資本論用語事典2021
Element の探究 1
資本論ワールド 編集部 はじめに
Element (ギリシャ語:stoicheion) の発見と展開
~ Form-Elemetarformについて ~
1. 紀元前7~6世紀、古代ギリシャ・ミレトスは、イオニア地方(現在のトルコ領)の有力都市で、ギリシャ最初の哲学者の人びと-タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネスが活躍しました。エジプト・メソポタミア文明とエーゲ海文明など、古代世界とギリシャを結ぶ海上交易の要所として繁栄しています。
また、イオニア地方の隣国のリディアでは、前7世紀に史上初めて鋳造貨幣・エレクトロン貨(少量の銀を含む金硬貨)が発明されています。
2. タレス(前624-546頃)は、エジプトで測量術を学び、「水」を世界の起源・自然界の要素として説明を開始しました。アナクシマンドロス(前610-546年頃)は、万物の根源・アルケーを「無限なもの」として、無規定的な存在の概念化を進め、つぎのアナクシメネス(前585-528頃)は、万物の根源アルケー archēを,不断に運動する「空気」であるとして,その濃厚化と希薄化とによって生成・変化する自然界の一元論的説明を試みました。
3. これらのミレトス学派からマグナ・グラエキア(古代ギリシャ人が植民した南イタリア一帯方面)の科学哲学思想家群にたいして、アリストテレス(前384-322年)が総括的にとりまとめを行なっています。
4. アリストテレスの『形而上学』(第1哲学)と『自然学』には、古代ギリシャ哲学者の多様な見解が「哲学史」として取り上げられ、歴史的に、かつ論理的に 「
Element-Form-Elementarform 」 が展開されています。
5. 資本論ワールド編集部では、これまで紹介したテキスト群と最新のデータを加えて「資本論用語事典2021」に統合してゆきます。(その第1部では、『資本論』第1章~第3章の参考資料に役立つよう編集予定)。
こうして 「資本論ワールド」では、第1章冒頭から西洋哲学史-リディアの金コインと古代ギリシャ世界の「富・Element 」-が開始されてゆきます。
「 資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である社会の富は、「
巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり(物神性の集合体) 〕」として現われ(現象し)、個々の
商品はこの富の 成素/構成要素の形態 〔Elementarform:元素の形式〕 として 現われる 〔erscheint・ヘーゲル現象学〕。」
目次
Element の探究 1
1. Elementの発見と展開
2. 『資本論』の[ Element ] 本文の抄録
-Element の形式活動 と Elementarformの成立-
・・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・
1. Element の発見と展開
Ⅰ. 今道友信 『西洋哲学史』 講談社 1987年発行
Elementの発見と展開
Ⅱ. ロイド 『初期ギリシャ科学』 法政大学出版局 1994年発行
比例と変化の問題-原子論
(1)ピュタゴラス (2)エンペドクレス (3)デモクリトス
Ⅲ. アリストテレスによる 「構成要素 stoicheion-Element 」の哲学史
1. <コラム23>アリストテレスの形相eidos, 可能態(dynamis デュナミス)
-存在のElement- ガスリー著『ギリシャの哲学者たち』
2. アリストテレス『形而上学』、『自然学』。 『大自然科学史』
(1)「存在論」
(2)「転化の諸原因とその追求」
(3)「四元素説」と第一哲学
( Ⅳ. マルクス-学位論文-1841年 ) ー作業中ー
『デモクリトス自然論理学とエピキュロスの自然哲学の差異』
「 序 この論文ははじめは、博士論文として書かれた。・・・またわたしはこの論文で、ギリシャ哲学史においてこれまで解決されていなかった疑問の一つを解決できたと考えている。・・・以下、省略・・・」
「 結 論
第一部の結論のところで確認したデモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異は、自然のすべての圏域でさらに展開され、確認されている。エピクロスでは原子論は、そのすべての矛盾とともに、自己意識の自然学となる。原子論は抽象的な個別性の形式で絶対的な原理となり、その最高の帰結にいたるまで原理が追求され、完成する。そしてこの究極の帰結において原子論は解消され、普遍的なものと意識的に対立することになる。
これに対してデモクリトスにとっては、原子は経験的な自然探求そのものを一般的かつ客観的に表現するものである。だからデモクリトスにとっては原子は、純粋で抽象的なカテゴリーであり、仮説であるにすぎない。この仮説は、経験のエネルギーにみちた原理として働くのではなく、その結果なのである。だから原子は実現されることのない仮説であるにとどまる。デモクリトスが実際に行う自然研究が、原子によって規定されることはないのである。」
.......................................................................
Element の探究 1
Ⅰ 今道友信 『西洋哲学史』
Element の発見と展開
〔目次〕
〔 Elementの探究 1 自然哲学のはじまり 〕
1. 古代ギリシアこそ西洋哲学の源泉
1. 二つの命題
1-1 哲学用語について
1-2 哲学はタレースから始まる
1-3 タレースに関する3つの文章
1-4 タレースは自然哲学の開祖
〔 Elementの探究 2 論理的なアルケー・原理 〕
2. ソークラテス以前の哲学
2-1 東の哲学――自然学と唯物論
2-2 西の哲学――論理学と宗教性
2-3 デーモクリトスの原子論
2-4 アリストテレースの形相とは
2-5 精神で本当のことを見ようとする努力
2-6 哲学は人間に生きることの意味を教える
...............................................
Ⅰ 今道友信 『西洋哲学史』
Element の発見と展開
〔古代前期 哲学用語〕
第1章 古代前期
Ⅰ 古代ギリシアこそ西洋哲学の源泉
1. 二つの命題
ギリシア哲学の基本的な問題について、テキストに基づいてお話しします。二つの命題から話は始まることになります。命題(thesis)というのは、哲学上の主張をのべた文章を申します。第一の命題は、「物にはすべて始まり、起源がある」ということでございます。
この起源、すなわち始まりのことを、ギリシア語ではアルケー(ἀρχἠ)と申します。ローマ字に直しますと、archêとなります。このアルケーというのは、ラテン語に訳されますとprincipiumと呼ばれまして、英語ではprincipleとなり、日本語では、原理と申しております。原理という日本語だけを読むと、根本的な理由とか、理論とかという印象をおもちになる方が多いと存じますが、このアルケー、すなわちプリンチピウムのもともとの意味は、「始まり」ということなのです。
「始まり」とは根源であり、もっとも原的な根拠、基本的な筋道でありますが、その筋道のことを理と申します。大理石なども大きな筋のある石という意味です。それで、原理とは根源、始まりのことでございます。第一の命題は、「物にはすべて始まりがある」ということであります。
第二の命題は、「始まりが成り立つところには、つねに飛躍があった」ということであります。この二つの命題を認めることなしには、哲学の起源をお話しすることはできません。
私どもの周囲では、しばしば、西洋の科学文明と東洋の精神文化が対立するという説や、これの展開として、西洋の科学技術に対して、東洋には深い哲学がある、といわれるのを聞くことがございます。たしかに私どもが、航空機や、原子力や、電力による通信機械、すぐれた手術の方法、さまざまの科学兵器などを考えてみますと、それらはすべて西洋文明として、西洋で確立され、そこで発展してきたものだということに気がつきます。
他方、これに対して沈黙の苦業や、座禅による深遠な思索、老荘の無の哲学などが、東洋の文化として対比されるのをみますと、あたかも哲学は東洋のものであり、西洋には科学しかないのかと思われることもございましょう。しかし、そう簡単にいえないことは、直ちに気づかれることでしょう。
たとえば、プラグマチズム、実存主義、現象学や構造主義など、20世紀になっての哲学の新しい考え方や、方法にしても、西洋において成立したものであるということは、どなたもご承知でしようし、日本でも哲学史上の巨人として一般に挙げられる名前は、プラトーンや、アリストテレース、アウグスティーヌス、トマス・アクィナス、デカルト、パスカル、スピノーザ、カントやシェリング、ヘーゲル、ニイチェ、ベルクソンなどで、西洋のほうが多いのではないかといわなければなりますまい。
さて、そうなりますと、西洋には厳として哲学の伝統があるといわなくてはなりません。昔から人間の生き方について教えると同時に、みずからその模範を示した世界の四聖として4人の名前が挙げられることがございます。すなわち釈迦、孔子、ソークラテース、キリストです。このうち、釈迦やキリストを、人といってすましてよいかどうかということは問題なのです。それらふたりは、とにかく偉大な宗教の開始者でした。
そこで、残った孔子とソークラテースのふたりは、人の生き方について教えた学者ではありますが、何者であるかと申しますと、それぞれが東洋と西洋とにおける人間の哲学の始まりであるということになります。このように考えてまいりますと、西洋にはたしかに厳として存在する哲学の伝統は、ソークラテースの生きた古代ギリシアと無縁ではない。否、むしろこのソークラテースこそが、またこのソークラテースの生きた古代ギリシアこそが、西洋哲学の源泉ではないかという感を深くいたします。
2. 哲学用語について
そこで、これを確かめるために、哲学で使われているいくつかの術語から考えてみることにしましよう。倫理学、これはだれでも哲学の一つの分科であるということを否みませんが、それはご承知のとおり、英語ではethicsといわれますし、フランス語ではethique、ドイツ語でもそれと似たような言葉でEthikであるということは、皆さまそれぞれお習いになった語学を思い出してごらんになれば、すぐわかることです。
なぜこのように似ているかといえば、いずれも、もともとラテン語のエティカ(ethica)という単語に由来しているからです。しかし、ヨーロッパ近代語の基となっているラテン語のエティカそのものは、ギリシア語のエートス(ἠθος)すなわち風習や人柄とか性格とかをあらわす言葉に基づいていて、ギリシア人がこしらえたエーティケーという語に由来するものであります。詳しくはヘー・エーティケー・フィロソフィアー(倫理哲学)という呼び方をしたストラトンのような人もいましたが、多くは、中性複数でタ・エーティカと申しております。人柄、あるいは性格に関する学問、こういう意床であります。
日常の会話で、日本語でさえも「君の言い方にはロジックが足りない」などと言いますが、ロジック、論理というのは大ていのヨーロッパの国語ではlogicという英語の形に酷似した語形ですが、これもラテン語のlogicaから派生し、それはギリシア語の論理とか、考えとか、語とかというような意味のロゴス(λόγος , logos)に基づいた、ギリシア語のlogikêに由来しております。
このような古くからある学問の名称ばかりではなく、近代になってよく使われるようになりました哲学の用語からも例をとりましょう。たとえば、現象学があります。私どもはそれがヘーゲルの現象学であれ、フッセルの現象学であれ、フェノメノロギイ(phänomenologie)という単語を使います。この語のなかで、現象というのはフェノメーン(phänomen)といっておりますが、これはギリシア語で「あらわれ」という意味の(phainomenon)という言葉に由来し、logieのもとはlogosですから、全部ギリシア語です。
また、論理的に物を考えるときに範躊論が大事な課題になりますが、この範躊という原語のカテゴリーは、ギリシア語で命題の述語という意味のカテゴリア(χατηγορἰα)に由来しております。それらは古い時代、プラトーンやアリストテレースのころからギリシアで使われていたのです。
こういう簡単な確かめをしてみただけでも、ギリシアは現代西洋に脈々として息づいている哲学の、それを成り立たしめる言葉のもとになっているということは、ほとんど否みがたいことです。否、哲学という単語すら、もともとギリシア語で「知恵の愛」という意味であった――フィロソフィア(古希: φιλοσοφία、philosophia )という言葉は知恵(σοφία)への愛(φιλἰα)ですが、そういう意味であったということを思い出してみなければなりません。哲学上の術語にはギリシア起源が多いのです。
3. 哲学はタレースから始まる
最初の二つの命題に立ち戻ることにいたしましょう。突如として、古代ギリシアのときに西洋では、学問的研究が始まったといってよろしいと思います。物にはすべて始まりがあるというのが、第一の命題でした。たしかに古代ギリシア以前にも、エジプトの文明やイスラエルの文化などが、ギリシア人たちがまだ文字を知らないころから、文字で書かれた文化財を形成し、独特の宗教的神話を伝承としてもち、見上げるようなピラミッドや、神殿を築いたりしておりました。
こういうことは、何らかの意味の知識がなければできないことであります。しかし、なぜそれらの国に厳密な意味での哲学というものがなく、古代ギリシアから学の名に値する哲学が始まるのか、これは大きな問題として、私どもが考えなければならないことであります。
物事をただ記述するだけではなく、物事を説明することは、文化の始まりであるといってよろしゅうございましょう。かりに言葉で記述することはできなくても、犬は自分の前に起きている現象をみて、それなりにそれに応じた行動をとる。ということは、自分の目の前に起きている現象をみて、それなりにそれみ応じた行動をとる。ということは、自分の目の前に起きていることを記述する、そしてその記述に対応して行動するということであります。ところが、人間は記述から行動に移るほかに、記述したような事態が、なぜ起きるのであろうかということを問い、これを説明することを求めますが、これが人間の文化の始まりになってまいります。ここで記述とは、事態の状況を知覚することを含みます。
説明は、しかし神話によっても可能ですし、思い込みや、想像でもできなくはないのです。・・・中略・・・
ところが、ギリシア人たちのなかから、それはもちろんわずかの数の人ではございましたが、物事をたんに説明するだけでは飽き足らずに、物事をその根底から徹底的に考え直そうとして、つまり経過の記述的な説明ではなく、原理の探究に徹しようとした人びとが出てまいりました。それがイオニアのギリシア植民地にあるミレートスという所に生じたミレートス学派といわれる一団であります。
この始祖と申しましょうか、ミレートスで最初に学問的な活動を始めた人がタレース(Thalēs)という人であります。ふつう日本では「ターレス」と呼んでおりますが、ギリシアでは「タレース」というのです。タレースといえば平面幾何学、つまりユークリッド幾何学の基礎になるいろいろの原理を発見した人としても知られておりますが、哲学は、このタレースから始まるといわれております。タレースは、紀元前640年ころに生まれで、548年ごろに死にました。紀元前6世紀の人、孔子のころの人です。
4. タレースに関する3つの文章
さて、タレースについては、どういうテキストがあるかと申しますと、プロクロスという西暦紀元後5世紀の哲学者の人の伝えによりますと、タレースに関して次のような記録がございます。「タレースはエジプトで測地学を学んだ。<測量学といってもよろしいのでしょうが、ギリシャ語でゲオメトリア(geometria)――ゲー(gē)というのは今日のgeometry(幾何学)の語源にあたります。エジプトでタレースは、その土地を測る学を学んだ>しかし、自分でも多くを発見し、のちの人びとのためにも多くの事柄の基礎を置いた」という記述になっています。・・・中略・・・
二番目〔二〕に、ヘーロドトス(Hērodotos)――ふつう日本では長音を略して、ヘロドトスといわれているギリシャの歴史家ですが、そのヘーロドトスの伝えによりますと、「タレースは昼が突如として夜になった現象の起きた年を予言した」という記述がございます。・・・ソークラテース以前の詩人哲学者のクセノパネースという人も、タレースのこの予言に言及しております。
〔 Elementの探究1 タレース-自然哲学の開祖 〕
5. 三番目〔三〕に、有名なアリストテレースの伝えるところでは、「タレースは質料に属する原理のみを、すべての原理と考えた人のひとりであり、水をもって、その原理としている」とあります。一般にゆきわたっているシツリョウという発音では、科学のほうで使われる質量不変の法則というのがあるために、質料とせず、質量と書く大が哲学の初学者に多いのですが、それは自然科学の術語で、哲学では「シツリョウ」と申しますのは「質料」と書きます。そして、質料とは材料という意味です。
材料のままでもよかったのでしょうけれども、それではあまりにも日常語になってしまいますから、質料といいならわしております。もともとのギリシア語はヒューレー(hylê)と申します。ヒューレーのもとの意味は、森とか、材木の意味で英語のwoodに似ています。ですから、字のとおりの日本訳でしたら、「材料」のほうがよかったかと思うのです。・・・・
最初のころの施設は全部木でできておりましたし、木をいろいろなものに使っておりました。それで、材木(ヒューレー)という単語を哲学上の質料という意味に使うことになりました。それを、ラテン語の世界ではマテリア(materia 質料)というように、哲学的に訳したのです。翻訳しますと、多くの場合、具体的イメージはくずれて抽象的になります。
さて、もういちど申し上げますと、アリストテレースの伝えるところでは、「タレースは、質料〈つまり材料〉に属する原理のみを万物の原理と考えた人のひとりであり、水をもってその原理としている」ということです。
6. タレースは自然哲学の開祖
ここで注意すべきことは、タレースに関するこれら三つの文章は何を意味するのかということです。(一)は、エジプトの実際的な土地測量術を幾何学にしたということ。(二)は日食の予言ということ。この(一)と(二)は、いずれも、同じ方向を示しています。大地を測量する術を、その基本原理としての幾何学に仕上げ、航海のかじをとる便利のために構成していた星の位置を知らせる星座の星学、アストロロギーアを、遠い将来の天体の動きを予測できる天文学に仕上げたということ、つまり、実地の技術的知が原理に上昇する方向です。
ですから、ディオゲネース・ラーエルティオスというギリシア人の哲学史家は、タレースを天文学の創始者として書いております。(一)と(二)でいったタレースの仕事は何かというと、自然の二つの研究領域、つまり土地という自然についての幾何学、それから星という自然の領域についての天文学、という具合に、それぞれに妥当する専門科学をタレースはつくり上げた、こういうことになると思います。
しかし、専門科学はまだ哲学ではありません。三番目(三)の文章でいわれたことは何かということであります。(三)では、タレースは質料に属する原理を万物の原理と考えた人のひとりで、水が原理であるといっているというのです。その意味はいったい何か。土地や、星や、山というような一つ一つの自然現象ではなくて、自然現象全体にわたる統一原理を求めようとしたところに、タレースの特色があるのです。
なぜ水をもって万物の原理だというのか、という理由は、タレースのそれについての書物が残っておりませんのでわかりませんが、アリストテレースがいろいろ推測した記事がその『形而上学』という書物の第1巻に見られます。それによりますと、すべてのものの養分が水気を帯びている、ということも挙げられていますし、宇宙の変化のなかで、熱さえ水からできるといい、水が生成変化の原理ではなかろうか、とも考えていたようであります。
それは、どういうことかと申しますと、海の水が蒸発して雲になり、その雲から雷火がきらめいたり、落ちたりするので火も水から生じたことになるし、その雲がまた雨になって降ってきたりするというようなことを考えますと、何か宇宙の大きな動きが水の自己展開的な運動に見え、さらにまた、水のなかに濁ったものがあって、それが固まって土になるという変化を観察することから、水のなかに液体と固体と気体の循環を見ることができるということも、その理由の一つではなかろうかといわれております。
しかし、その理由が何であれ、ここでは自然現象全体にわたる統一原理を究極の原理として探究しようとした努力がある。そういう意味では、タレースは部門科学、あるいは専門科学ばかりでなくて、自然哲学の開祖であるといってよろしいと思うのです。水をもって原理とするというところでは、人間の精神の問題は論じにくいと思います。ですから、アリストテレースも質料に属することを原理として探究したというふうに注意深くいっております。そこで私どもは、タレースは自然哲学の開祖であると、このようにいうことができると思います。自然に関する限りは、唯物論でもあります。
〔 Elementの探究 2 論理的なアルケー 〕
2 ソークラテス以前の哲学
1. さて、タレース以後、ソークラテースが出てくるまでの哲学を、「ソークラテース以前の哲学」と申します。ディールス(H.Diels)という学者がこの時期の哲学者たちの言ったり書いたりしたことが言及されている文章を編集して、『Fragmente
der Vorsokratiker (ソークラテース以前の人びとの断片)』という書物を公にして以後、こういう呼称が定着いたしました。
この時期には、のちの古典期でのギリシア文化の中心といわれるアテーナイでは、悲劇が前6世紀ころを中心に栄え、次いで前5世紀後半には古喜劇も生まれ、これらが思想展開の場でありましたが、論理的なアルケー探究としての哲学は、東の小アジア植民地と西のイタリア植民地でおこなわれていたのです。そして、東の哲学が自然学と唯物論、西の哲学が論理学と宗教性という特色を一般的にはもっていますので、東と西とに分けて、そのなかで時代順に論じ、これらのまとめとして、デーモクリトスについてお話ししましょう。この人は本当はソークラテースよりも少し若い人ですが、慣例にしたがってソークラテース以前に入れておきましょう。
3 東の哲学――自然学と唯物論
2. さて、タレースの弟子はアナクシマンドロス(Anaximandros)です。この人は、タレースの探究精神に従って、宇宙の根本原理を求め、それは無限に尽きることのないものであらねばならない、と考え、水ではアルケー(原理)には不十分であるとして、「無限定者
ト・アペイロン」という概念を呈示しました。おそらく、この概念によって、アナクシマンドロスは、ある限定されない根本物質を考えたのだと思われます。このト・アペイロンが告げられている文は、シムプリキオスという自然学者の著書のなかに引用されているのですが、そこに続けて、「生成する事象は、時の秩序に従って、相互にその不正をあがなわなくてはならない」とあります。生々流転の世界はこの無限者の前に悪とさえ映じるのでしょうか。この後を継いだ前6世紀のアナクシメネース(Anaximenēs)は、アナクシマンドロスの無限定者に当たるものが空気であると考え、これをアルケーとしました。
このように、アルケー(原理)としてあげられた根本物質が生きて動き千変万化する自然学説を物活論(hylozoismus)と申します。ギリシアの東、小アジアのイオーニアの植民地には、この物活論が栄えます。その伝統を築いたのは、ミレートス学派3代百年間の努力が実ったものと思うべきでしょう。この学派はアルケーを求める態度では先師を模範としますが、みな結論的には独自の説を提示しています。こういうところが宗教とは違う哲学の学派たるゆえんです。この反立〔哲学で、特定の肯定的主張に対する特定の否定的主張。弁証法においてヘーゲルが説いた、定立(ていりつ)、総合とともに三契機の一つ。反定立。アンチテーゼ。-精選版日本国語大辞典の解説-〕の精神は学派の外ではいよいよ活発です。・・・・
ややおくれてエフェソスに生まれたヘーラクレイトスは、生成を否定するこの考えに反対し、クセノパネースのように確固不動の世界観はあやまりで、「万物流転」という考えをもちます。その原因は「戦いが万物の王」だからです。つまり万物はその生成において相互に戦わなくてはならず、その理法は火をもって象徴されます。火は自己が燃えさかるために自己の座である木片を亡ぼしてゆくのです。こうして、火は矛盾の象徴になります。彼においては、存在は矛盾を含んでいるのです。
その一世代あとにクラゾメナイに生まれたアナクサゴラース(古希: Ἀναξαγόρας, Anaxagorās 前500-428年)は、生成消滅はないと考えます。ただ生成消滅にみえるのは、それぞれ一定不変の性質を備えたいろいろな種類の元素のようなものがあって、それが混合したり分離したりするからにほかならない、と申します。そして、この元素に当たるものを「種子〔根源的構成要素スペルマタ
spermata〕」と呼びます。この無数の種子が混沌状態にあったとき、渦巻運動を与えて秩序にもたらしたのは「精神ヌースnūs」である、といいます。このヌースは世界精神のようなものであります。
ところが、前440年ころに生まれたレウキッポス(Λεύκιππος, Leukippos)は、ソークラテースの同時代者になりますが、原子論を唱えました。彼の原子(άτομο)は、不可分なるものという意味で、今日のアトムの原語になりますが、アナクサゴラースの種子が質的差異をもっていたのに対し、まったく量的な差別しかないもののようです。こうして、自然は物活論から転じて微粒子の機械論の対象になろうとしています。これがギリシア東方の自然学の全体的素描であります。
4 西の哲学――論理学と宗教性
3. さて、西方の哲学はどうであったか、と申しますと、まずオルフェウス教の影響を述べておかなくてはなりません。魂の不死とその輪廻転生を教える宗教で、多分、典礼のためと思いますが、音楽を大切にしていましたし、古い宗教の常として医術ももっておりました。ですから、伝説的人物としてのムーサイオスの語として、「技芸は常に体力にまさる」というのがあります。これでわかるように、自然の営みよりは人間の営みのほうを大切にしています。
この宗教から出た有力な哲学者は前540年ごろにアクメー(40歳ごろの盛年)であったピュタゴラースです。この人は南イタリアのクロトーンに教団を作り、共同生活を通して研究と思索を深めました。半ば伝説上の人物で、彼個人がどのように考えていたかはよくわかりませんが、ピュタゴーラース学徒の思想として大事なことは二つあります。まず、ソーマ・セーマの説、すなわち肉体は墓である、ということで、魂が神のもとにあり、それが流謫〔るたく:罪によって遠方へ流される〕の運命によって物体に宿るとき、あるいは犬となり人となる、と考える説で、これはソークラテースやプラトーンにも伝わり、後述の想起の仮説に影響を与えていますが、この世の生は魂にとっては囚われであり、死であります。
次に、宇宙の恒常的存在を数としていることです。これが整数としての数のことか、数的関係のことなのか、いくら断片を調べても私にはよくわかりませんが、星座は位置を変えても、中心火との距離は変わらないように、事物が変化しても、数的関係は変化しない、とみるべきでしょう。
この比例重視は音楽理論を完成させます。弦の長さの比が音階を形成するからです。このことから、数を神秘化し、スミルナのテオーンによると、一は思索、二は学問というように、特定の数は特定の力をもつという考えもあったようです。これはミレートス学派の質料的なアルケーに対してまったく異質の観念的実在を原理として立てたことになります。・・・・
しかし、哲学としてさらに重要なのは、エレア学派です。
4. パルメニデース(Παρμενίδης, Parmenidēs)は前6世紀後半にイタリアの西海岸エレアに生まれた哲学者です。一説によると、イタリアに来たクセノパネースの弟子となったのですが、アナクシマンドロスに教わったとも、アメイニオスというピュタゴラース学徒に習ったともいわれています。これはつまり、パルメニデースがそれまでの一切のギリシア思想に卓越していることを意味しているのでしょう。彼が志向するところは、もはや原的質料としてのアルケーの探索ではなく、存在と論理の根本思想に徹することでした。それは「在るものは在り、在らぬものは在らぬ」であります。在るものを在りとし、在らぬものを在らぬとすることが正しい認識ですから、存在と思惟とは一致しなくてはなりません。ですから、彼は「思惟することと存在することは同一である」というのです。
この独特の同一律によって、彼は基本命題の演繹的展開のうちに、在るものの本性を明らかにしました。存在は不生不滅で永遠です。なぜならば、もし存在が生じたものであれば、存在からか非存在からかのどちらかからですが、存在から生じたのなら、存在の前に存在があっだので存在が生じたことにはならないし、非存在から生じたのであるとすれば、非存在はもともと思惟されず、したがって、考えられないものであるから、それから存在が生じたなど、不合理としなければならない。こうして存在は、不生不滅、永遠でなければならない、ということになります。
ところで、もし存在が可分であるとすれば、存在と存在との間に存在でないもの、すなわち非存在があらねばならないことになりますから、不合理になりますので、結局、存在は不可分で唯一のものとなります。ですから、変化とか雑多など、知覚の認めているものは感官の誤りに過ぎない、というのです。こういう徹底した論理主義は、思考の重みという点で、ギリシアに本当の哲学を根づけた営みである、として高く評価すべきことです。このような在るものすなわち存在を「完き球の塊のごとし」といったことについては、パルメニデースが結局在るとは空間を充たすことであると考え、在らぬとは空虚のことと考えていたに過ぎず、質料性から脱脚していない、という批判もあります。しかし言語は象徴で、不変不動のことも「巨大な鎖に縛られる」と形容したパルメニデースが存在を「完全な球のように」と言っているのは、在るものの在り方を完全性の象徴としたととるべきでしょう。・・・・
5. エレアのゼノーンとまったく同時代者にシケリアの島アクラガース生まれのエムペドクレース(Ἐμπεδοκλῆς, Empedoclēs前490年頃-430年頃)がいます。私はこの人について多くを述べとう存じますが、その時間のないのが残念です。この人は、土・水・火・空気の四つを万物の根・リゾーマタ (ριζώματα, rizōmata)といい、それらの結合と分離を 愛 ((φιλια, philia)と争いの憎しみ((νεῖκος, neikos)によると考えました。この二つの動因の支配状況によって、宇宙は四つの周期に分かれます。最初は憎しみの世でものの離散した状態でしたから、「土から首をもたない頭がいくつも芽吹き、裸の腕が肩につかずさまよい、眼も顔につかず彷徊した」ときもありましたが、少しずつ愛が萌し、しだいに愛のほうが強まる時期があって、第四には「天球が孤独を楽しむ」ような完全融合のハルモニアの状態がくるのです。しかし、これも少しずつ崩れて、逆に離散に向かい、「時の回転のうちに」「この交替は永遠に絶ゆることなくおこなわれる」のです。後世に神々の世界から追放された人といわれたエムペドクレースは、もっとも魅力ある哲学者の一人でしょう。彼が「万物は思考する」というとき、パルメニデースの存在と思惟の存在論的一致を宇宙論的目的志向にあえて転じる予言者的風貌が浮かんでまいります。
こういうふうに哲学の歴史を学んできますと、アリストテレースが自然学者と呼んだ小アジアの東方と、イタリアの哲学者と呼んだ西方とでは、たしかに自然と宇宙、質料と神、物活論と論理学というような対立があるとみてよいでしょう。しかし、人間は十分出てきません。東では自然を、西では宇宙をというようにして考えてきたいっさいを背景にして、人間を考えるようにしたのが、いずれかといえば西とのつながりの多いソークラテースと、東のしめくくり役のデーモクリトスの二人だと思います。二人は同時代者ですが、慣例に従って、デーモクリトスをソークラテース以前というここで扱っておきましょう。
5 デーモクリトスの原子論
6. デーモクリトス (Δημόκριτος、 Democritus、紀元前460年頃-370年頃)はアプデーラの人で、レウキッポスの弟子といわれ、当然のこととして原子論をとります。しかし、アナクサゴラースのスペルマと係わりの深かったレウキッポスの原子と違って、デーモクリトスの原子には、西のパルメニデースの存在の影響があります。デーモクリトスの原子は、不生不滅のパルメニデースの存在を極小的に分割したものと考えてもよく、かつ、そのように小さく軽くなることによって運動が可能であると考え、運動の場としでの空虚がなければならない、としています。「実際には諸原子と空虚がある」といい切っていますが、これこそ在らぬものが在るということで、生成に執する東の考えが西の巨匠を斬り返しているところです。・・・・
6 アリストテレースの形相とは…
7. このアリストテレース( Ἀριστοτέλης 、 Aristotelēs、前384-322年)は、プラトーンが考えて、神の創造の原型であるとしたイデア、それから、道徳をはじめ価値の理念的極点としてのイデア、精神の目でみなければならない支配的な法則としてのイデアという考え方に対して、現代的なわかりやすい考え方でエイドスを説明しました。これはイデアと同義ですが、彼はこれを好みました。
アリストテレースは18歳のときにプラトーンに弟子入りをしたものですから、プラトーンにならってイデアとかエイドス(είδος 形相)という語を使いますが、後者のほうが多い。形相とは、手っ取り早く申しますと、生物の種(類種関係の種)だといってよろしい。エイドスとは、それゆえ、個物に内在して内的規定原理であるということになります。
たとえばアリストテレースは、有名な言葉、「アントローポス・アントローポン・ゲンナイ」と書きました。これはギリシア語で「人は人を生む」ということです。アントロポスというのは「人」という意味ですが、皆さまこのごろ人類学とか人間学とかいう言葉をお聞きになるでしょうが、文化人類学というときの人類学はアンソロポロジーと申します。アンソロポロジーというのはアントロポスからくる言葉です。哲学では、同じアンソロポロジーというのを人間学といっておりますが、それもアントロポス(人)のロゴス(論理)ということです。
それはともかく、アリストテレースの言葉に戻りましょう。単語の意味がわかると覚えやすくなりましたでしょう。もういちどくり返しますと、「アントローポス・アントローポン・ゲンナイ(人は人を生む)」とアリストテレースはいっております。
これはどういう意味かと申しますと、生物の種別は厳格で、定められた種しか生まない、ということです。犬は犬を生み、猫は猫を生む。それはなぜかといえば、みえざるある原理としてのエイドスが個体内にあって、それが誕生を通じて生物界を支配している。自然界の大きな現象である生殖の秘密を握っているものとして、生物の種があって、それはそれぞれの個体に内在し、そのかぎりにおいて自然の世界のなかにおける動きを支配しつづけている。それから考えつくものに、成立しているあらゆる事物について、それの設計図のようなものとしての形相(エイドス)がありはしないか、という問いがあります。
たとえば大工が家を建築するというときに、あるタイプの設計図ができて、そのタイプに従って同じ形ではあるが、それぞれ違った家をどんどんつくってゆく。形相は同じでも一つ一つ別の家族の住んでいる違った家ができてゆく。そういうことを考えると、形相というのは設計図のようなもので種別の原理であると考えることができ、個別化の原理は物質のほうにあることになります。こうして、生物の種とか事物の設計図というような形で、アリストテレースはエイドス、すなわち形相という存在者をわれわれにわからせるように語りかけました。
7 精神で本当のことを見ようとする努力
8. この形相が設計図であるというのであれば、図面になって外在的なものか、というとそうではない。図面がなくても、つくる人の頭のなかに明瞭に見取図があればそれでよいわけで、それを外化すれば設計図になる、というものです。
設計図というのは頭のなかにある精神の目でみたものを紙の上に書くのですから、設計図がではなく、設計図のもととなる構想が形相だと考えなければならない。そうすると、一言でいうならば、ソークラテース、プラトーン、アリストテレースという、三人のギリシアを代表する哲学者たちは、ちょうど多くの人びとが、縄を使って土地を測っていたときに、夕レースがその縄を手がかりにして、実際の目にはみえない直線を考えていったように、つまり長さだけがあって、幅も大きさもない純粋幾何学的な直線を考えてゆくことができたように、実際の現象を手がかりにして、じつは現象を支配するみえざる世界を考えようとしたということ、多少の違いはあるが、現象を支配するみえざる形相をみつけようとした点では同じになります。そして、それが哲学の原型だといってよろしいと思います。そういう意味においては、ギリシアの哲人たちは、哲学の原型(Urtypus)をこしらえる努力をしていった人たちなのでございます。・・・・・
8 哲学は人間に生きることの意味を教える
9. それで、このことを考えてみると、たしかに哲学というのは、この世の中でどれほどの利益があるだろうと考えてみると、ちょうど空を仰いで小さな穴につまずいたタレースのように、現象の世界で人間の肉体に何の益をももたらさないかもしれない。しかし、現象の世界で肉体がどれほど完全に動くような知識を獲得しても、人間はいずれは死ということに直面しなければならない。その死が、またその死に限られている人間の生が、ほかの動物と違うところはどこにあるのか、を考えてみてください。
人間は死を知っていて、それに向かって何らかの覚悟をすることができるのです。このことは不思議なことといわなければならない。なぜならば、われわれは他人の死をみることができ、それから他人の死体をみたこともある。しかし、死をわれわれが知るというのはどういうことか、というと、実際に目でみたり、実際に人間が自分のものとしては経験しえないものを、われわれは自分の死として心のなかにとらえるのです。このことは何を意味するのか。私どもは、かりに明白にはイデアを知らなくても、平生そのように目にみえないイデアを考えているからこそ、現象の世界にこれとしてみることのできないもの、これとしてつかまえることのできないものである自己の死をすら問題として厳粛に考えることもできるようになるということです。
そしてそういうことを考えてみると、精神の世界でつまずかないようにすることが、人間としては、肉体の世界でころばないようにすることよりも、もっと大事なことかもしれない、と思わしめるのです。たしかに哲学は、人間にとって生きるとはどういうことかを教える学問です。しかし、生きることは何かと教えることは、死に限られている私どもに与えられた時間を、どのように充実させていくか、ということにかかわるのです。
われわれは何も禁欲に徹せよとか、すべて現象をないがしろにせよというのではありませんが、プラトーンが警めた〔いましめた〕ように、本当に目にみえるものだけがこの世で存在するものなのかどうか、目にみえるものはいつか滅びるが、目にみえない法則は滅びない。目にみえるすべてのものは崩れていくが、そのすべてのものを成り立たせている形、たとえばアリストテレースのわかりやすい考えによれば、あの生物の種、人間の種としての形は、私が死んでもどこかに残っているということを考えてみると、たしかに、かならずしも経験のなかで手に触れ、目に見え、舌で味わうというものだけが実在なのではない。感覚的実在の時間性の限りとは異なった永遠の存在があるのではないか。そういう種を存在にもたらし、支配する絶対的存在者がありはしないか。むしろ永遠というものを考えるときに、何が実在なのかを、いちどは問うてみなければならないでしょう。
それは、ソークラテースやプラトーンやアリストテレースがつねに人びとに述べていたことなのです。そして、それが西洋の哲学の輝かしい伝統となってつづいているということを、忘れてはならないと思います。・・・
・・・以下、省略・・・