岩波哲学・思想事典
佐々木力 著 「量」 〔独:Quantität〕
量 〔ギ〕posotēs 〔英〕quantity
質 〔独:Qualität〕 と対照的に用いられる基本カテゴリー。ギリシア語の量を表す名詞ポソテースが疑問詞 “posos”、ラテン語の対応語が “quanto” (いずれも「どれだけの」) に由来し、また漢字の「量」が「はかる」を意味していることが示唆しているように、事物の大小関係を示す基本概念である。学科としては数学が量を対象する。また哲学は基本カテゴリーの中で量概念がいかなる規定性をもつかを問題とする。
【数学的概念】
量概念が明確な事物の規定性としてとらえられるようになるのは古代ギリシアからである。当初は区別なく「どれだけの」という問いに答えるカテゴリーであったと思われるが、数学の理論化が進み無理量が発見されると、純粋数学は離散的な〈数〉( arithmos )を対象とする算術と、連続的な〈大きさ〉( megethmos )を対象とする幾何学とに分化していった。ギリシア数学の集大成であるエウクレイデスの『原論』は二つの純粋数学を対象とする著作である。ただし、両方の学科に共通な公理(共通概念)も存在し、またそれらが分化する以前の痕跡を残した議論も残存した。 さらに幾何学的概念には算術化する傾向が古くからあった。アリトモスとメゲトス双方に通用する概念がもっと抽象的な量概念であるポソテースなのである。アリストテレスの学統に連なる者はより現実的な〈数〉や〈大きさ〉に高い地位を与え、量一般にはそれほど高い地位を与えなかったが、プラトンや新プラトン派の人々は逆に量一般を重視した。新プラトン派のイアムブリコスには量一般に関する〈普遍数学〉という概念が実質的に存在していたものと考えられる。
中世になると算術化は一段と進み、比は単純な分数と同一視されるようになった。また近世になって代数が数学の中心的学科になると、〈数〉と〈大きさ〉の融合はさらに進んだ。記号代数が同時代に〈普遍数学〉と呼ばれた理由がここにある。 この時代の数学者ステヴィン、デカルト、ウォリスらによって無理量を数の一種とみる観点が次第に形成されてゆくことになった。無理〈量〉はそれ以降、無理〈数〉として見られることになる。
19世紀になると有理数と無理数を一般的に論じる実数論がカントルやデーデキントによって提起された。今日の1次元ユークリッド空間の〈算術化〉である。この古典的実数論以外にも実数論は可能で、実数の十進小数展開の構成数を比較して順序を定める直観主義的実数論、A.ロビンソンによって提起された無限小概念をも実数に取り込む超準実数論などがある。 1次元実数以外にも無限次元までの多様な次元の数も現代の数学では用いられる。数学的量概念自体が多様化してきたということができるであろう。
【哲学的規定】
アリストテレスの『カテゴリー論』によれば、量は、質、関係、場所、時間などとともに、実体を規定する基本カテゴリーの一つである。量において最も独特なことは 等、不等 が言われることである。カントの『純粋理性批判』が導入を図った「純粋悟性概念」の中には、量、質、関係、様相という4つが含まれ、判断における思考の機能を規定するものとされた。このカテゴリー分類にはアリストテレスの影響がある。カン卜における量は、全称的、特称的、単称的と下位分類される。さらにヘーゲルの『論理学』では、量は「止揚された質的なもの」、「無関心になった区別」ととらえられる。すなわち、 質を根源的な規定性と見なし、もっと本質的でない規定性を量が表すと考えるのである。量はもっと豊かになると量のカテゴリーの一種にとどまる「質料」、さらに質と量が統一された「度量」( Maß )に発展してゆく。すなわち、力学的ないし物理学的量概念に成長を遂げるのである。 が、ヘーゲルによれば、 存在が量的規定を受ける段階にとどまっている限りは貧しい内容をもっているにすぎない。ここにヘーゲルによる、数学化を基調とする近代学問に対する最も先鋭な批判の姿勢を見るととができるのである。 ただし、現代数学においては、量といっても、構造論的にとらえられるために、単なる等、不等関係、大小関係のみを意味するわけではなく、ある意味で 「構造的な質」的側面をもつようになっていることを忘れてはならない。
〔佐々木力〕