『資本論』のヘーゲル論理学研究(2)
超感覚的世界 と 物 Ding について
ヘーゲル『大論理学』 第2巻 本質論
第2篇 現象 第2章 現象 B 現象的世界と即自有的世界 (岩波書店 p.177)
超感覚的世界die übersinnliche Weltについて
この即且向自的に存在する世界 〔 an und für sich seiende Welt : 自己に即しながら、自己・事物が二重化ないし分化してゆく世界- (注1) 〕 は、また超感覚的世界 die übersinnliche Welt とも呼ばれる。それは実存する世界が感覚的世界、即ち意識の直接的な活らき(はたらき)である直観に対応する世界であるかぎりにおいてである。―
超感覚的世界も直接性、実存をもつ。けれども、それは反省した、本質的な実存である。本質はまだ何らの定有をももたない。しかし、それは有る。しかも、有よりも更に深い意味において有なのである。物 Ding は反省した実存の始まりである。 物 Ding は一つの直接性であるが、この直接性はまだ本質的な、または反省した直接性として措定されてはいない。とは云え、 物 Ding は実際は有的な直接者ではないのである。 物 Ding は或る他の超感覚的世界の 物 Ding となることによってはじめて、第一に真の実存するものとして、第二に有的なものに対立する真なるものとして措定される。― そしてこの超感覚的な 物 Ding の中で、直接的な有とは区別されるところの有があること、この有が真実の実存であることが認められる。のみならず、このような規定の中で、一方においては実存を単に感情と直観との対象としての直接的有とのみ見るような感覚的表象が克服され、また他方においては 物、力、内面的なもの等の表象をもつにかかわらず、これらの規定が感受的な、または有的な直接性ではなくて、むしろ反省した実存であることを知らないような無意識的な反省も克服されるのである。 ・・・以下、省略・・・
(注1) 即且向自的に存在する世界 島崎 譲
an und für sich seiende Welt : 自己に即しながら、自己・事物が二重化ないし分化してゆく世界
『 ヘーゲル用語辞典 』 より
「即自・対自・即かつ対自」という用語は、ヘーゲルが弁証法的な展開を説明するときにしばしば使う用語である。一般に、ヘーゲルの弁証法的進展は正・反・合(=定立・反定立・総合)という三段階によって特徴づけられるが、ヘーゲル自身はそうした図式的な説明はしない。「即自・対自・即かつ対自」という言葉によって、弁証法的進展は正確に表現される。
ドイツ語の an sich は直訳すれば、「自己に即して」、つまりその物にぴったりと重なり、分裂がない状態を意昧する。an sichはふつう「それ自体として」などと訳されるが、哲学では「即自」、「自体」などと訳される。
「 für sich 」 は直訳すれば、「自己にたいして」、「自己と向き合って」となるが、普通「それ自体として」、「独りで」などと訳される。「 für sich 」は哲学では「対自」、「向自」などと訳され、事物(自己)が二重化ないし分化することを示す。「 an und für sich 」は以上の an sich と für sich の両面を統一した言葉であり、哲学では「即かつ対自」ないし「即かつ向自」 〔 即且向自 〕 と訳される。
弁証法的発展構造を示す〈即自-対自-即かつ対自〉の展開については、『大論理学』概念論末尾の「絶対的理念」の章や『哲学史』序論の「哲学史の概念」が参考になる。
〈即自-対自-即かつ対自〉の進展は、全体として、事物の発展を示す。それは未発展で単純であった事物が(即自)、みすからの多様な可能性を実現した結果、かえって統一を失って分裂に陥り(対自)、だがさらに、そのなかから高次元の段階でもとの統一を回復するプロセスとしで(即かつ対自)描かれる。
・・・以上、終わり・・・