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3つのキーワード       ★下線をクリック、2018.11.20改訂


1. 成素形態:エレメンターフォルム Elementarform

2. 変 態 : メタモルフォーゼ Metamorphose

3. 化 身 : インカネーションInkarnation


 さて、今回2月創刊号は、編集委員会とも協議の上、3つのキーワードを選びました。

選択の基準として、これから一年間中心課題となるテーマについて「はじめ」の位置づけとなるものです。
第一に伝統的な古代ヨーロッパ思想から「エレメントElement」、第二に18世紀近代生命科学の創始者の一人であるゲーテの「形態学と変態」理論から「メタモルフォーゼMetamorphose」
そして第三に、『資本論』理解-特に商品の物神性論-に欠かせないキリスト教神学から「インカネーションInkarnation」を選んでいます

 この三つは、第1巻全体のエレメントを構成しています。
「商品の変態」は、「商品流通W-G-W」から「G-W-G」へと資本形態発生の矛盾解明のキーワードとなります。労働価値説と労働搾取の原理的概念を形成しています。そして、資本概念の解明にマルクスが一生涯をかけて創くりあげた『資本論』の結晶として、資本制生産様式の体系解明の中軸として「物神性論」が構築されています。
 これらのキーワードを導きの糸としながら、議論が一歩ずつ進展してゆくように工夫してゆきます。3月HPもお楽しみに。


1. 成素形態:エレメンターフォルム Elementarform


    第1編 商品と貨幣 第1章 商品 
  
第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)


 
資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態〔Elementarform〕として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

 向坂訳「成素」と訳されたElementは、ラテン語に語源がある。もともとは、古代ギリシャ語からの翻訳語である。アリストテレスの翻訳者、出 隆は次のように解説を行っている。(『アリストテレス哲学入門』

 「万物の「もとのもの」(原理)を求めていわゆる四元素をあげ、これらを、ここに「構成要素」と意訳された原語でまた“stoicheia” 〔ストイケイア〕 呼んだ最初の人と伝えられるンペドクレスが挙げられようが、続くアナクサゴラスや原子論者など第5世紀の自然学者たちも入れてよかろう。この構成要素、要素、元素、原理などと訳される“stoicheia”単数形ではstoicheion)というのは、もともとギリシャ語で一般に一つの語またはその音節・語節(syllabe)を構成する要素としての字母」(アルファベット、abc、いろは)指す語であり、そこでこの語がローマの学者ではおそら<a b c >のようなものという代わりに「 l m n のようなもの」というほどの意味でか“elementa”と訳し用いられ、ここから近代語では英語なら“elements”や“elemental”等々、そしてこれらが日本語では「元素、要素、原理」や「初歩的、原理的」等々訳されるに至った。なお、推論を成す前提原理、知識の根本命題などの意から、にラテン語名“Elementa”(英“Elements”)で知られるユークリッドの『幾何学原理』この語で“stoicheia”または“stoicheiοsis”と呼ばれたが、れは、この書に集められた幾何学の公理・定義・定理などの諸命題が幾何学的世界を構成する基本的要素と解されたからである。」


 また、ヘーゲル『精神現象学』の翻訳では
 岩波書店・金子武蔵(1971年)、河出書房新社・樫山欽四郎(1973年)がElementを「
成素」と訳すなど、哲学の世界ではこの『成素なる用語が古くから流通している。向坂訳は、こうした哲学書の伝統的翻訳語を踏襲してものと推察される

 (詳細は「ヘーゲル哲学のはじめHP3月号」参照<2018.11.20改訂作業中です


  ■『精神現象学』 a 自然の観察  (河出書房新社 161-162ページ)


 再生は有機体の形式的概念をつまり感受性を、表現している。
が再生は本来から言えば有機体の現実的な概念であり、また全体であるこの全体は、個体としては自己自身の個々の部分を生み出すことにより、類としては個体を生み出すことによって、自己に帰る。
 有機体の
成素の別の意味つまり外なるものの意味は、それらが形をえた姿である。の形によればこれらの成素は現実的部分として、だが同時にまた一般的な部分つまり有機的な組織として現存している感受性は、たとえば神経組織として再生は個体及び類を保存するための内臓として現存している


 (なお、岩波書店・金子武蔵訳『精神の現象学』(上巻1971年)の「成素」は269ページ参照)

 



2. 変態 : 
メタモルフォーゼ Metamorphose

       
   
 『資本論』第3章第2節流通手段 a 商品の変態

 交換過程は、諸商品を、それが非使用価値である持ち手から、使用価値となる持ち手に移すかぎり、社会的な物質代謝である。われわれは全過程を、その形式的側面から、したがって、ただ商品の形態変化または社会的物質代謝を媒介する、その変態をのみ、考察しなければならぬ。


 チョウやハチなど昆虫では、卵からふ化すると、幼虫と呼ばれる。幼虫から成虫になる過程で蛹・さなぎとなり(蛹化ヨウカ)、蛹から脱皮して成虫となる。変態とは、幼虫から成虫になる形態変化を変態という。
  (詳細は3月HP,
幼虫、サナギ、羽化、「ゲーテの形態学・変態のはじめ」参照)


『資本論』第3章第2節「a商品の変態」では、

次のような叙述を行っている

金が実在的な貨幣となるのは、諸商品がその全面的な売渡しによって、金を諸商品の現実に脱皮した使用態容〔entäußerten Gebrauchsgestalt〕となし、諸商品の現実の価値態容となすからである。 その形態態容においては、」商品は、自然発生的にもっている使用価値、その成立を負っている有用労働の、あらゆる痕跡をはらい落している。こうして、無差別な人間労働の一様な社会的な体化物に 蛹化ヨウカしていくのである。〔entäußern>ablegen脱ぎ捨てる〕

② W-G-W(亜麻布-貨幣-聖書)は、ある商品(亜麻布)の最初の
変態、その商品形態から貨幣への転化は、つねに同時に、他の商品の第二の相対した変態、すなわちその貨幣形態から商品への再転化 である。・・・

〔第3節貨幣で〕
 商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の生産物、すなわち、商品の転化された態容、またはその
金蛹サナギを、確保するという必然と情熱とが、発展してくる。

〔第4章貨幣の資本への転化〕
 貨幣の資本への転化は、商品交換に内在的な法則の基礎の上に展開すべきものである。まだ
資本家の蛹として存在しているにすぎないわが貨幣所有者は、商品をその価値で買い、その価値で売らなければならぬ。・・・この過程の終わりには、彼が投入したよりも多くの価値を引出さなければならない。
 
彼の蝶チョウへの発展は、流通部面でおこなわなければならず、また流通部面で行なわるべきものでもない。これが問題の条件である。

〔第9章〕
 個々の貨幣所有者または商品所有者が繭マユを出て〔entpuppen:羽化する〕資本家となるために、自由に処理しえねばならない価値額の最小限は、資本主義的生産の種々の発展段階において異なる。
 
 
このように、『資本論』では、変態を「昆虫の変態過程(幼虫-蛹化-サナギ-羽化-蝶)として「商品-貨幣-資本」の論理過程をたどっているのです。

 
『資本論』がぐっと身近に感じられることで しょう。



3. 化身 : インカネーションInkarnation


   第3節 価値形態または交換価値 C 一般的価値形態

 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。 この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、 一般的な社会的な蛹化ヨウカ〔サナギになること〕としてのはたらきをなす。

 化身と日本語に訳されたドイツ語Inkarnation は、もともとはキリスト教の「受肉」にあたります。『神学のよろこび 』(定評のあるキリスト教神学入門ガイド、・・)を参照しながら、「受肉」の検討をしましょう。


イエス・キリストの人格についてキリスト教は、「受肉」という用語で議論されます。

「受肉」とはむずかし  い言葉ですが、大切な言葉です。それはラテン語の「肉」に由来し、イエス・キリストが神にして人であるという根本的なキリスト教信仰を要約し、明確に主張しています。

 受肉の考えは、キリストの秘儀についてのキリスト教的な反省のクライマックスです。イエス・キリストは神を啓示しておられるということ、彼は神を代理しているということ、神として、神に代わって語っており、また神として、神に代わって行動しているということ、それゆえ彼は神であるということ、受肉の考えは、こうしたことを承認することを意味します。(神が人間としてのイエス・キリストとして現われること。詳細は、「キリスト教神学のはじめ」を参照)


 つぎに、化身(受肉)の箇所(『資本論』岩波文庫頁)を紹介します。


 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身(受肉)として、一般的な社会的な蛹化としてのはたらきをなす。p.122

 土地の内奥から取り出されてきたままの金と銀とは、同時にすべての人間労働の直接的な
化身(受肉)である。このようにして貨幣の魔術が生まれる。P.167

 価値の尺度として、また価格の尺度標準として、貨幣は二つの全くちがった機能を行なう。貨幣は、人間労働の社会的化身(受肉)として、価値の尺度である。確定した金属重量としては、価格の尺度標準である。貨幣は、価値尺度としては、雑多にちがっている商品の形態を価格に、すなわち、観念化された金量に転化するために用いられる。P.174

 貨幣は、自身商品であり、外的な物であって、どんな人の私有財産ともなることができる。こうして、社会的な力は、私人の力となる。したがって、古代社会は、貨幣を、その経済的なおよび道徳的な秩序の破壊者として非難する。すでにその幼年時代に、かのプルトゥスを、神をつかんで大地の中から引き出す近代社会は、金の聖杯を、そのもっとも固有なる生活〔生命〕原理の燦爛サンランたる
化身(受肉)として、これに敬意をささげている。


  
  『
資本論』で「商品の物神性」を語るとき、「類似性を見出すためには
れわれは宗教的世界の夢幻境にのがれなければならない」と商品世界の物神的性格について述べています。キリスト教神学になない私たちは、神の化身・受肉について考えるとき、ヘーゲル哲学が道しるべとなります。

後から「資本論のヘーゲル哲学」のなかで「存在とはなにか」を学んでゆきますが、現実的と思われている「一般的な存在」を次のように分析をしています。対立しあっているもの(個別的なものは一般的なものに対立している)は同一である。個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。一般的なものは、個別的なもののうちにのみ、個別的なものによってのみ存在する。」(レーニン『哲学ノート』)

これらの文脈から化身・受肉をイメージする場合、一般的(普遍的)存在(神)を個別的なもの(人間としてのイエス・キリスト)によって存在する」具合に段階ではりあえず類推しておくことにします「商品の物神性」に続いて、「三位一体」「ペルソナ」などのキリスト教神学用語多く使われていますので、後で「資本論とキリスト教神学」において検討を続けてゆきます