カール・マルクス 『経済学批判』
新潮社マルクス・エンゲルス選集1959年発行
A 商品分析の歴史
*資本論ワールド編集部 はじめに
商品の分析について、「使用価値」との関連に注目してゆきます。古典派経済学者たちの商品分析をたどることで、マルクス以前の「労働価値説」の概要を探索できます。こうして、『資本論』第1章への“序論”として役立つことになります。以下に、A 「商品分析の歴史」の要点を紹介します。→なお、『資本論』第1章、第4節(注31)、(注32)を参照してください。
1. ウィリアム・ペティ(イギリスの古典派経済学の始祖.1623-1687)
使用価値を形成している現実の労働を「分業」の観点から把握しています。また、商品の交換過程に現れる交換価値をストレートに貨幣として認識し、使用価値は「一般的労働」の生産物として素材的富の源泉と位置づけされます。
2. ボアギュベール(フランスの経済学者.1646-1714)
商品としての使用価値の生産と商品の交換過程とを、個人的労働がかの目的を達成する自然的な社会形態であるとみなし、商品の交換価値に対象化され、時間によって測られる労働を、個々人の直接的自然的な活動と混同しています。
3. ベンジャミン・フランクリン(アメリカ合衆国の政治家.1706-1790)
近代経済学の基本法則を系統だててのべ、価値の尺度を貴金属以外、「労働」としました。銀の価値も、他のすべての物と同じように、労働によって測ることができ、現実の個々の労働〔有用労働に相当〕を何等特別の質をもたず、したがって、単なる量で測られうる抽象的労働によって定められるとしています。
4. ジェームズ・スチュワート(『経済学原理』の著者.1713-80)
経済学の抽象的範疇は、まだその素材的内容から分離する過程にあって、ある商品に含まれている自然的な物質、例えば銀編細工の中の銀を、商品の内的価値(intrinsic worth )と呼び、他方その商品に含まれている労働時間をその使用価値(useful value )と呼んでいます。
「第一の価値はいわばそれ自身現実的なものである。……これに反して使用価値は、内的価値を生産するために費された労働によって、秤量されなければならない。素材を変化させるために投下された労働は、ある男の時間の一部を表わしている。・・・・・」
5. アダム・スミス(『国富論』の著者.1723-1790)
農業、製造工業、海運業、商業等々のような現実の労働の特別の形態が、順次に富の真実の源泉であるとして、労働一般を、しかもその社会的総体において、つまり分業としてとらえ、素材的富または使用価値の唯一の源泉であると宣言しました。
この場合自然要素を全然無視していますが、このことは、社会的である富の、すなわち交換価値の領域に入りこむことになります。現実の労働から交換価値を生む労働に移行することを、つまり、ブルジョア的労働の根本形態を、分業によってなしとげられたものと考えています。
6. デヴィット・リカード(『経済学および課税の原理』の著者.1772-1823)
古典派経済学の完成者として、労働時間による交換価値の規定を最も純粋に系統だてて、発展させたので、他の経済学の側からの論難が、リカードに集中しています。次のような諸点にまとめることができます。
第1に、労働自体は交換価値をもっており、ちがった労働はちがった交換価値をもっている。交換価値を交換価値の尺度にすることは、どうどうめぐりである。というのは、秤量する交換価値自身がまた尺度を必要とするからである。
この異論はこういう問題に帰着する。すなわち、交換価値の内在的尺度としての労働時間が与えられているとすれば、この土台の上に労働賃金を展開する、という問題である。・・・(賃金労働の理論がこれに解答を与える。)
第2に、もしある生産物の交換価値が、これに含まれている労働時間に等しいとすれば、一労働日の交換価値はその生産物に等しい。あるいは労働賃金は労働の生産物に等しくなければならない。それで反対の場合はまた反対である。だから、この異論は次のような問題に帰着する。すなわち、生産は、単なる労働時間によって定められた交換価値を土台とすれば、どうして労働の交換価値が、その生産物の交換価値よりも小さいという結果になるか? ・・・(この問題を、資本の考察で解決する。)
第3に、商品の市場価格は、需要と供給の変化にしたがって、その交換価値以下に低落したり、それを越えて騰貴したりする。したがって商品の交換価値は、需要と供給の割合によって決定され、諸商品に含まれている労働時間によって定まるものではない。・・・(交換価値の土台の上に、いかにしてこれとちがった市場価格が展開されるか、あるいはもっと正しくいえば、交換価値の法則は、いかにしてそれ自身の反対物としてのみ実現されるか、という問題である。)
第4に、交換価値が、商品に含まれている労働時間に外ならないとすれば、労働を含まない商品は、どうして交換価値をもちうるのか。あるいは他の言葉でいえば、単なる自然力の交換価値はどこからくるのか? ・・・(この問題は、地代論で解決される。)
*なお、マルクスは『資本論』第1章、第4節(注31)、(注32)においてリカードおよび古典派経済学の「商品価値」分析について次のように述べています。「商品価値の分析から、価値を交換価値たらしめる形態〔形式〕を見つけ出すことが達成されなかったということは、この学派の根本的欠陥の一つである。A・スミスやリカードのような、この学派の最良の代表者においてさえ、価値形態〔価値の形式〕は、何か全くどうでもいいものとして、あるいは商品自身の性質に縁遠いものとして扱われている。(注32)」「古典派経済学には労働の単に量的な相違が、その質的な同一性または統一性を前提しており、したがって、その抽象的に人間的な労働への整約を前提とするということは、思いもよらぬのである。(注31)」
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A 商品分析の歴史
*編集部注:〔〕、段落冒頭の「」、<>の数字記号は、編集部が適宜作成。
◆ 目 次
1. 商品を分析
2. ペティ
3. ボアギュベール
4. フランクリン
5. ジェームズ・スチュアート
6. アダム・スミス
7. リカード 1. 2
『経済学批判』 A 商品分析の歴史
〔 商品を分析 〕
「1.」 商品を分析して二重形態の労働に、すなわち、使用価値を現実の労働または合目的的な生産的な活働に帰着させ、交換価値を労働時間に、すなわち等一なる社会的労働に帰着させることは、古典的経済学の150年以上にわたる研究の批判的成果である。この経済学は、イギリスにおいてはウィリヤム・ペティに、フランスにおいてはボアギュベール(注15)に始まり、イギリスにおいてはリカードで、フランスにおいてはシスモンディで終っている。
(注15) ペティとボアギュベールの著作と性格に関する比較研究は、17世紀の終りと18世紀の初めにおけるイギリスとフランスの社会のちがいに強い光を投げかけてこれを照らし出さなければならぬが、このことを別とすれば、イギリス経済学とフランス経済学の民族的対照を発生的に説明することになるであろう。この同じ対照はその結末として、リカードとシスモンディにおいて繰返される。
〔 ペティ 1623-1687〕
「2.」 ペティは、使用価値を労働に分解するが、
その創造的な力に自然的限界のあることを見誤ってはいない。彼は、現実の労働をそのまま社会的総体として分業と考えている。素材的富の源泉に関するこの考えは、例えば彼の同時代人であるホッブズにおいては多少実を結ばなかった気味があるが、ペティの場合は、政治算術に導いている。
政治算術は、経済学が独立の科学として分離した最初の形態である。だが、彼は、商品の交換過程に現われる交換価値を貨幣と考え、貨幣そのものを現存する商品、すなわち、金および銀と解する。重金主義の観念にとらわれて、彼は、金や銀を獲得する特殊の種類の実体的労働を、交換価値を生む労働と説明する。彼は実際にこうのべている、ブルジョア社会の労働は直接の使用価値を生産しないで、商品を生産せざるをえない、別の言葉でいえば交換過程で譲渡されることによって金および銀として、すなわち貨幣として、または、交換価値として、いいかえると対象化された一般的労働として現わされる使用価値を生産する外ないというのである。
いずれにしても彼の例はこういうことをはっきり示している、すなわち、労働を素材的富の源泉として認識しても、そのことは決して労働が交換価値の源泉となっている一定の社会的形態についても誤解しないですむわけのものでないということである。
〔 ボアギュベール 1646-1714〕
「3.」 他方ボアギュベールも、意識してではないが事実上は、商品の交換価値を労働時間に分解している。というのは、彼は、「真実の価値」( la juste valeur )を、個々人の労働時聞が特殊な産業部門に分配される正しい割合によって規定し、自由競争がこの正しい割合をつくり出す社会過程であると説明するのである。しかし、彼は、同時に、そして、ペティとは反対だが、熱狂的に貨幣と闘っている。貨幣は中間にはさまって、商品交換の自然的均衡と調和とをさまたげ、気紛れでモーロクのようにすべての自然的富をいけにえに求める、というのである。
ところで一方この貨幣に対する論難は、いろいろな歴史的事情と関連するものであった。というのは、ボアギュベールはルイ十四世宮廷とその徴税請負人や貴族のめちゃくちゃな貨幣欲と闘っているのに反して、ペティの方は貨幣欲の中に、国民を工業的発展と世界市場の征服に駆りたてる逞しい衝動をたたえているというわけであるのだが、この場合同時に、より深い原理的な対立も目立っている。それは真にイギリス的な経済学と、真にフランス的な経済学との間にたえない対照として繰返されているのである。
ボアギュベールは、実際上ただ富の素材的内容である使用価値、つまり快楽を見て、労働のブルジョア的形態、すなわち商品としての使用価値の生産と商品の交換過程とを、個人的労働がかの目的を達成する自然的な社会形態であるとみなしている。したがって、貨幣のようにブルジョア的富の特殊な性格が彼に相対している場合には、彼は外的要素が強引に割り込んでいると信じ、一つの形態におけるブルジョア的労働にはやっきになって反対し、同時に他の形態ではこれをうちょう天になってたたえている。ボアギュベールは、商品の交換価値に対象化され、時間によって測られる労働を、個々人の直接的自然的な活動と混同しているのではあるが、労働時間が商品の価値の大いさの尺度として取扱われうることを、われわれに証明して見せる。
〔 フランクリン 1706-1790〕
「4.」 交換価値を最初に意識的に、ほとんど陳腐なまでに明せきに労働時間に分析する仕事が新世界の一人物によってなされている。ここでは、ブルジョア的生産関係が、その担い手と一緒に輸入され、ありあまる沃土で歴史的伝統の不足を補った土壌の中に、急速にのびて行った。この人物とは、ベソジャミン・フランクリンのことである。
彼は、1719年に書いて1721年に印刷されるようになった若き日の労作で、近代経済学の基本法則を系統だててのべた。彼は、価値の尺度を貴金属以外に求めることが必要であると説いた。これが労働だというのである。
「銀の価値も、他のすべての物と同じように、労働によって測ることができる。例えば、一人の人がトウモロコシを生産するために使用されるのに、他の一人は銀を掘り、精練するとしよう。一年の終りには、または他の一定の期間の後には、トウモロコシの全生産高と銀の全生産高はおたがいの自然価格となる。そしてもし一方が20ブシェルで他が20オンスであるとすれば、1オンスの銀は、1ブシェルのトウモロコシの生産に費された労働に値する。
しかし、もしもっと近くもっと容易に行けるような、もっと豊かな鉱山が発見されて、一人の人がいまでは以前の20オンスと同じ容易さで40オンスの銀を生産しうるとすれば、そして20ブシェルのトウモロコシの生産には、以前に要したと同じ労働が必要であるとすれば、2オンスの銀は、1
ブシェルのトウモロコシの生産に費された同じ労働以上に値するということはあるまい。そして以前に1 オンスに値した 1ブシェルは、他の事情が同一であるならば、いまでは
2 オンスに当るだろう。このようにして、一国の富は、その住民が買うことのできる労働量によって評価することができる。」
フランクリンは、労働時間を直に価値の尺度として経済学者流に一面的に表わす。現実の生産物が交換価値に転化するということは、当然のことと考えられ、したがって問題は、その価値の大いさに対する尺度の発見にかかるのである。彼はこうのべている、
「商業はほんらい労働に対する労働の交換に外ならないのであるから、すべの物の価値は、労働によって秤量されるのが最も正しい。」 この場合現実の労働を労働という言葉の代りにおいてみると、ある形態の労働が他の形態の労働とそのまま混同されていることが発見される。
例えば製靴労働、鉱山労働、紡績労働、画工(絵かき)労働等々の交換のために商業が行われるのであるから、深靴の価値は画工労働で秤量されたのが最も正しいといえるだろうか? フランクリンは逆に考えて、深靴、鉱石、糸、画等々は、何等特別の質をもたず、したがって、単なる量で測られうる抽象的労働によって定められるとしている。しかし彼は、交換価値に含まれている労働を、抽象的で一般的な、個人的労働の全面的な譲り渡しから生れる社会的な労働として展開させることをしないのだから、必然的に貨幣を、この譲り渡された労働の直接の存在形態と誤認する。したがって、貨幣と交換価値を生む労働は、彼には少しも内的関連にあるものではなく、貨幣は、むしろ技術的な便宜のために交換に外部からもちこまれた道具である。フランクリンの交換価値の分析は、われわれの学問の一般的進展に直接の影響をもたないままに終った。というのは、彼は経済学の個々の問題を、実際上のいろいろの機会に取扱ったにすぎないからである。
〔 ジェームズ・スチュアート 1713-80〕
「5.」 現実の有用労働と交換価値を生む労働との対立は、第18世紀の間、いかかる種類の現実の労働がブルジョア的富の源泉であるか、という問題の形で、ヨーロッパを動揺させた。だから、この場合使用価値に実現される、いいかえれば生産物をつくり出す労働はすべて、ただこの理由だけで直接に富を創造するものではないということが、前提されていた。だが、重農学派にとっては、その反対者達と同じように、中心の論争問題は、いかなる労働が価値をつくり出すのかというより、いかなる労働が剰余価値をつくり出すのかということである。
そのために彼等は、すべての科学の歴史的進行が沢山の錯雑した道を通ってはじめてそのほんとうの出発点にくるように、問題をその基礎的な形態で解く以前に、複雑な形で取扱っている。普通の建築師とちがって、学者たちは、空中楼閣を描いて見るだけでなく、建物の土台石をすえる前に、人の住む階層を一つ一つつくる。われわれは、ここでは余り永く重農学派にとどまらないで、商品の正しい分析に、多少とも面白い思惟をよせている沢山のイタリア経済学者をとび越えて、すぐブルジョア経済学の全体系をつくる仕事をした最初のブリテン人、 サー・ジェームズ・スチュアートに向うことにしよう。彼の場合も、経済学の抽象的範疇は、まだその素材的内容から分離する過程にあって、そのために浮動的、動揺的であるが、交換価値の範疇についてもそういうことがいえる。
ある個所では彼は、真実価値が労働時間によって(一労働者が一日で作り上げうるものによって)定まるとしている。しかし、これと並んで賃銀とか原料とかについて混乱した考えが表われている。他のある個所では、素材的内容との格闘が、もっとはっきりと表われてくる。彼は、ある商品に含まれている自然的な物質、例えば銀編細工の中の銀を、商品の内的価値(intrinsic worth )と呼び、他方その商品に含まれている労働時間をその使用価値(useful value )と呼んでいる。彼はこんなことを言っている、
「 第一の価値はいわばそれ自身現実的なものである。……これに反して使用価値は、内的価値を生産するために費された労働によって、秤量されなければならない。素材を変化させるために投下された労働は、ある男の時間の一部を表わしている。・・・・・」
〔編集部注:『資本論』第1章第1節 “使用価値を抽象すると”岩波文庫p.72-73を参照のこと〕
スチュアー卜が彼の先駆者や後継者に比べて傑出している点は、交換価値に表われている特殊的に社会的な労働と使用価値をつくるための現実の労働とを鋭く区別していることである。
彼はこういう、「その譲り渡しによって一般的等価( universal equivalent )をつくり出す労働を、私は産業(インダストリ)と名づける」と。
産業としての労働を、彼は、現実的な労働と区別するだけでなく、労働の他の社会的形態とも区別している。この労働は、彼によれば労働のブルジョア的形態であって、労働の古代の形態とも中世の形態ともちがっている。殊に、彼の興味をひいたのは、ブルジョア的労働と封建的労働の対立であって、彼はこの後者が没落の段階にあることを、スコットランド自身でも、その広いヨーロッパ大陸旅行でも、見ていたのである。
スチュアートは、もちろん生産物が前ブルジョア時代においても、商品の形態をとり、商品が貨幣の形態をとることを極めてよく知っていた。しかし彼は、富の原初的な基礎形態としての商品と取得の支配形態としての譲り渡しは、ブルジョア的生産時代に特有のものであること、したがって、交換価値を生む労働の性格は、特殊的にブルジョア的なものである、ということを詳細に証明している。
〔 アダム・スミス 1723-1790〕
「6.」 農業、製造工業、海運業、商業等々のような現実の労働の特別の形態が、順次に富の真実の源泉であるという主張がなされた後に、アダム・スミスは、労働一般を、しかもその社会的総体において、つまり分業としてとらえ、素材的富または使用価値の唯一の源泉であると宣言した。彼はこの場合自然要素を全然無視しているのであるが、このことは、彼をもっぱら社会的である富の、すなわち交換価値の領域に追いこむことになるのである。たしかにアダムは、商品の価値がその中に含まれている労働時間によって定まるとするのであるが、しかし、すぐその後でこの価値規定の現実性を再び先アダム時代にもっていってしまう。他の言葉でいえば、単純なる商品の立場で彼に真であると思われたものが、その代りに、資本、賃金労働、地代等々のより高いより複雑な形態が表われるや否や、彼には不明確なものになる。このことを、彼は次のように表現している。
商品の価値が、その中に含まれている労働時間によって測られたのは、ブルジョア階級の失われた楽園においてであって、ここでは人間はまだ資本家や賃金労働者や土地所有者や農業資本家や高利貸等々としてでなく、ただ単純なる商品生産者や商品交換者として相対している、という風にである。彼は、つねに商品に含まれている労働時間によるその価値の規定を、労働の価値による諸商品の価値の規定と混同しており、細密にこの規定を展開しようとする場合には、いたるところで、動揺している。そして社会過程が強制的に不等な労働の間に遂行して行く客観的等置を個人的労働の主観的同権と間違えている。現実の労働から交換価値を生む労働に移行することを、つまり、ブルジョア的労働の根本形態を、彼は分業によってなしとげられたものと考えている。
私的交換が分業を前提しているということは、もちろん正しいが、分業が私的交換を前提しているというのは誤りである。例えば、ペルー人の間で、私的交換、すなわち商品としての生産物の交換は、行われていなかったが、分業は極めてよく行われていた。
〔 リカード 1 1772-1823〕
「7.」 アダム・スミスと反対に、デヴィッド・リカードは、商品の価値が労働時間によって規定されるということを純粋に取出して、この法則が、一見彼に最も矛盾するように思われるブルジョア的生産諸関係をも支配していることを示している。リカードの研究はもっぱら価値の大いさに限られている。
そしてこれと関連して、彼は、この法則の実現が一定の歴史的前提に依存していることを、少くとも感じてはいる。というのは、価値の大いさが労働時間で規定されるということは、「勤労によって随意に増加されえて、その生産が無制限の競争によって支配されている」ような商品にだけ当てはまるのである、と彼はのべているのである。このことは、実際にはただ次のようなことを言っていることになる。価値法則が完全に展開されるということは、大工業的生産と自由競争の社会、すなわち、近代資本家社会を前提しているということである。もっともリカードは、労働の資本家社会的な形態を、社会的労働の永久の自然形態とみなしている。彼は、原始漁夫と原始狩人をそのまま商品所有者とし、魚と野獣とを、これらの交換価値に対象化されている労働時間に比例して交換させる。この場合、彼は、原始漁夫と原始狩人とが、彼等の労働要具を勘定するのに、1817年ロンドン取引所で用いられている年利表の助けをかりるという時代錯誤におちいっている。「オウェン氏の平行四辺形」は、彼が資本家社会の外に知っていた唯一の社会形態のようである。リカードは、この資本家社会の視界を出なかったのではあるが、表面で見るのとその底で見るのとではまったくちかって見える資本家経済を理論的な鋭さで分析して、ブルーム卿に、「リカード氏は他の遊星からきた人のように思われる」と言わせている。シスモンディは、リカードとの直接の論争で、交換価値を生む労働の特殊的に社会的な性格を強調するとともに、また価値の大いさを、必要労働時間に、すなわち、「全社会の欲望とこの欲望を満足させるに足る労働の量との関係」に整約することを、「わが経済的進歩の性格」ともいっている。シスモンディは、交換価値を生む労働が貨幣によって変改されているというボアギュベールの考えにもはやとらわれてはいないが、ボアギュベールが貨幣を非難しているように、彼は大産業資本を非難している。リカードにおいて、経済学がたじろぐことなくその最後の結論を引きだし、これをもって巻をとじているとすれば、シスモンディは、この終結を補充して、経済学の自分自身に対する疑いをのべている。
〔 リカード 2 〕
「8.」 リカードは、古典派経済学の完成者として、労働時間による交換価値の規定を最も純粋に系統だてて、発展させたのであるから、言うまでもなく、経済学の側からの論難は、彼に集中している。この論争から、子供じみた形態をとりのぞくと、次のような諸点にまとめることができる。
第一に、労働自体は交換価値をもっており、ちがった労働はちがった交換価値をもっている。交換価値を交換価値の尺度にすることは、どうどうめぐりである。というのは、秤量する交換価値自身がまた尺度を必要とするから
である。この異論はこういう問題に帰着する。すなわち、交換価値の内在的尺度としての労働時間が与えられているとすれば、この土台の上に労働賃金を展開する、という問題である。賃金労働の理論がこれに解答を与える。
第二に、もしある生産物の交換価値が、これに含まれている労働時間に等しいとすれば、一労働日の交換価値はその生産物に等しい。あるいは労働賃金は労働の生産物に等しくなければならない。それで反対の場合はまた反対である。だから、この異論は次のような問題に帰着する。すなわち、生産は、単なる労働時間によって定められた交換価値を土台とすれば、どうして労働の交換価値が、その生産物の交換価値よりも小さいという結果になるか? この問題を、われわれは、資本の考察で解決する。
第三に、商品の市場価格は、需要と供給の変化にしたがって、その交換価値以下に低落したり、それを越えて騰貴したりする。したがって商品の交換価値は、需要と供給の割合によって決定され、諸商品に含まれている労働時間によって定まるものではない。実際はこの奇妙な結論の中には、次のような問題が提起されているにすぎない。すなわち、交換価値の土台の上に、いかにしてこれとちがった市場価格が展開されるか、あるいはもっと正しくいえば、交換価値の法則は、いかにしてそれ自身の反対物としてのみ実現されるか、という問題である。この問題は、競争論で解決される。
第四に、いつものように奇妙な問題の形で提出されるのではないが、最後の、そして最も痛烈な矛盾ともいうべきものは、こうである。すなわち、交換価値が、商品に含まれている労働時間に外ならないとすれば、労働を含まない商品は、どうして交換価値をもちうるのか。あるいは他の言葉でいえば、単なる自然力の交換価値はどこからくるのか? この問題は、地代論で解決される。
・・・以上、A商品分析の歴史 終わり・・・