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資本論のヘーゲル哲学入門.2


 お問合せは、『資本論』ワールド編集委員会 宛て

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第2部
第3章 
『資本論』第1章のヘーゲル哲学


近藤哲学担当:
 湯川さんのレポートでカントとゲーテのつながりやシンガーによる「カントの役割」について
大変勉強になりました。初めて知ることばかりで、こちらの方が恐縮します。
大分時間が経過していますので、予定を変更したいと思います。
当初の計画の「ヘーゲル哲学の概要」は、短縮して第3章に繰り入れてゆくことにして、
いよいよ今回の主題に移ってゆきたいですが。

 
野田進行担当:
ぼくの方から、お願いしようと思っていたのですが、よろしくお願いします。
レジメに眼を通してください。

第2部
第3章
『資本論』第1章のヘーゲル哲学
  1-1. ヘーゲル論理学について
  1-2. ヘーゲル論理学と資本論の関係
第1節 ヘーゲル論理学第1部有論-ヘーゲル論理学入門
第2節 『資本論』のヘーゲル論理学
 A 第1章 第1節商品の2要素、使用価値と価値
 B 第2節 商品に表わされた労働の2重性
 C 第4節 商品の物神的性格とその秘密

 ヘーゲル論理学第1部有論の説明の時に、ヘーゲル哲学での「論理学」の位置づけについて、
近藤さんから報告を受けたいと思います。急な変更ですがよろしくお願いします。

近藤哲学担当:
1時間程度で済むように報告します。その後、意見交換のなかで理解を深めてゆきたいと考えています。

1-1.ヘーゲル論理学について
ヘーゲルの論理学には大きく二つあります。『大論理学』(1812-16年)と『エンチクロペディ』
(1817年)の「小論理学」です。二つとも難しいのですが、特に『大論理学』は、大作で、
何度読んでも難しいです。専門的な数学は、お手上げ状態と言えます。
果たして数学抜きでヘーゲルが語れるかどうか、心配ですが、そうは言っても、
何とか打開しながら、『資本論』との繋がりを探ってゆくことにします。

1-2.ヘーゲル論理学と『資本論』の関係

二つの論理学では、若干編成の違いがありますが、今日は岩波書店の「論理学」と「哲学入門」
(1840年、カール・ローゼンクランツ編)を参照しながら、報告します。
第1部有論、(A質、B量、C限度) 第2部本質論、(A現存在の根拠としての本質、B現象、C現実)、
 第3部概念論、(A主観的概念、B客観、C理念)、の大きく3区分してあります。
 各部のA~Cがまた細かく分かれています。今回、1回目は、第1部の有論についてレポートし、
 次回以降に第2部、第3部へとつないでゆきます。

『資本論』第1章、第1節から2節にかけて、ヘーゲルの第1部有論と密接に関連した議論の展開となっています。
  ヘーゲル論理学を一度も読んだり、聞いたりしたことがない場合、『資本論』の論理についてゆくのが、
 かなり難しくなります。最大の理由は、
大いさGröße、定量Quantum量Quantitätについて『資本論』では、
 ヘーゲルにならって使い分けをしているのです。
 
現在出版されている『資本論』では、この用語の使い分けの解説が全くありません。
 したがって『資本論』の文脈から「ヘーゲル論理学」を読み取り、
 マルクスの文意を理解することは、大変困難になっています。そもそもヘーゲル自体が難解です。

最初に論点を簡潔に言いますと、
(1). 『資本論』第1節の終わりの方で、「かの老バーボンが言っているように、“一つの商品種は、
 その交換価値が
同一の大いさ gleich groß であるならば、他の商品と同じものである。
 このばあい同一の
大いさの交換価値 gleich großem Tauschwert を有する物の間には、
 少しの相違または差別がない。”」
  バーボンの価値Valueと『資本論』の価値Wertは“かの老バーボンが言っているように
 少しの相違、差別がない”と述べています。(この論点については、特集「ロックバーボン論争と価値」参照)

(2). その後、「同じ人間労働、抽象的に人間的な労働に整約され、これらの物は、おたがいに共通な、
 この社会的実体の結晶として、価値-商品価値である。・・・
 財貨の価値の
大いさ die Größe seines Werts はどうして測定されるか?
 「価値形成
実体"wertbildenden Substanz"」である労働の定量(das Quantum der Arbeit)によって、である。」
 「労働の
自身 Die Quantität der Arbeit selbst は、その継続時間によって測られる。そして労働時間には、
  また時、日等のような一定の時間部分としてその尺度標準がある。」

(3). 上記の(1)では、バーボンの「Value」の価値量について、厳密な尺度規定をしていません。バーボン自身に
   その問題意識もありません。かつても、現代でも「量」の尺度規定に注意が払われていませんので、
   一概に、バーボンの責任を問う訳にもいきません。

(4). しかし、上記の(2)で、マルクスは、自説の「価値論」を展開するにあたって、ヘーゲル論理学を援用していることが
   理解できる「仕掛け」をちゃんと概念操作といいますか、論理構成「量・Quantität 」を行なっているのです。
   それが、この3点セット(大いさGröße、定量Quantum量Quantität )のヘーゲル論理学用語です。

 では、ヘーゲル論理学から先に見てゆきます。

第1節 ヘーゲル論理学第1部有論ヘーゲル論理学入門

論理学について:
 論理学は思想の領域一般を考察する。思惟〔概念・判断・推理の作用〕は思惟固有の領域をもつ。
思惟はそれ自身一個の全体である。だから論理学の内容は、思惟よりほかに何の根拠をもたないような
思惟そのもの独自の諸規定である。純粋な思想と実在性とはたしかに区別されなければならない。
けれども、実在性が真実の現実性の意味にとられるかぎり、思想の中には実在性も含まれている。
それ故に、思想のもつ内容は自律的な形態における自分自身である、われわれはまた論理学の研究
によって正しい思考を学ぶ。

第1部有Sein A質Qualität(質は直接的な「規定性」であって、その変化は対立者への移行である)。
 「質」をこの「規定性」として理解すると、その後の論理展開が非常に解り易くなります。
 存在するものは、「規定されて」初めて存在することが可能となります。
 『資本論』ではこれを「商品は使用価値または商品体の形態で、すなわち、鉄、亜麻布、小麦等々として、
 生まれてくる。これが彼らの生まれたままの自然形態 Naturalform
である。」と規定しています。

 A 質
 
A質は、a 有、b 定有、c 向自有で構成される。

a 有(Sein):
「有は単純な内容のない直接性である。その対立は純粋無であり、
両者の統一は成(Werden)である。 無から有への移行は生起であり、その逆は消滅である。」
 ここが大変解りにくい。
 どこかにヒントが隠されていると考えて、上記の
A質を振り返ると、「規定性」の論理が最初にある。
 ここから類推すると、「有も無も内容のない直接性」だから、存在をえるための契機・モメントが
なければならない。 それが、「成 Werden 」によって逆規定されていることが分かる。
すなわち、成の構成因子として有と無を考えてみる。

 したがって、ヘーゲルの「成」と、絶えず生成し変化する存在の論理学・運動形式にあると言える。
 「成」とは、変化と流動状態にある運動の論理的表現。例えば、単純にある一日を、
朝から夜までとして考えてみる。 朝に成る(生起)ことは夜で無く成った(消滅)ことと同じである。
そして成の結果は、流動状態からの生起により、 定有(一日の朝から夜)へと存在が生起する。
  
*この論理の例はヘーゲル『精神現象学』A意識「感覚的確信 このものと思いこみ」を参照

b 定有(Dasein):
「定有は、生成した、したがって規定された有である。
 それは同時に他物への関係をもつ有であり、 それゆえに自分の非有への関係をもつ有である」。
 スピノザの「規定は否定である」が思い出されます。 したがって、定有は自分の中に
 区別(否定)をもつことになる。一方では定有は即自(自分のまま)にあり、 他方では他物への
 関係である。定有がこの二つの規定をもつと考えられるとき、それは実在性(Realität)である。

c 向自有(Fürsichsein) : 自分自身への関係としては直接性であり、否定性にたいし自分自身への
 関係として 向自有(自分に対して)するもの、すなわち一者(das Eins )〔一者の単純性〕である。
 一者は自分自身のうちに 区別を含まないものであり、したがって他者を自己から排除する。
 定有が他者との関係とすると、一者は、他者と対立し、反発することになる。〔細胞分裂のように〕
 一者の自己反発によって生まれるものは、 自己同一であり、 それも一者として存在する。
 こうして、一者の反発はそのまま多くの一者の定立となる。〔数多性の誕生〕

 「
B量」への移行:
 生成し規定された有である定有は、自己分裂による他者の定立により、「質の規定性」に
 変革(他者の生成)が 生じていることが分かる。こうして「大いさ・量」の概念の生成となってゆく。


B 量 (Quantität クヴァンティテート) は、a 純量、b 定量、c 度に区分される。
①  或る物は「質」によってそれが或るものであった。質の変化(一者の反発・分裂)によって、
 或るものの規定が変化する。これに対して、一者の反発から生じた他の一者(多数者となって)は、
 もとの一者と同じとなるから、区別されると同時に区別がなくなる。


②  したがって、これらの一者は、「量」の概念として成立してくる。
 この量は、他の一者と同じように連続性をもつことになる。 
 〔一個の細胞が分裂して多細胞が形成される イメージ〕 しかし、この連続性のなかに他の一者が
 含まれることによって、個別の非連続性 〔
多細胞であっても一個ごと独立した細胞である・・・
 ・・・「 iPS細胞とは何か」参照〕 をも生じていることになる。


 ヘーゲルによれば「量」は、3つの形式をもつが、(a 純量(Die reine Quantität)、b 定量(Das Quantum)、
 c 度(Der Grad:内包量)
 しかし、われわれはもう一つの量的観念をもっている。それは実際に身の回りに
 存在するもの(物体、物質や空間、時間など)の「長さや大きさ・
大いさ(Größ)」である。
 
 ヘーゲルは、「
大いさGröß 」について次のような説明をしている。
「大いさ・大きさ
Größ はという言葉は、主として一定の量をさすから、量 Quantitätをあらわすには
不適当である。大いさ・大きさ Größ は、
定量 Quantum を意味するのである。それ故に、
この
量 Quantitätという名称は、どうしても外国語を借用するほかないのである。」(『大論理学』)

a 純 量:
 まだ何らの限界をもたない。言いかえると、それはまだ定量ではない。
 純量の例証は空間と時間についてまた光などの物質一般についても、自我をさえ挙げることができる。
 〔たとえば〕時間は絶対的の自己脱出であり、一者の産出、すなわち時間点または
今の産出であるが、
この産出は直ちにその一者の否定となる。それはまたこの消滅のまだんなき否定の進行となる。
この非有〔一者の否定によること〕の自己産出は同様にまた単純な自己同等性と自己同一性にほかならない。

b 定 量:
 量のうちには、他を排除する限定性がふくまれているが、本質的にこのような限定性を
 もって定立されている量が 定量である。すなわち定量とは「限られた量」である。
定量は、
数(Zahl)においてその発展と完全な規定性とに達する。数は、そのエレメントとして「一」を持ち、
非連続性のモメントからすれば集合数を、連続性のモメントからすれば単位を、その質的モメントとして
自己のうちに含んでいる。
 数の現実的世界を考えると、
①数えること
  〔物体等の質を捨象すること、すなわち使用価値を抽象することに相当する〕
、 ②数える対象の
 諸数(長さ、重さ、広さ、温度(内包量)等々)を相互関係に置くとき、
相等しい単位に還元される


 c 度:

 定量において、限界は定量そのものの全体と同一である。それは、自己のうちに多を
 含むものとしては、 外延量(extensive Größ)であるが、自己のうちで単純なものとしては、
 内包量(intensive Größ)、 すなわち度(Grad)である。相等しい連続量から度の内包量が生じる。
 80°の熱水と40度の温水を足しても120°にはならない。内包量あるいは度は、
 概念上外延量あるいは定量とは異なったものである。
 したがって、この区別を認めないで、「大きさ」のこの二つの形態を直ちに同一視するのは、
 許しがたいことと言わなければならない。
  (ヘーゲルは、物理学の比重の相違の説明における原子論を批判している)

 <比Verhältnisses〔比例〕>
 
『小論理学』105
 向自有(自分自身への直接的な関係、他者を自己から排除)的な規定性をもちながら、
自分自身に外的であるということが定量の質をなしている。定量はこの外在性のうちで
自分自身であり、自分自身に関係している。定量のうちには、外在性すなわち量的なものと、
向自有すなわち質的なものとが合一されている。―それ自身に即してかく定立された定量が
比(das quantitative Verhältnis 量的な関係)〔『資本論』交換価値の量的な関係〕である。
媒介すなわち或る定量の他の定量への関係であり、
比〔比例〕Verhältnissesの両項は、その直接的な数値において妥当するのではなく、
それらの値はこの関係のうちにのみあるのである。比は限度である。

C 限度Das Mass:
 限度とは質的な定量である。それはまず直接的なものとしては、定有あるいは質がそれに
 結びつけられているような定量である。
 限度は質と量との統一であるから、同時に完成された有である。
 有は最初全く抽象的で没規定的なものとしてあらわれる。しかし有はその本質のうちに、
 自分自身を規定するということを含んでおり、限度においてその完全な規定性に達するのである。


われわれは、「
量Quantität」について、「大いさGröß」と「定量Quantum」の連続量・単位などの様態を検討した。
つぎに『資本論』では、このヘーゲル論理学がどのように適用されているのか、実際に「第1章商品」を検討しよう。


第2節 
『資本論』のヘーゲル論理学

A 『資本論』第1章第1節商品の2要素、使用価値と交換価値
(価値実体Wertsubstanzと価値の大いさWertgröße) から検討を開始しよう。
 ヘーゲル論理学
第1部有論の「B量」との関連用語について、以下5つについて報告します。
本日は、時間の都合で、(1)から(3)までとして、実際どのように使用されているのか、
皆さんで比較対照してみてください。
次回、残りの(4)と(5)、そして(1)から(3)の比較検討した結果を討論してゆきたいと思います。

(1)量:Quantität   ①1-1・物の質と量、②1-3・商品の質と量、③2-1・価値自身の量、
               ④4-1・労働の量、
(2)定量:Quantum  ①1-2・小麦量、②1-4・労働の定量、③2-1・支出された労働量
(3)大いさ:Größe   ①1-2・同一大いさ、②1-4・財貨の価値の大いさ、③2-1・上衣価値の大いさ
               ④4-1・価値の大いさの規定
(4)実体:Substanz  ①1-4・価値形成実体、
(5)形態:Form     ①4-2・この形態自身、②4-2・価値の大いさの形態、③4-3商品形態

1-1. 「量:Quantität」
 鉄・紙等々のような一切の有用なる物は、質 Qualität と量 Quantität にしたがって二重の観点から
考察されるべきものである。このようなすべての物は、多くの属性の全体をなすのであって、したがって、
いろいろな方面に役に立つことができる。
物のこのようないろいろの側面と、したがってその多様な使用方法を発見することは、歴史的行動である。
有用なる物の
量die Quantität der nützlichen Dinge をはかる社会的尺度を見出すこともまたそうである。
商品尺度Warenmaßeの相違は、あるばあいには測定さるべき対象の性質の相違から、
あるばあいには伝習から生ずる。

1-2.  「定量:Quantum」「大いさ:Größe」
 さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、
この関係〔交換
関係 Austauschverhältnis 〕 はつねに一つの方程式 einer Gleichung に表わすことができる。
そこでは与えられた
小麦 ein gegebenes Quantum Weizenは、なんらかの量の鉄irgendeinem Quantum Eisen
に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
この方程式は何を物語るか? 二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、
同一大いさのある共通なもの ein Gemeinsames von derselben Größe in zwei verschiednen Dingen
があるということである。

1-3.  「量:Quantität」
使用価値としては、商品は、なによりもまずことなれる質のものである。
交換価値としては、商品はただ verschiedner Quantität ことにするだけのものであって、
したがって、一原子の使用価値をも含んでいない。〔ヘーゲル「向自有」:『小論理学98 p.297~298参照〕


1-4.  「財貨の価値の大いさ:Größe」「定量:Quantum」「実体:Substanz
    「労働の
自身:Die Quantität der Arbeit selbst
 このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に
人間的な労働が
対象化されているvergegenständlicht:実体化されている〕から、
または物質化されている materialisiert である。そこで、
財貨の価値の
大いさはどうして測定されるのか?Wie nun die Größe seines Werts messen?
その中に含まれている「価値形成
実体"wertbildenden Substanz"」である労働の定量Quantumによってである。
労働の
自身Die Quantität der Arbeit selbstは、その継続時間によって測られる。
そして労働時間には、また時、日等のような一定の時間部分としてその尺度標準がある。


B 第2節 商品に表わされた〔具現された〕労働の2重性
   Doppelcharakter der in den Waren
dargestellten Arbeit

2-1 「上衣価値の大いさ:die Wertgröße」、「それ自身の量:eignen Quantität
支出された労働量verausgabte Arbeitsquantum
 例えば、一着の上着の生産に必要な一切の有用労働の生産力が不変であるとすれば、
 上衣の価値の
大いさdie Wert größe は、それ自身のeignen Quantität とともに増大する。
 もし一着の上着がx労働日を表わすとすれば、二着は2x労働日を表わす、等々である、しなしながら、
一着の上着の生産に必要な労働が2倍に増大するか、または半分だけ減少するという場合を仮定しよう。
第一のばあいにおいては、1着の上着は、以前の2着の上衣と同じ価値をもつものとなる。
後のばあいには、2着の上着が、以前の1着の上着と同じ価値をもつにすぎないこととなる。
もちろん、2つのばあいにおいて、1着の上着は依然として同一のはたらきを果たし、
それに含まれている有用労働は、以前として同一品質のものにとどまっているのであるが。
ところがその生産に支出された
労働量 Arbeitsquantum は、変化しているのである。

 
C 第4節 商品の物神的性格とその秘密

4-1 
価値の大いさの規定:der Bestimmung der Wertgröße
 「それらの
支出の継続時間、または労働の量:die Quantität der Arbeit
 「
この量:die Quantitätは、労働の質:der Qualität der Arbeitから区別される」
だから、商品の神秘的性質はその使用価値から出てくるものではない。
それは、同じように価値規定の内容から出てくるものでもない。なぜかというに、第一に、
有用な労働または生産的な活動がどんなにいろいろあるにしても、これが人間有機体の機能であり、
かかる機能のおのおのが、その内容その形態の如何であるにかかわらず、本質的に
人間の脳髄と神経と筋肉と感覚器官等の支出であるということは、生理学的真理であるからである。

第二に、
価値の大いさの規定der Bestimmung der Wertgröße 基礎にあるものは、すなわち、
それらの
支出の継続時間、または労働の量die Quantität der Arbeit であるが、
この量 die Quantität は、労働の質 der Qualität der Arbeit からまごうかたなく区別できるといってよい。
どんな状態においても、生活手段の生産にもちいられる労働時間は、発展段階のことなるに
したがって均等であるとはいえないが、人間の関心をもたざるをえないものである。最後に、人間がなんらかの
仕方で
お互いのために労働するようになると、その労働は、また社会的の形態をも得るのである。

4-2 「この形態自身:dieser Form selbst」「示される大小:das Maß」
「労働生産物の価値の大いさ:Wertgrößeの形態:die Form der Wertgröße der Arbeitsprodukte,
それで、労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる、その謎にみちた性質はどこから発生するのか?
明らかにこの形態自身dieser Form selbstからである。人間労働の等一性は、
労働生産物の同一なる価値対象性の物的形態をとる。人間労働力支出のその継続時間によって
示される大小das Maßは、労働生産物の価値の大いさ Wertgröße の形態をとり、
最後に生産者たちの労働のかの社会的諸規定が確認される、彼らの諸関係は、
労働生産物の社会的〔諸〕関係 gesellschaftlichen Verhältnisses der Arbeitsprodukte
という形態 die Formをとる
のである。

4-3 「商品形態:Warenform」「対象的性格:gegenständliche Charaktere
   「物の社会的自然属性 gesellschaftliche Natureigenschaften dieser Dinge」
それゆえに、商品形態 Warenform の神秘に充ちたものは、単純に次のことにあるのである、すなわち、
商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を
労働生産物自身の対象的性格 gegenständliche Charaktere として、
これらの物の社会的自然属性 gesellschaftliche Natureigenschaften dieser Dinge として、
反映するということ、したがってまた、総労働にたいする
生産者の社会的関係 gesellschaftliche Verhältnis der Produzenten をも、
彼らのほかに存する対象の社会的関係 existierendes gesellschaftliches Verhältnis von Gegenständen として、
反映するということである。このQuidproquo(とりちがえ)によって、労働生産物は商品となり、
感覚的にして、超感覚的な、または
社会的な物 sinnlich übersinnliche oder gesellschaftliche Dinge.となるのである。

野田進行担当
近藤さんには、大変な力作どうもありがとうございました。また、長時間にわたって、
ご検討いただいた皆さまに感謝申しあげます。
討論時間がなくなりましたので、次回改めて行ないます。
早速「こだわりサークル」にも本日の議論を報告して、
その結果についても、併せて討論のたたき台に生かしてゆきたいと思います 。

『資本論』のヘーゲル論理学などという大仰なテーマで、力量を顧みず大胆な挑戦となりました。
また、進行役の不手際もあって、大分時間オーバーでしたが、
次回、5月20日頃を予定していますので、よろしくお願いします。

湯川議題整理担当:
本日は大変お疲れ様でした。言語文化の報告予定の岡本さんには、
本日発言の機会を頂けませんでしたので、最後になりましたが、ご挨拶をお願いします。

言語文化担当の岡本です。
ヘーゲル哲学も大変むずかしい内容です。永年格闘してきましたが、まだまだ理解が足りません。
それにヘーゲルという人は非常に博識で、古今東西の文献を調査しています。
アリストテレスと並び立つ西洋文化史の巨人ではないでしょうか。
次回、レポート予定の要点をさきほどとの関連で申し上げます。ヘーゲル哲学の実体と
形態・形式の件ですが、これは日本で一般的に考えられていることとは全く違っています。
面倒なことにアリストテレスの用語法とも違っているので、辞典で調べるにも、細心の注意が
要求されます。さらに、『資本論』の翻訳語とヘーゲルの翻訳語とが同じドイツ語、
例えばFormにしても、『資本論』では「形態」、ヘーゲルでは「形式」の具合でばらばらです。
 さらに言えば、「形態」のドイツ語が Form と Gestalt の二つあって、どちらもよく使われています。
 そんな事情もあり、
次回重点的な検討課題は
ヘーゲルの形式(または形式作用・形式活動) Form と 実体・Substanz が、
『資本論』の第1篇、第1章から第3章にかけてどのように活用されているのか

について議論をしてゆきたい、と考えています。重いテーマですが、皆さんのご協力を得て、
肩が凝らないようにできれば幸いです。
 皆さんに特にお奨めしたい参考書が、『
ヘーゲル用語事典』(未来社刊)です。
 島崎隆さんの説明個所は、『資本論』への格好の手引き書になることでしょう。
次回お会いする日を楽しみにしています。              
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