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資本論用語事典2021
アリストテレス科学入門
「 存在を存在として研究すること 」
われわれが諸原理や最高の諸原因(3)を探求している
ー 存在としての存在の構成要素 ー
アリストテレス 『形而上学』 第4巻第1章
出 隆訳 岩波書店1959年発行
存在を存在として研究し、またこれに自体的に属するものどもをも研究する一つの学がある(1)。 この学は、言わゆる部分的〔特殊的〕諸学のうちのいずれの一つとも同じでない。というのは、他の諸学のいずれの一つも、存在を存在として全体的に考察しはしないで、ただそれの或る部分を抽出し、これについてこれに付帯する諸属性を研究しているだけだからである、たとえば数学的諸学がそうである(2)。
さて、われわれが諸原理や最高の諸原因(3)を探求しているからには、明らかにそれらは或る自然〔実在〕の原因としてそれら自体で存在するものであらねばならない。ところで、存在するものどもの構成要素〔諸元素〕を求めた人々(4)も、もしこうした諸原理を求めていたのだとすれば、必然的にまたそれらも付帯的意味である〔存在する〕と言われる諸存在の構成要素ではなくて、存在としての存在の構成要素であらねばならない。それゆえにわれわれもまた(5)、存在としての存在の第一の諸原因をとらえねばならない。
(『形而上学』1003 a 21-32(岩波文庫p.112))
〔 訳者:出隆(1892-1980)の注 〕
〔 第一の哲学 〕
(1)ここに「存在としての存在」(to on hēi on)および「これに自体的に属するものども(自体的諸属性)」(ta toutōi hyparchonta
kath’ hauto)を研究する「或る一つの学」(epistēmē tis)というのは、言うまでもなく本書前章でも読まれた「第一の哲学」すなわち後世の言わゆる「形而上学」である。・・・
〔 普遍学と特殊の学 〕
(2)「全体的」(katholou――全体について)は、後にラテン訳から近代語たとえば英語では‘universal’, 日本語に訳されて「普遍的」であり、「部分的」(en merei――部分において)は、同様にして英語では‘particular', 邦訳されて「特殊的」である。これをここでいう諸学について言えば、
「第一の哲学」は「普遍学」と言われ、他の諸学は「特殊の学」と言えよう。さらにここに「数学的諸学」(hai mathēmatikai tōn epistēmōn)というのは、算数学・幾何学・天文学・和声学などで、これら(一般的に言えば「数学」)は、存在を端的・自体的に存在として考察しはしないで、存在の特定な部分についてのみ、すなわち存在を(存在としてでなく)数とし点とし線とし図形とし等々として、要するに存在を数学的存在として数学的対象として研究している。したがってまた、これら諸学は、当然、それぞれに特定の対象存在の諸属性・諸付帯性(ta
symbebēkota)をも研究すべきであるが、これら諸属性はそれぞれの対象存在にとっては自体的な付帯性(自体的属性)であっても、存在としての存在にとっては単に付帯的(偶然的)な付帯性すなわち偶然的属性たるにすぎない。・・・
〔 原理、原因 〕
(3) この「諸原理や諸原因」という言い方については本書第2章の5の注(2)を、また「原理」および「原因」の諸義については本章の16 〔「転化の諸原因とその追求」を参照〕および同注(3)(6)(7)等々を参照。
〔 構成要素 stoicheiaーelementa 〕
(4) ここに「自然」というは客観的実在というほどの意。本書第4章の2の注(11)参照。つぎに、この「人々」のうちには、まず、万物の「もとのもの」(原理)を求めて言わゆる四元素をあげ、これらを、ここに「構成要素」と意訳された原語で‘stoicheia’(単数形では‘stoicheion’)というのは、もともとギリシャ語で一般に一つの語またはその音節・語節(syllabē)を構成する要素としての「字母」(アルファベット、a b c いろは)を指す語であり、そこでこの語がローマの学者ではおそらくa b c のようなものという代わりに「l m n のようなもの」というほどの意味でか‘elementa’と訳し用いられ、ここから近代語では英語なら‘elements’, や‘elemental’等々、そしてこれらが日本語では「元素」「要素」「原理」や「初歩的」「原理的」等々と訳されるに至った。四元素については本書第4章13,同注(1)参照。なお、推論を成す前提原理、知識の根本命題などの意から、後にラテン語名‘Elementa’(英‘Elements’)で知られるユークリッドの『幾何学原理』もこの語で‘stoicheia’または‘stoicheiōsis’と呼ばれたが、これは、この書に集められた幾何学の公理・定義・定理などの諸命題が幾何学的世界を構成する基本的要素と解されたからである。
〔 存在の第一の諸原理・諸構成要素 〕
(5) それゆえにわれわれ(第一の哲学の研究者)もまた(幾何学的の線とし点としての存在でも自然的なものとしての存在でもなしに、端的・無条件的に)存在としての存在の第一の諸原理・諸構成要素をとらえねばならない。本章の16の注(3)参照。
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