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文献資料  『資本論』
向坂逸郎訳 岩波書店1969年発行

                                   

 『資本論』第2版第1巻



 
  社会的生産有機体 

             
  
第1章 第2節 商品に表された労働の二重性 
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 「この労働は、すべての普通の人間が特別の発達もなく、平均してその肉体的有機体〔leilichen Organismus〕の中にもっている単純な労働力の支出である。単純な平均労働自身は、国のことなるにしたがい、また文化時代のことなるにしたがって、その性格を変ずるのであるが、現にある一定の社会内においては与えられている。


  
第4節 商品の物神的性格とその秘密 

 「だから、商品の物神的性質はその使用価値から出てくるものではない。それは、同じように価値規定の内容から出てくるものでもない。なぜかというに、第一に、有用な労働または生産的な活動がどんなにいろいろあるにしても、これが人間有機体〔menschlichen Organismus〕の機能であり、かかる機能のおのおのが、その内容その形態の如何にかかわらず、本質的に人間の脳髄と神経と筋肉と感覚器官等の支出であるということは、生理学的真理であるからである。」

 「最後にわれわれは、目先を変えて、自由な人間の一つの協力体を考えてみよう。人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの社会的労働力として支出する。・・・
この生産物の一部は、再び生産手段として用いられる。・・・他の部分は生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分配されなければならぬ。この分配の様式は、社会的生産有機体〔gesellschaftlichen Produktionsorganismus〕の特別な様式とともに、またこれに相応する生産者の歴史的発展の高さとともに、変化するであろう。」

 「さて経済学は不完全ではあるが、価値と価値の大いさを分析したし、またこれらの形態にかくされている内容を発見したのであるが、・・・したがって、社会的生産有機体の先ブルジョア的形態は、あたかも先キリスト教的宗教が、教父たちによってなされたと同じ取扱いを、経済学によって受けている。」


   
第3章 貨幣または商品流通 

  
a 商品の変態

 「商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。すなわち、この商品にたいして支出された労働は、かくて社会的に有用なる形態で支出されていなければならない。あるいは社会的分業の一環たることを立証しなければならない。しかしながら、分業は、自然発生的生産有機体 
〔naturwüchsiger Produktionorganismus〕 をなしているのであって、その繊維は商品所有者の背後で織られたのであり、またつづいて織られているのである。」


    
第4章 貨幣の資本への転化 Verwandlung von Geld in Kapital

  
第2節 一般定式の矛盾  Widersprüche der allgemeinen Formel

 「等価が交換されるとすれば、剰余価値は成立せず、非等価が交換されるとしても、また何らの剰余価値も
成立しない。流通または商品交換は、何らの価値を産まない。 したがって、資本の基本形態、すなわち資本が近代社会の経済組織〔die ökonomische Organisation der modernen Gesellschaft : 近代社会の経済体制(生物体の体制)〕を規定する形態を分析するにあたって、何ゆえにわれわれは、その通俗的な、いわば先洪水時代の姿である商業資本や高利貸資本を、初めはまず全く考慮しないでおくかということが、理解される。」


   
第5章 労働過程と価値増殖過程  第1節 労働過程

 「最古の人間の洞窟においても、石器の道具や武器が見出される。加工された石、木、骨、貝殻のほかに、馴らされた、したがってそれ自体すでに労働によって変化された、飼育動物が、人類史の端緒において労働手段としての主要な役割を演じている。労働手段の使用と創造とは、萌芽状態においては、すでにある種の動物にも具わっているが、特殊人間的労働過程を特徴づけるものであり、またそれゆえにフランクリンは人間を“toolmaking animal”すなわち道具を作る動物と定義しているのである。遺骨の構造が、死滅した動物種属のからだつきの認識にたいしてもつのと同じ重要さを、労働手段の遺物は、死滅した経済的社会形式 〔ökonomischer Gesellschaftsformationen〕 の判定にたいしてもっている。」


  ・・・以上、終わり・・・