チャールズ・シンガー 『科学思想のあゆみ』 岩波書店 1968年発行
第8章 機械論的世界
生態学の基礎
植物の生命活動は、化学者のジョゼフ・プリーストリーによって明らかにされた。かれは『種々の空気に関する実験と観察』(1774年」のなかで、水にひたした植物は、われわれが「酸素」と呼んでいる気体を放出することを示した。また、この気体が動物の生命に必要であることを観察した。かれと同時代のラヴォアジェは、呼吸中の諸変化についての定量的実験をおこなった(1774年)。これらは、動物の呼吸の真の性質を明らかにし、二酸化炭素と水が呼吸活動の正常な産物であることを証明した。
さて一方、ヤン・インヘンホウス(1730-99年)は、動物の生活と植物の生活の間の均衡という非常に重要な概念を導入しつつあった。かれはオランダ人の技師で、ハンターとともにロンドンで仕事をし、1997年に『日なたでは一般空気を浄化し、日かげや夜間では汚染する偉大な力を発見する植物実験』を出版した。そこには、植物の緑の部分は光にあたると大気中の遊離している二酸化炭素を固定することか証明されている。そしてかれは、植物は暗闇のなかではそのような能力をもたず、逆に少量の二酸化炭素を放出することを示した。この最も意義ぶかい発見は、生物の世界の経済についてのわれわれの包括的な概念の基礎になっている。動物の生活は、終局的には植物の生活に依存している。植物は、死んだ動植物の分解の産物とともに大気中の二酸化炭素から自己の実質をつくりあげる。こうして、動物界と植物界には均衡か保たれる。
ジョン・ハンター(1728-93年)の生物学上の貢献は、とくにつかまえどころがなく、紹介しにくい。かれより年上の同時代人リンネと、かれより年少の同時代人キュヴィエとは、ともに生物の分類に専念した。そのためにかれらは、つねに相違点を探求した。ところがハンターの関心をひきつけたのは、類似点のほうであった。かれは、500をこえる種の実験と解剖をおこなった。それらを通じてかれは、器官、構造、活動に示されるようなさまざまな生命の様相を体系的に跡づけることに着手した。しかしかれの主な仕事は、かれの博物館であった。かれの精神は、多くの古来からの蒐集の動機となった「げてもの集め」とは、およそかけはなれていた。ここではあらゆる蒐集品は、その占めるべき場所をもち、それが加えられた理由をもっていた。さまざまな構造や機能を有機的に系列化して正しく例解するというハンターの蒐集観は、博物館の近代的概念をつくりあげた。
ハンターは、生命体のいろいろな相違性の底に横たわる一般原理をつねに求めていた。すべての生命体にとって最も一般的なものは、あの生命と呼ばれる神秘的なものである。生命は、単独ではけっして示されることはなく、生物の種々な活動のなかに見られる。それらの活動のうちでもハンターは、外科医としては当然のことだが、治癒と回復の能力を強調した。この能力は生体に固有のもので、非生物の世界にはそれに類比できるものはない。生命か何であろうとも、それは、「あまり組織化されていない」存在によって最も強固に保持されている何ものかである、とかれは考えた。したがって生命は、構造とは独立であって、どうやら、すべての有機体が含有しているある物質の一つの属性であるにちがいない。このような思想からは、原形質の概念、すなわち見かけは簡単だが、終局の構造と組成とはとほうもなく複雑であって、これなしには生物は見出せないような物質、という概念が生じる。「原形質」という語は、かれの死後50年(1846年)につくられたもので、かれはこの語を使わなかった。しかしかれは、生命の共通な物質的基礎の概念に手がとどきつつあった。
生命現象についてハンターやリンネやキュヴィエなどの博物学者がおこなった整然とした観察は、次代の化学研究家たちによって、まったく新しい方向を与えられた。呼吸は、プリーストリーやラヴォアジェやインヘンホウスによってすでに化学的に理解されていた。生体のその他の多くの過程は、今やリービヒとその一派によって化学的に解釈された。
ユストゥス・フォン・リービヒ(1803-73年)は、ギーセン大学の化学の教授で、たくさんの門人をかかえ、実験室内での授業を大いに採用したきわめて鼓舞的な教師であった。かれは、有機分析の方法を非常に改良し、とくに、溶液中の尿素の量を決定する方法を紹介した。この尿素は、哺乳類の血液や尿のなかに見られ、その当時に非有機物と考えられていたものから調製されたはじめての有機物質であった。尿素は、生理学的に非常に重要である。なぜなら、尿素は、すべての生命物質に関連して特徴的に見出される「タンパク質」として知られる窒素化合物が分解する過程で、動物体内にきまって形成されるからである。
フリートリッヒ・ヴェーラー(1800-82年)の名は、尿素の再合成(1828年)と結びついている。哺乳類の窒素代謝の主要な産物であるこの尿素は1773年に発見され、1815年にウィリアム・プラウト(1785-1850年)によって研究された。ヴェーラーは、シアン化アムモニウムから尿素を合成したが、当時は
シアン化アムモニウムをその構成諸元素から合成することはできなかった。だからこれは、重要な進展ではあったけれども、よくいわれるように「生体で生じる物質のはじめての合成」と呼ぶわけにはいかない。ヴェーラーは同僚のリービヒとともに、原子が構成する複雑な一有機群―今日のいわゆる「基」―は、一連の多くの化合物中に跡づけることのできる一つの固定した構成要素を形成し得ることを示した。基は、まるで一つの元素であるかのように行動することができるらしい(1832年)。この発見は、生体内の化学的変化に関するわれわれの概念には基本的に重要である。
1838年以後のリービヒは、生命過程の化学的説明を企てることに専念した。この研究のみちすじで、かれは多方面にわたって先駆的な仕事をしたが、これらはその後、十分に認められるようになった。たとえば、かれは食物を、それらが動物体の経済的な働きのなかではたす機能に基づいて分類(脂肪、炭水化物、タンパク質)したし、動物の熱はすべて燃焼によるものであって、「生来の」ものではないという、当時はほとんど容認されなかった近代的な見解を説いた。
植物は、その組成である炭素と窒素を大気中の二酸化炭素とアムモニアからひき出し、それらは、腐敗の過程でふたたび植物によって大気中に返されるというリービヒの教えは、非常に重要であった。インヘンホウスの著作からのこの発展によって、自然における「循環」の概念か可能になった。分解されたものはたえず組み立てられ、その後ふたたび破壊される。こうして生命の輪環が回転するか、この原動力は結局、太陽熱からひき出されているのである。
現存する生物成分のきわめて大きな部分は、緑色植物のなかに含まれている。この緑色植物は、全動物界にとって、食物の究極的な源泉である。したがって、植物の成分が補給をあおぐ諸源泉の経済的意義は、過大視しすぎるということはない。そのうちで最も重要な源泉は、とくにでんぷんの形での炭水化物であり、炭水化物の形成は、緑色の物質そのものと関係がある。
今日では、でんぷんは、大気から吸収された二酸化炭素によって植物の体内でつくられることがわかっている。」そしてでんぷんの形成が、緑色物質と密接な関係をもった生きた植物細胞の機能であることもわかっている。さらにまた、この過程は、光が存在する場合にしか働かないこともわかっている。ギリシア語で「葉の緑」を意味する「クロロフィル」〈Chlorophyll〉という語は、1817年につくられた。光合成についての現代の見解へのあゆみは、フランスの実験家アンリ・デュトロシェ(1776-1847年)によってなされた。生体の活動を解きあかす鍵は、大気中の気体が生物の組織と接触をおこなう過程である。動物では、この過程の一般的特徴はかなり明白で、とくに呼吸などでは活発に見られる。しかしながら植物では、その秘密が明らかにされるのに長い間かかった。デュトロシェは、葉の表面の小さな開孔-かれはそれを「気孔」と呼んだ-が葉のなか身にある空間と連絡していることを示した(1832年)が、気孔が気体交換の正常な通路であることが一般に認められたのは、それから60年後であった。デュトロシェはまた、植物が全休として酸素を放出し、二酸化炭素を吸収することも、インヘンホウスから知っていた。そして、緑色物質を含む細胞だけが二酸化炭素を吸収する能力のあることを示した(1837年)。
さてここで、生物中の含窒素物質の由来と結末についての考察にむかうことにする。デイヴィ、リービヒその他の人たちは、植物の体内の窒素の重要性にはよく気づいていた。リービヒは、窒素がアムモニウム化合物や硝酸塩の形で、根から植物にとり入れられることを示した。かれは、きわめて重要な広範囲の一般化によって、栄養の一般的過程を理解しやすくした。かれは、植物は腐植土の吸収によって成長するという古い考えをはねのけて、二酸化炭素とアムモニアと水とがそれ自身のうちに植物物質の生産に必要なすべての要素を含んでいることと、これらの物質か腐敗の過程の最終産物でもあることを主張した(1840年)。
ヴェルツブルクのユリウス・ザックス(1832-97年)は、1857年以来、植物栄養の問題に没頭した。かれは、植物体内の緑色物質であるクロロフィルは、組織のなかに分散しているのでなく、ある特殊な物質―のちに(1883年)「葉緑体」と呼ばれた―のなかに含まれていることを実証した。かれはまた、二酸化炭素の吸収における葉緑体の活動を決定するには、日光が決定的な役割を演じることも示した。さらに、葉緑素は光があるときにだけ葉緑体のなかで形成されるし、その上、光の種類がちがえば、二酸化炭素同化の過程も活動の度合いがちがう。これらのザックスの見解と発見は、植物生理学に関する論文(1865年)のなかで集成された。
フランスの鉱山技師ジャン・バプティスト・ブッサンゴー(1802-87年)は、窒素の問題にしつこくとり組んで成功した。50年代にかれは、植物はともかく窒素の大部分を、大気からではなく、土壌中の硝酸塩から吸収することをうまく立証した。さらにかれは、硝酸塩が存在するならば、有機物または炭素含有物質かなくても植物は成長し得ること、したがって、植物中の炭素は大気中の二酸化炭素からだけに由来することを示した。
・・・・以上、終わり・・・