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   21世紀に読む「種の起原」  レズニック著  要約・抄録 



・・・・「 『起原』を理解しやすいものにする第一歩として私は、進化のメカニズムとしてダーウィンが提案する自然淘汰を、自然淘汰がもたらす帰結の一つと考えられる種分化から切り離すことにした。自然淘汰と種分化を切り離すことで明快になるのは、自然淘汰と、その結果として生じる進化が、かならずしも種分化を引き起こすとは限らないという点てある。」・・・・


 
 編集部 まえがき

 マルクスは『資本論』第12章
(注31)、13章(注89)でダーウィンの進化論について次のような引用と解説を行っています。
  
(注31) ダーウィンは、その画期的な著書『種の起源』において、動植物の自然的器官にかんしてこう言っている。
   「同一の器官が、種々の働きをなさればならないあいだは、その可変性の一原因は、おそらく次のことに見出されるであろう.すなわち.自然淘汰は、同じ器官が一つの特殊目的だけに向けられてあるばあいほどの周到さをもってしないで、一々の形態上の小変異を保存したり、抑圧したりする、ということに。 たとえば、種々のものを切るためのナイフは、大体においてほぼ一様の形態のものであってよいが、一種の用途にのみ向けられた道具は、すべての他の用途のためには、また別の形態をとらねばならない。」
 
(注89) ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた。社会的人間の生産的器官の形成史、特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史も、同じ注意に値するのではないか?・・・中略・・・

 この二つの(注)は、ダーウィンとマルクスの関連を簡潔に述べていますが、『資本論』の方法論として活かされた論文は見当たりません。ダーウィンの『種の起源』が生物学の専門家向けに著述されていることもあり、マルクス経済学関係者の間では研究が進んでいない現状です。
 資本論ワールド編集部では、マルクスが指摘する「ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた」当該箇所から探究を開始するために、レズニックの 『21世紀に読む「種の起原」 』 を要約・抄録をお届けします。この著書は、「21世紀のダーウィン進化論」としても大変評判の高い作品です。『資本論』の「社会的生産有機体-生産的器官の形成史」の理解が深まることを期待しています。


    
ディヴィッド・N・レズニック著 21世紀に読む「種の起原」 みすず書房 2015年発行
          ― カルフォルニア大学リバーサイド校生物学部門教授 ―  訳者:垂水雄二

          
*資本論ワールド編集部の注:〔〕の中見出しは編集部作成

  第1章 自然淘汰についての前置き

  
〔ダーウィンは、「自然淘汰」の過程と「種分化」の過程を絡みあわせて論じている。彼がこの二つを分けて論じなかったことがひさしく混乱の原因となってきた〕

 ダーウィンは『種の起原』の最初の数章では、「自然淘汰」の過程と「種分化」の過程を絡みあわせ
て論じている。そうした理由については、あとで見ることにする。彼がこの二つを分けて論じなかった
ことがひさしく混乱の原因となってきた。何人かの読者は、『起原』は自然淘汰についてだけ論じたものであり、本当のところ種の起源について論じてはいないのだと結論した。別の人びとは、種分化と進化は等価なものであるがゆえに、新種の起源を考えないかぎり進化は理解できないのだと結論した。このどちらの見方も正しくない。『起原』を理解しやすいものにする第一歩として私は、進化のメカニズムとしてダーウィンが提案する自然淘汰を、自然淘汰がもたらす帰結の一つと考えられる種分化から切り離すことにした。自然淘汰と種分化を切り離すことで明快になるのは、自然淘汰と、その結果として生じる進化が、かならずしも種分化を引き起こすとは限らないという点てある。自然淘汰はすべての種の内部においてたえず働いている一つの過程であり、それ自体で重要な結果をもたらしてきた。今日では、多くの科学者が種分化にいっさい言及することなく自然淘汰を研究している。・・・

 進化についての理論を提唱したのはダーウィンがはじめてだったわけではない。彼の理論の卓抜さは、進化の原因として自然淘汰を提案したことであり、この点は、A・R・ウォレスも同じだった。したがって、ダーウィン説の正式な名称は「自然淘汰による進化の理論」なのである。本書で以後私はしばしば、それを簡略化して「ダーウィン説」と呼ぶつもりである。単なる進化と自然淘汰による進化が区別きるという認識は重要だ。ダーウィンは進化が事実であると世界を説得することには非常にうまく成功したが、自然淘汰を進化の原因として認めさせるのに成功するのは、総合説の確立の時代(1920年代~1950年代)を待だなければならなかった。自然淘汰への評価がふたたび呼び覚まされるにつれて、生物学者たちは、後ほど説明するように、進化にはほかにもいくつかの原因があることにも気づいた。本書はダーウィンと『起原』に関するものなので、ここでは、自然淘汰に焦点を絞って述べるつもりである。
 ダーウィンは自然淘汰の概念を、最初の5章にわたって開陳している。彼の長大かつ複雑な議論を読み解くために、まずは自然淘汰による進化の前提と、いくつかの特性についてふまえておくほうがいいだろう。それを示すために、ダーウィンが自然淘汰と種分化についての決定的な洞察の一部を得た場所であるガラパゴス諸島からまず始めよう。

 
〔ガラパゴス諸島―ダーウィンは、種分化が現在進行形の過程であるという着想を育む重要な情報を手に入れた〕

 ガラパゴス諸島は赤道をまたぎ、南アメリカ大陸から800~950km沖に位置する。これらの島は「大洋」島で、他の大陸塊とI度たりともつながっていたことがない。海の下から噴火してきた火山によってつくられたもので、発達して水面まで達し、それからさらに上昇して、生物のいない陸地となったのである。・・・貿易風がつねに東から西に向かって吹き、・・・この風によって動かされた海流が、ガラパゴス諸島のまわりにたえず冷たい海水の流れをつくりだしている。この海水が結果として風を冷やすのである。・・・エル・ニーニョ現象は、2年~7年という不規則な間隔で起きる。しばしば、そのあいたに旱魃期がはさまるので、長期的にみれば、降水量は大幅かつ不規則に変動することになる。
 この諸島に入植した動植物のほとんどを運んできたのは、現在の気候を左右しているのと同じ海流と貿易風だった。チャールズ・ダーウィンは、ガラパゴス諸島を訪れたときに、このことを見てとった。彼がそこを訪れる機会は、南アメリカ大陸探検に4年近くを費やしたのちにやってきたのだが、そのおかけで、彼は大陸本土で見られる動植物を熟知していた。ダーウィンはガラパゴスの動植物を見て強い印象を受けた。なぜなら、多くのものが新種だと判明したにもかかわらず、本土で見られる種と非常によく似ていたからだった。そこにすむ動物たちの振る舞いにも驚かされた。というのも、動物たちは17世紀にスペイン人が上陸するまで人間と接触することなく暮らしてきたために、まったく人間を怖れなかったからである。鳥類やトカゲ類の採集は、木からリンゴを摘み取るのと同じほどにたやすかった。
 ダーウィンは、ガラパゴスから膨大な数の植物、昆虫、軟体動物、鳥類を採集してきた。同じ船に乗っていた何人かの同僚も同じように多数の標本を集めた。当時の高名な鳥類学者であったジョン・グールドがこれらの島々に生息する鳥類の種の多様性を発見し、それぞれが互いにどう異なっているかを詳細に記載したのは、ダーウィンが英国に帰国してから数年後のことだった。ほんの目と鼻の先にある島々に見られる種のあいだに違いがあるなど想像もしなかったダーウィンは、採集した鳥がどの島のものであるかさえ、かならずしもきちんとは記録しなかったと言われている。幸いにも、フィッツロイ船長も同じような標本を集めていて、採集した島の名前を記録していた。フィッツロイの几帳面さのおかげで、グールドは、採集品のなかの鳥類の多くがガラパゴス諸島に固有なだけでなく、いくつかは個々の島に固有でもあると判定することができた。
 植物の同定を手助けしてくれたとしてジョセフ・フッカーの名をあげてダーウィンは感謝している。ダーウィンが集めた193種のうち、109種がガラパゴス諸島に固有であるとフッカーは判定した。そのうち85種は一つの島にだけしか見られないものだった。
 この時点で、ダーウィンは、種分化が現在進行形の過程であるという着想を育む重要な情報を手に入れたのである。すなわち彼は、ガラパゴス諸島が火山によってできたものであり、南アメリカ大陸よりも歴史が浅く、生息する種の多くがこの諸島にしか見られないが、南アメリカ大陸にきわめてよく似た近縁種をもつことを知ったのである。

 現代の地質学の手法をもってすれば、ダーウィンの観察に具体的な数値を与えることが可能である。
たとえば、島の岩盤をなしている溶岩の年代を推定することができ、ガラパゴス諸島は70万年~350万年前にできたものであることがわかっている。また、ここにしか見られない鳥類相には、13種のフィンチ類が含まれることもわかっている。分子遺伝学的な方法を使った調査によって、このガラパゴスの13種すべてが、南アメリカ大陸本土からやってきたたった一種を共通祖先にもつことが示されている。島に固有であること、分子的な証拠、わかっている諸島の形成年代、この三つの組み合わせが、これらの種が進化するのに要した時間を計算するための基盤を提供してくれる。計算してみると実際には、その時間は現存する最古の島の年齢より数百万年以上長い。なぜそういうことになるかといえば、ガラパゴス諸島には、かつて島を形成していた古い火山のいくつかが、その後に浸食を受けて、水面下の海山としで残っているからである。つまり、種分化はそうした古い島が浸食を受けて姿を消す以前に始まっていたにちがいないのである。



  
〔食べ物の違いは、それぞれの種の嘴(くちばし)の構造に反映されている〕

 この13種のフィンチ類は、「適応放散」、すなわち単一の祖先種が、多様な生態的ニッチを埋める一連の異なった種へと分岐を遂げて多様化していく現象の実例である。彼らの共通祖先は、すでに植物、昆虫、その他の生物は入植していたがほとんど鳥類がいない生息環境(ハビタットhabitat)にやってきた。島々は最初に入植した個体およびその子孫に、多様な、誰にも利用されていない食物源を提供した。フィンチ個体群がガラパゴス諸島全体に拡がるにつれ、それぞれ異なった種類の食物源と異なったタイプの生息環境を利用する別々の種へと分岐していった。食べ物の違いは、それぞれの種の嘴(くちばし)の構造に反映されている。地上性フィンチ類と総称されるグループの種は、種子を食べることに特殊化している。このグループの種は、現在では、種子を砕く能力に差のあるさまざまな大きさの嘴をもっている。短くて細い嘴は、機敏に小さな種子を拾い上げ、その殼を剥くのに適しているのに対して、長くて太い嘴は、大きくて堅い種子の殼を砕くことができる。その他の種は、その代わりに、樹上で暮らし昆虫を食べることや、あるいは、それ以外の生息環境と食物の組み合わせを利用することに特殊化した。



   
〔自然淘汰の過程についての詳細な証拠〕

 中型の地上性フィンチの一種であるガラパゴスフィンチは、ピーターとローズマリーのグラント夫妻とその仲間たちが大ダフネ島でおこなった研究のおかけで、自然淘汰研究の一つのお手本となった。この島およびガラパゴス諸島の他の島々は、進化研究にとってまことに優れた自然の実験室になっている。なぜなら、そこには大陸本土の種と近縁な少数の動植物の種しか生息していないので、すべての種の特徴を明らかにし、相互作用を研究するのが容易だからである。
 グラント夫妻らの目覚ましい長期的研究は自然淘汰の過程についての詳細な証拠を提供してくれている。彼らのきめ細かな方法論、研究地点の特質、および絶好のタイミングがあいまって、自然淘汰による進化が、目に見える過程へと姿を変えることになった。第一に、この島―海面から突き出した円錐形の火山で、先端部がへこんでいる―は、手頃な大きさで、鳥類がすむ生息環境はへこんだ火口の斜面と底面に集中していた。グラント夫妻らは、この島のほとんどすべてのフィンチ類を個体識別できるようになった。彼らは、目の細かい霞網で成鳥を捕獲し、個体ごとに翼や脚の長さなどのさまざまな身体計測値ならびに嘴の寸法を測って記録し、識別用の脚輪を付けた。
 個々のフィンチ類のあいだには、体および嘴の形と大きさに関して、かなり大きな変異がある。嘴は短くて幅細で薄いものから、長く幅広で厚いものまである。これは、地上性フィンチ類の種間に見られるのと同質の変異であるが、ただし、この種内の個体間変異は、種間の変異よりも小さい。繁殖期間中は調査員が巣を訪ね、そこにいるヒナのすべてを計測し、標識をつけた。どれが親鳥であるかがわかっていたので、個々の親鳥が生き延びた子を何羽産んだかを知ることができた。親鳥とヒナの両方の身体計測をしたので、両者の類似の度合いを評価することもできた。子は親に似た外見をもつ傾向が見られた。



   
〔種子食物とフィンチ嘴の相関関係〕

 グラント夫妻らは、食物の入手しやすさについても研究した。新鮮な種子のほとんどは、雨季につくられた。乾季になると鳥たちは「埋土種子」、すなわち土のなかに埋もれた種子を掘り出す。グラント夫妻は、この島の種子植物すべての目録をつくり、それぞれの種子のタイプを、堅さ、つまりそれを砕くのに要する力の大きさによって類別した。また定期的に土壌をふるいにかけて、どれだけの種類およびどのタイプの種子が利用できるかを調べた。さらに、個々のフィンチが異なる種類の種子をどれほど効率的に採取するかも定量化し、嘴の寸法の違いが採取能力の相違と相関していることを見つけた。



    
〔旱魃による自然淘汰〕

 やがて、この島のフィンチ類の個体群と食物を研究していた期問中の1977年に、島は一年間にわたる長い旱魃に見舞われた―研究者たちに自然淘汰の過程を観察し記録する機会を与える絶好のタイミングで起きた出来事だった。植物の成長や種子の生産はほとんどなく、小鳥たちは、食べ物を全血的に埋土種子に頼らざるをえなくなった。食物があまりにも乏しかったために、この年に子を育てた鳥は一羽もなかった。旱魃が進むにつれて小さな種子の供給源は食べ尽くされてしまい、大きくて殼の厚い種子だけしか残っていなかった。食糧供給が減少するにつれて、鳥たちは死にはじめた。最終的に旱魃が終わりを告げた時点では、生き残って繁殖ができたものはわずか15%だけだった。生き残った鳥は、平均して、死んだ鳥とは異なっていた。小さな種子が入手困難だったので、生き残った鳥は死んだ烏と比べて、全体的に体が大きく、より長くて幅広の厚い嘴をもつ傾向があった。埋土種子のなかにより多く残っていた大きな種子を採取することが他の個体より上手にできたから、そうした鳥は生き残ることができたのである。雨がまた戻ってきて、烏たちがふたたび繁殖できるようになったとき、彼らは自分とよく似た外見の子を産んだ。旱魃後の平均的なフィンチは、旱魃前の平均的なフィンチよりもわずかに体が大きく、より大きな嘴をもっていた。
 ・・・・中略・・・

 ある年からその翌年にかけてフィンチ個体群においてグラント夫妻が観察したこうした変化と、それを引き起こした一連の出来事は、ダーウィンが「自然淘汰」と呼んだ過程にとっての一つのモデルである。『起原』におけるダーウィンの最初の目標は、このメカニズムを詳らかにすることだった。彼はそれを「人為淘汰(artificial selection)」のアナロジーと考えたがゆえに、「自然淘汰(natural selection)」と呼んだ。望ましい性質をつくりだすための選抜育種は、当時の英国では広く実践されていたから、それは彼が想定する読者によく知られた過程だった。この人為淘汰(選抜育種)の最終目的は、食べ物や繊維の材料となる栽培植物や家畜の改良品種の開発から、品評会で賞を取るようなバラやハ卜の作出といった審美的な目標の達成まで多様だった。



    
〔個体変異と、それが生き残りや繁殖におよぼす影響〕

 ダーウィンが提唱したメカニズムは四つの部分から成り立っていた。
第一に、すべての生物は次世代に自分たちの地位を埋めるに必要な数よりもはるかに多くの子どもをつくる。もしすべての子どもが生きながらえれば、たちまちのうちに世界の何倍もの空間を埋め尽くしてしまうだろう。しかし数が増えるのを妨げるものがあるために、そういった事態は実際には起こらない。捕食者に食べられるかもしれないし、病気や寄生虫のために死んだり、競争に敗れて死ぬかもしれない。あるいはこのフィンチ類のように、食物の乏しい時季に飢え死にするのかもしれない。
 第二に、各個体は、どういう外見をしているか、あるいは、内部の仕組みがどうなっているかという点で、つねにお互いに異なっている。いくつか顕著な相違もある。フィンチの研究では、個体変異が、嘴および身体各部および翼の計測によって定量化された。人間に見られる変異について考えてみよう。
私たちのあいたには、髪の色、肌色、眼の色、身長などの違いがある。身長に対する脚や胴の相対的な寸法といった「体形」の違いもあれば、内臓に関してもいっぱい違いがある。他の生物では違いはそれほど歴然としていないように見えるかもしれないが、見分け方を知っていれば、つねに変異は存在する。
 第三に、こうした個体差の少なくとも一部は遺伝する、つまり親から子どもに伝達されるということになる。グラント夫妻は、親鳥とヒナを計測することでその類似性を定量化できた。私たちはこのことを実際的な体験からも知っている。なぜなら、子は両親に似ているからである。
 最後に、個体間に見られるこうした差異は、どの個体が生き延びて繁殖するか、どの個体が死んで繁殖に失敗するかに影響を与えることができる。フィンチ類では、干魅期における生死を分かつのは、結局のところ嘴の寸法と大きな種子を摂取できる能力の違いだった。人間にとっては生きることはそれほど厳しくはないので、人間の個体変異に生死を分かつような側面があると認識するのは難しいかもしれない。しかし自然の厳しさにさらされた生物にとっては、身の丈、形、色といった要素が、スピード、敏捷性、耐久性、あるいは背景に溶け込んで紛れる度合いに、大きな違いをつくりだすことができる。そのような変異は現実に生死を分かつ意味をもちうるのだ。
 個体変異と、それが生き残りや繁殖におよぼす影響の結果として、集団(個体群)全体が変化あるいは進化することができる。なぜなら、成功する個体は、平均で見れば、成功しない個体と異なっているからである。もし環境が変化したとすれば、新しい環境にもっとも適した類いの個体は、変化が起きる以前の最適な類いの個体とは違っているだろう。新しい環境にもっとも適した個体は、生き延びる可能性がより大さく、繁殖する機会もより多くなり、次世代により多くの子孫を残すことに貢献するだろう。
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〔新種の起源や地球上の生命全史を含めた「広義の」進化をも説明できる〕

 ガラパゴス諸島のフィンチ類は、自然淘汰の別の重要な性質も明らかにしてくれる。第一に、自然淘汰による進化は、個体の運命の上に築かれた過程であるが、それは集団の平均的性質の変化を通してはじめて認識される。平均的なフィンチ類における毎年の遺伝的変化は、旱魃によって引き起こされるものであれ、エル・ニーニョ現象によって引き起こされるものであれ、進化である。実のところ、より専門的な現代の進化の定義とは、時間の経過による集団の遺伝的構成の変化というものである。こうして、生き残りと繁殖成功を決定する個体の特徴(形質)が自然淘汰によって形づくられるのである。たとえば、フィンチ類に見られる嘴の寸法は多様なので、それぞれの種がそれぞれ異なった食物源に特殊化することが可能である。種間の寸法相違は一つの種内に見られる個体変異よりも大きい。しかしここのフフィンチ類のすべての種は単一の祖先種から由来したものである。にもかかわらず嘴の形態における種間の相違がこのように誇張されているのは、特殊化した嘴の寸法に長期にわたって自然淘汰が働いた結果だろうと推測できるのである。たとえば、大ダフネ島の中型の地上性フィンチ類に年単位で見られたような類いの変化が、おのおのの種が与えられた生息環境と食物に特殊化していくにつれて、種ごとに異なる方向へ累積していったという風に。

 嘴の形状の変化のみならず、その個体の生き残りと繁殖成功に影響を与え、したがって自然淘汰によって形づくられるようなどんな形質も、「適応(adaptation)」と呼ばれる。適応は、一つの特定の機能に関する自然淘汰の結果である。フィンチ類の嘴の例では、その機能は、特定のタイプの食物を得る能力である。ある生物個体がもつなんらかの特徴(形質)を適応と呼ぶためには、想定される機能とその形質のあいだの因果関係を確認できなければならない。グラント夫妻が、嘴の平均的な寸法における種間の相違は異なるタイプの種子を食べるための適応だと言えるのは、彼らが異なるタイプの種子を採取するワインチ類の能力を詳らかにすることができたからである。彼らは、採取能力におけるそうした違いが、種子の物理的な性質とその殼を開けるに要する力、および異なった寸法の嘴をもつ鳥の、そうした力をたせる能力に帰せられることを示したのだ。

 ダーウィン説にしたがえば、短い期間に研究できるような類いの進化は種間にみられるような相違を引き起こすことができ、実際に、新種の誕生をもたらすことができる。すべて大陸本土の単一の祖先種から派生した13種のガラパゴス諸島のフィンチ類の適応放散は、これと同じメカニズムによる結果である。それだけでなく、ダーウィンは、自然淘汰によって生命の起源を除く地球上の生命の全歴史を説明でき、それまで互いに無関係だと考えられていた多様な現象を解明することができると主張した。そうした他の現象としては、ダーウィン以前の時代に考案され、いまなお用いられている動植物の分類体系、化石記録、絶滅、異なる種に見られる個体発生あるいは解剖学的形態の類似性、種の地理的分布様式、などなどが含まれる。かくしてダーウィンは、適応を説明するために、過程の唯一性、すなわち単一のメカニズム―自然淘汰―を提唱したのだが、それは、新種の起源や地球上の生命全史を含めた「広義の」進化をも説明できるのである。
      ・・・以上で、第1章終わり・・・