<コラム6>「心の進化と脳科学」(3)
人類学と考古学の構築者たち
★人類学:島 泰三
(自然人類学者:霊長類研究、国際協力事業団マダガスカル国派遣専門家を経て、日本アイアイ・ファンド代表)
★考古学:竹岡俊樹
(考古学者:石器研究の第一人者、旧石器ねつ造事件を捏造発覚前から疑問を提示・批判、『考古学崩壊』公刊。)
★古人類学:諏訪 元
(古人類学者:1992年に、当時としては最も古い化石人類となったアルディピテクス・ラミダスを発見。
化石の記録から人類のたどってきた進化の道筋を研究)
日本を代表する3人の著書から選んで報告します。
3人に共通してうかがえる学問の根底には、「心の進化と脳科学」の科学性が息づいています。私たち資本論ワールドの編集員会としても、研究者の師匠として学んでゆきます。
Ⅰ. 島泰三 人類学 『ヒト-異端のサルの1億年』
中央公論新社 2016年8月発行
「 第6章 ホモ・エレクトゥスとハンドアックスの謎 」
1. 類人猿第4世代
「260万年前に始まり1万年前まで続く更新世は、類人猿第4世代の後期を彩る人類、ホモ属の時代である。この時代は、ヨーロッパでは氷河周辺気候のためにステップ化が起こった本格的な寒冷期であるヴラフランカ期から始まる。更新世の始まりは、また、テナガザル科を含む現生類人猿のすべての分類群が現在に続く種への分化を始めた年代にあたる。ゴリラ属とチンパンジー属にオランウータン属もいくつかの種に分岐している。・・・
アフリカでは、第一にゴリラ属が更新世の始まりに東西に分岐し、同じころチンパンジー属のボノボがコンゴ川の南に出現した。第二に、アウストラロピテクス属の頑丈タイプの種が出現し、更新世の後期まで生き残った。第三は、ホモ属の出現である。われらが祖先は、アフリカかアジアに出現し、一気にユーラシア大陸全域とアフリカ大陸に広がった。 こうして更新世には、現存する類人猿のすべてが登場する。
2. ホモ属の出現
「1961年2月、タンザニアのオルドヴァイ渓谷でL・S・B・リーキー(ルイス・リーキー)は、最初のホモ属、ホモ・ハビリスを発掘した。その年代は175万年前とされた。第一の特徴はアウストラロピテクス属の脳(350~550cc)よりも明らかに大きな脳容量であり、645ccと推定されている。
ホモ・ハビリスの生存年代は240~160万年前までの間で、同じ時代の人類をホモ・ルドルフェンシス(191万~161万年前)とホモ・エルガスター(161万~115万年前)に細分することもある。ホモ・ルドルフェンシスは、大地溝帯の南の端にあたるマラウィ湖の西岸で発見された。
約200万年前にアフリカで出現したホモ・エルガスターはヨーロッパとアフリカではホモ・アンセッサーになり、アジアではホモ・エレクトゥスとなったとこれまで考えられてきた。しかし、最近になって、ジャワ島で180万~160万年前の、中国北部の泥河湾盆地で166万年前の、またやや疑わしいとされるが190万年前のホモ・エレクトゥスが中国四川省巫山で発見されている。ヨルダン渓谷のウベイディア遺跡で最古の住居跡は150万年前で、グルジアのドマニシの頭蓋骨は170万年前(脳容量685cc)のものだった。(本書ではホモ・エレガスター、ホモ・アンセッサーとハルデルベンシスを含めて〔原人〕ホモ・エレクトゥス類とした。)
3. ハンドアックス(握斧または握槌)の謎
「160万年前の遺跡から知られているハンドアックスは、ホモ・エルガスターからホモ・アンテセッサーに至るアフリカ、ヨーロッパ地域の原人と常に共にあった石器であり、その文化はアシュ―リアンと呼ばれている。 ホモ・エレクトゥス類の骨の厚さは現代人の比ではない。現代人の握力は60キログラム前後だが、チンパンジーでは200キログラムで、オランウータン、ゴリラはさらに強いといわれている。これらの野生動物は指一本で体重を支えることができるほどだから、ホモ・エレクトゥス類もそのレベルの力を持っていたのだと想像しても間違いはないだろう。その力が石器作りに発揮されているのだから、削り痕に強力な力の印象が残されていても不思議はない。
ハンドアックスは独特の形をした石器で、人類史上もっとも長く、かつ広範囲に作りつづけられた石器である。日本列島でも3万年前まで作られていたのだから、製作された期間はほぼ160万年間になる。その均整のとれたティア・ドロップ(涙滴)の形は一目見ただけで忘れられない印象を与え、特に重さ3キログラムを超える大型の石器には、道具を超えた独特の魅力がある。 ハンドアックスでは、10センチ以上はふつうで、南イングランドのファーズ・プラットからは長さ39.5セントメートル、重さ3.4キログラムもあるフリント製の、オルドヴァイ渓谷からは30センチメートル近い珪岩製のものが発掘されている。
4. ハンドアックスの用途・・・威嚇
「ハンドアックスの特徴は、均整のとれた形、大型化、サバンナ地域だけの分布、使用痕の少なさである。これらの特性をすべて満たす用途はいったい何か? ホモ・エレクトゥスは大型獣の狩猟者である。しかし、人間の疾走能力はノウサギ程度だという実験例があり、直立二足歩行人類の全力疾走はシマウマにとうていかなわない。では、ハンドアックスを投げたのか? それではハンドアックスがほとんど無傷で残っていることの説明がつかない。
原人たちもまた、アウストラロピテクス属から引き継いだ骨食をする人類だったことは間違いない。それは手軽だからである。しかし、ホモ・エレクトゥス類はアウストラロピテクス属よりもさらに大型獣に接近するようになったのではないだろうか? サバンナでは、どこでライオンたちが仮をしたかを知るのは、実にたやすい。上空の偵察者、ハゲワシたちはライオンの狩りを見逃すことはない。・・・
しかし、体重60キロクラスでライオンより目の位置の高い身長1.7メートルのホモ・エレクトゥスにとっては、武器さえ持てば、ヒョウやチーターやハイエナばかりでなく、ライオンにも十分対応できる。ライオンのあの巨大な牙に対抗する武器を持つことができれば。巨大な牙!そこだ。 ハンドアックスが10センチメートル以上のサイズになったのは、ライオンの牙と対決できる大きさだからではないだろうか?
それなら、シマウマを仕留めて、ライオンの群れが集まっている最中にも、原人たちは乗りこむことができる。 重さ3キログラムの巨大な石器の牙をむいたホモ・エレクトゥスは強力部類の捕食者でありえる。まして、ホモ・エレクトゥスの体の頑丈さには定評があり、その体も身長175センチメートル、体重76キログラムという推定さえある。ライオンたちの牙より大きなハンドアックスのような石器を振りかざし、それを十分使いこなせる歴戦のホモ・エレクトゥスたちに対しては、ライオンたちも退くしかなかっただろう。
ライオンたちが最初の食欲を満たしたと見切ったときに、ホモ・エレクトゥスたちが威嚇者たちとして出現すれば、新鮮な骨は十分に手に入れられる。そこに残っていた肉が彼らの食域を広げただろう。」
Ⅱ. 竹岡俊樹 考古学・・・『旧石器時代人の歴史-アフリカから日本列島へ』
(株)講談社 2011年4月発行
第1章 人類はどのようにして「進化」したのか・・・脳と石器・・・
1. 脳容量と石器の発見
「2011年現在、二足歩行していた可能性のある最古の人類は、アフリカのチャドで発見されたサヘラントロプス・チャデンシスで、700万年前に遡る。脳容量は360~370cc、身長105~120cmで、チンパンジーと変わらない。石器を作った可能性のある最古の人類は、エチオピアで発見されたオーストラロピテクス・ガルヒで、250万年前に遡る。脳容量は450cc。一緒に出土した動物の骨に石器で付けられたキズや打ち砕かれた跡があった。しかし、ガルヒも何者かに食べられた方かもしれない。
石器が発見され始めるころから人類の脳容量は大きくなり始める。私たちの祖先とされるホモ・ハビリス(200万~160万年前)は脳容量610cc。ホモ・ルドルフェンシス(200万~160万年前)は脳容量790cc。 タンザニアのオルドヴァイ峡谷で発掘された多量の獣骨には、肉食獣が噛んだ歯型の上に石器でつけられたキズが残されている。180万年前、ホモ・ハビリスは肉食獣の食べ残した骨を拾い集め、それを石器で割って骨髄を取り出して食べていたのである。
2. 石器製作の始まり
「 石器を製作するためには、右利きの場合、左手で石器の素材となる石を握って固定し、右手でハンマーとして用いる丸石(たたき石)もつ。そして、一定の角度に保った素材の縁の一点にたたき石を打ちおろす。その衝撃によって素材が割れて、素材の縁辺には分厚い刃が形成される。この剥離作業を何回かくり返すと、一辺にギザギザとした頑丈な刃をもった石器ができあがる。チョッパーと呼ばれている、2504万年前に出現した石器である。
丸い石を丸い石で割る作業は、実際にやってみればすぐ分るが、ひじょうに強い力を必要とする。左手の中の素材をしっかりと固定し、右手のたたき石を速くかつ強い力で正確に振り下ろさばければ石は割れない。つまり石器を製作するためには、左右の手で異なる動作を行いながら協調させる必要がある。私たちには簡単な作業であるがチンパンジーにはこの作業はできない。250万年前び石器は、そのころから人類が分業し協調して一つの作業を行う左右の手をもっていたことを示している。
3. 左右の手と脳の獲得
「 180万年前、アフリカにホモ・エレクトスが出現する。ケニアで発見された153万年前び「トルカナ・ボーイ」と愛称される9歳のホモ・エレクトスは身長160cm、脳容量は880ccで足が長くて快速だったと考えられている。しかし一方、脊柱管が細くて呼吸制御が不足し、言葉をしゃべれなかったと推定されている。彼らは、ハンドアックス(握り斧)やクリーバー(幅広刃部をもつ両面調整の石器)などの新しい道具を作り、肉食を始めて、常夏のアフリカを出てヨーロッパやアジアへと拡散していった。・・・
60万年前ごろ、ホモ・エレクトスの進化型である、ホモ・ハイデルベルゲンシスがアフリカに登場し、ヨーロッパやアジアへと拡散していった。脳容量は1200cc。 彼らの作る石器は精緻さが増し、ハンドアックスは全面が加工されて整った楕円形、アーモンド形、洋梨形、円形などに形作られ、左右の辺だけではなく、表裏の面も対称形を呈し、全面が加工面で覆われるようになる。これらの石器を作るためには、場合によっては100回以上の打撃が必要とされる。・・・
精緻な石器を作り始めたホモ・ハイデルベルゲンシスは、遅くとも30万年前には手の中で回転することができるようになっていたと考えられる。長さ数cmのもっと小さな素材を指先で回転することができるようになるのは、さらに後の十数万年前のことである。 こうして、石器を作り始めて200万年以上を経て、人類は私たちと同じような、かなり自在に動く手を獲得した。ということは、それを動かす脳が形成されたということである。左手を支配するのは右脳、右手を支配するのは左脳である。石器のイメージを投影しながら素材を自在に動かして空間上に位置づける左手の作業は右脳の機能、一回一回の打撃を積み重ねて石器の一辺を形成しい、そのような辺を何本か組み合わせて全体を構成してゆく右手の作業は左脳の機能と対応している。
左右の手で完全な両面加工の石器を作ることができるようになった30万~20万年前、人類は機能的に異なる左右の脳を獲得したのである。」
4. 非言語的な思考
「 櫃力の石器を作るために打撃を100回解かなければ石器は完成しない。しかも、言語が登場するまえの200万年間以上、この問題を非言語的な思考によって解いていたのである。「このような条件で打撃すれば素材はこのように割れる」という物理的因果関係を、いわば肉体化(脳化)し続けたのである。
5. 記号の出現
「 ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代に大形や小形の石器がそれぞれ何種類かずつ分類される。頭の中に何種類もの石器のイメージをもつことができるということは、丸い、尖った、大きいなどのイメージを少なくとも身振りで示すことができるようになったことを意味する。このとき、一つの形に一つの意味が結びついた「記号」が出現した。彼らは身振りで、必要な石器(その製作や使用について)を仲間に知らせることができたはずである。しかし、それはまだ言語とは言えない。」
Ⅲ. 諏訪元 古人類学 『ヒトの進化』
岩波書店(シリーズ進化学5) 2006年8月発行
Ⅰ. 「化石からみた人類の進化」
1. 化石人類の系統と進化
「 そもそも同じ化石記録から、なにゆえ研究者ごとに違った分類や系統論が提唱されるのか、実際の理由はさまざまであるが、研究者間の相違点の多くは、化石にみられる変異をどう解釈するのか、その違いに基づくものである。すなわち、形態特徴が異なった場合、それを種内の個体差と考えるか、それとも種間の違い、系統間の違いとみるべきか、こうした判断をするにあたり、形態特徴の発生遺伝学的背景、個体発生様式、機能的意義、現生種における種内と種間の変異パターン、などを参考にする必要がある。しかし、実際にはそうした情報が完備されているわけではないし、得られている情報についても、適用されるべき判断基準が一義的に決まるものでもない。
もうひとつには、古生物記録の中でどのように種を認識するかといった方法論的な問題がある。何をもって種とするのか、伝統的な「生物学的種」の概念では、現生亜種間のように遺伝子交流が充分ある(もしくはありうる)場合は同種とみなす。一方、近年、細分を提唱する多くの研究者が支持する「系統学的種」の概念では、形態学的に認識可能な最小単位をもって種を定義するため、種内の多型は実質上認められなくなる。このため、現生種の亜種レベルに相当する下位分類群は、種レベルで認識されてしまうことになり、いきおい細分化が進む。
さらに、分類の方法論上から相違が生じる場合もある。例えば、属レベルの分離については、分岐順序と完全に一致する分類群しか認めない分岐分類主義者たちは、分岐枝ごとに別種を提唱しなければならない。そうすると、同一の系統関係を支持しながらも、属名種名とも異なった分類を採用する場合が生じる。属レベルの分類は、そもそも人為的であるため、必ずしも安定性を期待する必要はない。むしろ、各研究者の進化観が表現されるのであり、それなりの個性はやむをえないのであろう。
本章では種に多型を認め、地域別の亜種を認める立場をとっている。また、属レベルの分類に関しては、たとえば「頑丈型」猿人をパラントロプス属として区別する立場が最近では一般的であるが、頑丈型猿人の3種が単系統群をなすとは必ずしも言い切れない現実もある。本章では「頑丈型」猿人もそうでない猿人も、共通した適応戦略の中の変異として、同じアウストラロピテクス属に分類している。」
2. 初期の猿人
「 ここでは、アルディピテクス、オロリン、サヘラントロプスの3属について「初期の猿人」としてまとめて論ずる。いずれも現在研究が進行中であり全体的な理解が提示されるのはもう少々先のことであろう。 筆者の加わる研究チームにより、1992年に440万年前のアルディピテクス・ラミダスの第1号標本が発見され、1994~95年に論文発表された。それまでのアウストラロピテクス・アファレンシスに基づく「400万年」の人類史観を突破する最初の発見であった。その後、2001年には600~570万年前のオロリン・トゥゲネンシス、560~570万年前のアルディピテクス・カダハ、そして2002年には600~700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスが発表された。これらの発見により、人類進化における新たな段階が明らかになりつつある。
3. 猿人 ( アウストラロピテクス )
アウストラロピテクス段階では、直立二足歩行は実質的に「完成」されていた。また、古環境と咀嚼器の頑丈さから判断すると、サバンナのモザイク状の環境の中でも、より開けた環境の利用が増していったのだろう。咀嚼器は格段に発達し、堅い食物、磨耗を促進する(付着物のついた)食物が重要であったことを示唆する。 アウストラロピテクスの基本的な諸特徴は420万年前ごろのアナメンシスまでには出現していたらしい。アウストラロピテクスは300万年前ごろまでには南アフリカに分布域を広げ、270万年前ごろからは東アフリカでは同所的な2系統として存在した。これらのどの系統においても、咀嚼器の頑丈さが増し、堅い食物、磨耗を促進する食物への依存度が強くなっていったと考えられる。
4. ホモ属
ホモ属はいうまでもなく、われわれホモ・サピエンスを含む属である。その起源は250万年前ごろで、アウストラロピテクスと同じ地域で生じたと推定される。起源当初は咀嚼器がアウストラロピテクスと同様に頑丈であり、打製石器の使用とともに、食性ならびに生活・生業様式が次第に変化していったと考えられる。それと並行して、脳の大型化と咀嚼器の退化傾向が進行してゆく。また、どこかの時点で火の使用が開始され、それ以後は咀嚼器への負担が激減したはずである。脳の増大はどのようなペースで起こり、どのような行動特性と関連したのだろうか。日ごとに移動しながら採食誘導する他の霊長類と異なり、いわゆるホーム・ベースを持つようになったのはいつからだろうか。
生活・生業様式の変化とともに、身体特徴の進化もさまざまに生じたようである。まずは体が大型化し、200万年前以後のホモ・エレクトスの段階になると、少なくとも一部の集団では、現代人の中でも高身長に相当する状態にまで達していた。体型も変化し、下肢が長く前腕が短くなり、上下肢のプロポーションでは現代人と同様になってゆく。体の大型化と下肢の伸長は、遊動域の拡大と関連したかもしれない。いわゆる「無毛性」と汗腺による体温調節の発達は、体の大型化と体型の現代化とともに論じられることが多い。前腕の短縮や、それと並行して生じたと考えられる手の詳細な形態変化は、道具使用行動と関連したのだろう。
成長パターンの変化もまた重要である。アウストラロピテクスは類人猿と同程度の成長速度をもっていたと考えられている(第1大臼歯が3歳ごろに萌出)が、そうした状態から、どこかの時点で、もしくは徐々に、現代人のより遅い成長速度に至ったのである(第1大臼歯が6歳ごろに萌出)。成長速度の遅延はさまざまなことと関連すると思われている。例えば、子供期と学習期間の伸張をもたらし、寿命の延長にもつながったはずである。また成長の遅延は脳の大型化とも関連し、現代人のいわゆる「二次的就巣性」と関連すると考えられている。では、二次的就巣性はいつ生じたのだろうか。ここ10年ほどの教科書的記述では、エレクトゥス段階ですでに生じていただろうとされてきたが、最近になって、また論争になっている。
ホモ属の進化においては、このようにさまざまな重要な変化が生じたのである。また、アフリカにだけ分布していた類人段階とは異なり、ユーラシア大陸にも広く分布するようになり、それに伴って集団分化と種分化が促進されたであろう。そうしたきわめて複雑な進化過程において、現代人にみられる諸特徴は、いつ、どのように、どういった意味を持ちながら、生じたのだろうか。化石からはいくつかの重要なパラメータが得られるはずであるが、そうした推定値は化石記録の充実とともに信頼度が増していくのだろう。
5. ホモ属の起源
「 ホモ属の出現は目下、断片的な資料により約240万年前までたどることができ、既存最古の打製石器(260万年前のエチオピアのゴナ出土)とほぼ同期する。しかし、ガルヒやアフリカヌスとの違いはきわめて微妙であり、断片的な化石からは区別がつかないことが多い。かろうじて、歯と顎においては、標本群ごとに比較すればホモ属のほうがわずかに華奢な傾向があり、それを目安に識別されている。咀嚼器においては、そうした状況が200万年前ごろまで続いたようである。 一方、脳の増大を示唆する最初のホモ属の標本も、240万年前ぐらいまでさかのぼる(ケニアのチェメロンの側頭骨)。しかし、この標本はあまりに断片的であり、同時期の標本が今後発見されるのを待たねばならない。脳容量が確実に増大し、平均的に600~700ccに達していたとの証拠は、現在のところ、200万年前以後にならないと出現しない。
「初期ホモ属」という名称があるが、これは猿人の存在した時期の遺跡から出土するホモ属を指す曖昧な用語として使用されてきた。後述のホモ・ハビリスとルドルフェンシスだけでなく、場合によっては初期のエレクトスも含まれる。これは、この時代の個々の化石標本については、アウストラロピテクスではないとの判断以上の同定が
難しい場合が少なくないためである。
<二次的就巣性とは>
就巣性の動物は未熟な新生児を多産するのに対し、離巣性の動物はより成熟した段階の新生児を少数産む。 離巣性の動物は出生後すぐにでも自力で活動できるが、就巣性の動物は親に完全に依存した状態で出産され、巣にとどまる。霊長類は離巣性に分類されるが、人間は例外的に、ほかのサルや類人猿と比べると、かなり未熟な状態の新生児を出産することが指摘されてきた。このことを二次的就巣性という。一説によると、人間では脳があまりに大きいため、他の霊長類と同じ発育段階まで待つと、頭が大きすぎて出産が不可能になるという。そこで、未熟な状態で出産する方式が進化したのだと考えられている。
6. ホモ・サピエンス
「 ここでいうサピエンスとは、従来の「現代型」ホモ・サピエンスである。「現代型」ホモ・サピエンスとは、「古代型」ホモ・サピエンスと対照して使われていた呼称である。もともとは「解剖学的に現代的な」ホモ・サピエンス、いわゆる「新人」段階の化石のことを意味していた。ちなみに「古代型」ホモ・サピエンスとは本章のネアンデルタールとハイデルベルゲンシスを含んでいた。また、本章のハイデルベルゲンシスは、ネアンデルタール以外の従来の「旧人」と「進歩的な原人」を含んでいる。・・・・
ネアンデルタールと同時代に、アフリカでは古くからサピエンスが存在したことは、もはや疑う余地がない。サピエンスは遅くとも20~15万年前ごろにはアフリカで出現し、10万年前ごろまでに西アジアにまで分布を広げたのである。また、この初期の拡散とは別に、5万年前ごろ以後に中近東経由でヨーロッパに拡散したと考えられる。その結果、ヨーロッパでは3万年前ごろを境にネアンデルタールが実質的に絶滅した。・・・・
大きな未解決問題は、10~20万年前に出現したアフリカのサピエンスが行動的にどれだけ「現代的」だったかである。・・・体型については、ネアンデルタールとは異なり、10万年前ごろのサピエンス(スフール、カフゼ)はより現代的であったことが知らされている。また、アフリカの中期石器時代においては、後期石器時代を予見させるような、新しい文化要素(石刃技法、骨器、シンボリックな遺物など)がさまざまに出現していたことが指摘されている。 5万年前以後になると、サピエンスは後期石器時代、後期旧石器時代の複雑な道具ならびに精神文化を携え、格段に「現代的」な行動・生活様式を展開していったことが多くの先史考古学滴証拠から知られている。」
・・・・以上、終わり・・・