認知考古学から「商品の物神性」を読み解くための文献
ー 認知考古学と 『資本論』 -
→ コリン・レンフルー『先史時代と心の進化』
(1)「心の先史学」要約. (2)抄録. (3)物質的関与と貨幣 (4)象徴と価値
★関連資料:「価値形態論の考古学研究」
→コリン・レンフルー『先史時代と心の進化』 抄録
コリン・レンフルー著
『先史時代と心の進化』 (1)
第2部 「心の先史学」 要約 (株)ランダムハウス講談社 2017.06.14
★コリン・レンフルー
考古学者、先史時代言語学、黒曜石等放射性炭素年代測定の権威。1937年英国生まれ。1981年から2004年までケンブリッジ大学の考古学教授。同大のマクドナルド考古学研究所フェロー。英国学士院会員。邦訳書:『文明の誕生』『ことばの考古学』『考古学-理論・方法・実践』。
<編集部前書き>
これから、コリン・レンフルーの『先史時代と心の進化』(2007年)<第2部心の先史学・要約>を紹介します。-「詳細な抄録」については、別途6月下旬に作成しますので参照してください。-
また、コリン・レンフル―については、★ウィキペディア・フリー百科事典に詳しい紹介がされていますので参考にしてください。『資本論』第1章第4節「商品の物神性」との関連に注目して「要約文献」として報告してゆきます。認知考古学から「商品の物神性」を読み解くための最適な素材として、画期的な役割を果たしています。
◆
マルクスは、現代の「認知科学cognitive science」の研究領域に該当する課題について、-『資本論』第1章第4節「商品の物神的性格とその秘密」を分析しています。 私たちは、コリン・レンフルーが認知考古学の中で概念規定している「物質的象徴」と「制度的事実」そして 「物質的関与」を参照しながら、「社会性と社会関係」を研究することができます。認知考古学の歴史科学を学ぶことで、「商品の物神的性格」を「歴史的に、論理的に」実感されることでしょう。さらに、『資本論』を貫いている弁証法論理学の土台を、現代的に構築してゆくことができます。
なお、『資本論』第1章の「歴史的に、論理的に」関して、資本論入門7月号において北部資本論研の皆さんから詳細に報告が行われます。
◆
「心の先史学」 と商品の物神的性格の探索 『資本論』 第1章 第4節 (岩波文庫p.133,134)
以下3つの分析概念をキーワードとして、「商品の物神性」を参考事例として報告します。
なお、『資本論』第4節の本文対比については、第2部「心の先史学」 抄録
第4節商品の物神的性格の当該箇所(第6-8段落) について参照してください。
1.物質的象徴:
「 私的生産者の脳髄は、彼らの私的労働のこの二重な社会的性格を、ただ実際の交易の上で、生産物交換の中で 現われる形態で、反映するのである。すなわち――
したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で ―― 異種の労働の等一性 〔注〕 の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態〔Form:形式〕-〔物質的象徴〕-で、反映するのである。」 (岩波文庫p.134)
〔注:等一性:Gleichheit:相等性、ヘーゲル『小論理学』117節参照〕
(1.労働生産物の物質的象徴)
「 労働生産物はその交換の内部においてはじめて、その感覚的にちがった使用対象性から分離された、社会的に等一なる 価値対象性を得るのである。労働生産物の有用性と価値物とへのこのような分裂は、交換がすでに充分な広さと重要さを得、それによって有用物が交換のために生産され、したがって事物の価値性格が、すでにその生産そのもののうちで考察されるようになるまでは、まだ実際に存在を目だたせるようにはならない。」 (岩波文庫p.133)
2.制度的事実:
「 彼らは、その各種の生産物を、相互に交換において価値として等しいと置くことによって、そのちがった労働を、相互に人間労働として等しいと置くのである。彼らはこのことを知らない。しかし、彼らはこれをなすのである。したがって、価値のひたいの上には、それが何であるかということは書かれていない。価値は、むしろあらゆる労働生産物を、社会的の象形文字に転化するのである。後になって、人間は、彼ら自身の社会的生産物の秘密を探(さぐ)るために、この象形文字の意味を解こうと試みる。 なぜかというに、使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物-〔制度的事実〕-であるからである。」 (岩波文庫p.134)
(2.社会的生産物の制度的事実)
「 私的労働は、事実上、交換のために労働生産物が、そしてこれを通じて生産者たちが置かれる諸関係によって、 はじめて社会的総労働の構成分子たることを実証する。したがって、生産者たちにとっては、彼らの私的労働の社会的連結は、あるがままのものとして現われる。すなわち、彼らの労働自身における人々の直接に社会的な諸関係としてでなく、 むしろ人々の物的な諸関係として、また物の社会的な諸関係として現われるのである。」 (岩波文庫p.133)
3.物質的関与:
「 この特別なる生産形態、すなわち、商品生産にたいしてのみ行なわれているもの、すなわち、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格が、人間労働としてのその等一性〔相等性〕にあり、そして労働生産物の価値性格の形態〔Form:形式〕 -〔物質的関与〕-をとる
」 (岩波文庫p.135)
「心の先史学」-物質的関与と価値という概念
・・・ 基本となる物質的現実が、多くの重要な象徴および象徴的関係を支えているという考え方は、重要である。象徴を定義する際、私たちは単に言葉をもてあそんでいるのではなく、個々の人間が関与するようになる物質世界の特徴を見つけ出そうとしているのである。さらに、この関与はすべての社会で起こるわけではない。社会の影響を受けやすく、実現するにはその社会が持つ他の特徴が整っていなくてはならない。特定の物質に高い価値があるという考え方は、新たなカテゴリーを構築することで生まれる制度的事実そのものである。 しかし、「価値」という概念は脳が組織し心が作り出したものだが、自然界でそれなりの体験を積み、様々な物質の属性について知らなければ、こうした概念も生まれてこない。これも、物質的関与プロセスの一例である。したがって物質的関与アプローチでは、人々が置かれた状況を身体化する様相を重視する。また、身体化された現実が、知識や経験によって変わり、さらに私たちが現在の社会の中で発達させ利用するようになった様々な物質文化によっても変わることも認めているのである。
◆
次に、コリン・レンフルーの「認知考古学」の手がかりに、文化的発達〔商品の物神性Fetischismus段階〕を理解してゆきます。
「世界の様々な地域で見られる文化的発達の経路は、長い間受け継がれてきた習慣と、その習慣を実践する人々が共有している概念とを見わけることができる。この人間集団の中では、次第に共通の考え方や共有概念、さらには全員が認める決まりごとが発達し、やがてそれぞれの文化の発達経路に特有のものとなっていった。
こうした共通の考え方や概念や決まりごとが、さらなる革新を導き、方向性を決めたに違いないということだ。こうした決まりごとは「制度的事実」として、集団およびその集団を構成する個人が他人や世界と接する際の関わり方を形作った。こうした世界との関わり方、つまり「物質的関与」は、関わった人間のみならず、物質世界の物理的特性との出会い方にも影響を与える。成長と変化の起源は、この物質的関与という過程を踏まえて理解しなくてはならない。」
認知考古学と「心の進化・脳科学」から、社会関係をつかみ取る最初の一歩として「心の先史学」を探求してゆきます。
『先史時代と心の進化』第2部「心の先史学」
<要約・目次>
Ⅰ.ドナルドの発達段階・・・現代的心の起源・・・
1. 最初は「出来事的」段階
2. 認知革命の「模倣的」段階への移行
3. 「神話的」段階
4. 「物質的象徴」段階
5. 「理論的」段階
Ⅱ.認知考古学と物質的象徴
1. 象徴の使用(発生)
2. 象徴表現がもたらす証拠
3. 心の再定義-象徴の物質性と物心二元論の再検討-
4. 価値という概念
5. 身体化した心・延長された心
Ⅲ.物質的関与
1. 物質的世界の出会い
2. 重さの象徴としての重り
3. 物心二元論(物質世界と認知世界の対比)を超える物質的関与アプローチ
Ⅳ.制度的事実
人々の置かれた状況の身体化
Ⅴ.物質的関与と制度的事実
1. 物質世界との新たな関係
2. 社会的概念と物質的現実
3. 定住と食料生産・・・富の蓄積
Ⅵ.制度的事実としての価値
1. 新たな価値体系の発達
2. 商品という概念
3. 計量制度と都市文明
Ⅶ.世界を理解する営みと「神の創造」
1. 宇宙の中に位置づける
2. 宇宙を取り込む-王の埋葬に見る制度的事実
3. エジプトにおける「神の創造」-物質的関与プロセスの頂点
Ⅷ.資本論入門6月号 (作業中)
社会性と社会関係について、「心の進化と脳科学」そしてコリン・レンフルー理論
Ⅰ. ドナルドの発達段階
マーリン・ドナルドは、1991年に出した著書『現代的心の起源(Origins of the Modern Mind )』で、人類の文化と認知能力が進む発達段階を概説し、各段階は次の段階に特徴を残し、次々と起こる変化の基礎を作ると主張した。
このドナルドの説は検討に値する。なぜなら、考えを進める上で非常に役立つ下地となるからだ。・・・
1. 最初は「出来事的」段階
最初は「出来事的」段階で、この時期の特徴は霊長類としての認知能力にあるとドナルドは言う。出来事的段階の行動は、現在生息する霊長類のコミュニティーで見られるのと同じく、主として外界からの刺激に対する反応が多いが、類人猿のコミュニティが効率的に機能しつつ一定の規模となるためには、集団の成員がかなりの社会的知性をもっていなくてはならない。
2. 認知革命の「模倣的」段階
ここで最初の変化、ドナルドの言う認知革命の「模倣的」段階への移行が起こる。その始まりは薬400万年前で、40万年前まで続いた。この模倣的段階は初期ホミニドに特有のもので、ホモ・エレクトゥスの出現で頂点を迎える。初期ホミニドの間で道具の製作と使用が始まった時代と、その後に技能と身振り手振りに大変革が起きた時代を含み、効果的な非言語コミュニケーションと、注意の共有の二つを特徴とする。道具の製作は、この場合、見習うこと、つまり模倣によって行われ、次の世代へ伝えるのに高い言語能力は必要なかった。
3. 「神話的」段階
ドナルドが主張する次の段階は「神話的」段階で、これは50万年前から現在までに当たり、私たちホモ・サピエンスの登場で頂点を迎える。複雑な言語スキルの使用と、叙述的思考が特徴だ。ここに位置づけられるのが、旧石器時代後半の狩猟採集民と、その後の人類である。
4. 「物質的象徴」段階
その次が、「物質的象徴」段階で、これは人類が象徴を用いる能力に重点を置いている。人類の象徴活用能力については、レスリー・ホワイトが人類文化を定義する重要な特徴と見なしていたが、ドナルド説はさらに一歩進んで、鍵となる象徴の多くが物質的現実性を持っている点を強調している。つまり、この時期の象徴は物質的実体であり、単語などのように物質性を持たない表象ではなかった。この段階は、物質が象徴的な意味を持つようになった時期であり、建設された記念物は実質的な意味を有していた。「物質的象徴」段階の開始時期は、神話的段階の後で、おおよそ農業革命つまり新石器革命が起こり定住の始まった時期に当たる。すでに見てきたように、この時期には様々な物質文化が新たに登場し、その一部では、物質にたいへん重要な象徴的特性が付与されるようになった。詳しくは後に譲るが、黄金など特定の物質に高い価値が付けられるようになる。さらに、この段階になって初めて、役職に伴う冠は旗や剣など、人工物が権力と支配者の地位を象徴していくことになる。また別の人工物は、宗教的信仰の対象となる偶像になった。
5. 「理論的」段階
ドナルド説の修正版の最後に位置する第5の段階は「理論的」段階で、その特徴は、ドナルドの言葉を借りれば「制度化されたパラダイム的思考」、つまり、この段階の名前の由来である「理論」が発達した点と、非常に大容量の外部記憶装置が登場した点の二つである。
外部記憶装置には、通常、文字が含まれる。ドナルドは、内的記憶記録と対比させる形で、外部記憶装置を説明している。それによると、内的記憶記録とは人間の脳の内部にある記憶のことで、文字による表記法(表記体系)が発達するまで、全人類はこれしか利用できなかった。それに対して外部記憶装置とは、文字による記録など、大規模なデータ保管およびデータ検索方法のことである。「外部」というのは、これが人間の脳の外にあり、人体の外部にあるからだ。そして、最初に表記体系が登場するのは、すでに見たように、紀元前3500年ことである。
もう一つ言っておきたいのは、この一連の発達段階そのものは本質的に非常に単系的な進化であるという点だ。最初の出来事的、模倣的、神話的の3段階は、まずアフリカで起こったが、この3つは実際ある意味、アウストラロピテクスからホモ・エレガステルやホモ・エレクトゥスを経てホモ・サピエンスに至る変化と同様、単系的な変化である。
種形成段階での人類の進化は、少なくとも大まかに捉えれば、ある程度は単系的に見えるものだ。物質的象徴段階への移行は、出アフリカ語の構築段階で現われた地域ごとの発達経路の大半で確認できる。しかし、外部記憶装置の登場とともに始まる「理論的段階」は、表記体系の発達した地域でしか明確に確認することはできないだろう。
1. 象徴の使用(発生)
認知考古学とは、現存する遺物から、過去の思考様式を推測して研究する学問である。
現在の認知考古学は、人類社会が象徴を使うようになった経緯をようやくつかみかけたところだ。象徴とは、私たちが話すときに使うものであり、さらに大方の場合、考えるときにも使うものである。象徴を使うには、非常に根本的な抽象化手順を二つ踏まなくてはならない。一つはカテゴリー形成であり、もう一つは様々な表象処理である。たとえば、羽が生えていて翼を持った生物を目にすると、私たちはすぐにこれを鳥だと分類し、「鳥」というカテゴリーを作り、それに当たる単語(英語なら「bird」、フランス語なら「oiseau」という話し言葉(あるいは書き言葉)で表象している。後期旧石器時代(構築段階初期)のフランスやスペインでは、洞窟壁画の作者がバイソンやシカ(それと、数は少ないが鳥も)など特定の動物種を絵で表現するようになっていた。
人類の文化は、言語であれ具体的な形であれ、象徴の使用を基礎としている。初めのころ象徴は、鳥や太陽など自然界にごく普通にあるもの、哲学者ジョン・サールが言うところの「生の事実」を表わすのに使われた。しかし、その一方で象徴は、自然界にある事実そのものではなく、社会的事実とでも言うべき現実を示すのにも使うことができる。たとえば、この帽子は私の帽子であり、あの帽子はあなたのだということがある。この所有という属性は、サールが「制度的事実」と呼んだものであり、生の事実とは非常に異なるものである。
2. 象徴表現がもたらす証拠
この違いは単純だし、一見すると取るに足らないと思えるかもしれない。しかし、人類の文化がどのように構築されたのかを理解する段になったとき、この違いが非常に大きな意味を持つ。なぜなら、人類文化の構築は、人類史における構築段階に特有の非常に大きな特徴だからだ。この問題は重要なので、もう少し分析を進めるため、象徴あるいは象徴的関係を構成するものが何か、もっと明確に定義しておこうと思う。やや単純化した公式にすれば、それは次のように表わすことができる。
X (象徴、あるいは記号表現) は、文脈C においてY (記号内容) を意味する。
3. 心の再定義-象徴の物質性と物心二元論の再検討- p.7
ここで、「心」という概念について、これを「物質」や「身体」と対立する概念だと考えるのは誤解の元だということを指摘しておかねばならない。17世紀に哲学者ルネ・デカルトが打ち立てて以来、私たちは心と物質、身体と霊魂を対峙的に捉える二元論を前提として考える傾向が往々にして強い。また行き過ぎた心理主義的アプローチは、心を脳と同じだと見なし、心とその機能は人間の頭蓋骨の中だけにあると考えてしまいがちだ。しかし心という概念は、この世界における知的活動総体を含むものであり、脳内での思考のみを指すのではない。
さらに、こうした物心二元論が象徴という概念にも影響を及ぼす危険性がある。つまり「象徴」を、物質的「現実」に対応する精神的な概念と考えてしまうのだ。しかし、こうした見方は、私たちが今まで「物質的象徴」段階を強調してきた態度とはまったくことなるものである。
新たな象徴が利用され作られるようになる過程に関心を抱くのであれば、認知考古学に携わって心を研究する上で欠かせないことに違いない。だが関心を抱くのであれば、何よりもまず、象徴と現実とは簡単に分けられないということを認識しなければなない。新しい象徴を、それに伴う現実ともども突き止めるという新たな作業全体が関心の的となる。
これについては、例を使って説明した方がよくわかると思う。 ただその前に、「象徴」という概念を、特に新たな象徴と新たな象徴カテゴリーが形成される過程を中心に、もう一度詳しく検討しておいた方がいいだろう。軍隊で伍長の階級に属する人物が身に着ける袖章は、伍長という階級の象徴だと見なされる。〔注〕
〔編集部注:『資本論』第1第3節「すなわち、上衣が亜麻布にたいする価値関係の内部においては、その外部におけるより多くを意味すること、あたかも多くの人間が笹縁ササベリをつけた上衣の内部においては、その外部におけるより多くを意味するようなものであるというのである。〔笹縁をつけた上衣:galonierten
Rockes 飾りひものモールで縫いつけられた上衣:将軍が着用するモール付きの軍服:岩波文庫p.96〕
また英語の「dog」やフランス語の「chien」は、ある特定の哺乳類を表現つまり象徴する。硬貨に描かれた君主のかぶる冠は、王権の象徴だ。以前にも見たように、象徴(たとえば伍長の袖章)をXとし、「記号内容」(たとえば伍長の階級)をYとしたとき、Xが次の公式で示される関係を満たす場合、Xは象徴であると一般的に定義される。
X は、文脈C において Y を意味する。
しかしここに、象徴の新しい関係が形成される過程について、今まで触れなかった重要な基本的問題がある。新たな行動あるいは新たな理解が生まれるとき、その関係全体が新しいものだという場合がある。単に現実を象徴的に表現するのではなく、まったく新しい概念が生まれたというケースだ。それまでなかった新しい基本的な物質的現実は、この世界を物質として理解した結果や、世界での体験、つまり物質的関与に根ざしていなくてはならない。これは重要である。なぜなら、概念は以前から存在していた現実を抽象的・唯心的に表現するだけのものではないということになるからである。それどころか、新たな種類の物質的現実を必要とし、そうした新たな現実を発見したり認識したりして生まれてくるものなのである。 この点を明確にするには、例を用いて説明する必要があるだろう。
たとえば重さの測定を考えてみよう。以前に述べたとおり、計測単位の研究は、認知考古学で現在発達している分野の一つである。仮に、密度が高い物質を原料とし、形が整えられ、小さいものから大きいものへと大きさが揃えられた一組の物体が、ある先史文化の人工物から発見されたとする。この物体の質料を一つ一つ計測した結果、すべてが重さの単位と思われる値の倍数であることがわかった。その場合はたいてい、この文化は独自の質料単位を発展させていたと推測するのが妥当である。・・・
実際「重さ」は、最初は身体的体験を通して理解されたに違いない。重さを体験したことがなければ、重さという概念を思いつくはずがない。重さは、重い物体を手に持って、それが重い(似たような他の物体よりも重い)と感じるという物理的行為によってしか、体験し理解することができない。先述した象徴的関係を持っている場合、石の「重さ」は現実世界に確かに存在する何らかの属性と関係があるに違いない。ある意味、重りとして使われていた立方体の石は、それ自身の象徴、つまり重さの象徴としての重りなのである。このように、象徴的あるいは認知的な要素と物質的な要素とが同時に存在し、どちらか一方の要素だけでは意味を成さない場合は、これを「構成的」象徴という用語で呼ぶのが適切ではないかと思う。
4. 価値という概念
基本となる物質的現実が、多くの重要な象徴および象徴的関係を支えているという考え方は、重要である。
象徴を定義する際、私たちは単に言葉をもてあそんでいるのではなく、個々の人間が関与するようになる物質世界の特徴を見つけ出そうとしているのである。さらに、この関与はすべての社会で起こるわけではない。社会の影響を受けやすく、実現するにはその社会が持つ他の特徴が整っていなくてはならない。ここでも、計量制度がいい例になる。計量制度は、単なる発達経路を進む異なる社会で、それぞれ独自に発達してきた。しかし、国家社会など非常に複雑な社会で現われることが多く、発達経路の初期段階ではあまり見られない。
同様のことが、任意の物質が持つ固有の属性としての「価値」という概念についても言えるだろう。現代社会で、そうした価値が特定の物質または品物に固有のものだとわかっている最古の遺跡はブルガリアのヴァルナである (ここから見つかった紀元前4500年ころの出土品の持つ意味については、第8章で論じることにしたい)。今日も、古典古代の世界と同じように、貴金属(金や銀など)と貴重な石(ダイヤモンドなど)には高い価値が付けられている。しかし、この事実をよく考えてみると、金には変色しないという特徴はあるが、実際のところ、貴金属や宝石に非常に役に立つ属性があるわけではない(工業用ダイヤモンドは別だと言ってもいいが、これも大きな宝石よりは「価値」が低いとと見なされている)。「利用価値」は高くはないのだ。「交換価値」は高いと一般に認められているが、それは魅力があると考えられているからであり、あるいは金の場合は、価値基準として現在広く認められて利用されているからである。・・・
ここで重要なのは、金に付与された価値は、ある意味、恣意的なものであり、その価値を認めた者にとっては現実なのだという点だ。これが、後で見る制度的事実である。金の価値は、それを認めた社会では現実のものとなり、人が日々の生活を送り行動を決める拠りどころとなる現実に変わるのである。しかも、どんな場合でも、その価値は物体や物質が本来持っていた固有のものだと実際に考えられている。
こうした議論は、ごく当たり前のことを改めて言っているだけと思えるかもしれない。しかし、これについて非常に興味深いのは、先史時代の初期には、金も含め、品物に固有の価値があるという考えがなかったことだ。これは、人類の歩みの中で生まれた考え方なのである。価値という概念の構築は、西アジアとヨーロッパでは発達経路における重要なステップであった。これをきっかけに古典世界で経済システムが発展し、さらにルネッサンス期ヨーロッパを経て、現代の世界経済の発達にまでつながってくる。同じく個々の経路に固有の特徴である「金銭」の概念も、やはりここで発達した。こうした事情は発達経路によって異なり、他の地域ではヒスイなど別の物質や、貴重な鳥の色鮮やかな羽などが、各地の価値体系で中心的な地位を占めた。
5. 身体化した心・延長された心
先ほど、重さの概念と、重さという属性を体系化あるいは象徴とするため重りを利用したことについて論じたが、その議論から明らかなように、脳は肉体の中に存在するが、心は身体化される。重さは、まず身体的現実として、頭蓋骨の中の脳だけでなく手や腕でも実感されないと、概念化されて計測できるようにはならない。心は身体を通して機能する。脳の中だけのものと考えるのは、厳密に言えば間違いなのである。
Ⅲ. 物質的関与
1. 物質的世界の出会い
世界の様々な地域で見られる文化的発達の経路は、長い間受け継がれてきた習慣と、その習慣を実践する人々が共有している概念とを見わけることができる。具体例は後で見ることにして、この人間集団の中では、次第に共通の考え方や共有概念、さらには全員が認める決まりごとが発達し、やがてそれぞれの文化の発達経路に特有のものとなっていった。私がここで言いたいのは、こうした共通の考え方や概念や決まりごとが、十中八九、さらなる革新を導き、方向性を決めたに違いないということだ。こうした決まりごとは「制度的事実」として後に取り上げるが、これが、集団およびその集団を構成する個人が他人や世界と接する際の関わり方を形作った。こうした世界との関わり方、つまり「物質的関与」は、関わった人間のみならず、物質世界の物理的特性との出会い方にも影響を与える。成長と変化の起源は、この物質的関与という過程を踏まえて理解しなくてはならない。
2. 物心二元論 (物質世界と認知世界の対比) を超える物質的関与アプローチ
以上の考察をまとめると、先史時代の物的記録に対する一つのアプローチが生まれてくる。それは過去の活動を、人類と物質世界との間で作用する「関与」と呼ぶべきプロセスを通してみようとする手法である。この「物資的関与」では、情報に基づく知的活動を重視するだけでなく、こうした活動で人類が世界と関わる際に認知的側面と身体的側面が同時に活用される点にも着目する。これは、私たちが長年とらわれてきた心と物質、霊魂と身体、あるいは認知世界と物質世界を対比させる二元論を超えようとするアプローチなのだ。
この絶好な例なのが、ハンドアックスなど初期の石器製作である。
前に見たように、初期の石器製作技術は、言葉の使用によってではなく、模倣によって次の世代に伝達されたと考えられる。見習っては試行錯誤を繰り返すということを延々と繰り返して技術を身に付けたのであり、同じことは今でも職人技を伝承する際に数多く見られる。しかし、こうした技能は、脳の中だけにあるのではない。「手が覚えている」という表現があるように、職人や、あるいはスポーツ選手の技能は手や身体に宿っているように見える。経験豊かなスキーヤーが頼りにするのは、様々な環境でスキーを滑り、雪に触れてきた長年の経験である。スキーやサーフィンなどの技能は、脳の中にあるのではないし、本を読んで身に付けることもできない。物質世界との関与が生み出すものなのだ。
特定の物質に高い価値があるという考え方は、新たなカテゴリーを構築することで生まれる制度的事実そのものである。しかし、「価値」という概念は脳が組織し心が作り出したものだが、自然界でそれなりの体験を積み、様々な物質の属性について知らなければ、こうした概念も生まれてこない。これも、物質的関与プロセスの一例である。
Ⅳ. 制度的事実
1. 人々の置かれた状況の身体化
特定の物質に高い価値があるという考え方は、新たなカテゴリーを構築することで生まれる制度的事実そのものである。しかし、「価値」という概念は脳が組織し心が作り出したものだが、自然界でそれなりの体験を積み、様々な物質の属性について知らなければ、こうした概念も生まれてこない。これも、物質的関与プロセスの一例である。
したがって物質的関与アプローチでは、人々が置かれた状況を身体化する様相を重視する。また、身体化された現実が、知識や経験によって変わり、さらに私たちが現在の社会の中で発達させ利用するようになった様々な物質文化によっても変わることも認めているのである。
現在、考古学では「物質化」の概念について理論化や議論が進められているが、ここでもやはり、社会構造と宗教的概念において物質文化が果たした積極的な役割が重視されている。 なぜなら宗教は、ただ単に、超自然に関する概念を取り込んだ世界観を形成するだけではないからである。宗教には、儀式での慣行も含まれる。特別な建物(「神殿」)で行われることの多い祭祀や、専用の象徴的人工物(杯や燭台など)、供物や献酒に使う特別な材料、多くの社会で見られる聖像に対する崇敬などが、これに当たる。こうした慣行すべてに、条件が細々と決められ、選びに選び抜かれた物質が用いられる。多くの古代社会では、そうした物質的イメージは並外れた力を持っていた。このイメージが持つ神聖さやタブーが、信仰を後世に伝え普及させ、核となる儀式や最も神聖な聖歌や詠唱を永久不滅のものとする助けとなったのである。
Ⅴ. 物質的関与と制度的事実
1. 物質世界との新たな関係
ここで考察している物質的関与は、人類と物質世界との新たな相互関係が生まれてきたことを意味している。
もちろん動物種の中には、自分が主食とする足の速い獲物を捕らえるため、非常に高度な技能を必要とするものが多い。しかし、この場合の「関与」は、物質文化を通して行われるものではない。文化を仲立ちとした最初の物質的関与は、狩猟採集生活を送っていた最初期のホミニドに見ることができる。
石器や木器の発達は、重要な道具である火とともに、私たちが種形成段階と呼んできた時期の関与プロセスにおける最初期の重要な一歩だった。これには重要な革新的変化が含まれたいる。フリントは割れ方が予想できることや、ある物質は均等に燃える傾向があることなど、物質世界の様々な属性を知的・意図的に活用するようになったのである。・・・
2. 社会的概念と物質的現実
哲学者ジョン・サールは『社会的現実の構築』(1995年)で、彼が「制度的事実」と命名したものが担う重要な役割に注目している。この制度的事実とは、社会を支配する現実であり、サールは次のように説明している。
「規則の中には、仮定的先行行動を規制するものがある。(中略)しかし、規制するだけではなく、ある行動を生み出す可能性そのものを作り出す規則もある。たとえばチェスのルールは、具体的な仮定的先行行動を規制はしない。(中略)むしろチェスのルールは、チェスをすることができるという可能性そのものを作り出す。チェスのプレイはこのルールに従って行動することによって一部構成されていると言えるのだから、その意味で、チェスのルールはチェスを構成する実質そのものと言える。」
先にも述べたように、サールの言う制度的事実は、社会を構成する基本要素であり、結婚、血縁関係、財産、法律などの社会的現実を含んでいる。その大半は言葉によって形成され、言葉によって最もはっきりと表現される概念であると、サールは捉えている。そして、多くの社会的概念が持つ自己言及性という特徴に注目している。しかし私が強調したいのは、場合によっては(以前に取り上げた価値の概念と同様、ここでも金銭がいい例になる)物質的現実、つまり物質的象徴が社会的現実に先行することがあるという点だ。概念は、実体がなくては意味がない
(少なくとも金銭の場合は何百年もの間そうだった。それが変わるのは、新たな規則の体系ができ、約束手形が正式に紙幣として採用されてからだ)。金銭が広く使われるようになるのは、古代ギリシャで金貨と銀貨が導入されてからである。金銭として使える貴重品がなければ金銭は存在しないのであり、貴重品(物質)が概念(金銭)に先行するのである。
だから一部の物質的象徴は、物質的現実の構成要素になっている。少なくとも最初の時点では、それは言語による抽象的な概念ではなく、実体として永久不変の現実を有する実質なのである。象徴(現実的・具体的実体としての象徴)は、実際には概念に先行する。あるいは、それが言いすぎだとすれば、こうした象徴は自己言及性を持つと言ってもいい。象徴は実体を離れて存在することはできず、実体が持つ物質的現実は、制度的現実を具体化したときに帯びる象徴的役割に先行する。
3. 定住と食料生産・・・富の蓄積
ある集団によって育てられた家畜は、通常、使役するのも食用にするのも、その集団の自由である。つまり彼らの財産なのだ。ここから、富の蓄積がはっきりと現実味を帯びてくる。また、財産の私有と、財産を基にした区別、つまり不平等の根源が出てくる道も開かれた。
特定の集団が耕作した土地を他者が利用したり、こそからの収穫物を他者が入手したりすることも、制限されるようになる。やがて相続の問題が発生し、社会的再生産が新たな形態を取る。このように、定住社会で「財産」が実体を持った現実として現われ、この現実を認識することで財産が制度的事実として成立する経緯は、簡単に理解できるだろう。おそらくこうしたことはすべて、「財産」という概念が法的概念になる前に起こったと考えられる。法的概念は一般に複雑な社会で見られるものであり、法律という概念そのものも、別の制度的事実が誕生しないと生まれないものだからである。そうした制度的事実の中でとりわけ重要なのは、関連する法の原則をどう適用するかをめぐって争いが起きたときに判定を下す何らかの権威だろう。財産そのものは、前に論じた重さや価値と同様、象徴的であると同時に物質的でもある特別な概念の一つであり、その物質的特徴が制度的事実を構成している。
Ⅵ.制度的事実としての価値
1. 新たな価値体系の発達
先史時代の謎の一つに、不平等の起源がある。初期の狩猟採集社会は、旧石器時代の祖先が作っていた社会と同じく、常に平等社会だったようだ。個人個人は平等な立場で活動に参加し、人物評価は、狩猟の腕前など個人の実績を基にきめられていた。しかし農業革命以降、ほとんどの発達経路では、リーダーとフォロワーからなる共同体が発達し、高い地位は世襲されることが多くなる。その後に一部で発達する国家社会は、階級社会であった。
不平等をもたらした鍵は、財貨にある。つまり、ほとんどの発達経路のある時点において、品物に価値があるという理解が発達したことに原因があるのだ。人類社会の発達の中で、品物や産物に意味や価値があると考える発想ほど重要なものはないだろう。この価値は、物と関連づけられていたが、やがて人にも関連づけられるようになり、価値の高い品物と地位の高い人との間の関係が強くなった。ちなみに旧石器時代の狩猟採集民は、耐久性のある物質に高い価値を認めていなかったらしい(貝殻を除く)。確かに琥珀や金や美しい石をビーズや装身具に使っていたが、それは旧石器時代もかなり後期になってからのことである。
多くの社会的関係が品物や人工物を介して成り立つようになったのである。ヒスイなどを原料とする磨製石斧は、新石器時代のヨーロッパでは価値がひときわ高いと考えられていた。後に銅と金が発見されて利用されるようになると、新たな価値体系が生まれた。ヨーロッパの青銅器時代は、こうした価値体系の上に、新たな物質から作られた剣など威力の強い武器とともに築かれたのである。
この価値体系を最も明確に表わしているのが金銭だ。金銭が硬貨という形で発明された(あるいは構成された)のは、
紀元前1千年紀、先史時代がまさに終わろうとしていたアナトリア西部(現在のトルコ)であった。実際、世界の多くの地域では、金銭を用いた貨幣経済の採用が先史時代の終わりを示す目印であり、そのため貨幣経済を歴史時代の始まりを告げる最良の指標と考えることもできる。しかしここでは、これまでの議論を踏まえて、西アジアで初期定住とともに現われ始めたこの新たな概念(硬貨の使用が体現し、さらに発達させる概念)
をもっと明らかにしたいと思う。
この文脈では、鋳造硬貨は、石器を初めて価値ある物として交換したときに始まった数千年に及ぶプロセスが生み出した結果にすぎない。その意味で硬貨は、人類史では比較的新しい現象である。
2. 商品という概念
商品連関には、相互関係を持った重要な概念が少なくとも4つある。そのうちの3つは間違いなく象徴的なものであり、しかも以前に述べたように、物質的現実が概念と同時または先に現われなくてはならない種類のものである。象徴は、先行する概念を単に写し出すだけではなく、実質的な現実として概念の構成要素にもなっている。〔編集部注:本書では図が挿入されている〕。 このうち、計量と価値については、すでに検討済みだ。重さの概念は、物質的関与プロセスで生じた構成的象徴と見なされた。さらに、グラムやグレインといった具体的な重さの単位は、計量制度という何から何まで人間の心が生み出したシステムの中で構成的事実となり、独自に事実としての現実性を帯びるようになった。また、一部の物質には高い価値が認められたが、先にみたように、価値の有無は非常に恣意的に決められる。実用的価値とはあまり関係がなく、その物質に本質的な価値があると広く認められれば高価だと見なされたのである。「真実」であるかどうかは共同体つまり制度の中で認められているかどうかで決まるという意味で、これも、今まで見てきた制度的事実の一つと言える。
3. 計量制度と都市文明
価値の計量を基盤とする商品交換というシステムは、西アジアをはじめ、インダス文明やクレタ文明、ミケーネ文明などの都市社会すべてに共通する特徴である。交易は、ゴードン・チャイルドが最初に都市革命を説いたときに私的したように、こうした都市共同体の商業経済を支える基盤となった。・・・
この商品連関は、すべての都市社会に共通する特徴ではなく、西アジアとヨーロッパの発達経路にのみ見られるものなのかもしれない。いずれにせよ、新しい強力な概念と象徴システムが登場するとき、概念上の問題が具体的な物質上の問題と密接に関わり、複雑に絡み合っていることを、商品連関は実証しているのである。
Ⅶ. 世界を理解する営みと「神の創造」
1. 宇宙の中に位置づける
物質が、人類社会で意味を持ち、新たな制度的事実を作り出す過程、つまり現実と認められる物質的象徴を生み出す過程と関係していることを見てきた。定住の開始とともに、そうした物質化へ向けて新たな可能性が開けた。財産が生まれ、相続の制度ができたことで、新たな種類の所有が生まれる。集落を基盤とする定住共同体ができると、新たな社会構造と新たな義務が誕生する。・・・
本章では、もう一つの不思議なプロセスに目を向けたいと思う。そのプロセスで人間は、この世界での物質的関与を通して、重要な意味を持つ素晴らしい新たな構造を作り出した。その構造は、非常にわかりやすく、また強い説得力に満ちていたため、その信奉者にとっては人生そのものに目的を与えてくれるように思えるほどだった。人類が考案したこの構造は、強固な現実性と事実らしさを持っていたので、それを現実のものとするため大量の労働力を注ぎ込むよう命じることができた。ときには人身御供を要求することさえある。これは人が作った概念でありながら、恐ろしいほどの現実性と事実らしさを持っていた。その概念とは、儀式と純理論的思考によって構築された神々と、その神々を取り込んだ神殿と神像であった。
2. 宇宙を取り込む-王の埋葬に見る制度的事実
宇宙の秩序を維持する力と確実に調和する方法として、たとえば首都を一種の小宇宙や宇宙図とすることで同様の秩序を地上の世界にも再現していたことを説明した。しかし、これ以外にも、支配者の身体や装身具を通して調和をもたらすという方法もあった。 その神聖さや神々しさは、世界の秩序を司る超自然的な力や神の力と何らかの方法で結びつくことによって生み出された。この巧妙な考え方は、いくつかの初期国家社会に共通して見られるようだ。宮殿の図像にはっきりと表れることもあり、その場合、支配者は神とともにいるか、神の力の恩恵を受けているように描かれた。また場合によっては、この考え方が葬儀や、支配者の遺体とともに埋葬された豪華な装飾品に、はっきりと表れることもあった。
3. エジプトにおける「神の創造」
エジプトでは、ファラオの埋葬は古王国の初期から、この上ない華やかさと大量の労働力を伴う一大行事であった。それがよく反映されているのが、ピラミッドの建設である。後にそれらの墓はすべて盗掘されたが、一つだけ、被害の比較的少ない墓が発見された。それがトゥトアンクアメン王の墓である。 トゥトアンクアメンは、新たに一神教を起こしたアクエンアテン王の跡を若くして継ぎ、紀元前1361年ころから前1352年まで国を治めた。この統治時期は、第1王朝の支配者より千年以上も後であり、王の名前や事跡が文字に記された碑文から判明しているという点で、歴史時代に属すると言ってもいいかもしれない。ただ、現在わかっていることの大半は、遺物から得られたものである。
そうした遺物には、亡くなった王が太陽神ラーと同一視されたとする信仰がはっきりと表れている。ラーは、黄金の体とラピス・ラズリの髪を持った神だ。王の遺体には、ラピス・ラズリで装飾した黄金のマスクがかぶせられていたが、これはラー信仰を取り込んだものである。実際マスクをよく見ると、顔と首は金であり、眉毛とまつ毛はラピス・ラズリだ。歴代諸王の廟所(びょうしょ)や棺(ひつぎ)にも言えることだが、すべてが金でできた墓地に見られる象徴表現全体は、死んだ王は神になったという信仰を反映しているだけではない。これほど豪華な処置を施すことで、「神だ」ということを、いわば実証したのである。ここに、物質的関与プロセスは頂点を極めた。神格化つまり「神の創造」に達したのである。、
・・・・以上、終わり・・・