ホーム

 資本論用語事典2021  
   初期ギリシャ科学

  資本論ワールド 編集部
  ギリシャ科学のはじまりとElementの発見
 アリストテレスの哲学史では、事物の原因の探究は、ミレトスのタレスから始まると主張されます。タレスとミレトス派哲学者-アナクシマンドロス、アナクシメネスなど-は、自然を探究し、科学的思考を構築した、と言われています。自然現象は、規則的であり、確定できる原因・結果の連鎖によって支配されている、という認識を古代ギリシャ世界に導入しました。
 紀元前6世紀以後、タレスの「水」原理にたいする論争がギリシャ世界に広くゆきわたり、ピュタゴラス派はイタリア半島南部、シチリアで、 自然と事物の間に「数的秩序と比例性」を発見します。パルメニデスは「“ある”ものは不滅で、変化の可能性を否定し、生成・消滅は不可」として自然と物質界に生じる転化の現象にたいする科学思考に深刻な疑問を提示しました。これを巡って、古代ギリシャの第二期“哲学史”が開始されてゆきます。
 「存在は生成も消滅もしない」パルメニデスに対抗する初期ギリシャ科学は、エンペドクレスの四元素と物質の構成原理を生みだし、さらに古代原子論が誕生してゆきます。最終的にアリストテレスによる 「事物の内在的構成要素すなわち質料」と 「事物の形相 eidos(ラテン訳forma) または原型」を事物の原因・原理とする二つの説明方式logosー  四元素・原理説 に絞られてゆきます。



  『初期ギリシャ科学』  タレスからアリストテレスまで
     G.E.R.ロイド 法政大学出版局 1994年発行

アリストテレス哲学選集
  目次
 第3章ピュタゴラス派
   1. 数の構成要素と比例性
   2. 音楽の数的比率と自然の数量的・数学的基礎づけ
 第4章 変化の問題
   1. 認識の始まり
   2. パルメニデス-存在は生成も消滅もしない-
   3. エンペドクレスの体系-物体的元素の概念と、比率
   4. エンペドクレス 「土・水・空気・火」と比率の構成
   
5. 原子論 レウキッポス-デモクリトス
   6. ギリシャ自然哲学の問題-生成と変化の本性-


  第3章ピュタゴラス派

1.  数の構成要素と比例性
 アリストテレスがミレトス派のことを、事物の「質料〔素材〕因」について思索したと説明するとき、かれがピュタゴラス派の主要教説について言うのは次のことである(かれの冒頭の言葉が示しているように、かれはピュタゴラス自身の同時代人よりもむしろ、前5世紀のピュタゴラス派のことを言っているのである)。
  「これらの哲学者[アナクサゴラス、エンペドクレスとアトム(原子)論者たち]と同じ時期に、またかれら以前に、いわゆるピュタゴラス派の人々は、初めて数学にたずさわった人々であるが、その研究を前進させ、数学のうちで訓練されることによって、数学の原理があらゆる事物の原理であると考えた。だが、これらの原理の中では数が自然本来的に第一のものであり、かれらは、存在し、生成するものの多くの似姿を、火や土や水のうちによりは、数のうちに見ていると思われた。……さらにまたかれらは、音階の属性や比例関係が数によって表わされると見た。そのために、ほかのすべてのものはその本性全体において数に倣って作られているように思われ、そして数の方は自然全体のうちで第一のものであると思われたので、かれらは、数の構成要素があらゆる存在の構成要素であると見なし、また、天空の全体を一つの音階であり数であると考えたのである(『形而上学』985b23以下。)

2.  音楽の数的比率と自然の数量的・数学的基礎づけ
 アリストテレスによると、ピュタゴラス派のこの人々は、あらゆる事物の原理を数のうちに見出したのである。ミレトス派の人々が、最初のものとして質料的な物質を選んだのに対してIIというのは、アナクシマンドロスの〈限りなきもの〉でさえ、タレスの水やアナクシメネスの空気に劣らず、質料的であるからであるが――ピュタゴラス派の人々は、現象の形相的な側面に注意を集中したと言うことができるだろう。かれらが音楽的階調の数的比率を認識した最初の人びとであるか否かにかかわらず、この比率はたしかに、数の役割を示すためにかれらが挙げる中心的な例となった。オクターブ、5度、4度の音程は、すべて1対2、2対3、3対4といった単純な数的比率によって表現されうる。ここには、数との明白な結びつきはないのに、数学的に表現できるような構造を示している現象の、目をみはるような例があった。ピュタゴラス派の人々には、これが音程に当てはまるなら、当然ほかの事物にも、その事物の数学的関係が発見されさえすれば、当てはまるだろうと思われたのである。
 事物のうちに数を求める、この探究の重要性は明らかである。ピュタゴラス派はこのようにして、意識して自然の知識に数量的・数学的基礎づけをあたえようと試みた最初の理論家となった。このことによってかれらは、科学にとって将来最も重要なものとなる発展の先頭の位置を占めることになったのである。だが、かれらの業績を正しい釣り合いの中で見るためには、二つの点を付け加えなければならない。一つは、ピュタゴラス派はたんに現象の形相的な構造が数で表現できると考えただけではなく、事物が数で構戎されているとも考えていたということである。かれらの多くは事物が数でできていると考え、数そのものが具体的な物質的対象として思い描かれていたのである。・・・以下、省略・・・


  第4章 変化の問題

1.  変化の問題についての認識の始まりは、第2章で概観した、もとになる物質についてのミレトス派の思索にまで遡ってしらべることができる。前5世紀初めになって、この問題は自然に関する探究の主要な問題となった。ミレトス派の人々は、変化が起こることや、感覚経験の世界が幻想などではないことを当然のことと思っていた。しかし、その後まもなく、哲学者たちは外界についてわれわれのもっていか知識の根拠を疑問にし始めた。感覚を信じることができるのか? それともわれわれは理性のみに頼るべきなのか? なるほど変化は起こっているように見えるが、現象はその下に横たわる実在に対応しているのか? それとも現象は人を迷わせる道案内なのか? いったんこれらの問いが提起されると、物質の究極的構成要素の問題に取り組もうとする探究者は誰でも、予備的ではあるが根本的ないくつかの哲学的問題をまず最初に考察しなければならなかった。・・・・

2.  パルメニデス-存在は生成も消滅もしない-
  <真理の道>は、生成や消滅やあらゆる種類の変化がすべて等しく不可能であると〔パルメニデスは〕宣言している。
 変化に対するこの破壊的な攻撃のあとでは、だどんな理論家も、まず最初にパルメニデスの議論およびその議論の根拠となっている知識論と折り合いをつけなければならなかった。前5世紀末の思弁的思想の歴史は、主としてパルメニデスを支持する人々とかれの結論に反対する人々との間の論争の歴史である。パルメニデス自身の信奉者たち――いわゆるエレア派の、エレアのゼノンやサモス島のメリッソス――は、かれの立場を心から受け入れて、議論をさらに「多」と変化の考えを反駁するまでに発展させた。しかし反対陣営において、「自然哲学者」――すなわち自然(ピュシス)についての哲学者たち――のうちで最も重要な人々もまた自分たちの出発点をパルメニデスからとっていた。たとえば、アクラガスのエンペドクレスもクラゾメナイのアナクサゴラスも、二人とも、何ものもあらぬものからは生成しえないというパルメニデスの言明を是認したし、後述のように、レウキッポスとデモクリトスの原子は、パルメニデスの〈真理の道〉の、変化しない一つのあるものと、いくつかの特徴を共有している。パルメニデスによる変化の否定をいかにして打ち返すかということが、実際のところ、これらソクラテス以前後期の諸体系のそれぞれが夢中になって取り組むべき主要な急務だった。
 パルメニデスがロゴス〔理性〕のみに頼るべきだと主張したのに対して、エンペドクレスは感覚を、復権させた。かれは、感覚はか弱い手段ではあるが、心〔思惟〕もそうであり、それぞれの物事を捉えるためには、われわれは見ることや聞くことやその他の感覚も含めて、われわれの自由になるあらゆる手段を利用すべきであると認めた(断片二および三)。断片一二~一四は、何ものもあらぬものから生じてくることは不可能だというパルメニデスの陳述の繰り返しであるが、しかしエンペドクレスは、あるものの唯一性を否定することによって、変化の概念を復権させている。土・水・空気・火、これらはすべて存在しているし、またつねに存在してきた。そして、エンペドクレスが〈愛〉と〈争い〉と呼ぶ二つの相対抗する力の影響の下に、お互いに混合したり分離したりすることによって、これらが変化を生み出すのである。何ものもあらぬものからは生じてこない。しかし変化は起こりうるし、現に起こっているのである。変化はすでにある物質の混合・分離として解釈されているわけである。

3.  エンペドクレスの体系-物体的元素の概念と、比率
  科学理論史の観点からすると、エンペドクレスの体系の二つの特徴がとくに重要である。すなわち、物体的元素の概念と、比率の考えの使用とである。「元素element」という術語は曖昧で、(1)「もとの」物質――何かが存在するかぎりは存在してきた物質――についても、(2)「単一の」物質――合成物がそれへと分解されるが、それ自身はもはや分解されることのできないような物質――にも、二通りに用いられている。この両者の考えの形跡は、エンペドクレスよりずっと以前から見出すことができる。タレスの水やアナクシマンドロスの〈無限なるもの〉や、おそらくヘシオドスの「大きく開けている裂け目」すらも、第一の意味において「元素的」である。また、いくつかの複合物は他の、より単純なものから作られているという考えも、いくつかの関連において、きわめて早い時期にギリシア思想に現われている。たとえば人間は「土」と「水」からできているという所信は、広く一般に流布したものであり、たとえばヘシオドスにおけるパンドラの神話(『仕事と日』59行以下)にも暗に含まれている。すなわち、ヘパイストスは土をとり、それを水でこね、形をあたえることによって最初の女性パンドラを作っている。コロポンのクセノパネスは、人間が土と水からできているという考えを、非神話的な説明の中で繰り返しているし、〈思惑の道〉の中でパルメニデスによって提案された宇宙論においても、すべてのものが一対の原理――光と夜――から導き出されている。
 しかしエンペドクレスは、元のものでもあり単一でもある物質の考えを、かれに先立つどの著述家たちよりも明瞭に表現している。なるほどかれは、ギリシア語で元素を表わす専門用語となった〈ストイケイオン〉を使ってはいない――この語はプラトンにいたって初めて導入された――が、しかしかれは、土・水・空気・火について、明確に定義された意味で〈リゾーマタ〉「根」として言及している。まず最初に、根それ自体は生成しなくて、永遠であり、無からは創造されない。よって、それらは元のものという意味において元素的である。第二に、それらの混合・分離の原因となる〈愛〉と〈争い〉に結び合わされて、世界中の他のすべてのものがそれからできることになる。とりわけ、エンペドクレスは合成物と合成物を作り上げている成分とを明瞭に区別した。たとえば、断片二三において、かれは根から生じる多種多様なものを、画家が絵の具から作り出しうる多様な色と比較している。そして、根は他のあらゆる種類のものどもの源であると主張することによってその断片を結んでいる。
 「汝が思い違いに心をうち負かされて、この世に無数に現われ生じたあらゆる死すべきものどもの誕生の源が、これら[四つの根]のほかにあるとは信じることなかれ。」

4.  エンペドクレス 「土・水・空気・火」 と 比率の構成
 構成要素という考え
は、かれに先立つソクラテス以前の哲学者の誰よりも明確にエンペドクレスに、よって把握されている。かれの四つの根は永遠でもあり単純でもある。それらは、他のものがそれらへと分解されることはできるが、それ自体はもはや他のものに還元不可能な構成要素である。それにもかかわらず、かれの元素概念は他のあらゆるギリシア科学者のそれと同様に、少なくとも一つの明白ではあるがきわめて重要な点で、近代の概念と異なっている。つまりそれらは化学的に純粋な物質ではない。エンペドクレスは、諸事物が土・水・空気・火からなると主張したが、しかし「土」は広い範囲の固体に適用された用語であり、「水」は一般にさまざまな液体だけでなしに金属にも用いられた(というのも、金属は溶けうるからだ)し、「空気」はあらゆる基体をさすギリシャ語だった。 したがって、われわれはエンペドクレスの根を、ラヴォワジエ以後の化学における酸素や水素のような純粋物質と考えてはならない。反対にこのことは、エンペドクレスが実際にそれらを元素として選んだことに対するわれわれの理解を助けてくれるだろう。かれの選択は一見してそう見えるほど気まぐれなものではない。いかなる他の要因がかれの理論に影響をあたえたとしても、土・水・空気は、きわめて大ざっぱに言えば、固体状態・液体状態、気体状態の物質を代表している。そして火は、過程というよりもむしろ物質と考えられたので、他の三つの元素と対等に四番めの「元素」として仲間に入れられたのは自然なことであった。
 自然学理論の発展に対するエンペドクレスの二番めの重要な寄与は、かれが比率の考えを用いたことにある。かれが四つの根を仮定し、他の万物はそれらの合成物であるとしたことを、われわれはすでに見た。しかし、いかにして有限数の根が、見たところほとんど無限のさまざまな物質を生じさせることができるのかという難問に答えて、エンペドクレスは、霊感を受けたとしか記述しようのない推測をした。さまざまな物質は、根がいろいろな比率で結合することによって形成されるとかれは言ったのである。そして、個々のどんな物質もつねに、根がある決まった特定の比率で結合することによって形成されるということを、かれは明らかに想定していた。・・・・
 四つの根がさまざまな比率で結合することによって、さまざまな合成物を形成するのだから、あらゆる既知の物質を説明するのに四つの元素だけで十分であるとエンペドクレスが主張した・・・

5.   原子論 レウキッポス-デモクリトス
 エンペドクレスもアナクサゴラスも、二人とも独創的に巧妙な自然学理論を提案した。しかし、前5世紀の諸体系のうち最も有名で最も影響力のあったのは、ミレトスのレウキッポスによってはじめて提案され、そのあとアブデラのデモクリトスによって発展させられた原子論である。これは正当にも、ソクラテス以前の思弁の頂点と見なされる。しかしながら、原子論を公平に評価するという課題は、古代原子論と近代の同名の理論とを、理論自体の内容においてもそれらが提唱された背景においても根本的な違いがあるのに、同化してしまおうとする傾向によって難しくされてきた。たとえばドルトンの理論は、さまざまな元素的物質を許容している点で古代の原子論とは異なるし、また現代の「原子」論は、原子の分解や分割のゆえにギリシア語の意味における原子論(アトム論)ではまったくない。ギリシア語でアトモンという語は分割できないという意味だからである。
 前5世紀の、もとの形の古代原子論の基礎的仮定は、原子と空虚だけがあるもの(実在)だという、ことであった。われわれが実質の違いと考えるものと性質的違いとの両方を含む、物質的対象の間の差異はすべて、原子の形・配列・向きの違いによって説明された。これら三つの形の原子間の差異を説明するためにアリストテレスが挙げている例は、AとN(形の違い)、ANとNA(配列の違い)、とH(向きの違い)である。
 原子は無数にあり、無限の空虚中に分散している。しかも原子は連続的に運動して、それの運動は原子同士の絶え間ない衝突をひき起こす。そのような衝突の結果は二通りある。原子が互いにはねかえるか、あるいは衝突する原子がカギ形か、さかトゲがついているか、さもなければ形が互いに符合するかする場合には、それらは結合して合成物を形成する。したがって、あらゆる種類の変化は原子の結合と分離によって解釈される。そのようにして形成された合成物は、色、味、温度などといった、さまざまな感覚的性質をもつが、しかし原子それ自体は実質的に不変のまま存続する。・・・
6.   ギリシャ自然哲学の問題-生成と変化の本性-
  自然哲学の鍵となる問題は、生成と変化の本性という、一般的な問題であった。提案されたいろいろな答えは、一連の自然学的理論――すなわち、物体の究極の構成要素の説明――の形をとった。しかし、その問題はもともとは哲学的な問題だったのであり、パルメニデスによる変化の可能性の否定によって最も鋭い形で出されたものだった。  そして前5世紀の理論家たちはそれぞれ、パルメニデスの問題を扱うためには知識の基礎についての問いに取り組むことが必要であることをはっきり認めていた。エンペドクレス、アナクサゴラス、レウキッポス、デモクリトスは、主として研究のプログラムのみならず、高度に抽象的な性質の議論にたずさわっていたのである。その議論において重要なのは、一つの理論を支持して提示されうる経験的データというよりも、むしろその理論が根拠をおいている議論の効率性とか、首尾一貫性だったのである。
   ・・・・以上、第4章変化の問題、終わり・・・