資本論用語事典2021
アリストテレス科学入門
アリストテレス 「転化の諸原因とその追求」
アリストテレス著作集 出 隆編抄録 岩波書店 1972年発行
16 転化の諸原因とその追求
ー 存在としての・ 存在の第一の諸原理・諸構成要素・ー
1. 〔 『自然学』 生成・消滅-転化の原理・原因〕
つぎにわれわれは(1)、原因について、それがどのようなものであり、またその数はどれほどあるかを、検討せねばならない。われわれの研究事項はただ知らんがために知るにあり、しかもこの知の対象の各々についてそのなにゆえに(2)を把握していないうちは、われわれはまだこの各々を知っているとは考えないのであるから、(そしてこのことは、まさにその第一の原因(3)を把握することであるから、)それゆえ明らかに、われわれもまた、この同じこと〔第一の原理・原因を把握すること〕を、生成・消滅その他あらゆる種類の転化(4)について行ない、こうしてこれらについての諸原理を知り、さらにこの諸原理にまでわれわれの探求の対象の各々を還元してゆくことにつとめねばならない。
2. 〔 『自然学』 事物の本質と説明方式 logos 〕
ところで、(1)或る意味では事物がそれから生成しその生成した事物に内在しているところのそれ(5)〔事物の内在的構成要素すなわち質料〕を原因という、たとえば、銅像においては青銅、銀盃においては銀がそれであり、またこれらを包摂する類〔金属〕もこれら〔銅像や銀盃〕のそれである。
しかし、(2)他の意味では、事物の形相または原型がその事物の原因と言われる。そしてこれはその事物のそもそもなにであるか〔事物の本質〕を言い表わす説明方式(6)ならびにこれを包摂する類、(たとえば、一オクターブのそれは〔その説明方式としては〕 一に対する二の比、ならびに一般的には〔一や二を包む類としての〕数)、およびこの説明方式に含まれる部分〔種差〕のことである。
さらにまた、(3)物事の転化または静止の第一の始まりがそれからであるところのそれ(7)〔始動因・出発点〕をも意味する。たとえば、或る行為への勧誘者はその行為に対して責任ある者〔原因者(8)〕であり、父親はその子の原因者〔始動因〕であり、また一般に、作るものは作られたものの、転化させるものは転化させられたものの原因であると言われる。
3. 〔 物事・事物の目的 〕
さらに、(4)物事の終り、すなわち物事がそれのために〔またはそれを目指して〕であるそれ(9)〔目的〕をも原因を言う。たとえば、散歩のそれは健康である、というのは、「あの大はなにゆえに〔なんのために〕散歩するのか」との問いに対してわれわれは「健康のために」と答えるでもあろうが、この場合われわれは、こう答えることによってその人の散歩する原因を挙げているものと考えているのだから。なおまたこれと同様のことは、他の或る〔終りへの〕運動においてその終り〔目的〕に達するまでの中間の物事についても、たとえば痩身手術や洗浄や薬剤や医療器具など健康に達するまでの中間の物事についても言える。というのは、これらはすべてその終り〔健康〕のためにある物事〔健康のための手段〕だから。ただし、これら〔諸手段〕のうちでも、その或る物事〔痩身手術や洗浄〕は行為であるが、他の或る物事〔薬や器具〕はそのための道具であるという差別がある(10)。 (『自然学』 第2巻第3章)
4. 〔 (『形而上学』
形相(eidos, ラテン訳forma)と本質(to ti ēn einai, ラテン訳essentia) 〕
ところで、同じ物事にでも原因する仕方はいろいろありうる。たとえば同じ家について言うも、その家のできる運動の始まり〔始動〕は技術(11)であり建築家であるが、それがなにのためにかというその終り〔目的〕はできあがった家の家としての働き〔役割り〕であり、そしてその質料は土とか石とかであり、その形相は家のなにであるか〔本質〕を表わす説明方式である。(『形而上学』岩波文庫p.84))
5. 〔『形而上学』 説明方式-形相と原因〕
さて、このように、原因というのにも多くの意味があるから、誰でも物事の原因を探求する場合には、ありうべきそのすべての原因を挙げねばならない。たとえば、人間の場合、その質料としての原因はなにか?月のもの〔月経〕が、とでも答えようか。だが、姶動囚としてのそれはなにか?たね〔精子〕がそれだ、とでも言おうか.では、形相としてのそれは? それは人間が人間であるゆえんの本質(12)である。それのためのそれは? その目的である。だが、この最後の二つ〔形相と目的〕はおそらく一つに帰するであろう(13)。なお、われわれは、〔事物の原因を挙げる場合〕それの最も近い原因を挙げねばならない。たとえば、人間の質料はなにか? これに対して火とか土とか〔のごとき最も遠い第一の質料〕をあげるのではなしに、その人間に最も近いその人間特有の質料を挙げねばならない。
さて、それゆえに、自然的で生滅的な諸実体については、……必然的に上述のような仕方でこれらの諸原因を追跡しなくてはならない。……しかし、自然的ではあるが永遠的な諸実体の場合には(14)、説明の仕方はこれとは別である。なぜなら、これらのうちの或るものには、おそらくなんらの質料もないか、あるいは少なくもあのような質料をではなくただ場所的に可動的な質料(15)を有するのみだから。同じくまた、自然によって起こるのではあるが実体ではない諸現象にも質料は存しない。かえってこれらの基体たるものはこれらの起こる当の実体である。たとえば、月食の原因はなにか? まず、なにがそれの質料か? それには質料はない。月は〔食の質料ではなくて〕食の限定をうける当のものである。では、なにが食を起こす始動因か? すなわち、なにが月の光を消す原因か? それは地球である。しかし目的は月食には存しないであろう(16)。だが、形相としての原因はそれの説明方式である。ところで、その説明方式は、そのなかに月食の原因が言い表わされていなくては不明瞭であろう。そこで、「月食とはなにか?」に対して、ただ「光の欠除」と答えただけでは不明瞭であるが、この上に「中間に地球の入り来るによっての」と付け加えれば、原因〔始動因〕を含む明瞭な説明方式になる。 (『形而上学』 (岩波文庫p.306))
〔編集者 出 隆の注〕
(1) この「われわれ」は、自然学の研究者であるから、転化やその諸原因それ自体を直接の研究対象とする第一の哲学者ではないが、しかし理論学者としての限り、その対象とする自然的諸存在の「なにゆえに」存在し転化するかの原因を求めており、したがって一応「われわれ」も物事の原因がどのようなものであり、どれだけあるかを知っておかねばならない。
(2) 「なにゆえに」の原語は “to dia ti”. ――これは、つぎに説かれる原理・原因を指す。
(3) この「第一の原因」( hē prōtē aitia )というのは、当の対象事物の各々に最も近い最も直接的な原因(すなわち各々に最も直接的な質料・形相因・始動因・目的因)。なお、「原因」の原語には、形容詞“aitios”(責めを負う、責任ある、原因たる、の意)の女性形名詞‘aitia'と、中性形の‘aition'とがあり、ともに原意は「責めを負うもの」の意、ラテン訳では“causa”.
(4)「転化」(metabolē)の「あらゆる種類」と言えば、実体の生成・消滅をも含めて言う場合もあるが、また広義の「運動」(kinēsis)と同義的に、ここに見えるとおり、性質の変化と量の増減と場所的の移動とを指して言うこともある。本書第4章の6の注(1)参照。
(5) 「生成する事物に内在している原理」というのは、別の箇所では“stoicheion”(構成要素・元素)とも呼ばれるもの(本章の1の注(4)参照)であり、「質料」(hylē, ラテン訳materia)のことである。
(6) 〔形相 eidosー原型、本質ー説明様式 logos〕
ここでは「形相」(eidos, ラテン訳forma)が、「型式」(morphēでなく「原型」(paradeigma)と言いかえられ、物事の「本質」(to
ti ēn einai, ラテン訳essentia)を言い表わす「説明様式」(logos)と同一にみられる。本章11の注(2)参照)
(7) ここに「物事の転化の第一の始まり(archē)がそれからであるそれ」(hothen hē archē tēs metabolēs hē prōtē)というのは、「始動因」(archē,
ラテン訳principium またはcausa movens )としての原理・アルケー。
(8) 本項の注(3)参照。
(9) 〔 アリストテレスの四原因 〕
「終り」(telos)が運動のたんなる終点であるなら運動の原因ではないが、運動が「それのための(それを狙い目指しての)それ」(to hou heneka)である限り、それは「目的因」(ラテン訳causa finalis)である。―― 以上の(1)(2)(3)(4)の四つが「アリストテレスの四原因」とも呼ばれるものであるが、これらのうちのちにも見られるように、しばしば「始動因」(大工の頭に描かれた家)と「目的因」(出来上がった家)とは「形相」(その家の型式)と同じであるので、アリストテレスは、具体的事物を「形相」と「質料」との「両者から成るもの」(to ex amphoin)とか両者の合して一体をなす「結合体」(to synolon)とか呼んでいる。次々注(11)参照。
(10) ここを補読すると、「他の或る物事(薬や器具)は或る行為〔手術〕のための道具である、そしてこの道具は〔痩身手術を〕行為するための手段である、という差別(目的とその手段とのちがい)がここにもある」。
(11)「始動因」は、「動力因」とも訳されるので、家の建築の場合、大工とか職人の手の力とかかとも考えられがちであるが、アリストテレスでは、「始まり」(archē, ラテン語principium 独Anfang)は、建築家の技術、その頭に描かれている家の設計図、家の型である。それゆえに、アリストテレスは「人は人を生む」そのように「家は家を生む」とも言っている。前項15の注(3)参照。
(12) 前項15の注(3)参照。
(13) 形相と目的が一つに帰するだけでなく、前注にみられるように始動因と目的因とも一つに帰せられるので、アリストテレスは形相・質料の二原因を説いたとも言われる。前注(9)参照。
(14) 以下の叙述にも、天界の諸象や不動の動者(神)など永遠的実体についてのアリストテレスの形相第一主義が読みとれる。
(15) 天体の移動〔運行〕がそこで・それにおいて・おこなわれるところのその「場所」が、その「可動的な質料」である。
(16) ここに、月には目的がないだろうと言った点、素朴な目的論者ではなかったことを示している。
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