいは有効性という名で表現せられていても、明かに異なった概念である。これを混同するものはまた、ドイツの産業資本の生誕にとってフリードリッヒ・リストの体系のもっていた実践的意義のゆえに、そこにもまた歴史的認識の科学としての同じ有効性をみとめなければならないであろう。また抽象理論に対してなげつけられたケインズ理論の実践的意義を過大に評価し、かつそれを、科学的理論の発展史の中に投影せずにはおかないであろう。

4. こういう混同の誤謬は、これを理論として考察してみると一見ただちに明白であって、そのような混乱はおこりうべくもないはずである。だから、こんなことをわざわざ指摘することは無意味にちかい、と思われるかもしれない。しかし、理窟だけで考察していると明白なことも、じっさいに研究を進めてゆくうちにだんだん曖昧になってくるということも、またよくある事実である。しかも、この混同の危険は、経済学の理論的な発展を基礎過程と全くきりはなしてそれ自体として考察したり、あるいはまた逆に、マニュファクチュア時代だからどうだというふうに、両者(基礎過程と理論)を機械的にきりはなしたうえで、これまた機械的に頭ごなしに結びつけるというような安易な道をさけ、基礎過程における問題を検出し、それに当該の体系がどう答えたかという見地から経済学の生成と発展をとりあつかうという、そのかぎりでは明かに正しい立場にたって経済学の研究をすすめようとする、まさしくその場合に起ってくるのであるがゆえに、いっそう細心の注意が肝要である。
 ・・・略・・・


5.
 経済理論の検討においては、叙述は最も抽象的な範躊からはじめられねばならないが、同時に、最も抽象的な範躊の研究においても、すでに、全体としての社会が表象のなかにおもいうかべられていなければならないことは、一つの常識に属する。同様の権利をもっていうことができる。経済学史の科学的な研究においても、批判的叙述はもっとも抽象的なところからはじめられねばならぬが、その際、同時に、全体としての社会が表象のなかに思いうかべられていなければならないと。ただし、ここでは、それが、本来どういう問題をふくんでいたかということの検出とともに、それをブルジョアジーがどういう観点からうけとり、どう見ていたかということの検出がおこなわれなければならない、というところに問題の困難と妙味があるわけである。
 次章以下において、価値論をはじめとして、科学としてのスミス理論を、そのもっとも抽象的なところから検討し、再構成するまえに、本章でまず、スミスがその「市民社会」の分析をはじめるに際して、表象のなかにおもいうかべていた市民社会はどういうものであったかを、ふりかえってみるゆえんである。

   
<2>
6.
 スミスは『国富論』の準備的草稿を、つぎのような問題の提出で始めている゜これは、スミスの市民社会分析がどういう問題的視角から行われているかを、『国富論』においてよりもより明瞭に示していて興味深いので、長文ではあるが、そのまま引用してみよう。―
 「文明社会において、富者や権力者が、野蛮な孤立した国においていかなる人が調達しうるよりもよく、生活の便宜品や必需品を供給されるということが、なにによるのかを説明することはそれほど困難ではない。いつでも自分自身の目的のために、多くの人の労働を指図しうる者が、自分自身の勤労だけにたよっている者よりも、自分の必要とするあらゆるものを、よりよく調達できるということは、きわめて容易に想像しうるところである。しかし、労働者や農民が、同様に、よりよい供給をうけているということが、いかにして生ずるかは、おそらくそれほど容易に理解されない。文明社会においては、貧乏人は自ら調達するとともに支配階級の莫大な奢侈にたいしても、供給するのである。懶惰(らんだ:怠けおこたること)な地主の虚栄をささえる基礎となる地代は、すべて農民の勤労によってえられるものである。金持は、大小の商人に資本を利子つきで貸し、商人を犠牲にして、あらゆる種類の下劣で卑賤な遊蕩にふける。遊惰で安逸な宮廷の従臣たちは、同様に、かれらを維持するための税金を負担する人々の労働によって、衣食住をえている。これと反対に、野蛮人のあいたでは、各個人は、自分自身の勤労の全生産物を享受する。かれらのあいたには地主も、高利貸も、収税吏もいない。それ故、もしも経験が反対のことをしめさなかったならば、われわれは当然つぎのように、すなわち、かれらのあいたでは、すべての個人は、文明社会における下層階級の人々が所有しうるよりも、はるかに豊富な生活の必需品、便宜品を有するにちがいないと、かんがえたであろう。」

7. ところで―とスミスはつづける―百人ないし十万人の労働が百ないし十万の人間を維持しうる程度は、一人の労働が一人の人間を維持しうる程度と同じだと考えると、このことはいっそう理解し難いものとなる。労働の生産物が平等かつ公正に分配されるとすると、この場合には各個人が、一人で労働している単独の個人よりもよい供給をうけることは、ほとんどありえないとみなければならない。しかるに事実は、―
  「一つの大きな社会の労働の生産物については、公正かつ平等な分配といえるようなものは、まったくなにも存在していない。十万家族の社会には、全然労働しない百家族が、おそらく存在していて、かれらは、暴力あるいはそれよりおだやかな法律の圧力によって、その社会にいる他のいかなる一万家族が使用するよりも多くの、その社会の労働を使用しているのである。この莫大な食込みのあとに残されたものもまた、けっして各個人の労働に比例して分配されはしないのである。反対に、もっとも多く労働する者が、もっとも少くえるのである。ぜいたくや娯楽にその大部分の時をすごしている富裕な商人は、かれの取引上の利益のうち、その仕事をするすべての番頭や会計係よりも多くの分前を、享受している。これらの番頭や会計係もまた、多くの閑な時間をたのしみ、出勤せねばならぬという制約以外にはほとんど何の苦痛をもうけずに、かれらの指図をうけてかれよりはるかにはげしくししとして労働する同数の人たちの3倍よりずっと多くの生産物を、分前として享受しているのである。さらにまた職人は一般に、屋根の下で、風雨に冒されぬように保護され、気楽にかつ無数の機械の便益にたすけられて、働いているのであるが、しかも、つぎのような貧しい労働者よりも、多くの分前を享受している。その労働者というのは、大地や四季を戦いの相手としている人々であり、そしてかれらは、その共同社会のなかの他のすべての人々がぜいたくをするための原料を提供して、いわば人間社会の全組織をその双肩にになっているにもかかわらず、その重荷によってどん底におしひしがれて、建物の一番下積に忘れさられているのである。これほど抑圧的な不平等のただなかで、文明社会の最下層の、もっともさげすまれている人たちでさえ、もっとも尊敬されもっとも活動的な野蛮人が到達しうるよりも、すぐれた豊富さと潤沢さとを、ふつうに享受している事実を、どう説明したらよいであろうか。」


8.
 こう自問して直ちにスミスは、分業による生産力の増大をもってこれにこたえ、例の有名なピン・マニュファクチュアの例をもちだし、それは『国富論』の叙述に発展してゆくのであるが、以上に引用した興味ふかい叙述のなかに、ぼくは、スミスの市民社会観と、分業論を枢軸とする『国富論』体系の分析視角が、あざやかに浮かびでているのをみるのである。

9. スミスは、文明社会=市民社会(注1)のなかに、対立した二つのものを見出している。労働生産物の―支出した労働には比例しない―不平等かつ不公正な分配にもとづく貧富の階級的差別(スミスはこの階級的差別が存するがゆえに文明社会においては、その秩序を維持するために市民政府と法律が発生したとみなしている)と、それにもかかわらず、「社会のすみずみにまでゆきわたる全般的な富裕」と。一方でスミスはおどろくほど新鮮な感覚でえがいている。文明社会においては、「公正かつ平等な分配といえるようなものは、まったくなにも存在していない」こと。十万家族の社会には、その一極に全然労働しないにもかかわらず、「暴力あるいはそれよりおだやかな法律の圧力」によって、他のいかなる一万家族が使用するよりも多くの社会的労働を無償で使用する百の家族があり、他の一極には、これと反対に「その共同社会のなかの他のすべての人々がぜいたくをするための原料を提供して、いわば人間社会の全組織をその双肩にになっているにもかかわらず、その重荷によってどん底におしひしがれて、建物の一番下積に忘れさられている」貧しい労働者が社会の大部分をうずめていることを。だが同時にスミスはいうのだ、市民社会を他の社会から特徴づけるものは、そこにおいて高度の富が一般的にみられることだと。「かれの仕度をもって富者の非常な豪奢に比ぶれば、ひどく簡易に見えるに違いない。けれども、勤勉にして倹約なる百姓一人の仕度は、一万の裸の野蛮人に対して生殺与奪の絶対権を有するアフリカの王様のそれに優ること万々である。この差に比ぶればヨーロッパの王様の仕度の農民のそれに対する優越のごとき恐らくはいうに足らない。」「財産の不平等にもかかわらず、(富裕は)社会の最下層の人々にまでゆきわたる。」!

10. このように、文明社会は「搾取の体制」として、同時にまた相対的な「富裕の体制」として、スミスにはつかまれていた。そしてこの階級的搾取の存在と全般的富裕という、相互に矛盾した、しかしスミスの眼からは何れも経験的に否定しえない事実の共存の謎をとくものこそ、周知のように文明社会に特有の、あの「分業による生産力」の異常な発展であった。

 (注1) スミスのいう文明社会civilized society は、必ずしもそのまま現在使われている意味での市民社会あるいは資本主義社会を意味しない。土地の私有とストックの蓄積が分業とともに与えられておれば、それはすなわち文明社会なのであり、必ずしも資本主義社会のみを指すのではない。ストックが必ずしも厳密に規定された資本でないことはのちに見るとおりである。文明社会のいわゆる高貴な階級のなかには、またしばしば封建的領主も含まれている。にもかかわらず、文明社会の極北はスミスにあっては資本主義社会なのであり、それに向って無限に純化されてゆくものとして把握されている。その意味で、かれの文明社会は自然的に市民社会であり、資本主義社会である。この歴史の摑みかたは非常に特徴的であり、重要な点であるが、それについては次項でふれる。われわれはいましばらくスミスとともに、これらの用語を無規定的に用いておこう。文明社会=市民社会=資本主義社会。


11.
 ここに、われわれは知る。スミスが資本主義社会のなかに、鋭く対立した二つの特質、すなわち生産力のすばらしい発展と、極度の階級的不平等の存在とを確認していること。しかしまた、スミスがそれを顚倒(転倒)した形でうけとり、顚倒したかたちで問題的視野にとりいれていることを。
 この顚倒は二重だ。第一に、スミスは生産力のすばらしい発展といわずに、他の社会に見られないほどの富裕=消費の潤沢さといい、そして第二に、スミスは生産力の発展にもかかわらず被搾取階級の一般的な貧困が存在するというかわりに、これを裏返して、搾取の存在にもかかわらず(高い生産力のために)富裕が高まるという。その結果、生産力の発展によって被搾取階級はますます一般的に貧乏になるという資本主義社会の生産力の発展の矛盾的な性格(資本主義そのものの構造)は、スミスにあっては搾取の存在にもかかわらず生産力の発展の結果、他の社会に比較して、大衆は相対的に富裕だという顚倒した表現をあたえられ、それはしばしば、全社会をその双肩にになう大多数の人間が「貧困におしつぶされている」にもかかわらず、しかも、「富裕が社会のすみずみまでもゆきわたる」というような、無意味な表現にまで転落してゆくのである
(注1)。だがそれにもかかわらず、このように顚倒した形ではあれ、スミスが資本主義社会における階級的搾取の存在を明瞭にみていたことは争われない。このように顚倒したかたちで、スミスの問題意識のなかにとりいれられたものこそ、資本主義社会の生産力の発展構造であり、スミスの生産的労働の理論が生み出されてくる母胎である。この母胎においてのみ、かれのブルジョア的経済体制の生理学は生まれた。そこに剰余価値は相対的剰余価値として把握される。しかしまた、かれのこの顚倒した問題把握が、いかにかれの理論体系を規定し、その価値論=剰余価値論に、消すことの出来ぬ刻印をおすかは、のちにみるとおりである。

 
(注1) かれの分析が、社会的な視点から、たえず、他の社会または他の時点に対する富裕という、対自然的な観点に移ってゆくことを見よ。



    
<3>
12.
 以上、ぼくはスミスのいう文明社会を、一応、資本主義社会あるいは市民社会とみなしながら、スミスにおける資本主義社会の表象的把握がどういうものであるかをみた。スミスが「資本主義社会」における生産力の発展と、階級的な支配=搾取の関係をとらえながら、それを顚倒したかたちで問題的視野のなかにとりいれていることは、いま引用した『国富論草稿』の叙述が明かにしめすとおりである。

13. ところで、資本主義社会は階級社会であると同時に、社会の発展の一定の歴史的段階においてあらわれるところの一つの歴史的な社会である。経済発展の歴史の科学的な常識がしめすように、社会の生産力の顕著な発展は原始的共産制度が崩壊して私有財産制度が発生するとともに始まり、その私有財産制度の種々なる形態を経過しながらおこなわれてきた。資本主義なる社会制度はその私有財産制度の一つの形態であり、社会的生産力を発展せしめることによって、およそ私有財産制度を揚棄するような条件を生みだす。こうして、私有財産制度の崩壊したところから、人類の真実の歴史は始まるのである。このように資本主義は、私有財産制度という(それはブルジョア的史観においては、原始的社会と対置させられていわゆる文明社会という名誉ある称号をあたえられているのだが)人類の前史に属するところの社会制度の最後の形態であり、そこにおいて人類の前史を終らせる、それが資本主義の歴史的地位である。とすれば、歴史的社会としての資本主義は、スミスにおいてはどのようにとらえられているだろうか。

14. 上来、ぼくは、スミスのいう文明社会を一応資本主義社会と同一視しながら、そこでの生産力の発展と階級的搾取をスミスがどうとらえているかについて考察をすすめてきた。だが、スミスの文明社会をそのまま資本主義社会とみなすことはできない。そうだとすれば、資本主義社会は歴史的社会としてはどうつかまれているか。ここで論点をかえて、こういう立場からいますこし深くスミスの資本主義社会把握をみることにしよう。いうまでもなく、歴史的社会としての資本主義社会の把握、すなわち、社会の歴史的発展のなかで資本主義社会がしめる位置をどのようにおさえるかということは、じつは資本主義なる社会制度における階級関係、なかんずくその基礎をなすところの直接的生産者をどう把握するかということとからんでおり、それによって規定されているわけであるから、このように問題をたてなおすことによって、前項でみたスミスの資本主義における階級把握も、いますこしふかい深度からみられなおされるわけである。

15. いったい資本主義社会の基礎は、直接生産者たる賃労働者が、商品たる労働力の(そして労働力のみの)所有者であるということだ。かれは二重の意味において自由である。すなわち、一方でかれは、労働力を自分のものとして(直接的に他人にしばられることなく)自由に処分しうるという意味で。同時にまた他方、生産手段から解放され、生産物たる商品ではなく、他ならぬかれ自身=労働力を商品として、生産手段の所有者にうりわたさねばならぬという意味において。


    ・・・以下省略、終わり・・・