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 コラム22 2018.10


  (2016『資本論』入門4月号・一部追加再録)
 

  第2部 『資本論』の膠状物・凝結物Gallertについて  


      第6章 『資本論』のGallertとゲル化       

 
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目次
 第1章. 細胞・生命科学史と『資本論』の価値・Gallert
 第2章. ヘーゲル「自然哲学」 A 地質学的な自然 1817年
 第3章. シュライデン 「植物発生論」 概要  1838年
 第4章. シュヴァン 1839年
      「動物および植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」 概要
 第5章. ウィルヒョウ   1858年
      「生理・病理学的組織説に基づく細胞病理学」概要

  第6章. 『資本論』のGallert・膠状物(凝結物)とゲル化 





  第1章 
細胞・生命科学史と『資本論』の 価値・Gallert

 
第1節 はじめに 
 「われわれはいま労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮することのない、人間労働力支出の、単なる
膠状物〔eine blose Gallerte unerschiedsloser menschlicher Arbeit 〕 というもの意外に、労働生産物から何物も残っていない。これらの物は、ただ、なおその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累積されているということを表わしているだけである。これらの物は、おたがいに共通な、この社会的実体 〔gemeinschaftlichen Substanz〕の結晶として、価値―商品価値 〔Warenwerte〕である。」(『資本論』第1章第1節)

 
商品価値は、「無差別な人間労働力支出の、単なる 膠状物Gallert 」 であり、「社会的実体〔人間労働〕の結晶」として定義されました。 ところで、この 「膠状物Gallert (ほかに凝結物、凝固物と翻訳されている)」とは一体何を表現しているのでしょうか。
 まず、翻訳された用語を広辞苑で調べてみましょう。
  ① 
膠状:にかわのような、粘りけのある状態。
  ② 
凝結:こり固まること。凝縮.2(飽和蒸気の温度を下げ、または温度を一定に保って圧縮する時、その一部が液化する現象)。 コロイド粒子が集まって大きな粒子となり沈殿する現象。
  ③ 
凝固:液体または気体が固体に変ずること。

 つぎに、
Gallert と コロイド Kolloid をドイツ語辞典でみましょう。


 Gallert:

 ① 膠・ニカワ、ゲル、膠化体、膠質、ゼラチン、
 ②
ゲル ( コロイド溶液・ゾルが流動性を失ってゼリー状となったもの。固まった寒天、豆腐、こんにゃくなど。・・・ブリタニカ国際大百科事典)
 ③ (料理)ゼリー
 ④ (植物)シロキクラゲ(キノコの一種)
 ⑤
ゼラチン状の、ゼリー状の:gallertartig . Kolloid:コロイド、膠質 (英語:Colloid)

以上のとおりです。
  この段階では、
膠状物 Gallert(凝結物)の概念規定に達することはできません。膠、凝結、ゲル、コロイドなど、多様に解釈できる余地があります。


 つぎに私たちは、
『資本論』が公刊されたドイツ語圏を探索します
Gallert」が登場する19世紀ヘーゲルの「自然哲学」と現代「細胞理論」の土台が形成された文献(シュライデン、シュヴァン、ウィルヒョウ)を探訪してゆきます。



  
第2節 ドイツにおける Gallert 用語法の経過


・・・
ヘーゲル、シュライデン、シュヴァン そして ウィルヒョウ・・・

 ①
ヘーゲル
 
1817年、大学講義用に「エンチクロペディ百科事典」(論理学、自然哲学、精神哲学の3部作)を刊行しました。 逝去後に弟子たちによる講義筆記録をもとに1839年、全集版により大幅に増補され、今日に伝わっています。 「自然哲学」は、力学、物理学そして有機体学で構成され、Gallert については、「太陽系は、最初の有機体で、地球の生命過程として」 「 A 生命は、形態すなわち生命の普遍的な形姿としては、地質学的な有機体 」の文脈の中に登場します。

 ②
シュライデン
 1838年「
植物発生論」において、「植物では、動物における意味での個体は存在しない。・・・細胞の細胞は二重の性格、一つはまったく独立の生活、他は植物の不可欠な一部としての依存の生活、を営んでいるが、植物が細胞の集合体であり、基本になるのは細胞の自律性である」として、細胞が生きている生物の基本単位であるという観念を提起しました。細胞の活動を観察して、現在では「原形質流動」として知られている 細胞実質Gallert の活発な運動を報告しました。

 ③
シュヴァン
 シュライデンの「植物発生論」から学んで、1839年「動物・植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」を行ない、「動物の構造と発展というもっとも重要な事象は、植物の場合の対応する過程と一致する。これらの細胞はその発展過程において、類似した現象を現わす。 動物界と植物界を隔てていた主な障壁はこれによって崩れ落ちた。」また、Gallert については、ブタの胎児の細胞組織からゼラチン状物質を観察し、膠化体 Gallert を確認していました。 また、生命過程の複雑な物質流動・変化・分解を代謝的 metabolisch (名詞は代謝 metabolism)過程として観察しました

 ④ 特に最後の
ウィルヒョウ(1821-1902年)の「細胞病理学」は、
 1858年から1871年の間に第4版刊行され、シュライデンからシュヴァンへと続いた細胞理論を大成し「
すべての細胞は細胞から」という生物学上の有名な格言を後世に残しました。細胞要素の集合体として、人体をまざまな細胞から構成される「国家」ないし「共同体」になぞらえ、「個々の細胞が市民として共同体の運営に参加する」という思想をドイツ内外に広く普及させました。この思想(細胞理論)は、『資本論』の商品分析にも活用され「商品としてこの世界の市民なのである」と援用されています。


 
⑤ また、ウィルヒョウは、
 
「細胞病理学」第20回最終講演において、細胞組織の総括的議論を行なう中で、当時の医学界に流布している「 コロイド Colloid 」 という言葉の使用に関して「この言葉は、ラエンネック(フランス人)が、半ば固まったニカワに近似、と記載した腫瘍シュヨウに用いたものですが、それは、十分に発達をとげた形では、無色または淡黄色調の、半ば流動性を残したゼラチンであり、・・・以前にはこの種の状態を、膠状gallertartig とかゼラチン状 gelatinos と呼んでなんの支障もなかった・・・ほかの多くの人が平凡に膠状腫瘍あるいは膠状質と呼ぶものと、なにか違ったものを言い表わしていると考えてはなりません」。このようにドイツでは、ウィルヒョウによってGallertとコロイドの概念を厳密にするよう注意が与えられていました。

 では、
Gallertについて当時の文献を探索しながら理解を深めてゆきましょう。




 
第2章 ヘーゲル「自然哲学」 A 地質学的な自然 341、346


 第1節 341 〔
植物的生命の始まりであるゲル状の粘液gallertartiger Schleim)〕

 「
生命のこのような結晶が、すなわち、地球というこの死んだまま横たわっている有機体である。この有機体は、自分の概念を、自分の外部の、星の連関のなかにもっている。この有機体は、その固有の過程を、しかし前提された過去としてもっている。この有機体が、気象学的な過程の直接的な主体となる。この主体は、生命のもともと自体的に存在する統合ではあるが、もはやたんに個体的な形成物になるのではなく、この気象学的な過程によって実を結んで生動的にとなる。― 陸と、そして特に海は、生命の実在的な可能性であるから。あらゆる地点で無限に、点のような一時的な生命力を生みだす。― たとえば、地衣類や、滴虫類、燐と化合する海中の無数の生命の点を生みだす。」

 「補論:しかし、大気は同時にその諸元素の内でそれ(天の運動)を物質化する。大気は、解きほぐされ純粋に張りつめられた地球であり、重さと熱との比関係(Verhaeltnis)である。・・・海そのものは空気よりももっと高次のこの生命性であり、苦しみと中和性と溶解の主体である。― それは
一つの生命的過程であって、この生命過程はつねに、生命へと踏みでる跳躍をしようとしている。・・・・この普遍的な生命性が有機的な生命、すなわち、それ自身のもとで自分を刺激し、刺激として自分自身に対して働きかける有機的生命である。・・・船乗りは夏になると海の盛りについて語る。7月、8月、9月には、海は不純になり、濁って粘液質になる。海は無限に多くの植物的な点、糸、面状のもので満ちている。
 海はよりいっそう高められて刺激されると、途方もない距離で燐光を発する光の内へ吹き出る。・・・この光の海は、それ以上有機組織化されない純粋な生きた点からなる。・・・

 そして、
植物的生命の始まりであるゲル状の粘液〔gallertartiger Schleim〕が残る。海は上から下までこのような粘液で満たされている。すでにどの発酵においてもすぐに小動物が示される。しかし、まして海は次にまた、規定された形成物へと近づいてもいく。・・・」p.470

 「 ・・・そこでは、ちょうどポリープの場合のように、多くのものが一つの生命をもっており、次に再び一つの個体へと集まっていく。この下等動物界が、一時的に現存する
ゲル 〔Gallert〕 にいたることによって、動物的なものの主体性はここにおいてたんに輝くことに、自分との同一性の外面的な仮象になることができる。・・・」p.470

 「私は星を有機的身体における吹き出物(Ausschlag)と比較したことがあって、市井の評判になったことがある。皮膚が吹き出して無限に多くの赤い点となるのに例えたのである。あるいは蟻塚と比較したことがあるが、蟻塚には、悟性と必然性もある。実際、一つの抽象的なものからよりも、具体的なものからだと、もっと多くのものができる。たんに
ゲル 〔Gallerte〕 を産み出すにすぎない動物類からだって、星の大群よりも多くのものができる。・・・」p.471

 「陸地は、以前には内在的であった。今や逃げさってしまった生命の巨大な亡骸として、中和性にまで自己展開するこの個体的な安定性であり、月的な元素の堅い結晶である。これに対して海は彗星的なものである。しかしこの両方の契機が主体的な生命体の中で浸透しあうことによって、
ゲル〔Gallerte〕粘液〔Schleim〕は、内面的にとどまる光の容れ物になる。地球は、水と同様に、無限な普遍的な豊饒さを示す。・・・」p.472


 

   第2節 346 〔細胞組織のゲル状〕
 「補論2 
形態化の過程ではわれわれは直接的なものとしての生物の胚(Keim)から始める。しかしこの直接性は想定された直接性にすぎない。・・・胚の発達ははじめはたんなる成長であり、たんなる増殖である。胚はすでにもともと自体的には植物の全体である。胚は木等々の縮図である。・・・
  普遍的な結びつきを形成するのは、植物では細胞組織であり、これは動物的なものの中でと同様、小さな細胞から成り立っている。細胞組織は、一般的な動物的および植物的な産物であり、― 線維質の契機である。・・・藻類はこれまでに植物とはまったく違っている。葉状体を、最も肉の厚いところで切断すれば、そこにきわめて明瞭な、けれどもいわば
ゲル状の糸〔gallertartige Faden〕が、多様で複雑な方向で認められる。幾つかの藻類の基礎は被膜のようなものであり、それは時には粘液状で、また時にはゲル状〔gallertartig〕だが、けっして水にとけてなくなったりはしない。キノコの組織は繊維質からなっていて、この繊維質はほとんど細胞とみなされている。・・・明白のことだが、新しい細胞組織は比較的古い細胞の間に生じる。細胞内の粒子は、植物の澱粉末であるといってよいだろう。(注)」 (注:リンク「基礎理論」) p.518


 第3章 シュライデン 「植物発生論 概 要  1838年


 
〔植物について〕


 1. われわれが動物の場合と同義で固体について語りうるのは、ある種の藻類や菌類のように、体が単一の細胞でできている、きわめて下等な植物の例に限られる。いくらかでも高い水準に発達した植物は、完全に個体性をもって独立した個別的存在であるところの細胞の集合体である。

 
2. 各細胞は二重の生活をする。一は独立の生活であり、それ自身の発生(Entwicklung)のみに関わるものである。他は植物体全体の不可欠な一部分となっているという意味で、間接的な生活である。しかし植物生理学についてみても、また比較生理学一般についてみても、第一義的な、絶対不可欠の基礎をなさなければならないのは、個々の細胞の生命過程である。

 3.  植物では澱粉がほとんど動物の脂油に代わって現われる。それは将来の利用のために蓄積された余剰の栄養物である。澱粉のかわりに、しばしば半ば顆粒化した物質がみられることがある。たとえば花粉、ある種の植物の胚乳の中に、またしばしば葉の細胞の中に、クロロフィルの礎質としてそれが存在する。これを私は
粘液質と呼びたいと思うが、これは澱粉が新たに形成されるさいに溶けて、糖またゴム質となる。

 
4.  便宜上、これを植物性ゲラチン質(Pflanzengallerte)と呼ぶことにする。後に化学変化によって細胞膜(Zellenmembran)またはそれで構成されて肥厚した構造に転化し最終的に植物性繊維物質(Fasersfoff)に転ずるのは、このゲラチン質(Gallerte)である。普通これらの細胞は、当初は澱粉で満たされている。まれに粘液質またはゴム質で満たされていることもある。
 5.  この粘液質とゴム質は、発生の進行中つねに澱粉からできてくる。しかもこれらは、外側から内側へとしだいに
ゲラチン質

に変わっていくようである。 ――このゲラチン質の表面は螺旋の方向に従って変わり、最後に植物性繊維になる。





 第4章 シュヴァン  1839年 

     
   「
動物および植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究」 概要


 
1.  この論文の課題は、動物と植物の要素的部分(Elementartneil)の発展法則が同一であるという点から、有機的自然の二つの界(Reich)〔動物界と植物界〕の間のきわめて密接な関係を証明することにある。

 
2.  すべての結晶が、それらの形が多様であるにもかかわらず、同じ法則によって生じるのとほぼ同様に、あらゆる生物体の個々別々の要素的部分のどれを取ってみても、その根底には一つの共通する発展原理がある、というのが、この研究の主要な成果なのである。

 
3.  まず第一に、卵の形成の場合や、血液形成に先立つ、胚(Embryo)の発展の初期段階の場合がそうであり、第二に、成体のいくつかの組織、例えば表皮(Epidermis)の場合がそうであった。実際に生きているという疑う余地もない証拠が現われた場である卵の場合、いわゆる植物類似の成長がそこで行われるということには、すべての生理学者が同意した。

 
4.  これらの卵の中にある粘液球(Schleimkugel)から胚が形成されてくるのであるが、この粘液球の中に細胞が生じ、その細胞の内部に第二次の細胞が生じ、等々であること、またこうしてできた細胞の組織は肝臓(Leber)に変わるが、そのほかの組織は、中に無数の点が見られるゼラチン状の(gallertartig)塊から生じてくることを彼は観察した。

 
5.  すべての生物体の要素的部分に共通するひとつの発展原理がある、という命題が、こうして観察によっても確認されたのである。例えば体長三ツオル半のブタの胎児の頸部(Hals)または眼窩(か)底から取った細胞組織を調べてみると、それは眼の硝子体よりいくらか濃稠なゼラチン状の物質であり、発展のごく初期の状態では同じように透明であるが、発展が進むにつれて次第に白っぽくなり、そのゼラチン状の性質が失われていくのが認められる。

  
これらの小体は、前述の大きさの胎児では、ゼラチン状物質の全体を構成するほどには多くはなく、当然のことながら、透明で無構造の、ゼラチン様の性質を持った原物質(Ursubstanz)――われわれがさしあたってチトブラステムと呼ぶことにしているもの――の中に存在しなければならない。いくらか発生が進んだブタの胎児の、絨毛膜と羊膜の間にある膠化体(Gallert)中には、このチトブラステムがいちばん多く存在し、したがってもっとも明白に確認できる。




  第5章 
ウィルヒョウ   1858年 20回の講演


        
生理・病理学的組織説に基づく細胞病理学」概要




1.  
第1講 細胞および細胞説

 「あきらかに、個々の細胞が、特定の条件下で特定の位置において示す特定の性質、これは一般に細胞内容の性状の差と結びついており、今まで関心の対象であった成分、すなわち膜と核ではなく、むしろ細胞の内容、もしくは細胞外に沈着した物質こそ、組織の機能的(生理的)差違のもとになっているのであります。・・・

2.  しかもその上でもっとも本質的とみなされるべきこと、それは組織がいかに多様であっても、細胞をいわばその基本の形で作り上げている成分、すなわち核と細胞膜が、例外なく姿を見せることであり、この両者の組合せによって細胞がえられる――すべての生ある植物、生ある動物を通じて(その外形がいかにさまざまであり、またその内的構成がいかに変化しようと)この細胞こそあらゆる生命現象の決定的な基礎になる、まったく特異な形態なのであります。



3. 
生命単位としての細胞・社会の体制をそなえた個体

 
生命の特質、生命の単位は、高次の体制におけるいずれかある場所、例えば人間の脳にではなく、個々の要素、すなわち、体内の至るところに恒常的に出現する一定の構造にのみ求められるべきものです。
 これによって明らかなように、ある規模をもった体というものは、けっきょくのところ、つねに一種の社会的体制、社会という性格を帯びた体制に帰するものであり、個々の存在[要素]は互いに依存しあう――しかも各要素はそれ自体として独自の働きをもち、たとえその働きが他の要素に由来する刺激に触発されるときも、なおかつその固有の機能は自発のものとして発揮されるのであります。



 4.  第20講 
病的新生物の形態と本質

 
 近年いろいろの名前がますますさかんに用いられるようになりましたが、いずれもせいぜい代用品以上のものではない、例えば コロイド Colloid がそれです。この言葉は、今世紀の始めにラエンネックが、ある形の腫瘍――かれがその硬度から、半ば固まったニカワに近似、と記載した腫瘍に用いたものですが、それは、十分に発達をとげた形では、無色または淡黄色調の、半ば流動性を残したゼラチンであり、全体としてはほとんど無構造の性状を示します。

 
 以前にはこの種の状態を、膠状gallertartigとかゼラチン状gelatinisと呼んでなんの支障もなかった、ところが近ごろの研究者、しかもその多くは、より高次の洞察を示すつもりなのか、膠状腫瘍Gallertgeschwulst とか 膠状質Gallertmasseに代えて、コロイド腫瘍Colloidgeschwulstあるいはコロイド質Colloidmasseについて語るようになったのです。
  しかし諸君は、この名称をもっともしばしば口にする人々が、そのことによって、ほかの多くの人が平凡に膠状腫瘍あるいは単に
膠状質と呼ぶものと、なにか違ったものを云い表わしていると考えてはなりません

 
 私たちは、言葉というものを、はっきりした意味を伝えるために使うように慣れるべきであり、したがって、いったん組織学的分類に向って歩き出した以上、もう膠状腫瘍にたいしてコロイドなどという表現を用いるべきではない、このようは表現はなんら組織学的な価値をもたないのでありまして、たんなる外観、あらゆる種類の腫瘍が、条件次第で呈しうる外観を云い表わしたに過ぎないのです。もとはといえばラエンネックですが、かれが、胸膜の線維素性滲出物のコロイド状転化について語ったとき、後世に禍をのこしかねない道を開いたのです。


 ④
 形態と本質における多様性 ― コロイド


  ここでの主要な困難は、たんなる形態とその本質との違いを認識しようとしないことに基づいています。たとえばコロイドの名称を用いるのに二通りのやりかたがあります。 その名を、[ コロイドの物性、あるいはコロイド組織の形態的性格ではなく ] たんにある種の外観を示すものとして用いるのであれば、さまざまの腫瘍に「コロイド」を冠することによって同種の他の腫瘍から区別することができるでしょう。
 コロイド癌、コロイド肉腫、コロイド結合織腫瘍などというわけです。この場合、
コロイドcolloidは、膠状gallertig となんら変りません。



  ~・・・・  ~・・・   ~・・・  ~・・・・  ~・・・


  


 
 第6章 『資本論』の 
Gallert・膠状物(凝結物)とゲル化 


  私たちは、1817年~1858年ヘーゲルからウィルヒョウに至る生命科学史をたどってきました。
 ここから見えてきた西洋の生命観 ―
細胞とGallertの具体的な概念装置 ― をイメージすることが可能となり、『資本論』に登場する「Gallert」を分析する準備ができました。
 
 最初に「
価値と Gallertの関係 」を要約しておこう。

1.
 価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物〔blose Gallerten menschlicher Arbeit〕であるが、
 人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは
凝結した〔gerinnen : ゲル化した〕状態で、すなわち、対象的な形態で価値となる。

2.
  この物体〔等価形態にある上衣〕にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の凝結物 〔 Gallerte von Arbeit:労働のゲル化である。

3.
 一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素 〔Element〕 に表現される。
 〔亜麻布20エレ=上衣1着または=茶10ポンドまたは=コーヒー40ポンドまたは=小麦1クォーターまたは=その他〕
 すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に
無差別な人間労働の凝結物〔als Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit〕として現われる。

4.
 こうしてGallertは、商品世界の成素形態として「価値」を形成する。

 そして、「
単純なる商品形態 〔Element亜麻布20エレ=上衣1着〕 は、貨幣形態の萌芽〔胚細胞der Keim der Geldform〕になるのである。
 
 さあ、ご一緒に出発しましょう。



   
 『資本論』のGallert・膠状物(凝結物)とゲル化



 
1).
第1章第1節 商品の2要素


 「われわれはいま労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮することのない、人間労働力支出の、
 単なる膠状物〔eine blose Gallerte〕(*注1)というもの意外に、労働生産物から何物も残っていない。
 
これらの物は、ただ、なおその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累積されているということを表わしているだけである。これらの物は、おたがいに共通な、この社会的実体の結晶として、価値―商品価値である。」

  
(*注1)最初にGallertは「単なる膠状物」として始まるが、価値形態が展開されるにつれて、貨幣の胚細胞へと成長分化してゆきます。お楽しみに。




2). 第1章第2節 
商品に表わされた労働の二重性


 
「上衣や亜麻布という使用価値が、目的の定められた生産的な活動と布や撚糸との結合であるように、上衣や亜麻布という価値が、これと反対に、単なる同種の労働膠状物 〔 blose gleichartige Arbeitsgallerten〕であるように、これらの価値に含まれている労働も、布や撚糸に対するその生産的な結びつきによるのではなく、ただ人間労働力の支出となっているのである。上衣や亜麻布という使用価値の形成要素は、裁縫であり、機織である。まさにそれらの質がちがっていることによってそうなるのである。それらの労働が上衣価値や亜麻布価値の実体であるのは、ただそれらの特殊な質から抽象され(*注2)、両者が同じ質、すなわち人間労働の性質をもっているかぎりにおいてである。」
   

  (*注2)有用性、使用価値の「形成要素Bildungselement」が抽象されてくる。




3).  第3節 
価値形また交換価値 A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
   

    2 相対的価値形態


 
① 「価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物〔blose Gallerten menschlicher Arbeit〕(*注3)であると、われわれがいうとすれば、われわれの分析は、これらの商品を価値抽象に整約するのではあるが、これらの商品に、その自然形態とちがった価値形態を与えるものではない。一商品の他のそれにたいする価値関係においては、ことはちがってくる。その価値性格は、この場合には、それ自身の他の商品にたいする関係によって現われてくる。」

    (*注3)1.なぜかGallertが「凝結物」と翻訳・変更されている。
     
1. この段階では、自然形態(有用性、使用価値の形成要素)の変換はまだ生じていない。

 
② 「だが、亜麻布の価値をなしている労働の特殊な性質を表現するだけでは、充分でない。流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは凝結した〔gerinnen : ゲル化した〕状態(*注4)で、すなわち、対象的な形態で価値となる。人間労働の凝結物〔Gallerte〕として亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にも存する「対象性」として表現されなければならぬ。課題はすでに解決されている。

 
(*注4)1.「凝結した」のドイツ語原文はgerinnen:ゲル(ドイツ語Gel)化した(自然形態の状態変換)場合に使用される。現代では一般的にゲル-ゾルのコロイド化学で使用される。

2. 自然形態は、ゲル化した対象的な形態に変換されることになる。
3. ゲルの例:ゼラチン(主にコラーゲンを主成分とするタンパク質のゲル。

4. ゲル化:液状のゾル状態から固体状態に変換すること。




 4). 
第3節 A  3 等価形態 

 
「われわれはこういうことを知った、すなわち、商品A(亜麻布)が、その価値を異種の商品B(上衣)という使用価値に表現することによって、Aなる商品は、Bなる商品自身にたいして独特な価値形態、すなわち等価の形態を押しつけるということである。」
 「等価のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現〔具体化するverkorpern〕として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。したがって、この具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる。・・・亜麻布の価値表現においては、・・・この物体〔等価形態にある上衣〕にたいして、人は、それが価値であるという風に、 したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の
凝結物 〔 also Gallerte von Arbeit 〕であるというように、みなしてしまうのである。このような価値鏡を作る(*注5)ために、裁縫〔上着をつくる労働〕自身は、人間労働であるというその抽象的な属性以外には、何ものをも反映してはならない。」
    
 
(*注5)商品の価値表現は、労働のGallertを映し出す「価値鏡(価値を映し出す概念装置)を作る」こと。




 
5). 第3節 B 総体的または拡大せる価値形態


     1 
拡大された相対的価値形態


 
「一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素〔Element〕に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物 〔 als Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit〕として現われる(*注6)。なぜかというに、価値を形成する労働は、いまや明瞭に、一切の他の人間労働がそれに等しいと置かれる労働として、表わされており、その労働がどんな自然形態をもっていようと、したがって、それが上衣に対象化せられようと、小麦や鉄または金等々に対象化せられようと、これを問わないからである。したがって、いまや亜麻布は、その価値形態によって、もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、商品世界と社会関係に立っているのである。それは、商品としてこの世界の市民なのである。(*注7)

  
(*注6)

1. 使用価値の「形成要素Bildungselement」が抽象されて、「価値」は商品世界の無数の成素Elementに表現される。
2. 拡大された価値形態において真実に
凝結物Gallertとして現われる。

 (*注7) 
亜麻布商品は、Gallertとして商品世界の市民となる。ウィルヒョウを参照のこと。




 6). C 一般的価値形態  1 
価値形態の変化した性格

 
「商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容〔Wertgestalt〕であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身〔sichtbare Inkarnation受肉として、一般的な社会的な蛹化〔gesellschaftliche Verpuppung:サナギになること〕としてのはたらきをなす(*注8)。

 
「労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物〔blose Gallerten unterschiedsloser menschlicher Arbeit〕として表示する一般的価値形態は、それ自身の組み立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示する〔offenbart〕のである(*注8)。
 
   
 (*注8) Gallertは、眼に見える化身・受肉の結果、商品世界の内部で、ある社会的な性格を形成するのである。これを啓示する。
→貨幣形態へ




 7).  D 
貨幣形態


 
貨幣形態という概念の困難は、一般的等価形態の、したがって、一般的価値形態なるものの、すなわち、第三形態の理解に限られている。第三形態は、関係を逆にして第二形態に、すなわち、拡大された価値形態に解消する。そしてその構成的要素konstituierendes Elementは第一形態である。すなわち、
 亜麻布20エレ=上衣1着またはA商品x量=B商品y量である。
 したがって、単純なる商品形態は貨幣形態の
萌芽〔胚細胞〕der Keim der Geldformである。


 <資本論ワールド編集委員会より>

 お疲れ様でした。『資本論』入門編で、一気に「貨幣形態」まできてしまいました。ジェット機から宇宙ロケットに乗り継いだみたいですね。でも安心してください。価値論の中間ステーションがチョッピリ見えてくれば、これからの世界旅行を実りある豊かな旅先案内となります。今はチンプンカンでも、5月号インターシティエクスプレス高速鉄道の旅路がぐっとバラエティに富んだものになることでしょう。
お楽しみに!!